貧相なドラゴンだとバカにされたが、実は最速でした。いまさら雇いたいと言われても、もう遅い。
トラウマの克服
城門棟を抜けて、クロに後部座席用の鞍をとりつけた。
レースに負けた直後に、行商人を乗せたあの鞍だ。後ろに女性を乗せることがあるかもしれないと用意していたものだが、まさかホントウにそうなるとは思ってもいなかった。
鞍を革紐でむすんで、ズレたりしないかとシッカリと確認した。
「どうぞ」
「後ろに乗るだけで良いの?」
「ええ」
レッカさんは鞍にまたがった。オレが前の席に座ると、レッカさんはオレの胴回りをつかんできた。
すぐ背後のレッカさんの感触に、オレはすこしドギマギしたものを覚えた。
緊張による動悸が、オレの胴回りをつかんでいる手を伝って、レッカさんに知れるんじゃないかと心配になった。
いかん、いかん。空咳を発して、雑念をはらった。
「じゃあ。飛びますよ」
「はい」
クロが羽ばたいた。
オレの胴回りをつかむレッカさんのチカラが強くなった。きっとレッカさんはいま、目を閉ざしていることだろう。
「ずっと目を閉じてられちゃ困りますよ。今日は道案内もしてもらわなくちゃいけないんですから」
「どうして私が目をつむってるってわかるの?」
「なんとなくです」
「もし私が落っこちたら、また拾ってくれる?」
「拾いますよ。落っこちることにかけては、オレは天下一品ですからね」
「それって自虐じゃない?」
「失敗は人を成長させてくれますから」
レースのときのことを思い出した。残り50M。ゴール目前でクロのチカラがフッと抜けて、そして落下した。
もしあの事故がなければ、オレは1位だった。ジオを抜かして、最速の称号を手に入れていた。
クロの子種には高額な値がつき、いまごろは遊んで暮らしていたかもしれない。
あの事故が、オレの運命を狂わせた。結果的には良かったのかもしれない。そう思えるようになった。バサックさんやレッカさんと出会えたのだから。
「訊きたいことがあるんです。失礼は承知なので、不快だったら答えなくても良いんですけれど」
と、オレは問いかけた。
「なに?」
「ゴドルフィン組合の経営がかたむいてから、レッカさんのお母さんは家を出て行ったんですよね」
そしてその部屋は、オレがいま使わせてもらっている。円満に出て行ったのか、それともケンカ別れしたのかはわからない。
オレが使わせてもらっている部屋には、バサックさんの妻であり、レッカさんの母親が住んでいたという名残が微塵もない。
「ええ」
「レッカさんは、どうしてバサックさんのもとに残ったんですか? お母さんといっしょに行かなかったんですね」
「変かしら」
「組合を支えるのは大変でしょう」
オレがゴドルフィン組合に来るまで、レッカさんは二足のワラジだった。
午前中は組合で運び屋をやって、午後は酒場で働いていた。一日中、働き詰めだったんじゃないかと思う。
「ゴドルフィン組合は私が生まれる前からあるの」
「はい」
オレの母のレースに賭けて、その金を元手に組合の支部を起ち上げたと聞いている。
だとすると、組合が立ったのは昔の話であって、レッカさんが生まれていないのも納得だ。
「私はそれを見て育ったし、そこの運び屋たちに育てられた。みんな家族みたいなものなのよ。だから捨てたくはないの。組合にまた昔の活気を取り戻せば、辞めて行った人たちも戻って来てくれるんじゃないかと思って」
「辞めていった人って、どれぐらいいるんですか」
「83人よ」
「みんなロクサーナ組合に襲われたりしたんですか」
「みんなが、みんな襲われたってわけじゃないわ。襲われて荷物を届けられなかったら、信用をうしなうでしょう。信用をうしなったら客が減る。客が減ったらお金が入って来ない。お金が入って来ないから、給料も払えない――ってことになって」
「それで辞めて行った人たちも多いんですね」
「ええ。特にマーゲライトに辞められたのは痛かったわ」
「優秀だったんですか」
「まだ子どもだったけれど、私たちのなかではもっともドラゴンの扱いが上手だった。いつか龍騎手になるのが夢だったみたい」
「ならオレの後輩ですね。――いや、オレはもう免許を剥奪されているから、先輩風は吹かせられないか……」
「もし、アグバと出会えていれば喜んだでしょうね」
ゴドルフィン組合は、バサックさんとレッカさんの2本柱で成り立っている。そう感じた。もしレッカさんが、ホンスァを売ったら、ゴドルフィン組合はつぶれてしまうだろう。
ホンスァを売ったことによって、急に潰れるということはないだろうけれど、いつか破滅に向かうような気がした。
「レッカさん」
「なに?」
「オレの乗竜術を、信用できますか?」
「うん。アグバの乗竜術は私の命を救ったんだもの」
「なら、怖がらないでくださいよ」
あぶみから足を外した。そしてクロの背中の上に立った。
「ちょっと!」
「大丈夫。コツがあるんです。足の裏。靴のつまさきを、鱗のあいだにはさみこむんです」
右手で手綱をつかみ、左手をレッカさんに差し出した。
「ムリよ。私には」
と、青い顔をしてレッカさんは頭をふった。
「地上ではオレをからかっている酒場の看板娘も、空の上では形無しですか」
と、オレはあえて挑戦的な物言いをした。
「だって……」
「ホンスァを売らないためには、レッカさんが飛べるようにならなくてはいけません」
「わかってるけど……」
「オレが信じられませんか?」
尋ねた。
レッカさんの紅色の瞳のすこし迷いが生じた。決然たる輝きをやどして、その目をオレに向けてきた。そのチカラ強い紅玉の目を見たときに、やっぱり、ホンスァを売りたくはないんだな、とわかった。
「わかったわ」
と、レッカさんはオレの手を頼りに立ちあがった。
「もし落っこちても、クロはオレたちのことを拾ってくれますよ」
「拾うたって、どうやって……」
「こうやって」
オレはレッカさんの腰を抱き寄せると、そのまま宙に飛び降りた。
「ウソ――ッ」
と、レッカさんが叫んだ。
大丈夫だ。
今回の飛行にはどんな意味が込められているのか、クロも承知している。
ホンスァを売ろうか売るまいかという相談は、クロだって聞いていたんだから。クロだってホンスァと離れるのは厭なはずだ。
クロは旋回してきた。
そして落っこちていくオレたちのことを、やわらかい腹で抱き留めてくれた。ドラゴンは全身が固い鱗で覆われている。だが、ひとつだけ柔らかい箇所があった。腹だ。アルマジロやハリネズミがそうであるように、腹だけは無防備なやわらかさを持っているのだった。
オレたちは、クロにやわらかく抱き留められたあと、一度、地面におろしてもらった。
「どうです。オレの乗竜術は」
「信じらんない。飛ぶことを怖がってる人間を、突き落とすだなんて信じらんないわ」
と、レッカさんはオレの胸元に顔をうずめていた。
思いのほか取り乱しているので、オレは焦った。
「つまりですね。何が伝えたかったって言うと、いくら落っこちてもオレが付いているときは、受け止めてあげることが出来るってことを、伝えたかったわけでして……だからつまり、べつにビックリさせてやろうとか、そういう悪意があったわけではないんですけれど」
レッカさんはしばらく、オレの胸元に顔をうずめたまま動こうとしなかった。
さすがに荒治療だったかと反省した。もしこれが、レッカさんのトラウマをさらに抉る結果になってしまったら、どうしようか……。そう思うと冷や汗が背中から滲み出てくるのを覚えた。
「レッカさん?」
「私を突き落としたこと謝ってくれれば、許してあげるわ」
「悪いとは思ってます。すみませんでした」
「なら、許してあげるわ」
レッカさんは、ゆっくりとオレの胸元から顔を離した。てっきりその目元は涙で濡れているものだと思っていた。意外にもレッカさんの顔には笑みがあった。
「な、泣いてたんじゃ?」
「怖かったけれど楽しかったわ。まだ心臓がドキドキしてる」
「もしトラウマを抉ったことになったら、どうしようかと思って焦りましたよ」
「心配をかけさせてやろうと思ったの。私のことを突き落とした仕返しよ」
そう言うとレッカさんは、舌をペロッと出してみせた。
「また、オレのことをからかったんですね。本気で心配しましたよ」
「でも、おかげで吹っ切れたわ。どこであんなこと習ったの?」
「オレの師――つまり、母に何度もやられました。空から突き落とされては、受け止められるんです。そのうち、飛んでるのが当たり前みたいに思えてきて。今思えば、飛ぶことへの抵抗をなくすための特訓だったとは思うんです」
「私も落っこちてるあいだ、悩んでることが、なんだかバカらしく思えてきたわ」
「良かったです」
「ねぇ。いつまでそうやって私のことを抱きしめているつもり?」
と、レッカさんはそう言って、オレに上目使いを送ってきた。
「す、すみません」
と、オレはあわてて手を離した。
レッカさんのカラダは、オレの腕のなかから逃れて行った。けれど、レッカさんの温度は、まだオレのカラダに残されていた。
「都市キリリカに荷物を届けに行きましょう。あんまりはしゃぎすぎて、荷物に何かあったら大変だもの」
「ええ。そうですね」
抱擁していたことが照れ臭くて、オレはレッカさんの顔をマトモに見ることが出来なかった。嫌がられてはないだろうか……とレッカさんの表情を盗み見た。レッカさんの頬が赤らんでいるように思えた。空から飛び降りた興奮によるものだろうか。わからない。ただ、とてもキレイだと思った。
レースに負けた直後に、行商人を乗せたあの鞍だ。後ろに女性を乗せることがあるかもしれないと用意していたものだが、まさかホントウにそうなるとは思ってもいなかった。
鞍を革紐でむすんで、ズレたりしないかとシッカリと確認した。
「どうぞ」
「後ろに乗るだけで良いの?」
「ええ」
レッカさんは鞍にまたがった。オレが前の席に座ると、レッカさんはオレの胴回りをつかんできた。
すぐ背後のレッカさんの感触に、オレはすこしドギマギしたものを覚えた。
緊張による動悸が、オレの胴回りをつかんでいる手を伝って、レッカさんに知れるんじゃないかと心配になった。
いかん、いかん。空咳を発して、雑念をはらった。
「じゃあ。飛びますよ」
「はい」
クロが羽ばたいた。
オレの胴回りをつかむレッカさんのチカラが強くなった。きっとレッカさんはいま、目を閉ざしていることだろう。
「ずっと目を閉じてられちゃ困りますよ。今日は道案内もしてもらわなくちゃいけないんですから」
「どうして私が目をつむってるってわかるの?」
「なんとなくです」
「もし私が落っこちたら、また拾ってくれる?」
「拾いますよ。落っこちることにかけては、オレは天下一品ですからね」
「それって自虐じゃない?」
「失敗は人を成長させてくれますから」
レースのときのことを思い出した。残り50M。ゴール目前でクロのチカラがフッと抜けて、そして落下した。
もしあの事故がなければ、オレは1位だった。ジオを抜かして、最速の称号を手に入れていた。
クロの子種には高額な値がつき、いまごろは遊んで暮らしていたかもしれない。
あの事故が、オレの運命を狂わせた。結果的には良かったのかもしれない。そう思えるようになった。バサックさんやレッカさんと出会えたのだから。
「訊きたいことがあるんです。失礼は承知なので、不快だったら答えなくても良いんですけれど」
と、オレは問いかけた。
「なに?」
「ゴドルフィン組合の経営がかたむいてから、レッカさんのお母さんは家を出て行ったんですよね」
そしてその部屋は、オレがいま使わせてもらっている。円満に出て行ったのか、それともケンカ別れしたのかはわからない。
オレが使わせてもらっている部屋には、バサックさんの妻であり、レッカさんの母親が住んでいたという名残が微塵もない。
「ええ」
「レッカさんは、どうしてバサックさんのもとに残ったんですか? お母さんといっしょに行かなかったんですね」
「変かしら」
「組合を支えるのは大変でしょう」
オレがゴドルフィン組合に来るまで、レッカさんは二足のワラジだった。
午前中は組合で運び屋をやって、午後は酒場で働いていた。一日中、働き詰めだったんじゃないかと思う。
「ゴドルフィン組合は私が生まれる前からあるの」
「はい」
オレの母のレースに賭けて、その金を元手に組合の支部を起ち上げたと聞いている。
だとすると、組合が立ったのは昔の話であって、レッカさんが生まれていないのも納得だ。
「私はそれを見て育ったし、そこの運び屋たちに育てられた。みんな家族みたいなものなのよ。だから捨てたくはないの。組合にまた昔の活気を取り戻せば、辞めて行った人たちも戻って来てくれるんじゃないかと思って」
「辞めていった人って、どれぐらいいるんですか」
「83人よ」
「みんなロクサーナ組合に襲われたりしたんですか」
「みんなが、みんな襲われたってわけじゃないわ。襲われて荷物を届けられなかったら、信用をうしなうでしょう。信用をうしなったら客が減る。客が減ったらお金が入って来ない。お金が入って来ないから、給料も払えない――ってことになって」
「それで辞めて行った人たちも多いんですね」
「ええ。特にマーゲライトに辞められたのは痛かったわ」
「優秀だったんですか」
「まだ子どもだったけれど、私たちのなかではもっともドラゴンの扱いが上手だった。いつか龍騎手になるのが夢だったみたい」
「ならオレの後輩ですね。――いや、オレはもう免許を剥奪されているから、先輩風は吹かせられないか……」
「もし、アグバと出会えていれば喜んだでしょうね」
ゴドルフィン組合は、バサックさんとレッカさんの2本柱で成り立っている。そう感じた。もしレッカさんが、ホンスァを売ったら、ゴドルフィン組合はつぶれてしまうだろう。
ホンスァを売ったことによって、急に潰れるということはないだろうけれど、いつか破滅に向かうような気がした。
「レッカさん」
「なに?」
「オレの乗竜術を、信用できますか?」
「うん。アグバの乗竜術は私の命を救ったんだもの」
「なら、怖がらないでくださいよ」
あぶみから足を外した。そしてクロの背中の上に立った。
「ちょっと!」
「大丈夫。コツがあるんです。足の裏。靴のつまさきを、鱗のあいだにはさみこむんです」
右手で手綱をつかみ、左手をレッカさんに差し出した。
「ムリよ。私には」
と、青い顔をしてレッカさんは頭をふった。
「地上ではオレをからかっている酒場の看板娘も、空の上では形無しですか」
と、オレはあえて挑戦的な物言いをした。
「だって……」
「ホンスァを売らないためには、レッカさんが飛べるようにならなくてはいけません」
「わかってるけど……」
「オレが信じられませんか?」
尋ねた。
レッカさんの紅色の瞳のすこし迷いが生じた。決然たる輝きをやどして、その目をオレに向けてきた。そのチカラ強い紅玉の目を見たときに、やっぱり、ホンスァを売りたくはないんだな、とわかった。
「わかったわ」
と、レッカさんはオレの手を頼りに立ちあがった。
「もし落っこちても、クロはオレたちのことを拾ってくれますよ」
「拾うたって、どうやって……」
「こうやって」
オレはレッカさんの腰を抱き寄せると、そのまま宙に飛び降りた。
「ウソ――ッ」
と、レッカさんが叫んだ。
大丈夫だ。
今回の飛行にはどんな意味が込められているのか、クロも承知している。
ホンスァを売ろうか売るまいかという相談は、クロだって聞いていたんだから。クロだってホンスァと離れるのは厭なはずだ。
クロは旋回してきた。
そして落っこちていくオレたちのことを、やわらかい腹で抱き留めてくれた。ドラゴンは全身が固い鱗で覆われている。だが、ひとつだけ柔らかい箇所があった。腹だ。アルマジロやハリネズミがそうであるように、腹だけは無防備なやわらかさを持っているのだった。
オレたちは、クロにやわらかく抱き留められたあと、一度、地面におろしてもらった。
「どうです。オレの乗竜術は」
「信じらんない。飛ぶことを怖がってる人間を、突き落とすだなんて信じらんないわ」
と、レッカさんはオレの胸元に顔をうずめていた。
思いのほか取り乱しているので、オレは焦った。
「つまりですね。何が伝えたかったって言うと、いくら落っこちてもオレが付いているときは、受け止めてあげることが出来るってことを、伝えたかったわけでして……だからつまり、べつにビックリさせてやろうとか、そういう悪意があったわけではないんですけれど」
レッカさんはしばらく、オレの胸元に顔をうずめたまま動こうとしなかった。
さすがに荒治療だったかと反省した。もしこれが、レッカさんのトラウマをさらに抉る結果になってしまったら、どうしようか……。そう思うと冷や汗が背中から滲み出てくるのを覚えた。
「レッカさん?」
「私を突き落としたこと謝ってくれれば、許してあげるわ」
「悪いとは思ってます。すみませんでした」
「なら、許してあげるわ」
レッカさんは、ゆっくりとオレの胸元から顔を離した。てっきりその目元は涙で濡れているものだと思っていた。意外にもレッカさんの顔には笑みがあった。
「な、泣いてたんじゃ?」
「怖かったけれど楽しかったわ。まだ心臓がドキドキしてる」
「もしトラウマを抉ったことになったら、どうしようかと思って焦りましたよ」
「心配をかけさせてやろうと思ったの。私のことを突き落とした仕返しよ」
そう言うとレッカさんは、舌をペロッと出してみせた。
「また、オレのことをからかったんですね。本気で心配しましたよ」
「でも、おかげで吹っ切れたわ。どこであんなこと習ったの?」
「オレの師――つまり、母に何度もやられました。空から突き落とされては、受け止められるんです。そのうち、飛んでるのが当たり前みたいに思えてきて。今思えば、飛ぶことへの抵抗をなくすための特訓だったとは思うんです」
「私も落っこちてるあいだ、悩んでることが、なんだかバカらしく思えてきたわ」
「良かったです」
「ねぇ。いつまでそうやって私のことを抱きしめているつもり?」
と、レッカさんはそう言って、オレに上目使いを送ってきた。
「す、すみません」
と、オレはあわてて手を離した。
レッカさんのカラダは、オレの腕のなかから逃れて行った。けれど、レッカさんの温度は、まだオレのカラダに残されていた。
「都市キリリカに荷物を届けに行きましょう。あんまりはしゃぎすぎて、荷物に何かあったら大変だもの」
「ええ。そうですね」
抱擁していたことが照れ臭くて、オレはレッカさんの顔をマトモに見ることが出来なかった。嫌がられてはないだろうか……とレッカさんの表情を盗み見た。レッカさんの頬が赤らんでいるように思えた。空から飛び降りた興奮によるものだろうか。わからない。ただ、とてもキレイだと思った。
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