貧相なドラゴンだとバカにされたが、実は最速でした。いまさら雇いたいと言われても、もう遅い。
どちらの組合に入るべきか……
野菜とソラマメとミノタウロスの肉を、白いワインで煮込んでくれた。ワインと野菜の甘い匂いが立ちこめていた。
「良いんですか。ミノタウロスの肉だなんて」
ミノタウロスの肉は普段はあまり食べられない。オレの故郷では、誰かの誕生日のときにだけ出される料理だった。クロもいまごろご満悦で、餌箱に口を突っ込んでいることだろう。
「今日は特別な日だ。構わねェよ。竜騎手に復帰できるんだろ?」
バサックさんが朗らかにそう言った。
バサックさん家のリビング。木製テーブルを、オレとバサックさんとレッカさんの3人で囲んでいた。
オレがロクサーナから誘われたことを話すと、バサックさんがお祝いしようと言ってくれたのだった。
すでに夜の帳が窓にかかっている。燭台が室内を照らしていた。
「ですけど、そのためにはここを辞めなくちゃなりません」
「そんなこと気にすることはねェんだ。竜騎手に復帰したいんだろ?」
「それはまぁ……」
復帰はしたい。
そりゃそうだ。
そもそもレースのために都市に出てきたのだ。今度飛べば、ジオに勝てる。ゼッタイに勝てる。最速の称号を手に入れることが出来る。そしたらオレは堂々と故郷に帰ることも出来る。
故郷には賞金も送られる。オレを竜騎手として鍛え上げてくれた師である母はきっと喜ぶだろう。
「男なら夢に挑め。夢が見れなくなっちまったら終わりだ。たしかにロクサーナに頭を下げるのは癪なものがあるかもしれん。だけど、夢のためだ。夢のためならどんな手段だって使うしかねェ」
バサックさんは噛みしめるようにそう言った。
きっとそれはバサックさんの哲学なんだろう。組合を立ち上げるとき、賭けをしないバサックさんが、財産をかけて博打に挑んだ。それもヤッパリ夢のための奮起だったのかもしれない。
「だけどパパ。せっかくゴドルフィン組合が持ち直して来てるって言うのに、ここでアグバに抜けられたら潰れちゃうわ」
「ゴドルフィン組合はアグバくんのものじゃねェんだ。支部とは言っても、このオレの立ち上げた場所だ。アグバくんに頼るわけにはいかねェ」
「それはそうだけど……」
「なぁに、イザってときには、また賭けるさ。アグバくんが竜騎手としてレースに復帰すれば、オレはクロに財産を賭ける。そしたらオレはまた持ち直せる」
ガハハ――と、バサックさんは豪快に笑った。
わざと明るく振る舞ってくれているのだろう。
白ワインで煮込まれたミノタウロスの肉を、オレはフォークで突き刺した。ホロリ。崩れた。崩れたカケラを口に運んだ。咀嚼の必要はない。肉が野菜の甘味といっしょに溶けてゆく。ミノタウロスの肉は筋肉質だからホントウは硬い肉のはずだった。ワインで上手に煮込まれたおかげだろう。
「正直、迷ってます」
と、オレは肉を嚥下してそう吐露した。
竜騎手として復帰したい気持ちはもちろんある。
一方で、ここを辞めるのを後味が悪い。
弱っていたオレを拾ってくれた2人を裏切るようなマネはしたくなかった。だからと言って、ずっとここで世話になりっぱなしになるわけにもいかない。
「うん。最後は結局、アグバくんの決めることだ。ロクサーナのところに行くのなら、オレたちに気遣う必要はない。ここに残ってくれるなら、これは歓迎パーティということになる」
「私はアグバに残って欲しい」
と、レッカさんがそう言った。
レッカさんから、そんな率直な言葉を向けられるのは、はじめてのような気がする。レッカさんの紅色の瞳は、まっすぐオレに向けられていた。
オレの出立祝いとして、白ワインのスープを煮込んでくれたのは、レッカさんだ。レッカさんはいったいどんな気持ちで、このスープを煮込んでくれたのだろうか。料理をするレッカさんの心情に思いをはせると、なんだか胸が痛かった。
「レッカさん……」
「アグバが残ってくれるなら、私は酒場の仕事を辞めようと思うの」
「辞めちゃうんですか?」
「うん。ゴドルフィン組合も仕事が増えてきたでしょ。だから、こっちの仕事に専念しようと思うの。ホンスァだってしばらく飛んでないし、飛びたくてウズウズしてると思うから」
「じゃあもう、飛ぶことは怖くなくなったんですか?」
「私が落っこちても、受け止めてくれるんでしょ? そう言ったのはアグバよ。責任は取ってよ」
やめなさいレッカ――と、バサックさんが口をはさんだ。
「だってパパ」
「わかっている。そりゃアグバくんがいてくれたほうが、うちは助かるさ。だけど、オレにはアグバくんの竜騎手免許を取り戻すことは出来ない。オレたちの都合でアグバくんの夢を壊すわけにゃいかねェだろーが」
「ゴドルフィン公爵は? 公爵さまなら、アグバの竜騎手免許だって取り返してくれるんじゃない?」
「ゴドルフィン公爵とは、あくまで仕事上の関係だ。オレはこのブレイブン支部を任されてる末端でしかない。そんな私情を持ちこむわけにはいかねェんだよ」
「私にはわかるわ。アグバが辞めたら、うちは潰れる。もう二度と組合はもとには戻らないんだって。今が最後の踏ん張りどきなのよ」
レッカさんにも、夢があるのだ。
オレはそれを知っている。
かつて繁栄していたゴドルフィン組合に、もう一度、活気を取り戻したい。そして辞めていった仲間たちを呼び戻したい。レッカさんはそう言っていた。
「レッカ。そんな話はやめなさい。もしアグバくんが、オレたちに同情して、ここに残ってくれたら、どうなると思う? きっといつかアグバくんは後悔するぞ。竜騎手に戻れるかもしれないチャンスを、オレたちのせいで不意にしちまうことになるんだ。アグバくんを後悔させたくはないだろ」
「……ごめんなさい。すこし頭を冷やしてくる」
レッカさんはそう言うと、部屋を出て行った。竜舎のほうへと降りていったようだ。クロとホンスァの様子を見に行ったのかもしれない。
「すまないね。アグバくん。レッカもまだ若いんだ」
とため息まじりに、バサックさんはそう言った。
「ええ」
フォークでソラマメを突きながら考えた。いくら思案したって、答えなんか出て来ない。このままゴドルフィン組合に居続けても、ロクサーナ組合に移動するにしても、どちらにせよ大切ななにかを捨てなくてはならない気がした。
「オレ。ここでお世話になっていたら迷惑ですか?」
「そんなことはない。むしろ、ありがたいよ。アグバくんのおかげで、うちは持ってるようなもんだからな」
「なら、もう少し居させてもらっても良いでしょうか」
「いいのかい?」
「ええ」
「後悔はしないね? レッカの言ったことは気にしなくても良いんだぜ」
「大丈夫です。明日、ロクサーナに断りに行きます」
オレをこのゴドルフィン組合に傾かせる決定打があった。クロのことだ。クロはきっとこの場所が気に入っている。ホンスァもいる。クロの懸想を、オレの都合で砕いてしまうのは申し訳がないと思ったのだ。
焦る必要はない。
チャンスはまだ別の形でやって来るはずだ。
「レッカは喜ぶだろう。オレももちろんうれしいがな」
「期待に沿えるように尽力します」
「それにしてもレッカはずいぶんとアグバくんを信頼しているようだ。すこしばかり空を飛ぶのを控えていたようだが、どうやらそれも解決したようだな」
「ええ」
「レッカはパパのことが心配だからと言って、いつまで経っても恋人のひとりも作りやしないんだ。ここに残ってくれると言うのなら、アグバくんを婿として迎え入れるのも悪くないな」
「え? いや、それはその……」
急に変な方向に話題が転がったものだから、オレはあわてた。
「冗談だよ」
と、バサックさんは豪快に笑ってみせた。冗談だったようには思えなかった。
「良いんですか。ミノタウロスの肉だなんて」
ミノタウロスの肉は普段はあまり食べられない。オレの故郷では、誰かの誕生日のときにだけ出される料理だった。クロもいまごろご満悦で、餌箱に口を突っ込んでいることだろう。
「今日は特別な日だ。構わねェよ。竜騎手に復帰できるんだろ?」
バサックさんが朗らかにそう言った。
バサックさん家のリビング。木製テーブルを、オレとバサックさんとレッカさんの3人で囲んでいた。
オレがロクサーナから誘われたことを話すと、バサックさんがお祝いしようと言ってくれたのだった。
すでに夜の帳が窓にかかっている。燭台が室内を照らしていた。
「ですけど、そのためにはここを辞めなくちゃなりません」
「そんなこと気にすることはねェんだ。竜騎手に復帰したいんだろ?」
「それはまぁ……」
復帰はしたい。
そりゃそうだ。
そもそもレースのために都市に出てきたのだ。今度飛べば、ジオに勝てる。ゼッタイに勝てる。最速の称号を手に入れることが出来る。そしたらオレは堂々と故郷に帰ることも出来る。
故郷には賞金も送られる。オレを竜騎手として鍛え上げてくれた師である母はきっと喜ぶだろう。
「男なら夢に挑め。夢が見れなくなっちまったら終わりだ。たしかにロクサーナに頭を下げるのは癪なものがあるかもしれん。だけど、夢のためだ。夢のためならどんな手段だって使うしかねェ」
バサックさんは噛みしめるようにそう言った。
きっとそれはバサックさんの哲学なんだろう。組合を立ち上げるとき、賭けをしないバサックさんが、財産をかけて博打に挑んだ。それもヤッパリ夢のための奮起だったのかもしれない。
「だけどパパ。せっかくゴドルフィン組合が持ち直して来てるって言うのに、ここでアグバに抜けられたら潰れちゃうわ」
「ゴドルフィン組合はアグバくんのものじゃねェんだ。支部とは言っても、このオレの立ち上げた場所だ。アグバくんに頼るわけにはいかねェ」
「それはそうだけど……」
「なぁに、イザってときには、また賭けるさ。アグバくんが竜騎手としてレースに復帰すれば、オレはクロに財産を賭ける。そしたらオレはまた持ち直せる」
ガハハ――と、バサックさんは豪快に笑った。
わざと明るく振る舞ってくれているのだろう。
白ワインで煮込まれたミノタウロスの肉を、オレはフォークで突き刺した。ホロリ。崩れた。崩れたカケラを口に運んだ。咀嚼の必要はない。肉が野菜の甘味といっしょに溶けてゆく。ミノタウロスの肉は筋肉質だからホントウは硬い肉のはずだった。ワインで上手に煮込まれたおかげだろう。
「正直、迷ってます」
と、オレは肉を嚥下してそう吐露した。
竜騎手として復帰したい気持ちはもちろんある。
一方で、ここを辞めるのを後味が悪い。
弱っていたオレを拾ってくれた2人を裏切るようなマネはしたくなかった。だからと言って、ずっとここで世話になりっぱなしになるわけにもいかない。
「うん。最後は結局、アグバくんの決めることだ。ロクサーナのところに行くのなら、オレたちに気遣う必要はない。ここに残ってくれるなら、これは歓迎パーティということになる」
「私はアグバに残って欲しい」
と、レッカさんがそう言った。
レッカさんから、そんな率直な言葉を向けられるのは、はじめてのような気がする。レッカさんの紅色の瞳は、まっすぐオレに向けられていた。
オレの出立祝いとして、白ワインのスープを煮込んでくれたのは、レッカさんだ。レッカさんはいったいどんな気持ちで、このスープを煮込んでくれたのだろうか。料理をするレッカさんの心情に思いをはせると、なんだか胸が痛かった。
「レッカさん……」
「アグバが残ってくれるなら、私は酒場の仕事を辞めようと思うの」
「辞めちゃうんですか?」
「うん。ゴドルフィン組合も仕事が増えてきたでしょ。だから、こっちの仕事に専念しようと思うの。ホンスァだってしばらく飛んでないし、飛びたくてウズウズしてると思うから」
「じゃあもう、飛ぶことは怖くなくなったんですか?」
「私が落っこちても、受け止めてくれるんでしょ? そう言ったのはアグバよ。責任は取ってよ」
やめなさいレッカ――と、バサックさんが口をはさんだ。
「だってパパ」
「わかっている。そりゃアグバくんがいてくれたほうが、うちは助かるさ。だけど、オレにはアグバくんの竜騎手免許を取り戻すことは出来ない。オレたちの都合でアグバくんの夢を壊すわけにゃいかねェだろーが」
「ゴドルフィン公爵は? 公爵さまなら、アグバの竜騎手免許だって取り返してくれるんじゃない?」
「ゴドルフィン公爵とは、あくまで仕事上の関係だ。オレはこのブレイブン支部を任されてる末端でしかない。そんな私情を持ちこむわけにはいかねェんだよ」
「私にはわかるわ。アグバが辞めたら、うちは潰れる。もう二度と組合はもとには戻らないんだって。今が最後の踏ん張りどきなのよ」
レッカさんにも、夢があるのだ。
オレはそれを知っている。
かつて繁栄していたゴドルフィン組合に、もう一度、活気を取り戻したい。そして辞めていった仲間たちを呼び戻したい。レッカさんはそう言っていた。
「レッカ。そんな話はやめなさい。もしアグバくんが、オレたちに同情して、ここに残ってくれたら、どうなると思う? きっといつかアグバくんは後悔するぞ。竜騎手に戻れるかもしれないチャンスを、オレたちのせいで不意にしちまうことになるんだ。アグバくんを後悔させたくはないだろ」
「……ごめんなさい。すこし頭を冷やしてくる」
レッカさんはそう言うと、部屋を出て行った。竜舎のほうへと降りていったようだ。クロとホンスァの様子を見に行ったのかもしれない。
「すまないね。アグバくん。レッカもまだ若いんだ」
とため息まじりに、バサックさんはそう言った。
「ええ」
フォークでソラマメを突きながら考えた。いくら思案したって、答えなんか出て来ない。このままゴドルフィン組合に居続けても、ロクサーナ組合に移動するにしても、どちらにせよ大切ななにかを捨てなくてはならない気がした。
「オレ。ここでお世話になっていたら迷惑ですか?」
「そんなことはない。むしろ、ありがたいよ。アグバくんのおかげで、うちは持ってるようなもんだからな」
「なら、もう少し居させてもらっても良いでしょうか」
「いいのかい?」
「ええ」
「後悔はしないね? レッカの言ったことは気にしなくても良いんだぜ」
「大丈夫です。明日、ロクサーナに断りに行きます」
オレをこのゴドルフィン組合に傾かせる決定打があった。クロのことだ。クロはきっとこの場所が気に入っている。ホンスァもいる。クロの懸想を、オレの都合で砕いてしまうのは申し訳がないと思ったのだ。
焦る必要はない。
チャンスはまだ別の形でやって来るはずだ。
「レッカは喜ぶだろう。オレももちろんうれしいがな」
「期待に沿えるように尽力します」
「それにしてもレッカはずいぶんとアグバくんを信頼しているようだ。すこしばかり空を飛ぶのを控えていたようだが、どうやらそれも解決したようだな」
「ええ」
「レッカはパパのことが心配だからと言って、いつまで経っても恋人のひとりも作りやしないんだ。ここに残ってくれると言うのなら、アグバくんを婿として迎え入れるのも悪くないな」
「え? いや、それはその……」
急に変な方向に話題が転がったものだから、オレはあわてた。
「冗談だよ」
と、バサックさんは豪快に笑ってみせた。冗談だったようには思えなかった。
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