白銀髪の騎士と黒髪の聖女

桝克人

プロローグ2 十四年前の話

 ベッドの脇に置かれたランタンの灯が揺らぐ。幼子のクリスは掛け布団の中で、スカーレットにぴたりと身体をくっ付けて暖をとり、開かれた絵本に釘づけだ。
 スカーレットはボロボロになった手作りの絵本のページを慎重に捲りながら読み聞かせていた。

『はるか昔、此処がまだ王国ではなかった頃のお話です。世界の源である四人の精霊様が穢れによって世界から消えてしまい、人々は飢えや病に苦しんでおりました。
 そんな民を哀れと思った天の神様は、地上にいる一人の少女にお告げを下しました。雪の様に輝く白銀の髪と煌めく金の目をもった少女はアナスタシアと呼ばれておりました。
 神様のお告げに従いアナスタシアは二本のオリーブの木を小高い丘に植えました。そして神様は彼女に竪琴を与え各地を回り歌う様に言い遣わしました。
 アナスタシアは彼女を敬い愛する二人の民を騎士として引き連れ旅をしました。アナスタシアが竪琴を奏で美しい声で歌うと蔓延った穢れはたちまち浄化され荒野には草花が蘇ります。時々穢れによって生まれた魔物は清浄なるアナスタシアを襲おうとしましたが二人の騎士は彼女を守りました。
 清らかになった土地に小さなオリーブの苗木を植えました。苗木はアナスタシアの歌声により瞬く間に大きく育ちます。そしてオリーブの木に人々が集まり、十二の村となりました。人々は神から遣わされたアナスタシアを救いの聖女と崇め愛しました。
 世界から穢れがなくなった頃、四人の精霊様は復活を果たしました。役目を終えたアナスタシアは最初に植えたオリーブの木の元に帰りました。彼女は騎士の一人を民に返し、王国を創るよう命じました。
 それが聖王国オリーヴァです。
 初代国王は聖女のためにまず聖堂を建てました。聖女アナスタシアと彼女の元に残った騎士は聖堂で生涯世界を見守り続けました。
 しかし世界はずっと平和ではありません。聖女アナスタシアは年をとり病に倒れると穢れが溢れてしまいます。世界は再び混沌に包まれてしまいました。精霊様も同じように穢れによって力が弱まってしまい眠りにつきました。
 身体が弱った聖女は己の死を覚悟し、そして世界の行く末を案じました。このままではいけないと十二の村を守る聖者を大聖堂に呼び寄せました。そして十二人の聖者の中から次の聖女を選ぶ儀式が執り行われることとなりました。どのように選ぶか何日もかけて話し合った結果、特に強い浄化の力をもった少女を次の聖女に選ぶことになりました。彼女もまた白銀の髪をもった美しい少女でした。
 聖女アナスタシアは死後も建国の象徴として崇められています。
 そして千年、聖女と国王によって国は守り続けられているのです』

「私も聖女になるの?」

 爽やかな夏の空を思わせる青色の双眸はサイドテーブルに置かれたランタンの炎が揺らぐ度に輝いた。夜も更けているというのに、まだ爛々として眠りそうにもない。 毎晩同じ絵本の読み聞かせをねだるクリスに、今晩も違わずスカーレットは添い寝をしながら語っていた。

「クリスは聖女になりたいのかい?」
「うーん…私は騎士様になりたいな」
「どうして?」
「騎士様は強いでしょう?私も強くなりたいの。どうしたらなれる?」
「そうだね。毎日早く寝るといいかもしれないね」

 不服と言わんばかりにぷっくりとした頬を大きく膨らました。スカーレットは風船のように膨れ上がった頬を突っつくと、クリスはぷっと音を立てて口をすぼませた。スカーレットは笑って柔らかい白銀色の髪を撫でた。
 クリスにかけてやった毛布に手を突っ込んで足元に置いた魔法の行火のぬくもりを確認する。手を入れているだけでもじんわりと伝わる熱は朝まで保ちそうだ。

「さあ、今日はもうおやすみ。また明日」

 瞼にキスを落とす。クリスは目をとろんとさせながら「おやすみ」と返事をしてそのまま夢へとおちた。
 ランタンの火を消すと燻ぶった匂いと共に一筋の白い煙がたつ。煙はあっという間にランタンの中に広がり押しだすようにして外へと流れ泡のように消えた。
 
 スカーレットはクリスの部屋を出てすぐ隣の自室に入った。つっかえ棒をして開けられた窓からは遠くの賑わった声が微かに流れ込んできた。城下町の居酒屋や娼館はこれからが本番とでも言うように夜の町を照らしていた。
 城下町から少し離れた場所とはいえ、静かすぎず、生活に便利なこの小高い丘の上の家がスカーレットは好きだ。
 スカーレットは手に持っていた絵本をベッドに置いた。つっかえ棒を外し、音をたてないように慎重に窓を降ろす。
 
 この家は先代の魔女でスカーレットの母、エスメから引き継いだ家である。
 彼女は予言ができる魔女だった。どこへ行っても魔女は忌み嫌わる存在だったが、彼女の類稀なる力の噂は国王や先代の聖女の耳に届き、時には城へ呼ばれることもあった。野心家のエスメはチャンスを逃さなかった。これは商売になると此処に家を構え、貴族や商人に薬を売り、望まれれば未来を予言し、情報を売って生計をたてた。
 魔女の中でもこれほど王都で活躍したものはいない。しかし人気者になったエスメは神様の目にも適ってしまったのか、呼ばれるのも早かった。
 独りになったスカーレットは魔女の修行をしていたのでそれなりに力はあったが、予言の力を持たない彼女から次第に人は離れていった。
 今でも彼女の元に通うのは薬を買いに来る常連客だけである。

 再び絵本を手に取り魔導書や薬の本が並ぶ本棚の一番隅に仕舞おうとするが、背表紙に目がめくれていることに気付き手が止まる。毎日読み聞かせしている絵本はすっかりくたびれてしまっていた。それもそのはず、この手作りの絵本はスカーレットが幼い時からこの本棚に置いてある。
 エスメも今のスカーレットと同じように毎晩読み聞かせてくれた。この国の子供なら空で語れるほど何度も聴かされる物語だ。そんな話をわざわざエスメは絵本にして残した。将来子供が出来たら読み聞かせなさいと言って死んでいった。スカーレットは彼女の言葉はきっと叶うことはないだろうと思っていた。魔女は力を持てば必要とされるがスカーレットは良くも悪くも普通の魔女である。近寄る人間は多くはなかった。魔女特有の漆黒の髪が特にそうさせた。
 友達も少なく、ましてや魔女を娶ろうとする男性もおらず、生涯独り身でいるだろうとなんとなく思っていた。
 
 そんなスカーレットの元にクリスがやってきたのである。まるで神からの贈り物のようだった。
 クリスは木箱の中に入れられスカーレットの家の前に置いて行かれた、有り体に言えば捨てられた哀れな子供だった。捨てられた悲しみを全身で表しているかのように大声で泣き叫んでいた。
 スカーレットはその小さな命を抱いて大聖堂に赴き捨て子だと申告した。孤児と認定され聖職者に引き渡そうとした時、偶然通りかかった当時の聖女リリーは、泣き叫ぶ赤子に手を添えた。赤子は嘘のように泣き止み聖女の手を取り笑っていた。そして聖女はスカーレットに赤子を手元に置くように言いつけた。誰よりも権力を持つ聖女に言われれば、一庶民のスカーレットに断ることは叶わない。認定はあっという間に取り消されそのまま家に帰るしかなかった。
 初めこそ仕方なく育て始めた赤子は心配をよそにすくすくと育った。近所の人や来客は、急に現れた赤子を訝しんでいたものの、それは最初だけですぐに馴染んだ。
 人の手を借りることができるようになりクリスと名付けられた赤子は元気に育った。元気に泣いたり、愛想よく笑う赤子を一目みようと離れていた客足は、エスメの時には及ばずとも少しずつ戻って来た。
 
 日々は追われるように過ぎ去り、気付けば五年という歳月が経過していた。赤子の頃は薄かった髪は年月と共に伸びていく。艶々とした眩いばかりの白銀の髪を見て人々は神から遣わされた聖女アナスタシアの再来と持て囃した。
 しかし彼女は聖なる力は持たなかった。他の子供たちと同様に至って普通の平凡な子供であった。勿体ないと残念がる人もいたがスカーレットは無事に育ってくれればいいと思っていた。
 そんなスカーレットの願いを聞き入れてくれたようにクリスは大きな病気もすることなく今日まで元気でいてくれる。

「騎士になりたい、か」

 周囲の期待に添わないとはいえ、聖女の騎士になりたいと言うクリスは、まるで自分の運命を知っているような気がしてならなかった。聖女は最近入れ替わったばかりである。きっとクリスは聖女の騎士にはなることはないだろう。夢が叶わないことは可哀そうだと思うけれども聖女がいる限りは平和な世の中が保たれる。平和に暮らして欲しいと願うスカーレットはすでに一人前のお母さんのような面持ちであった。


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