気付いたら、豪傑系悪役令嬢になっていた SE

8D

閑話 ビッテンフェルト戦記

「俺は手柄を立てるため、ここにいる」

 千に近い兵士達、その半数を傭兵で占めたその軍勢を前に、問いかけたのはビッテンフェルトという若い男だった。
 軍という規模で見れば心許ない規模の数であるが、一人の人間が相対するには大きな数である。
 それを前に、声を上げるビッテンフェルトには一切の怖気も躊躇いも見られない。

 隣国サハスラータ。
 攻め入るその国を前に、男爵位を賜る若者に国から与えられた手勢は五百あまりである。
 その数は今回で初陣を飾る男爵家の若者に対する信頼の薄さを物語っていた。
 若者はそこになけなしの資財をつぎ込み、自分の手勢となる戦力を傭兵で埋めた。
 それがこの千の軍勢である。

 その内、国より配された軍の中に子供と見まがうばかりの童顔の男が一人いた。
 場違いに思える彼だが、幸いにも生まれつきの長身によって辛うじて他から侮られる事はなかった。
 それでもひょろりとした華奢な体型もあって、むしろ女性として見られる事はままあるが。
 彼はラーゼンフォルト家の者であり、この戦において軍団長たるビッテンフェルトの補佐として副長の任をいただいていた。

 兵士を集め、語りだしたビッテンフェルト。
 ラーゼンフォルトは自分に相談もなく行われようとしている隊長の演説を前に不安を覚えずにいられなかった。

「それもただの手柄ではない。この戦場において一番の手柄だ。それは何か? 相手の総大将を置いて他にない」

 あまりにも簡潔に、彼は自分の考えを述べる。
 しかし、それは口にするだけ軽やかさほど、容易い事柄ではない。

 アールネスはサハスラータより侵攻を受けている。
 その全容は五万に達し、陣容を維持したまま一糸乱れぬ行軍で迫り、迎撃のアールネス軍と対峙しているのである。

 思いがけぬ侵攻に対し、アールネスは三万の兵をどうにか工面して当たるほかなかった。

 国の存亡を賭けた戦い。
 それも亡へと傾いた現状において、自分の欲求をビッテンフェルトは語った。

 何よりも自分の欲を優先する考えを公然と述べる男。
 金で命を売り買いする傭兵達の方が、今の彼とは性質を等しくしている事は明白である。

 ラーゼンフォルトがそこに不安を覚える事は当然の帰結と言えた。

「誰よりも早く、何よりもまっすぐに、俺は総大将を目指す。そして、その首を討ち取って手柄を立てる」

 数万の兵士達が犇《ひしめ》く陣を突っ切り、総大将を目指す。
 そのような事は不可能であろう。
 しかし、彼の言葉にはそれが絶対的な事実であると思わせるだけの自信があった。

「俺はそうして必ず、自分の欲しいものを手に入れる。だが、お前達はどうだ?」

 自分勝手な主張を終えると、ビッテンフェルトは兵士達へ問いを発した。

「俺に付き従い、生き残ればお前達にも相応の富が与えられるだろう。しかし俺が見る限り、ここにいる者はあの陣容の渦中に投じられれば、すぐさま命を落としそうな者ばかりだ。俺はそれが心配でならない」

 それは一種の挑発であるように思えた。
 そしてその挑発に乗る人間は思いの外に多かった。

 傭兵達は、貴族を相手に口答えする愚を冒さない。
 それを知るほどに、場数を踏んだ者達ばかりである。

 それでも、彼らの顔つきや放つ熱気はその挑発に身を焦がしている事を如実に語っていた。

「だが、それでも命より欲望を優先するというのなら、俺をまっすぐに追って来い! 俺がお前達にそれを与えてやる!」

 ビッテンフェルトの主張は無謀であり、尊大である。
 どこまでが本気であるかわからない。
 しかし、少なくとも部隊の士気を大幅に上げる事には成功していた。
 その結果を鑑みれば、もしかすれば彼はその尊大なまでの自信を演出できるだけの策士なのではないかと、ラーゼンフォルトには思えた。

 それが勘違いであると、彼が知るのはもう少し先になる。

 程なくして会戦すると、ビッテンフェルトは兵士達への宣言通りにまっすぐと飛び出した。
 狙うのは総大将である。
 そこへ至るまでには、万を超える人の壁。
 厚い層を突破せねばならない。

 それもただの人でなく、武器と防具を有する殺意ある兵士の群れである。

 しかし、そこへ挑むビッテンフェルトに躊躇いは見られなかった。
 右手に剣、左手に槍を持ち、足のみで馬を操り、ビッテンフェルトは戦場へ駆け出していた。
 馬の足は速度を緩めず、彼の視線は目前だけを見やる。
 彼が位置するは兵士達の先、槍の穂先の如く兵を率いる形で突出していた。

 あまりに速さを尊ぶその行軍には、敵だけでなく味方すらも目を剥くほどである。
 ほどなくして敵に当たると、ビッテンフェルトは剣にてその道を切り開いた。

 陣中において、他の兵士が剣や槍を振って具合を確かめる中、ビッテンフェルトだけは徒手空拳の型を披露していた。
 不思議に思ったラーゼンフォルトに問われ、ビッテンフェルトは武器など手足の延長に過ぎないと嘯《うそぶ》いていたが……。
 それが何の虚栄もない言葉であった事をラーゼンフォルトは知った。
 その活躍を見れば明らかな事実である。

 兵士を前に吠えるだけあり、その力量は高かった。
 振るわれる剣も槍も、的確に敵の命を奪い取っていく。

 ビッテンフェルトの眼差しはその殆どが敵総大将のある本陣へ向けられていたが、彼の放つ殺意は油断無く全方位へと向けられていた。
 その殺意が剣や槍の一撃という手段によって実体と化し、敵兵の命を散らしていくのだ。

 彼は敵陣を貫く槍ではない。
 渦であった。
 只中へ踏み入れば命を落とす。
 そんな死の渦であった。

 それが猛然と速度を緩めず、敵陣を蹂躙するのである。
 あまりにも現実離れした光景であった。
 武器を振るう腕には動きを止める暇がなかった。

 狂気を孕んだ苛烈なその戦いぶりに、率いられた兵士達の士気も否応無く上がる。
 彼の力量に引かれた兵士達は、いつしか彼を押し上げるかのような動きを見せるようになっていた。
 大儀もなく、命の糧を得るためだけに戦うはずの傭兵達も戦そのものの発する熱を求めるように狂奔し、雄叫びを上げて戦った。
 そうさせるだけの何かが、先頭で戦うその男にはあった。

 切り込む一隊に喚起されるように、他の部隊も戦線を押し上げていく。

 厚い敵陣の層が崩れる事はなかったが、ビッテンフェルトの一隊は確実にそれを削り取り、侵食を始めていた。

 たかが一将による突出。
 サハスラータの陣営の総数から見れば、被害も軽微である。

 しかし、まっすぐに突き進むその気迫に怯んだのか、サハスラータの軍は撤退を始めた。

 情けない事に、ラーゼンフォルトはそれまで前線へ出る事ができなかった。
 ビッテンフェルトの戦いぶりに熱い物を感じながらも、積極的な参戦への意欲を示せなかった。
 恥じ入る気持ちはあったが、彼は副長である。
 サハスラータが退いた事を機に、前へ出る。
 ビッテンフェルトと轡を並べた。
 そして気付く。

 彼の戦いぶりは圧倒的に見えた。
 しかし、その実体は間近に見れば虚像であると知れる。
 ビッテンフェルトは多くの傷を受けていた。

 半死半生となってもおかしくないだけの傷。
 鎧の合間から見える肌には、血の赤が乾く暇もなく流れていた。
 平然とした表情からは想像できぬほど、彼は深手を負っていた。

「敵は逃げた。追うぞ。後背を衝き崩す」

 しかし、そんな彼の口から出たのはその一言である。
 信じられぬ思いで、ラーゼンフォルトはその言葉を聞いた。

「しかし、こちらにも被害が出ております。あなたが大丈夫でも、兵が持ちません」

 この時、ラーゼンフォルトは初めて副長らしく進言した。
 その言葉は事実である。
 ビッテンフェルトの傷だけでなく、彼に付き従う兵士達もまた損耗していた。

「そうか。なら、少し休んでから追おう」
「……はい」

 敵軍が退いた以上、もはや追う必要はないのではないか。
 そうも思えた。
 それでも彼の目的はあくまでも大将首であるようだった。
 その目的を諦めるつもりはないのだろう。

 しかし、彼の体力も消耗していた。
 ラーゼンフォルトの進言を聞き入れると、白色の魔法で身を癒し、馬上で目を閉じた。



 ビッテンフェルトがある子爵家の令嬢と出会ったのは、サハスラータがアールネスへ侵攻する数ヶ月前の事だった。

 その令嬢は四人いる姉妹の末娘であった。
 他の姉妹達と比べても、決して器量が劣るわけではない。
 それでもあまりに痩せた体や儚く幸薄そうな表情から、他の姉妹の中に埋もれがちの少女だった。

 しかし、ビッテンフェルトには彼女しか見えなかった。
 不思議と彼女の事が輝いて見えたのだ。
 ある社交の場で初めて顔を合わせた時……。
 視線を交えた時……。
 彼は彼女から視線を外せなくなった。

 ビッテンフェルトは、生来より物怖じの無い男であった。
 誰であっても、話しかける事に躊躇いなどしなかった。
 公爵家であるアルマールやヴェルデイドの子息を相手にしても態度を改めず、フェルディウスの子息には面と向かってお前が嫌いだと言い放った。
 言葉よりも先に手が出る性分であり、学生の時分にはよくよく気に食わぬ相手を殴って問題を起こした。

 生来より魔力に恵まれてはいなかったが、不思議と負ける事はなかった。
 そのような無法者の一面を持っていたが嫌われ者というわけでなく、その言動はむしろ人を惹きつけてやまない男であった。

 そんな彼が、彼女を前にしてどう声をかけていいかわからなかった。
 辛うじて、挨拶を交わす事しかできなかった。

 機嫌をうかがうように接しようとし、どのようにすれば機嫌を取れるのかわからなくて辟易した。
 彼女と話したいと思いつつ、ただただ混乱したまま時間が過ぎていった。
 幸いしたのは、彼女が壁の花となっていた事だ。
 彼女は注目を厭う性分であった。
 恐らく、学園には同時期に在籍していたはずであるが、この場で初めて顔を合わせたのはそういった性格が影響したのだろう。

 彼女はずっと壁際に立っていた。
 ビッテンフェルトはその隣にそれとなく立ち、同じく佇み続けていた。

 会話はない。
 ただ一緒にいられる時間だけは多く、その間ビッテンフェルトの心は何か心地の良い感情に満たされていた。

 社交の場より帰ってから、何日も彼女の事を考えて過ごし……。
 恋心を自覚した。

 彼女と家族になりたい。
 そう強く願った。

 しかし、どうすればいいのかわからない。
 彼は頭を使うよりも、行動する男である。
 母親に相談し、仲の悪い父親にも助言を求めた。
 彼女の父親は階級意識の強い頑固な人物であるから諦めろと諭されても、納得する事はできなかった。

 直接、彼女の父親に会いに行き、喧嘩し、追い出された。

 そしてその時に言われたのである。
「お前が私よりも高い爵位の人間になれたなら嫁にやってもいいぞ」
 と。

 それは、不可能だとわかっての嫌味だった。
 だが、ビッテンフェルトにとってそれは条件を満たせば願いが叶うという希望になった。
 爵位を上げろと言うなら上げてやろうじゃないか。

 彼にとっては折よく、その機会は訪れる事になった。



「ラーゼンフォルト副長。総大将はどこにいると思う?」

 会戦からすでに一日が経過していた。
 馬上にあって、少し後ろを行く副長へビッテンフェルトは意見を求めた。

 というのも彼の問いが示す通り、敵の本隊を見失ったからである。
 それに対する意見をラーゼンフォルトへ求めたのは、彼がビッテンフェルトから信頼を寄せられるきっかけを得たからに他ならない。

 初戦を経て、二時間ほど眠ったビッテンフェルトは目覚めるとすぐさま部隊を進ませた。
 戦いが終わり、他の味方部隊が本隊へ引き上げる中、ビッテンフェルトの部隊はその場から動いていなかった。
 本隊の指揮官へ指示を仰ぐ事もなく、追撃する旨を伝えさせて自身と部隊はすぐに追撃を開始した。

 それから後背を衝く形で、サハスラータ軍へまた一当てした。
 場所が見晴らしの悪い森林地帯であった事もあり、完全に奇襲された形のサハスラータ軍は混乱した。
 その混乱もあって追撃によるサハスラータの被害は予想よりも多く、そしてビッテンフェルトの部隊は被害が少なかった。

 ビッテンフェルトにとって厄介だったのは、敵が後続部隊を切り捨てた事である。
 二千の規模を擁するその部隊と交戦し、撃破するまでの間に本隊に逃げられた。

 その後も森林地帯は続いており、一度サハスラータ軍を見失った。

 そんな時にあったのがラーゼンフォルトの意見具申である。

「隊長。恐らく、サハスラータはこのまま自国へ帰るつもりではないでしょう」
「何故そう思う?」
「部隊の建て直しを図る意図を感じるからです。先ほども部隊を分ける事に迷いがありませんでした。今後の戦略を見据えて行動している証拠です」
「部隊を分ける?」
「隊長はあれを切り捨てられた捨て駒と考えたかもしれませんが、二千の兵を一千弱の兵が打ち破るとはまず考えません。あれはあくまでも、こちらを撃破する目的で残された部隊です」

 ふぅん、とビッテンフェルトは釈然としない返事をする。

「現状、まだアールネスの総兵数を上回っている点から見てもどこかで立て直しを図って再度侵攻を開始するのではないかと」
「初戦ですぐさま撤退した事はどう説明する?」
「我が軍の勢いが思いの外強かったためかと思います。全軍の攻撃にも、余裕を持って対処していましたし……。そのまま戦い続けた場合の被害よりも、撤退による被害の方が少なく済むと判断したのでしょう」
「そういうものか」
「ならば、今敵部隊のいる場所はこの付近でしょう。まだ追うつもりであるのなら、ここへ向かう事を進言致します」

 そう言って、ラーゼンフォルトは地図の一点を指した。
 ラーゼンフォルト自身、この兵数で敵本隊を追撃する事が正気の沙汰とは思えない。
 しかしながら、ラーゼンフォルトは彼を止めるような言葉を口にせずそう進言した。

 思えばこの時既に、ラーゼンフォルトはこの若い猛将に魅せられていたのかもしれない。
 この男の進む先がどこなのか、それを見たいと願ったのかもしれない。

 指針のない現状で、ビッテンフェルトはその進言を信じる事にした。
 結果、サハスラータの部隊を発見。
 再度の奇襲に成功したのである。

 それ以降、ビッテンフェルトはわからない事があるとラーゼンフォルトの意見を求め、その答えに信頼を寄せるようになった。
 そしてラーゼンフォルトもまた、その期待へ才覚を以って応えた。

 ビッテンフェルトは手柄を立てるため、サハスラータの本隊を追い続けた。

 幾度も繰り返した追撃。
 その都度、ビッテンフェルトは深く傷つきながらも戦い続けた。
 しかし、その傷は追撃を重ねる内、次第に浅くなっていった。

 彼が武を修めたのは学園に在籍していた頃である。
 何かと喧嘩沙汰を起こす彼であったが、貴族同士の喧嘩とはもっぱら魔法を使っての物となる。
 魔法の強さが勝敗に影響する。
 魔力量の少ない彼がそれでも勝利を重ねられたのは、魔法の強い相手に対抗するための手段を模索したからに他ならない。
 それこそが、彼の扱う闘技の雛形と呼べる物であった。

 あくまでも子供同士の喧嘩に使われた未熟な技術であったが……。
 それが命のやり取りをする実際の戦場を経験するに連れ、洗練されつつあった。
 喧嘩の技術が、殺し合いの技術へと昇華され始めたのである。

 ビッテンフェルトの追撃は、その回数を増すごとに苛烈なものへと変わっていった。
 サハスラータもその追撃に当初こそ疎ましさを覚える程度であったが、次第にその追撃を恐れ始めた。

 兵数の差を物ともせずに追いすがり、向かわせた部隊の尽《ことごと》くを撃破し続ける謎の部隊。
 本来ならば当に潰れていて然るべきアールネスの部隊はどれだけ追撃をかわそうとも追いかけてくる。

 恐ろしきは、その部隊の兵士達が皆笑顔を浮かべている事である。
 まるで獲物を見つけて歓喜するかのようなその表情は、倍数以上の敵兵士を前にして浮かべて良い表情ではない。
 しかしそれ以上にサハスラータの兵士を畏怖させるのは、常に陣の先頭を走る男である。
 その男は常に先頭へ陣取りながら、命を落とす事もなくしぶとく生き残り続け、部隊の中でも一番多くの兵士を殺していた。
 彼のその姿を見るだけで、戦意を喪失する兵士も出始めた。
 なけなしの勇気を持って挑む兵士も、容易く真っ二つにされ……。
 その様を見た兵士達は、さらなる恐慌状態に陥る始末である。

 部隊は徐々に削られ、それ以上に士気の低下が激しくなりつつあった。
 もはや、アールネス侵攻など考えられる場合ではなくなっていた。

 それでも、サハスラータの総大将は撤退の決断を下せずにいた。
 勝てる戦いだった。
 だからこそ、未練があった。

 その未練が、自国への撤退速度を遅らせていた。
 たとえ、撤退する事が最適であろうとわかっていたとしても……。

 彼は王子であった。
 おめおめと逃げ帰った姿を見れば、他の王子達は自分を嘲るだろう。
 それを思うと悔しさも覚える。

 そんな苦悩が些細なものであると気付いたのは、会戦から三日目の事である。

 何度目か解らぬビッテンフェルト隊の追撃が、ついにサハスラータ本隊を捉えた。
 ビッテンフェルトの目は、ついにサハスラータ軍総大将の姿を映したのである。

 彼の率いる兵士達が浮かべる狂喜とも呼べる笑みとは違う、獰猛な笑みがビッテンフェルトの表情を歪めた。

「王子、お逃げください!」

 そう言って、二人いる護衛の一人が飛び出した。
 彼は総大将の幼馴染であり、アールネスにおいても猛将として名高い男だった。

「通さん!」

 側近が応戦して足止めしている間に、総大将は逃げる。

「くっ」
「王子!」

 屈辱に呻く中、側近の悲鳴じみた声が背後から聞こえた。
 振り向くと側近の斬り伏せられる姿が見え、ビッテンフェルトは総大将へ迫った。

 恐るべき速さで距離を詰めるビッテンフェルト。
 振るわれる刃。

 それを受け止めたのは、もう一人の護衛である。
 しかし、渾身の力で振るわれた剣は、受け止めた剣を容易く折って使い手の体を真っ二つに割った。

 その姿を目の前で、総大将は見た。
 彼の表情は恐怖に張り詰め、大きく見開かれた目は無残に事切れた友の骸《むくろ》から離れなかった。

 体が動かない。
 そんな状態の中、ビッテンフェルトは容赦なくとどめの一撃を振り下ろそうとする。

 その時だった。
 先ほど切り伏せられた護衛が、傷をおしてビッテンフェルトへ組み付いていた。
 剣を持つ手を掴み、胴へ腕を回す。

「王子! お逃げを!」

 その声に正気を取り戻し、総大将はようやく体を動かせるようになった。
 背を向けて、自らの姿を取り繕う事もなく、転がるようにしてその場から逃げていく。

「おのれ! 邪魔をするなぁ!」

 ビッテンフェルトは自分にまとわりつく男を振り払おうとするが、決死の覚悟で組み付く男はどれだけ殴ろうと離れなかった。

 ようやく振り払い、息の根を止める。
 そして周囲を見回した時、すでに総大将の姿はなかった。

 ビッテンフェルトは口惜しさに雄叫びを上げた。

 総大将は最低限の体裁を取り繕うように兵へ撤退の指示を出すと、そのまま国境を越えて逃げに徹した。

 もはやその時には未練など消えうせていた。
 ただただ抗い難い恐怖だけが心を塗り潰し、体を突き動かすばかりであった。
 一刻も早く国へ帰り着く事を願い、彼は行動した。
 速度を重視するために森林より出て、走りやすい街道を選び昼夜問わず馬を走らせた。

 それが功を奏し、それ以降ビッテンフェルト隊がこれに追いつく事はできなかった。
 国境を越えてもしばらく追い続けたが、逃げ切られてしまったのである。

 後にこの総大将は次代のサハスラータ王となったが、この時の恐怖は終生に渡って彼を蝕んだという。

 ビッテンフェルトはその後、アールネスの陣営へと帰り着いた。
 サハスラータの再度侵攻を警戒して即応できるようアールネスは方々へ斥候を放ち、陣は維持されたままだった。

 その時、勝手に飛び出して行ったビッテンフェルトには命令の不服従について責を負わされる事が決まっていた。
 しかし、アールネス軍の指揮官の下へ現れた彼が事のあらましを話すと、その貢献の大きさは責を差し引いて余りあるものであった。

 彼の報告は荒唐無稽な話であり、失笑を買うようなものだった。
 しかし、その腰にサハスラータの猛将と名高い男の首が吊り下げられている所を見れば疑う声はなかった。
 総大将の護衛をする彼らの首があるのだ。
 ならば、少なくとも総大将を追い詰めた事は確かなのだろうから。

 サハスラータ侵攻の危機が去ったと確認され、アールネスの軍が王都へ帰り着くとビッテンフェルトは王への謁見を許された。

 彼が今回の戦いにおいての功労者である事は明白であった。
 彼一人がこの戦いを終わらせたと言っても過言ではなかった。
 アールネスを虎視眈々と伺い続ける南部の事を考えれば、この戦で兵士の被害を抑えられた点は何よりも大きい。
 この戦の結果によっては、アールネスの国そのものが滅びていたかもしれないのである。
 彼は救国の英雄と呼べる活躍をしていた。
 ビッテンフェルトの功績は、彼が思う以上に大きかったのである。

 活躍に応じ、望む褒美を与える旨が王の口から直接ビッテンフェルトへと伝えられた。

 手柄を立てられなかったという思いに憮然としていた彼が、頑なだった表情をようやく綻ばせたのはこの時である。
 望みを果たせずにいた苛立ちに苛まれていた彼は、この時初めて自分が目的を果たしていた事に気付いたのである。

「子爵の女に見合うだけの爵位を賜りたい」

 ビッテンフェルトは迷わずそう願い出ていた。

 功績を考えれば、乞われずとも彼が願う程度の叙爵は叶っていたであろう。
 しかし、王がそれを諭しても、ビッテンフェルトはそれ以上の物を求めなかった。

 こうして、ビッテンフェルトは侯爵位を賜った。

 副長としてビッテンフェルトに付き従ったラーゼンフォルトも伯爵位を賜り、引き続きビッテンフェルトの副長を務める事となった。

 率いられた兵士の内、傭兵だった者は国に召し上げられそのままビッテンフェルト隊として編成されるようになった。
 元々国から貸し与えられていた兵士達も全てビッテンフェルト隊へ編成された。

 この人事は必要に駆られての事でもあった。

 ビッテンフェルトに率いられた部隊の兵士達は面差しからしてすでに他の兵士と違っており、異質さが際立っていた。
 それは戦いでの功績を誇っての事ばかりでなく、むしろそれは瑣末の事であるというように彼らはビッテンフェルトと共に戦えたという事実そのものに誇りを抱いているようだった。
 気性は荒くなり、ビッテンフェルトへの信頼と忠誠に満ちた兵士達を他の将が持て余したためでもあった。

 その隊の副長を続ける事となったラーゼンフォルトは、今後を見据えて体を鍛え始めた。
 これから先もビッテンフェルトという人間についていくには、今の貧弱な体では適わない。
 そう思っての事だった。



 侯爵というものは、間違いなく子爵令嬢を娶るには相応しい爵位であろう。
 ビッテンフェルトは侯爵位を賜ったその日の内に、彼女の父親の所へ向かった。

 それは王城において開かれた、戦勝を祝した宴の席での事である。
 城で行われたその宴で、彼を見つけたビッテンフェルトはそこへ向かった。
 形式ばかりの挨拶もそこそこに自分が侯爵位を賜った事を告げ、結婚の許しを乞うた。
 子爵は気位の高い人間であり、たとえ高位の存在となってしまったビッテンフェルトを相手にしてもその言葉に屈する事を厭った。
 しかしながら約束した事も事実である。
 その約束を守る形で、苦々しい顔をしながら許しを与えた。

 その許しを得ると、ビッテンフェルトは彼女の所在を聞いた。
 子爵の娘達は皆宴に参加しており、彼女もまたどこかにいると子爵は答えた。

 彼女は人の少ない場所を好むだろう。
 そう思い、ビッテンフェルトは彼女の姿を探した。

 そうして彼女を見つけたのは、城の中庭である。

 一人、誰もいない庭。
 長椅子に腰掛け、彼女は夜空を見上げていた。
 視線の先には、満月が浮かんでいた。

「隣に座ってもいいだろうか?」

 ビッテンフェルトは、そう声をかけた。
 ゆっくりと彼女は彼を向き、「どうぞ」と答えた。
 再び、視線は空へと向けられる。

 ビッテンフェルトは少し距離を置き、彼女の隣に座る。

 ここへは、彼女に結婚を申し込むために来たはずである。
 そのための許可を得る事にも、躊躇いはしなかった。
 子爵を相手にも、決して怖じる事はなかった。

 しかし、彼女を前にすると途端に何を言っていいかわからなくなった。
 少なくとも、結婚して欲しいと言う言葉を口にする事など不可能ではないかと思えた。

「月が綺麗だな」

 言えたのはそんな当たり障りの無い事ぐらいだった。

「はい」

 答える声が返ってくる。
 その時になってようやく、ビッテンフェルトは彼女の気持ちというものに注意を向けていた。
 彼女を欲しいと思ったのは確かだが、自分は決して彼女を物のように扱いたいわけではない。
 彼女の幸せを願っている。
 しかしこんな自分に彼女を幸せにできるのか、そう思うと不安を覚えた。

 その不安もまた、彼の口を重くしているのだろう。
 すぐにでも、彼女と結婚したいと思っていたはずなのに、なんという様だろう。
 想いを伝える言葉が出てこない。
 自分はこんなに情けない人間であったか?

「あなたは、俺をご存知だろうか?」

 ようやく出たのは、そんな言葉である。

「ええ。ビッテンフェルト侯爵様でしょう? そのご高名は聞き及んでおります」
「で、ではお父上から、俺の事を聞いてはいないか?」

 子爵より、結婚の打診を伝え聞いていないか、その望みに賭けて問いかける。
 そうして間接的に問いかけねばならぬほど、ビッテンフェルトは自分の気持ちを打ち明ける事に怖じていた。

 ビッテンフェルトが問うと、彼女は戸惑うように小首を傾げた。

「いいえ、何も。何か、私に御用がおありだったのですか?」
「用は……ある」

 少し躊躇いつつ、彼は答えた。

 それでもすぐに声は出ず、一度大きく息を吐く。
 そして覚悟を決め、立ち上がった。

 彼女の前へ歩を進める。
 正面から彼女を見据える。

 彼女の視線からは、彼の言動に対する不安が見えた。
 そんな彼女の前に、ビッテンフェルトは跪いた。

 顔を見上げる形になった彼女の瞳を見据え、ビッテンフェルトは口を開く。

「俺と結婚してほしい」

 彼女の視線から不安は消えた。
 代わりに、戸惑いと驚きが目に浮かぶ。

「どうして、私なのですか?」
「初めて会った日から、好きになってしまった。あなた以外に、考えられなった」
「あなたは、いつもそうやって人を好きになる方なのですか?」
「いや、俺はこれまで人を好きになった事などない。あなただけだ。こんな気持ちになったのは、あなただけだ……」
「そうですか……」

 二人とも、黙り込む。
 彼女が口を閉じ、それが再び開かれるのをビッテンフェルトはじっと待った。

「私は……」

 少しして、彼女は口を開く。

「あなたに対して、そんな特別な気持ちを抱いた事はありません」

 その言葉に、ビッテンフェルトは目を見開き、顔を俯かせた。
 けれど、彼女の言葉はさらに続く。

「でも、私は現金で惚れっぽい人間なのかもしれません」

 ビッテンフェルトは顔を上げる。

「それは……?」
「そう想われ、その気持ちを口にされると……。私もあなたの事が、特別な人間に思えてきました」

 そう言って、彼女は微笑んだ。
 その頬には、ほんのりと朱が差していた。
 彼女の白い肌に、そのかすかな朱は映えて見えた。

「では……!」
「私などでよいのでしたら、喜んでお受けします」

 その控えめな返事で、ビッテンフェルトの心は喜びに満たされた。
 声にならない声が、口から漏れ出る。

「不思議なものですね。今ここで、こんな気持ちになるなんて思いもしませんでした」
「俺にとっては不思議な事じゃないさ。ずっと、あなたとこうなりたいと思っていた」
「そんなに? 私は、自分にそんな魅力があるとは思えませんが……。私に話しかける男性は、皆姉が目当ての方達でしたし」
「そのような輩は見る目が無いのだ。俺にはあなたが、輝いて見えたのだから」

 ビッテンフェルトが言うと、彼女は恥ずかしげに苦笑する。

「……それは、ありがとうございます。えーと……それはそうと、口調はもう少し改めた方が良いかもしれませんよ。あなたはお心を少し、まっすぐにぶつけすぎです」
「そうだろうか? 俺には難しいな」
「少しずつ、慣れていきましょう。差し当たって、ご自分を『私』とお呼びする所から始めてはいかがでしょう」
「わかった。気をつけ……ます。その上で、改めて……」

 ビッテンフェルトは言うと、その手を彼女へ向けて差し出した。
 彼女はその意図を汲み取り、立ち上がる。

「私の妻に、なって……くれますか?」

 ビッテンフェルトが慣れない口調で問いかけると、彼が差し出された手に彼女は自分の手を乗せた。

「はい。喜んで」
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 この話をもって、別サイトに掲載した分を全て移し終えました。
 なので、とりあえず完結とさせていただきます。

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