白銀髪の騎士と黒髪の聖女
第二十一話 そうはさせない
一夜明け、中央広場は柵でぐるりと囲われ、お立ち台と、四人分の絞首台が設置されていた。処刑の予定など聞いていなかった民衆はざわつき、「誰の処刑だ?」とか「こんなことなら露店を開いたのに」とか「早く終わるといいが…」など言って禍々しいそれの周りに集まって来た。あっという間に広場は人々で埋め尽くされ広場に入れなかった者は広場に続く道に溢れた。近くの建物も窓を全開にして乗り出すようにし広場を覗く人もいる。
民衆が集まって小一時間経ち今か今かと焦れだした頃、四人の囚人がそれぞれの絞首台の前に立たされた。そしてお立ち台にとんでもない人物が現れ彼らはどよめいた。本来ならそこに立つべきでない人が立ち民衆を見渡した。
「私は聖女ローズの騎士、フィグ・フェレメレンと申す。今日は皆に急遽私の口から直接伝えねばならないことがある。数年、オリーヴァ王国は瘴気に苦しめられてきた。我々の力不足をこの場で謝罪の意を示そう。しかし、皆にも知ってもらいたい。ローズ様は病床に倒れられ、最期の際まで、民を、国を憂いておられたのだ」
「ローズ様が病気だったのは噂じゃなかったのか」
「最期?それってどういうこと?まさか本当に?」
「お静かに願おう。聖女ローズ様は長年病に苦しまれていたと思われていたが、そうではなかったことが判明した。聖女の騎士として、人として非常に残念で許しがたい事実だが、皆にも伝えねばならない。我が友であり、同じ騎士のハロルド・アゼル・レスターは長年にわたってローズ様を弱らせるべく毒を盛っていたことが判明した。そしてその息子たちも関与している」
「あの!聖女様は…本当に…亡くなられたんですか…」
フィグはこくりと頷いた。
人々は突きつけられた驚愕の出来事に頭がついていけなかった。ある者は泣きだし、ある者は怒り狂った。失神する者もいた。広場はパニックを化した。
「聖女なら此処にいる!!」
被っていたフードを脱ぐと白銀色の長い髪がシルクのように靡いた。傍にいた人々は、彼女のために空間を作るように後ずさりをし、その美しい髪と青い眼をした少女を呆然とそして奪われるように見つめた。
処刑台に立たされたオリヴィエ達も、フィグも、その瞬間時間が止まったような感覚に陥る。
「悲しむことはない。聖女は亡くなってはいないのだから」
ゆっくりと慎重に一歩ずつ、フィグが立つお立ち台に近づき、彼をブルーアメジストを思わす美しい瞳で睥睨する。
「このような時にどういうつもりだ、クリス・ノーブル。貴様にも捕縛命令が出ているはずだが?」
フィグが手で合図を送ると、四、五人の騎士がクリスの元にかけよった。一人がクリスの腕を捉えようとしたところ、彼女と目があう。風貌はまるっきり聖女そのもののクリスに思わずたじろいだ。その様子を近くで見ていた民衆はクリスを聖女だと思い込み「聖女様に手を出すな」と騎士を近づけないように身構える。
「皆さん、下がってください。私は大丈夫」
「聖女様…」
フィグは高笑った。
「何が聖女だ。彼女は聖女などではない。その容姿こそ聖職者と見間違うが、聖なる力を持たない只人である。善良な民を惑わすな」
フィグはクリスを見下ろして語気を強めた。
クリスはくるりと振り返り不安げな人々の顔をゆっくりと右から左へと視線を移した。
「そうですね。仰るように、私は聖女ではありません。そして聖職者でもなく、ただの騎士です。そして聖女の騎士でもあります」
「聖女の騎士?でも聖女の騎士はあちらのフィグ様とハロルド…様ですよね」
「私は、ローズ様より受け継がれた新しい聖女すみれ様の騎士です」
新しい聖女という言葉に誰もが反応し驚きを露わにした。彼らにはもう正しさとか間違いとか判らなくなっている。今何が起こっているのかすら判断がつかない。
クリスはもう一度フィグの方を振り向き言葉を紡ぐ。フィグは表情を崩さずクリスを見下したままだ。
「フィグ様、もうおやめください。彼らは決してローズ様に手を出すなど微塵もない。清廉な心を持つ騎士たちです」
「すでに結論は出ている。ひっくり返すことはない。事実ローズ様はすでにこの世にいらっしゃらないのだから」
「本当にそうかしら?」
「なんだと?」
王城と大聖堂へと続く道をフィグの命令のより塞いでいた騎士たちは、三人の人影に信じられないと目をみはりざわめいた。体に染みついた忠誠心は無意識に道を開けるために後ずさり最敬礼をした。
そして誰よりも驚愕し、血液が凍るように体の芯が冷えていく感覚を覚えたフィグの顔は真っ青になっていく。
こちらに向かってきたのはマヌエルと、車椅子を押すすみれ、そしてそこに鎮座したローズである。ローズの体はやせ細って歩くことも難しい状態であるが、目は生気を取り戻していた。
「私は此処にいますよ。さぁ、皆さん処刑は中止です。今すぐレスター家の三人を離しなさい」
フィグは口をぱくぱくと開けるばかりで何も答えられなかった。
彼の脳裏には夜更けに見たローズがまだはっきりと焼き付いている。息も絶え絶えになった彼女の姿だ。医師に調合させた遅延性の毒———これが最期と、彼女に飲ませて朝には息を引き取る算段だった。
それなのに彼女は生きている!青白くこけた頬は赤みがさしているではないか!
誰もが戸惑い混乱している中、ただ一人、その様子を顰め面で見ている男がいた。
(くそ、しくじりおったか。役立たずの愚図め)
男は後ろ手に手首を縛られたまま、指を動かし空中に文字を書く。そして乾いた唇で、渇いた声で呪いの言葉を唱えた。
『ヒューテム』
その言葉は彼を拘束していた騎士の耳にしか届かなかった。ただし騎士にはその言葉の意味が解らなかった。戯言でものたまっていると思い「口を閉じろ」と言おうとする前に異変が起こった。
自分の思惑から外れたフィグが呻き体を丸め膝をつきそのまま倒れた。そして彼の左胸から黒い靄があふれ出した。周囲にいた騎士たちも黒い靄が体に巻きついていく。彼らもその場に倒れ込んだ。
何が起こったか見物客にはわからなかった。目の前でばたばたと騎士たちが倒れる異様な光景に誰かが「瘴気だ!」と叫ぶとパニックを引き起こし中央広場から逃げようと反対側の道へと走って逃げる。
黒い靄に気付いたのは二人の聖女だった。ローズはフィグの名前を呼んだが体が想うように動かない。しかしすみれはローズの声に気付く前にフィグに向かって駆けだした。
すみれはお立ち台の階段をかけあがり、彼に触れた。一瞬靄はすみれを避けるように四散したが消えない。
「お願い!手伝って!」
クリスは中央広場を囲っている塀をなんなく飛び越えて駆け付けた。
「どうしたらいい?」
「体を仰向けにして」
「分かった!」
言われた通りにフィグの筋肉質の重い体を仰向ける。すみれは瘴気の元と思われる胸に付けられている豪華な細工が施された徽章に触れた。クリスはドキリとする。聖女の騎士を示し、聖女に忠誠を誓った証である徽章はあっという間に黒く濁っていく様子が見えたのである。
「死なせてくれ」
どこを見ているわけでもなく虚ろな目をしたフィグはか細い声で言った。
「馬鹿なこと言わないで!」
すみれは徽章を強く握りしめながら、今にも泣きそうな声で怒鳴るとフィグは目を見開く。
「こんなところで死なせるわけにはいかないよ。ローズはあなたと話をしたいって言ってるんだから」
「そんなわけないだろう…私は彼女を殺そうとしたんだ。恨まれておられるはず…」
「たとえそうだとしても、死んでいいわけないでしょう?こんなところで死んで怒りも恨み言も受け止めないなんて許さない。許さないから!」
目からはぼたぼたととめどなく涙が流れ落ち、徽章を濡らした。
フィグは光を見た。まばゆい光は自身の体を包んでいく。
———あたたかい光だ
民衆が集まって小一時間経ち今か今かと焦れだした頃、四人の囚人がそれぞれの絞首台の前に立たされた。そしてお立ち台にとんでもない人物が現れ彼らはどよめいた。本来ならそこに立つべきでない人が立ち民衆を見渡した。
「私は聖女ローズの騎士、フィグ・フェレメレンと申す。今日は皆に急遽私の口から直接伝えねばならないことがある。数年、オリーヴァ王国は瘴気に苦しめられてきた。我々の力不足をこの場で謝罪の意を示そう。しかし、皆にも知ってもらいたい。ローズ様は病床に倒れられ、最期の際まで、民を、国を憂いておられたのだ」
「ローズ様が病気だったのは噂じゃなかったのか」
「最期?それってどういうこと?まさか本当に?」
「お静かに願おう。聖女ローズ様は長年病に苦しまれていたと思われていたが、そうではなかったことが判明した。聖女の騎士として、人として非常に残念で許しがたい事実だが、皆にも伝えねばならない。我が友であり、同じ騎士のハロルド・アゼル・レスターは長年にわたってローズ様を弱らせるべく毒を盛っていたことが判明した。そしてその息子たちも関与している」
「あの!聖女様は…本当に…亡くなられたんですか…」
フィグはこくりと頷いた。
人々は突きつけられた驚愕の出来事に頭がついていけなかった。ある者は泣きだし、ある者は怒り狂った。失神する者もいた。広場はパニックを化した。
「聖女なら此処にいる!!」
被っていたフードを脱ぐと白銀色の長い髪がシルクのように靡いた。傍にいた人々は、彼女のために空間を作るように後ずさりをし、その美しい髪と青い眼をした少女を呆然とそして奪われるように見つめた。
処刑台に立たされたオリヴィエ達も、フィグも、その瞬間時間が止まったような感覚に陥る。
「悲しむことはない。聖女は亡くなってはいないのだから」
ゆっくりと慎重に一歩ずつ、フィグが立つお立ち台に近づき、彼をブルーアメジストを思わす美しい瞳で睥睨する。
「このような時にどういうつもりだ、クリス・ノーブル。貴様にも捕縛命令が出ているはずだが?」
フィグが手で合図を送ると、四、五人の騎士がクリスの元にかけよった。一人がクリスの腕を捉えようとしたところ、彼女と目があう。風貌はまるっきり聖女そのもののクリスに思わずたじろいだ。その様子を近くで見ていた民衆はクリスを聖女だと思い込み「聖女様に手を出すな」と騎士を近づけないように身構える。
「皆さん、下がってください。私は大丈夫」
「聖女様…」
フィグは高笑った。
「何が聖女だ。彼女は聖女などではない。その容姿こそ聖職者と見間違うが、聖なる力を持たない只人である。善良な民を惑わすな」
フィグはクリスを見下ろして語気を強めた。
クリスはくるりと振り返り不安げな人々の顔をゆっくりと右から左へと視線を移した。
「そうですね。仰るように、私は聖女ではありません。そして聖職者でもなく、ただの騎士です。そして聖女の騎士でもあります」
「聖女の騎士?でも聖女の騎士はあちらのフィグ様とハロルド…様ですよね」
「私は、ローズ様より受け継がれた新しい聖女すみれ様の騎士です」
新しい聖女という言葉に誰もが反応し驚きを露わにした。彼らにはもう正しさとか間違いとか判らなくなっている。今何が起こっているのかすら判断がつかない。
クリスはもう一度フィグの方を振り向き言葉を紡ぐ。フィグは表情を崩さずクリスを見下したままだ。
「フィグ様、もうおやめください。彼らは決してローズ様に手を出すなど微塵もない。清廉な心を持つ騎士たちです」
「すでに結論は出ている。ひっくり返すことはない。事実ローズ様はすでにこの世にいらっしゃらないのだから」
「本当にそうかしら?」
「なんだと?」
王城と大聖堂へと続く道をフィグの命令のより塞いでいた騎士たちは、三人の人影に信じられないと目をみはりざわめいた。体に染みついた忠誠心は無意識に道を開けるために後ずさり最敬礼をした。
そして誰よりも驚愕し、血液が凍るように体の芯が冷えていく感覚を覚えたフィグの顔は真っ青になっていく。
こちらに向かってきたのはマヌエルと、車椅子を押すすみれ、そしてそこに鎮座したローズである。ローズの体はやせ細って歩くことも難しい状態であるが、目は生気を取り戻していた。
「私は此処にいますよ。さぁ、皆さん処刑は中止です。今すぐレスター家の三人を離しなさい」
フィグは口をぱくぱくと開けるばかりで何も答えられなかった。
彼の脳裏には夜更けに見たローズがまだはっきりと焼き付いている。息も絶え絶えになった彼女の姿だ。医師に調合させた遅延性の毒———これが最期と、彼女に飲ませて朝には息を引き取る算段だった。
それなのに彼女は生きている!青白くこけた頬は赤みがさしているではないか!
誰もが戸惑い混乱している中、ただ一人、その様子を顰め面で見ている男がいた。
(くそ、しくじりおったか。役立たずの愚図め)
男は後ろ手に手首を縛られたまま、指を動かし空中に文字を書く。そして乾いた唇で、渇いた声で呪いの言葉を唱えた。
『ヒューテム』
その言葉は彼を拘束していた騎士の耳にしか届かなかった。ただし騎士にはその言葉の意味が解らなかった。戯言でものたまっていると思い「口を閉じろ」と言おうとする前に異変が起こった。
自分の思惑から外れたフィグが呻き体を丸め膝をつきそのまま倒れた。そして彼の左胸から黒い靄があふれ出した。周囲にいた騎士たちも黒い靄が体に巻きついていく。彼らもその場に倒れ込んだ。
何が起こったか見物客にはわからなかった。目の前でばたばたと騎士たちが倒れる異様な光景に誰かが「瘴気だ!」と叫ぶとパニックを引き起こし中央広場から逃げようと反対側の道へと走って逃げる。
黒い靄に気付いたのは二人の聖女だった。ローズはフィグの名前を呼んだが体が想うように動かない。しかしすみれはローズの声に気付く前にフィグに向かって駆けだした。
すみれはお立ち台の階段をかけあがり、彼に触れた。一瞬靄はすみれを避けるように四散したが消えない。
「お願い!手伝って!」
クリスは中央広場を囲っている塀をなんなく飛び越えて駆け付けた。
「どうしたらいい?」
「体を仰向けにして」
「分かった!」
言われた通りにフィグの筋肉質の重い体を仰向ける。すみれは瘴気の元と思われる胸に付けられている豪華な細工が施された徽章に触れた。クリスはドキリとする。聖女の騎士を示し、聖女に忠誠を誓った証である徽章はあっという間に黒く濁っていく様子が見えたのである。
「死なせてくれ」
どこを見ているわけでもなく虚ろな目をしたフィグはか細い声で言った。
「馬鹿なこと言わないで!」
すみれは徽章を強く握りしめながら、今にも泣きそうな声で怒鳴るとフィグは目を見開く。
「こんなところで死なせるわけにはいかないよ。ローズはあなたと話をしたいって言ってるんだから」
「そんなわけないだろう…私は彼女を殺そうとしたんだ。恨まれておられるはず…」
「たとえそうだとしても、死んでいいわけないでしょう?こんなところで死んで怒りも恨み言も受け止めないなんて許さない。許さないから!」
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