白銀髪の騎士と黒髪の聖女

桝克人

第十一話 心に棲む疑念

 司祭の先導で街はずれの神殿へと出向いた。すみれは神殿ときいてパルテノン神殿とかポセイドン神殿というような写真で見た有名な遺跡を想像していた。想像とはさほどかけ離れておらず、細やかな縦筋のはいった太くて天まで届きそうな高い柱が何本も聳え立っている。柱の内側は窓ひとつない壁で覆われて中の様子はうかがえない。青っぽい鼠色の斑の壁に手を触れるとざらっとした石材のような感触がした。

「こちらが入口です」

 一人の力では動かせそうにない巨大な扉の前で、司祭は懐から一冊の古びた本を取り出した。かさついた指を舐めて所定のページをペラペラと捲る。年月を経て日焼けした紙は茶色く、少しでも力の入れ具合を間違えると破れてしまいそうだ。
 司祭は特定のページを見つけるとそこに書かれた短い祈りを唱えた。すると門の切れ目に青白い光の筋が浮かび上がり、地響きののような音を響かせゆっくりと扉が左右に開いた。
 すみれはぎくりとする。町を覆っていた黒い靄があふれ出して来た。すみれと違ってそれが見えないものの誰もが顔を顰める。司祭に至っては立っているのもやっとのことと言わんばかりに体が竦んでしまっていた。すみれはいち早く司祭の様子を察して、恐ろしく震えていた本を持つ手に触れて言った。

「司祭様、ここはお辛いでしょう。先に町へお戻りください。私たちが行ってまいります」
「しかし皆さまを置いて先に帰るなんて…」
「大丈夫です。必ず良い報告をしに帰りますから」

 司祭の手を離して神殿に体を向ける。なんの根拠もない言葉だった。エネロの町に蔓延っていた靄よりもずっと濃い。内心では恐れていた。次は浄化できるかどうかなんてわからない。エネロの町での浄化は偶然出来ただけかもしれない。それでも勇気を振り絞って前に進むしかないのだと縮みあがった心臓に言い聞かせるように胸を叩いた。
 三人は顔を見合わせてオリヴィエを先導に神殿へと足を進めた。
 司祭は「お気をつけて」とぽつりと呟き三人の背中を見送った。特に驚嘆の眼差しをすみれに向けられている。触れられた左手が仄かに温かい。触れられた瞬間の出来事を反芻した。門が開いたときの気持ち悪さがあの一瞬で身も心も軽くなるような不思議な感覚を覚えたのだ。聖職者に、司祭本人にも同じ力があるが、触れるだけで不快感がなくなる感覚は今までに経験したことがなかった。

「聖女様?」

 ふと漏れた言葉は奇跡を目の当たりにしたことで、心の底から浮かびあがった信じられないものだった。数年前にお会いした時のローズを思い出そうとした。確か彼女は聖女らしい白銀髪だった。そのローズ様とは似ても似つかぬ黒髪の少女が聖女に見えただなんて、あり得ない話だ!
 司祭は聖女に関する常識と、身に起きた奇跡の間に頭がこんがらがってしまった。

 神殿に踏み入った三人は道すがら壁にかけられた松明を灯して、あたりを探りながら一本の道をまっすぐに進む。暫く誰も赴いていないこともあるせいか埃っぽく度々咳が出る。しかし瘴気の濃さに比べたら取るに足らないものだ。すみれが傍にいることで三人の身に瘴気が近づくことはなかったが、それらは体温を探すように当たりをゆらゆらと彷徨い漂っていた。

「瘴気が濃いようね」

 クリスは腕で口を覆っている。手で追い払う仕草をすると靄はその度に煙のように揺らいだ。

「やっぱりこれが瘴気なんだよね」
「どうかした?」

 オリヴィエは周囲に警戒をしながらすみれが呟いた言葉を拾った。

「この黒い靄が瘴気だったら、王都には何もなかったんだよね。王都にも瘴気が蔓延しているって聞いたけど、こんな靄は見えなかったよ」
「でも王都には瘴気にあてられた人々が集まっていたわ。体調を崩す人も大勢いたし、流行り病という感じでもなかったもの」

 そんなはずはないとクリスは首を振る。反してオリヴィエは同じように信じられなかったが即座に否定をせずに腕を組んで暫く考え込んだ。答えが出たのか口を開く。

「すみれには瘴気が見えるなら、王都に瘴気がないことは間違いないだろう。だとするとあの騒動はヒステリーのようなものなのかもしれないな」
「ヒステリー?どういうこと?」クリスは訝しんで訊ねる。

「エネロの町のように、誰も外を歩けないほどに瘴気が広まっていただろう?それを見たら体の不調が全て瘴気のせいだと思う人がいてもおかしくはない。地域の聖職者が王都に集められていること自体が非常事態ではあるし、それも相まって王都に行けば助けて貰えると思った人が集まった結果だと思うんだ。本当に瘴気にあてられた人はエネロの住民のように動くことも儘ならない。王都に集まったのは動ける人だけなんだ。なにかしら不調はあるんだろうけど、瘴気からくるものではなかったのかもしれない」
「でもそれならローズ様の不調は?」

 噂になっていた。民衆に姿を現さないのは瘴気にあたったせいだと。だから民衆の不安はより増大し王都にも瘴気が蔓延していると言われていたのである。

「私、ローズさん…様にお逢いしたけど、確かに酷く弱っていらっしゃった。骨に皮がついているほどにやせ細ってしまって、失礼ながら若い女性にはみえないほどだった。でも瘴気のせいとは限らないかも」

 すみれは言いにくそうに口を噤む。クリスをちらりと見たと思えばすぐに目をそらした。これから紡ぐ言葉はクリスと彼女の背景にいる人を傷つけてしまいそうだった。

「本当に病気なのかもしれないけど、薬…この世界にもあるでしょう?」
「それって」
「誤解しないで!私スカーレットさんの薬がそうだって言いたくないし、そんなこと思ってないよ。でも薬があれば毒もあるでしょう?誰かが毒を盛っている可能性もなくはないと思ってしまったの」

 すみれは今にも泣きそうな顔で必死に訴えた。クリスはすみれの両肩に手を置いてまっすぐ彼女の目を見た。

「わかっています。スカーレットや私のことを気にしてくださったんですよね。でももし何かしら毒が盛られたなら、誰だって王都にいる魔女が一番怪しく思うわ」
「でも私はスカーレットさんがそんなことするなんて本当に思っていないのよ」
「ええ、勿論です。スカーレットはそんなこと絶対にしない。それに彼女は招かれることがなければ聖女にも国王にも見えることは叶わないし、私情なら猶のこと、ありえない」

 大らかで真面目なスカーレットに限って聖女に毒を盛るなんて考えられなかった。一切の疑念も生まれない。
 オリヴィエは眉間に深い溝を作っていた。

「もし毒を盛っていることが前提なら、飲ませる機会があるのは聖女の世話係の女中か、もしくは…」

 そう言うと口ごもった。誰もがその後に続く言葉がわかった。聖女に近づける人物となると、聖女の騎士以外にいないのである。

「まさか聖女の騎士の仕業とでもいうつもり?馬鹿なこと言わないで」

 クリスは不機嫌を露わにして強く否定した。

「ありえないわけではないだろう。それにあの人なら…」

 あの人を指す相手がハロルドだとクリスは察した。オリヴィエの普段の話ぶりからすると父子関係が上手くいっていないのは判っていた。でも毛嫌いしている様子はない。いつだって信じたいのにと顔に書いてある。いつどこで生まれた疑念は燻ぶり続けていた。疑いを挟む理由はずっと聞けなかった。そして今もオリヴィエの思いつめた形相を見ると出来なかった。

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