気付いたら、豪傑系悪役令嬢になっていた SE

8D

閑話 残酷な夢

 朝日に瞼を照らされ、その明るさと熱に目を覚ます。

「おはよう。アードラー」

 声がかけられた。
 見ると、私の顔を覗き込むクロエの顔があった。
 私と同じベッドの上で、私の手に自分の手を絡め、向かい合うように寝そべっている。

 彼女は優しく、熱を帯びた視線で私を見ていた。
 情愛を含んだ眼差しだ。
 最愛の人を見る目だ。

 一瞬だけ、喜びの熱が心を温めた。
 けれど、すぐに冷める。

 これは、夢だ……。

「どうしたの?」
「ううん。なんでもないわ。……アルディリアは?」

 訊ねると、クロエは不思議そうな顔をする。

「アルディリア? それは誰?」

 そう、ここに彼はいないのね。

「じゃあ、私達はどうして同じベッドで眠っているの?」
「今日はどうしたの? 私達は結婚したから、一緒のベッドで眠るのは当たり前じゃない」

 結婚?
 女性同士で?

「そう……」
「何か悪い夢でも見た?」
「どうかしら」
「大丈夫だよ。私がいるから」

 彼女が私を抱き締めてくれる。
 彼女の手が私の背を撫でる。
 力が抜けた。
 このまま身を任せてしまいたくなる。

 でも……。

 私は彼女の手から逃れて、上体を起す。
 彼女も同じように起き上がった。

「今日は機嫌が悪い?」
「いいえ、そんな事ないわ」
「なら、よかった」



 起きて朝食を取ると、自室で身だしなみを整える。
 惰性に任せ、そのまま二人の時間を過ごす。
 そのまま昼になって、昼食を取る。
 テラスでお茶に誘われる。

 丸テーブルを挟み、二人。
 向かい合わせに席へ着き、私達はお茶を飲んだ。

「やっぱり、機嫌が悪い?」
「いいえ、そんな事ないわ」

 ただ、身を任せるのが怖いだけ。

「そんな顔、似合わないよ。アードラーが辛そうだと、私も辛いよ。私は、アードラーのためだけに生きているんだから」

 そう言って、彼女は席を立つ。
 座る私を見下ろして、指先で顎を軽く持ち上げた。
 彼女の顔が近付いてくる。

 彼女は今、私だけを見ている。
 私を求めてくれている。

「キスして、いい?」

 笑顔で問い掛けてきた。

 私は、嫌だと思った。

 あとで辛くなる事はよくわかっているから。

「ええ。お願い」

 でも、私はその申し出を受けた。
 夢であっても、彼女の顔を曇らせたくない。

 私だけを愛してくれる、私にとって都合のいいこのクロエは、申し出を断ると悲しむだろう。

 猶予もなく、彼女に唇を奪われる。

 嬉しくてたまらない。
 その嬉しさを必死に押し留める。

 浸ってはならない。
 この気持ちには。

「早く、私達の子供が欲しいね」
「子供?」
「うん。キスをすれば、子供ができるでしょ」

 なんて、素敵な世界かしら……。
 本当に私にとって、なんて都合の良い世界かしら。

 ……早く、覚めてほしいわ。
 こんな夢……。

 どうせ、目覚めてしまえば惨めさしか残らないんだから!



 自分を甘やかすような都合の良い夢は、見ている内はいいけれど覚めてしまえばその落差が心に刺さる。

 私はとりわけ、惨めさを覚える。
 浸り過ぎれば酷い惨めさが後に残る。

 何度も見たもの、こんな夢。
 何度も味わったもの、あとに来る惨めさを。

 目が覚めて一人の寝室を見て、私はいつもひどい孤独感と共に現実を思い出す。
 涙を流した時だってある。
 だから、浸ってはいけない。
 甘えてはいけない。
 こんな夢になんて……。

 だから私は、感情を殺す。
 少しでも惨めさを和らげるために……。

 アルディリアのいない、私にとって都合のいい世界。
 これだって、何度も見た。

 アルディリアには勝てない。
 絶対に勝てないと知っているから、こんな惨めな夢を見るのだわ……。
 これは私の弱い心が、逃げ込むために作り出した夢なんだわ。

 だから、この夢を見る度に私は自分の弱さを突きつけられたような気がして、悔しくてたまらなくなってしまうのだ。

 こんな夢に、甘えてはいけない。

 だから早く、覚めて欲しい。
 自分の弱さを抉りこんでくるような、こんな夢は……。

 けれど、夢は覚めてくれない。
 私は、私にとって都合のいいクロエと一緒に、甘く残酷な時を過ごした。



 目を覚ます。

「おはよう。アードラー」

 クロエの声。
 少しの怯えを覚える。

 私はまだ、夢の中にいるのではないかしら?

 見ると、クロエがいる。
 ただ、その表情に情愛の色は無い。
 安堵と落胆を覚えた。

「どうしたの?」

 少し心配そうに訊ねられた。

「いいえ、なんでもないわ」

 私はすぐにでもベッドから離れたい気がして、起き上がった。
 けれどベッドの上に座り込むと、動くのが億劫になった。

 心が重いのだ。
 ちくちくとした痛みもある。

 どれだけ感情を殺しても、目覚めてしまえば惨めさからは逃れられない。
 だから性質が悪いのだ、あの類の夢は……。

「はぁ」

 溜息が零れる。

 すると、後ろから抱き締められた。

「クロエ?」
「本当に大丈夫?」

 心配されてしまうくらいに、今の私は辛そうに見えるのだろうか?

「怖い夢でも見た?」
「……いいえ。残酷な夢よ」
「そうなんだ。……アードラー、こっち向いて」

 抱き締める腕が解かれる。
 名残惜しく思った。

「えい」

 けれど私が向き直ると、今度は正面から抱き締めてくれた。

「クロエ?」

 少し戸惑う。

「……嫌な夢を見たのなら、誰かに甘えてもいいんだよ。甘えれば、少しぐらいはその嫌な気分も和らぐはずだからさ」

 甘えてもいいの?

 そうね。
 これはもう現実なのよね。
 だったら、甘えてもいいのよね。

「ありがとう……」

 私は彼女の背に手を回し、ぎゅっと抱き返した。

「アードラーって、全部自分で抱え込む所があるよね。全部自分でなんとかしようとするし……。あんまり誰かに甘えるのが得意じゃないよね」
「甘えるのが下手なのは、きっと周りに誰も甘えさせてくれる人間がいなかったからよ」
「そう……。じゃあ、これから覚えていこう。上手な甘え方を、ね。今はもう、甘えさせてあげられる人間がそばにいるんだからさ」

 私はクロエの胸に顔を埋めさせた。

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