死の床に、エッセイの価値を、教わった。

越庭 風姿【 人は悩む。人は得る。創作で。】

創作とは作者の手を離れることである

 創作するときには複雑さをいつも意識している。複雑とは、ごちゃごちゃと込み入っていることではない。始まりは、ごく小さなことだが、複数の要素が相互に影響し合い、相互作用が無限に拡大していくさまである。

 始めからストーリーの流れが明確に言語化できていると、とても淡白なものができてしまう。また流行りの小説の真似をしようとして、同じような展開を考えると、表現力が至らず空中分解する。

 クリエイティブに創作することは作者自身にも感動をもたらすものだ。登場人物が思いがけずに死んでしまうと落ち込むし後悔する。また楽しいことを書くと自分も楽しくなる。これを予測してやっていたら感情の起伏は起こらない。読者はもっと白けるだろう。

 作品は、あるとき作者の手を離れて自己増殖を始める。文字が勝手に手から紡ぎ出され、ワープロの音が自分のものではないかのように甲高く響くとき、言語の宇宙を漂うような気分になっていく。

 ストーリーは予想を超え、山場が必然的に生まれ人間の本質に一瞬触れたときに作者は満足感を得る。

 複雑で無限の広がりをもつ空間を一本のストーリーが輝く道筋となってほとばしると、気が付いた時には数万字書き上げている。変換ミス、脱字は後で修正すればよい。肝心なことは創造の言語空間を漂う快感を途切れさせず、解放し散逸する未来をずっと眺めていることである。

 詩的な表現や比喩を用いるとき、言葉を文字通りちりばめて思いもかけない情感を生み出す。文字は磁石か、重力を持った天体のように道筋を引っつぱり、ゆるやかに彼方へと向けていく。

 その文字の配置と、強さ、大きさが作者と読者が通るであろう道筋を微調整していくのだ。論理的に欠陥があっても、情感という生命があればよい。

 1か月かけて推敲する人もいるし、自分もそうすることもありえるが、いつでもそれが功を奏するとは思えない。1発で書いた勢いが大事なときもあるだろうし、感情の昂りが欠かせない創作物もあるからだ。

 創作をするということは、散逸する未来と向き合うことである。どのような展開をするのかは書いてみないとわからない。また読者を獲得できるかは、もっと深い謎の彼方にある。そんなイメージをもって創作する行為と向き合うとき、倦怠という最大の障害はやってこない。


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