気付いたら、豪傑系悪役令嬢になっていた SE
閑話 胡蝶の夢
その日、私の元にムルシエラ先輩が会いに来た。
用件は――
「ついに完成しましたよ。あなたの望んでいた薬です」
私の悲願を叶える報せだった。
そうして渡されたのは、紫色の液体が入った小瓶。
私は気もそぞろに先輩へお礼を述べると、足早にクロエとアルディリアの所へ戻った。
馬車の駐車場まで歩く私達。
けれどその間で交わされた雑談は、頭に入ってこなかった。
私の頭の中は、薬の事でいっぱいだった。
たとえ愛する人の言葉であっても、全て弾き返してしまうほどに……。
「ごめんなさい。今日は私、先に帰るわね」
「うん。わかった。じゃあ、また明日ね」
笑顔を向けてくれるクロエ。
その表情を焼き付けるように、一度見る。
私が今の私でなくなっても、あなたはその笑顔を向けてくれるかしら……。
「ええ、また明日」
馬車の中で、私は渡された小瓶を見た。
小瓶は二つ。
先輩が言うには、この薬は性別を反転するものらしい。
二つ渡されたのは、もしもの時のためだ。
男になって、また女に戻りたくなった時のためのものだ。
衝動的に小瓶の蓋を開けようとして、その手が止まる。
さっき思ってしまった事が、頭を過ぎった。
私が男になっても、あなたは私に変わらぬ笑顔をくれるかしら。
私の気持ちを知ってしまったら、あなたは今まで通りに私と接してくれる?
同性の私に、男になってまで一緒になりたいと想われていたと知って、あなたはどんな反応をするのだろう……。
気持ちが悪いと、そう言われてしまうのではないかしら……。
葛藤と共に小瓶を眺める間に、馬車は自宅に到着した。
そのまま屋敷の中に入り、ベッドに寝転ぶ。
でも、する事は馬車の中と変わらない。
小瓶を手に、眺める。
私が男になって、彼女に拒絶される恐怖が頭から離れてくれなかった。
このまま……。
女のまま、私は友達のままでいるべきなのじゃないかしら?
そ知らぬ顔をして、恋慕の情を隠し、彼女を騙して……。
ぬけぬけと彼女のそばに居続ける方が、幸せなのではないかしら?
いいえ、幸せでは無いわ……。
それが幸せだというのなら、彼女と出会い、ずっと胸を苛み続けてきたこの気持ちは何だというの……?
この行き場のない気持ちから逃れたいから、私はこの薬を望んだのに。
きっと私には、苦しみしか残されていないのでしょうね。
どちらを選んでも、苦しいのだわ……。
起き上がり、メイドを一人部屋へ呼んだ。
「あなた、私を見ていなさい。そして私が私である事を証明なさい」
私の言葉によくわからないふうな顔をするメイド。
薬を使えば、私が私だとわからなくなるかもしれなかった。
その時のために証人が必要だった。
そんな彼女の前で、私は小瓶の封を切った。
蓋を開け、一気にあおる。
苦痛が体中に走った。
そして……。
苦しみが過ぎ去った頃、私の体は男になっていた。
メイドが驚いていた。
そんな彼女を無視して、服を脱いだ。
姿見を見る。
私の体は、硬質的だった。
背は伸びて、余分な脂肪が消えてしまっているように見えた。
代わりに筋肉が目立つ。
骨格も違う。
顔はほっそりと引き締まっているけれど、前の顔の面影はちゃんと残っている。
「これが私?」
声が低い。
男の声だ。
あんなに渋っていたのに、いざこうなってしまうと私の心は喜びを覚えていた。
「あなた、男物の服を用意してちょうだい」
私はメイドに命じた。
すぐにでも、彼女に会いたいと思った。
恐ろしさが消えたわけではないけれど、それでも気持ちを伝えたいと思った。
今の私なら、気持ちを伝えても何もおかしな事はないのだから……。
私は馬車を走らせ、ビッテンフェルト家へ向かった。
しかし、彼女はまだ帰っていないようだった。
私はそこで待とうと思わなかった。
すぐにでも彼女に会いたかった。
馬車を走らせ、学園からビッテンフェルト家までの道を走る。
きっと途中ですれ違う事になるはずだ。
すると、御者が前にいる二人を見つけた。
どういうわけか、二人は雪の中を歩いているようだった。
「ここまででいい……」
私は男性的な口調を意識して御者に言う。
馬車を降りた。
二人の方へ走っていく。
二人は私に気付いていない。
彼女との距離が近付いていく。
けれど、その途中でまた迷いが生まれ始めた。
本当に大丈夫なのか、と不安になってくる。
今ならまだ間に合う、と弱い心が囁く。
進めば進むほど、足が重くなるようだった。
気持ちの枷が、足に絡んでいる。
それでも私は足を留めなかった。
彼女へ気持ちを伝えたい。
その欲求が、辛うじて怖気に勝っていたから。
見れば、二人は向かい合っていた。
何かを話し合っている。
まだ、私に気付かない。
そんな時、聞こえて来た。
「クロエ、僕達の婚約を解消しよう」
アルディリアの声。
「え……?」
クロエの声には戸惑いが含まれていた。
私は怒りを覚える。
けれど同時に、いい機会だとも思えた。
「だったら、私がもらっても構わない。そういう事でしょう」
唐突に発せられた声に、二人が驚いてこちらを見た。
しばらく、二人は私を見ていた。
「……アードラー?」
クロエが半信半疑の様子で訊ねた。
「ええ、そう……」
「何で? 何で男になっちゃってんの!? 男になる呪いがかかった泉にでも落ちちゃった?」
このよくわからない発想……。
こういう所も、私は好きよ。
愛おしさが込み上げてくる。
その気持ちが、私の背中を後押しする。
気持ちを伝える勇気をくれる。
あとは簡単な事よ。
この愛しい気持ちを口にするだけなのだから。
「私はずっと、あなたが好きでした。たとえ男になってでも一緒になりたい。そう思えるほどに、あなたの事を愛しています」
私の渾身の告白を受け、二人は沈黙した。
少しして、同時に驚きの声を上げた。
私が告白した後、アルディリアは婚約解消についての誤解を解いた。
あの言葉に含まれていたのは、真逆の意味だ。
彼は彼女に誤解されているであろう、自分の気持ちを訂正するためにあんな事を言ったのだ。
結局の所それは、愛の告白に他ならなかった。
私と同じだ。
奇しくも私達は、同じ日、同じ時、同じ相手に自分の愛情を打ち明けたのだ。
クロエは私達の告白に対する答えを待ってほしいと言った。
そして三日程経つ。
私とアルディリアはその間、彼女の答えをじっと待った。
普段通りに装いつつ、明らかに口数の少ない彼女と普段通りの関係を続けた。
茶番だと思った。
今の私達の関係は、三日より以前のものへと戻る事はないのだから……。
後悔がないとは言えない。
取り返しがつかない。
もう戻れない。
そんな極限の中にいる気持ちが、この三日間拭い去れなかった。
私の気持ちが彼女を苦しめているだろう事も耐え難い。
告白などするべきではない。
私の歪な気持ちなど、表に出すべきではなかった。
心の奥底に閉じ込めてしまっていれば、苦しむのは私だけで済んだはずなのだから。
それでも、希望は常に感じていた。
彼女がどちらを選ぶか、まだわからないのだ。
彼ではなく、私を選んでくれるかもしれないのだ。
後悔よりも小さく、わずかな割合で心にあるそれは……。
今にも折れてしまいそうな私の心を支える添え木に他ならなかった。
私は卑しくも、彼女に期待をしてしまっているのだ。
そして、結末はその日に訪れた。
学園が終わり、人がいなくなった校舎。
冬の気候で、少し早い西日が照らす教室。
クロエのクラスだ。
そこに私とアルディリアは呼び出された。
「答えを出そうと思うんだ」
そして彼女は切り出した。
私は息を呑んだ。
アルディリアも同じだろう。
クロエは一度深く息を吸い込んだ。
それが終われば、答えが出るだろう。
そのわずかな動作が、長く感じられた。
「私は……。アルディリアが、いい……。多分、私は、彼が好きだから……」
私にとってそれは、絶望的な言葉だった。
確かに、私は絶望していた。
けれど、足元が崩れるような強い絶望感ではない。
きっと私は、この結果を予測していたのだろう。
こうなってしまう事が必然だと、すでに諦めてしまっていたのだろう。
「ごめんね。アードラー」
痛ましい声だ。
あなたが悪いわけじゃないわ。
悪いのは私よ……。
本来なら、好きになるはずのない相手だもの……。
恋情を向けるような相手では無いのだもの……。
あなたはきっととても困った事でしょう。
この当然の帰結……。
答えを出すのに三日もかかったのは、真剣に考えてずっと悩み続けてくれたからでしょう?
それだけで、少しだけ救われる思いよ。
ありがとう……。
クロエ……。
私の目から涙が零れ、頬を伝い、顎から落ちた。
雫か、床に弾けた。
私は、ゆっくりと瞼を開けた。
朝日が窓から私を照らしている。
私は夢を見ていた。
けれど、どんな夢を見ていたか思い出せない。
手に、握られる感触がある。
見ると、眠っているアードラーが私と手を繋いでいた。
私はその手をどうしてか放したくないと思ってしまった。
アルディリアはいない。
昨晩、夜間演習を行なうという事で、家に帰っていなかった。
私は今、アードラーと二人きりだった。
朝食を取り、自室へ戻った時だった。
部屋には、アードラーもいる。
彼女は化粧台で髪を梳かしていた。
「ねぇ、アードラー」
そんな彼女に私は声をかける。
「何かしら」
「アードラーって、私の事が好きなの?」
沈黙。
本から視線を上げて、私を見た。
「……当たり前よ。好きじゃなければ、友達になんてなってないわよ」
「そうじゃないよ。そういう好きじゃなくて、なんて言うんだろう……。恋人同士の好きって意味でかな? あの、アードラーは、恋愛対象として私の事が好き……?」
私は何を言っているんだろう?
不思議に思いながら、私はそんな事を口走っていた。
ほら、言わんこっちゃない。
アードラーが硬直しているじゃないか。
何、馬鹿な事言ってるのよ。
なんて怒られちゃいそうだ。
アードラーは黙り込んでしまう。
顔も強張っていた。
ほら、怒ってる。
「……そうよ」
けれど、返ってきたのはそんな肯定の言葉だった。
「私は、あなたが好きだったわ」
躊躇いがちに、彼女は言った。
「いいえ今でも、好き……。あなたが言うように、恋人に向けるような恋愛感情を私はあなたに対して懐いているわ」
「……いつから?」
「自覚したのは、あなたと初めて過ごした夏迎えの祝いの日。でももしかしたら、出会った時からかもしれないわ。自覚がなかっただけで」
そんなに前から?
でも、やっぱりそうなんだ……。
私はアードラーに近付いた。
その手を取る。
震えていた。
私に拒絶されるかもしれないと、恐がっているのかもしれない。
確かに、私も少し動揺している。
女同士で恋愛というのは、前世の本とかでもよく取り扱われる題材だ。
だから、知識としてはあるし、すんなりと理解もできる。
でも、自分がその対象になるとは思った事もなかった。
戸惑いは強い。
けれど……。
アードラー、そんなに長い間、私の事を想ってくれていたんだね。
いろいろな事に合点がいった気分だよ。
アルディリアがどうして彼女を娶ろうと提案したのか、理解できた。
きっとアルディリアは、その事を知っていたんだろう。
彼女が私と一緒にいられるように、とそう思ったんだろう。
「アードラー」
名を呼ぶと、アードラーがビクリと体を震わせた。
「今の私には、あなたの気持ちが理解できない」
アードラーは息を呑む。
「……当然ね」
平然と答えようとしたのだろう。
けれどその声は、絞り出したように掠れている。
「でも、理解したいと思うよ。アードラーが私に懐くような気持ちを私もアードラーに懐きたい……」
「クロエ……」
アードラーは驚いた顔で私を見た。
「本当に今は、全然わからないんだけどね」
苦笑する。
「他の誰でもないアードラーが相手なら、私は理解できる気がする。私もアードラーが好きだよ。今は友達の好きだけど、好きな気持ちには違いないからさ。その気持ちを深く強く、していけばいいと思うんだ。そうすれば、きっと……」
アードラーの目から涙が零れた。
頬を伝い、顎から落ちる。
繋いだ手の上で、涙が弾けた。
「それで、形から入るのもいいと思うんだ」
「形から?」
アードラーに顔を寄せた。
「何度か戯れみたいにはしたけれど、これはそういう意味合いじゃない。初めての、恋人としてのものだよ。だからここから、始めよう。アードラー」
そう言って、私は彼女と唇を合わせた。
用件は――
「ついに完成しましたよ。あなたの望んでいた薬です」
私の悲願を叶える報せだった。
そうして渡されたのは、紫色の液体が入った小瓶。
私は気もそぞろに先輩へお礼を述べると、足早にクロエとアルディリアの所へ戻った。
馬車の駐車場まで歩く私達。
けれどその間で交わされた雑談は、頭に入ってこなかった。
私の頭の中は、薬の事でいっぱいだった。
たとえ愛する人の言葉であっても、全て弾き返してしまうほどに……。
「ごめんなさい。今日は私、先に帰るわね」
「うん。わかった。じゃあ、また明日ね」
笑顔を向けてくれるクロエ。
その表情を焼き付けるように、一度見る。
私が今の私でなくなっても、あなたはその笑顔を向けてくれるかしら……。
「ええ、また明日」
馬車の中で、私は渡された小瓶を見た。
小瓶は二つ。
先輩が言うには、この薬は性別を反転するものらしい。
二つ渡されたのは、もしもの時のためだ。
男になって、また女に戻りたくなった時のためのものだ。
衝動的に小瓶の蓋を開けようとして、その手が止まる。
さっき思ってしまった事が、頭を過ぎった。
私が男になっても、あなたは私に変わらぬ笑顔をくれるかしら。
私の気持ちを知ってしまったら、あなたは今まで通りに私と接してくれる?
同性の私に、男になってまで一緒になりたいと想われていたと知って、あなたはどんな反応をするのだろう……。
気持ちが悪いと、そう言われてしまうのではないかしら……。
葛藤と共に小瓶を眺める間に、馬車は自宅に到着した。
そのまま屋敷の中に入り、ベッドに寝転ぶ。
でも、する事は馬車の中と変わらない。
小瓶を手に、眺める。
私が男になって、彼女に拒絶される恐怖が頭から離れてくれなかった。
このまま……。
女のまま、私は友達のままでいるべきなのじゃないかしら?
そ知らぬ顔をして、恋慕の情を隠し、彼女を騙して……。
ぬけぬけと彼女のそばに居続ける方が、幸せなのではないかしら?
いいえ、幸せでは無いわ……。
それが幸せだというのなら、彼女と出会い、ずっと胸を苛み続けてきたこの気持ちは何だというの……?
この行き場のない気持ちから逃れたいから、私はこの薬を望んだのに。
きっと私には、苦しみしか残されていないのでしょうね。
どちらを選んでも、苦しいのだわ……。
起き上がり、メイドを一人部屋へ呼んだ。
「あなた、私を見ていなさい。そして私が私である事を証明なさい」
私の言葉によくわからないふうな顔をするメイド。
薬を使えば、私が私だとわからなくなるかもしれなかった。
その時のために証人が必要だった。
そんな彼女の前で、私は小瓶の封を切った。
蓋を開け、一気にあおる。
苦痛が体中に走った。
そして……。
苦しみが過ぎ去った頃、私の体は男になっていた。
メイドが驚いていた。
そんな彼女を無視して、服を脱いだ。
姿見を見る。
私の体は、硬質的だった。
背は伸びて、余分な脂肪が消えてしまっているように見えた。
代わりに筋肉が目立つ。
骨格も違う。
顔はほっそりと引き締まっているけれど、前の顔の面影はちゃんと残っている。
「これが私?」
声が低い。
男の声だ。
あんなに渋っていたのに、いざこうなってしまうと私の心は喜びを覚えていた。
「あなた、男物の服を用意してちょうだい」
私はメイドに命じた。
すぐにでも、彼女に会いたいと思った。
恐ろしさが消えたわけではないけれど、それでも気持ちを伝えたいと思った。
今の私なら、気持ちを伝えても何もおかしな事はないのだから……。
私は馬車を走らせ、ビッテンフェルト家へ向かった。
しかし、彼女はまだ帰っていないようだった。
私はそこで待とうと思わなかった。
すぐにでも彼女に会いたかった。
馬車を走らせ、学園からビッテンフェルト家までの道を走る。
きっと途中ですれ違う事になるはずだ。
すると、御者が前にいる二人を見つけた。
どういうわけか、二人は雪の中を歩いているようだった。
「ここまででいい……」
私は男性的な口調を意識して御者に言う。
馬車を降りた。
二人の方へ走っていく。
二人は私に気付いていない。
彼女との距離が近付いていく。
けれど、その途中でまた迷いが生まれ始めた。
本当に大丈夫なのか、と不安になってくる。
今ならまだ間に合う、と弱い心が囁く。
進めば進むほど、足が重くなるようだった。
気持ちの枷が、足に絡んでいる。
それでも私は足を留めなかった。
彼女へ気持ちを伝えたい。
その欲求が、辛うじて怖気に勝っていたから。
見れば、二人は向かい合っていた。
何かを話し合っている。
まだ、私に気付かない。
そんな時、聞こえて来た。
「クロエ、僕達の婚約を解消しよう」
アルディリアの声。
「え……?」
クロエの声には戸惑いが含まれていた。
私は怒りを覚える。
けれど同時に、いい機会だとも思えた。
「だったら、私がもらっても構わない。そういう事でしょう」
唐突に発せられた声に、二人が驚いてこちらを見た。
しばらく、二人は私を見ていた。
「……アードラー?」
クロエが半信半疑の様子で訊ねた。
「ええ、そう……」
「何で? 何で男になっちゃってんの!? 男になる呪いがかかった泉にでも落ちちゃった?」
このよくわからない発想……。
こういう所も、私は好きよ。
愛おしさが込み上げてくる。
その気持ちが、私の背中を後押しする。
気持ちを伝える勇気をくれる。
あとは簡単な事よ。
この愛しい気持ちを口にするだけなのだから。
「私はずっと、あなたが好きでした。たとえ男になってでも一緒になりたい。そう思えるほどに、あなたの事を愛しています」
私の渾身の告白を受け、二人は沈黙した。
少しして、同時に驚きの声を上げた。
私が告白した後、アルディリアは婚約解消についての誤解を解いた。
あの言葉に含まれていたのは、真逆の意味だ。
彼は彼女に誤解されているであろう、自分の気持ちを訂正するためにあんな事を言ったのだ。
結局の所それは、愛の告白に他ならなかった。
私と同じだ。
奇しくも私達は、同じ日、同じ時、同じ相手に自分の愛情を打ち明けたのだ。
クロエは私達の告白に対する答えを待ってほしいと言った。
そして三日程経つ。
私とアルディリアはその間、彼女の答えをじっと待った。
普段通りに装いつつ、明らかに口数の少ない彼女と普段通りの関係を続けた。
茶番だと思った。
今の私達の関係は、三日より以前のものへと戻る事はないのだから……。
後悔がないとは言えない。
取り返しがつかない。
もう戻れない。
そんな極限の中にいる気持ちが、この三日間拭い去れなかった。
私の気持ちが彼女を苦しめているだろう事も耐え難い。
告白などするべきではない。
私の歪な気持ちなど、表に出すべきではなかった。
心の奥底に閉じ込めてしまっていれば、苦しむのは私だけで済んだはずなのだから。
それでも、希望は常に感じていた。
彼女がどちらを選ぶか、まだわからないのだ。
彼ではなく、私を選んでくれるかもしれないのだ。
後悔よりも小さく、わずかな割合で心にあるそれは……。
今にも折れてしまいそうな私の心を支える添え木に他ならなかった。
私は卑しくも、彼女に期待をしてしまっているのだ。
そして、結末はその日に訪れた。
学園が終わり、人がいなくなった校舎。
冬の気候で、少し早い西日が照らす教室。
クロエのクラスだ。
そこに私とアルディリアは呼び出された。
「答えを出そうと思うんだ」
そして彼女は切り出した。
私は息を呑んだ。
アルディリアも同じだろう。
クロエは一度深く息を吸い込んだ。
それが終われば、答えが出るだろう。
そのわずかな動作が、長く感じられた。
「私は……。アルディリアが、いい……。多分、私は、彼が好きだから……」
私にとってそれは、絶望的な言葉だった。
確かに、私は絶望していた。
けれど、足元が崩れるような強い絶望感ではない。
きっと私は、この結果を予測していたのだろう。
こうなってしまう事が必然だと、すでに諦めてしまっていたのだろう。
「ごめんね。アードラー」
痛ましい声だ。
あなたが悪いわけじゃないわ。
悪いのは私よ……。
本来なら、好きになるはずのない相手だもの……。
恋情を向けるような相手では無いのだもの……。
あなたはきっととても困った事でしょう。
この当然の帰結……。
答えを出すのに三日もかかったのは、真剣に考えてずっと悩み続けてくれたからでしょう?
それだけで、少しだけ救われる思いよ。
ありがとう……。
クロエ……。
私の目から涙が零れ、頬を伝い、顎から落ちた。
雫か、床に弾けた。
私は、ゆっくりと瞼を開けた。
朝日が窓から私を照らしている。
私は夢を見ていた。
けれど、どんな夢を見ていたか思い出せない。
手に、握られる感触がある。
見ると、眠っているアードラーが私と手を繋いでいた。
私はその手をどうしてか放したくないと思ってしまった。
アルディリアはいない。
昨晩、夜間演習を行なうという事で、家に帰っていなかった。
私は今、アードラーと二人きりだった。
朝食を取り、自室へ戻った時だった。
部屋には、アードラーもいる。
彼女は化粧台で髪を梳かしていた。
「ねぇ、アードラー」
そんな彼女に私は声をかける。
「何かしら」
「アードラーって、私の事が好きなの?」
沈黙。
本から視線を上げて、私を見た。
「……当たり前よ。好きじゃなければ、友達になんてなってないわよ」
「そうじゃないよ。そういう好きじゃなくて、なんて言うんだろう……。恋人同士の好きって意味でかな? あの、アードラーは、恋愛対象として私の事が好き……?」
私は何を言っているんだろう?
不思議に思いながら、私はそんな事を口走っていた。
ほら、言わんこっちゃない。
アードラーが硬直しているじゃないか。
何、馬鹿な事言ってるのよ。
なんて怒られちゃいそうだ。
アードラーは黙り込んでしまう。
顔も強張っていた。
ほら、怒ってる。
「……そうよ」
けれど、返ってきたのはそんな肯定の言葉だった。
「私は、あなたが好きだったわ」
躊躇いがちに、彼女は言った。
「いいえ今でも、好き……。あなたが言うように、恋人に向けるような恋愛感情を私はあなたに対して懐いているわ」
「……いつから?」
「自覚したのは、あなたと初めて過ごした夏迎えの祝いの日。でももしかしたら、出会った時からかもしれないわ。自覚がなかっただけで」
そんなに前から?
でも、やっぱりそうなんだ……。
私はアードラーに近付いた。
その手を取る。
震えていた。
私に拒絶されるかもしれないと、恐がっているのかもしれない。
確かに、私も少し動揺している。
女同士で恋愛というのは、前世の本とかでもよく取り扱われる題材だ。
だから、知識としてはあるし、すんなりと理解もできる。
でも、自分がその対象になるとは思った事もなかった。
戸惑いは強い。
けれど……。
アードラー、そんなに長い間、私の事を想ってくれていたんだね。
いろいろな事に合点がいった気分だよ。
アルディリアがどうして彼女を娶ろうと提案したのか、理解できた。
きっとアルディリアは、その事を知っていたんだろう。
彼女が私と一緒にいられるように、とそう思ったんだろう。
「アードラー」
名を呼ぶと、アードラーがビクリと体を震わせた。
「今の私には、あなたの気持ちが理解できない」
アードラーは息を呑む。
「……当然ね」
平然と答えようとしたのだろう。
けれどその声は、絞り出したように掠れている。
「でも、理解したいと思うよ。アードラーが私に懐くような気持ちを私もアードラーに懐きたい……」
「クロエ……」
アードラーは驚いた顔で私を見た。
「本当に今は、全然わからないんだけどね」
苦笑する。
「他の誰でもないアードラーが相手なら、私は理解できる気がする。私もアードラーが好きだよ。今は友達の好きだけど、好きな気持ちには違いないからさ。その気持ちを深く強く、していけばいいと思うんだ。そうすれば、きっと……」
アードラーの目から涙が零れた。
頬を伝い、顎から落ちる。
繋いだ手の上で、涙が弾けた。
「それで、形から入るのもいいと思うんだ」
「形から?」
アードラーに顔を寄せた。
「何度か戯れみたいにはしたけれど、これはそういう意味合いじゃない。初めての、恋人としてのものだよ。だからここから、始めよう。アードラー」
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