気付いたら、豪傑系悪役令嬢になっていた SE

8D

閑話 変な夢の話 3

 カナリオ・ロレンスという乙女ゲームの主人公について説明しよう。

 彼女は、そこそこにコアな人気のある乙女ゲーム「ヴィーナスファンタジア 〜愛しき我が女神〜」に出てくる主人公。
 ヒロインというポジションのキャラクターである。

 このゲームは剣と魔法のファンタジックな世界を舞台に、平民出身の主人公が学園生活を通じてキラキラと美しい上流階級の男性達のハートを射止め、恋に落ちる事を目的としたものだ。
 そして五人いる男性達のシナリオにはそれぞれ主人公のライバルとなる令嬢がいて、あらゆる分野で競い合って男性の愛を奪い合うのである。

 カナリオはその乙女ゲームの主人公。
 上流階級のキラキラした攻略対象を略奪し、ライバル令嬢達との戦いを運命付けられた呪われし子なのだ。

 ちなみに、運命を司ると言われる女神シュエットの巫女の血筋である。

 そんな彼女なのだが……。

 実は私の事である。



 それらの知識を思い出したのは、学園の校門へ立った時である。
 立ち眩みが起こったかと思えば、私はゲームに関する全てを思い出していた。
 そして……。

 気付いたら、乙女ゲームの主人公になっていた。

 どうやら前世の私は亡くなり、この世界に主人公として転生してしまったらしい。

 思い出した時は――

「私、乙女ゲームの主人公になっちゃった!」

 とちょっとはしゃいでしまったが、少し経って冷静に考えるとそれほど嬉しい事でもない。

 私は生前、この乙女ゲームを嗜んだ乙女ではあるが、特にキラキラしたイケメン達と恋愛する事を楽しんでこのゲームをしていたわけじゃない。
 じゃあ何でプレイしたんだよ、という話であるが、私の目当てはむしろゲーム内に存在したミニゲームだ。

 この乙女ゲームはちょっとどころでなく変わった所があり、ミニゲームに本格的2D格闘ゲームが収録されている。
 格闘ゲーム大好きっ子だった私は、そちらを目当てにホイホイとこのゲームを買ったのだ。

 で、そんな主人公に生まれ変わったわけだが、そもそも恋愛に興味がないので特に嬉しくない。

 一番好きな攻略対象にアタックをかけようか、とも思ったけれどやめておく。
 好きではあるが、私の好きなど所詮はキャラクターに対する好きでしかなく、恋愛感情とは程遠いものだ。
 多分そのルートのライバルとなる伯爵令嬢の方がその攻略対象への気持ちは強いと思われる。

 何より攻略を進めると恐怖体験に見舞われる事となるだろう。
 あれをリアルで味わうのは嫌だ。
 悲しみの向こうへと行ってしまいそうだ。

 もういっそ、攻略対象じゃなくてモブとでも恋愛してやろうか。

 鏡を見れば赤髪のとてつもない美少女になっている私。

 本気でアタックをかければ誰とでも恋愛できそうな気がする。
 わざわざ、特に好きでもない攻略対象にアタックをかける必要はないだろう。

 恋愛に興味のない私だが、それは本気で好きになった男の子がいないからだ。
 この美少女という武器は、いつか私が本気で好きになる男の子が現れた時に使う事としよう。

 と思った矢先、私は行く先々で攻略対象達と知り合う事になった。
 乙女ゲーム主人公の宿命という奴であろう。

 出会いイベントである。

 そうして私は何人かの攻略対象と知り合う事になったのだが。

 そのイベントで、私はある人物と出会う事になる。



 ある攻略対象と出会った時だ。
 私はその悪役令嬢と遭遇した。

「お前は強いな。だが、まだ私には遠く及ばない」

 出会いがしらにそんな事を私に言った彼女は、クロエ・ビッテンフェルト。
 男の娘系攻略対象であるアルディリア・ラーゼンフォルトのルートでぶつかる悪役令嬢の一人である。

 このゲームでは悪役令嬢によって対決するミニゲームが変わるのだが、彼女こそが私が目当てとしていた格闘ゲームのミニゲームを持つ悪役令嬢なのだ。

 彼女の髪と服はテーマカラーの黒。
 体格は女性にしては大きく、男性にしては小さく細い。
 顔は整っているけれど、中性的なその顔はどちらかといえば男性的な格好良さを有していて……。

 女性的な印象の強いアルディリアとの対比を表したような、見る者に雄々しさすら覚えさせるそんな風貌の女性だ。

「見れば分かる。お前は、その軟弱者よりも幾分に見所のある女だ。いずれ、拳を交わす事もあろう」

 そう言って、クロエはアルディリアへ鋭い視線を向ける。
 アルディリアはビクリと体を震わせた。

「行くぞ」
「うん……」

 やり取りを交わして踵を返すクロエに、アルディリアは小走りでついて行く。

 ゲームと同じ展開だ。
 このイベント事はよく覚えている。

 が、しかし相変わらず乙女ゲームの悪役令嬢が言う台詞じゃないな。

 世紀末に生きてそうな台詞だ。



 そしてその後、どういうわけか私はアルディリアのルートへ入ってしまった。
 特に彼を狙っていたわけではない。
 けれど、本当になんとなく彼に……。

 いや、彼らに関わりたいと思ったのだ。

 それは私が格闘ゲームを好んでいるから、という理由からかもしれない。
 もしくは、私の前世の名前が黒恵《クロエ》だったからかもしれない。
 でも、そうじゃない気もした。

 二人のそばにいて、二人の関係を見ていたい。
 不思議と、そんな事を思っていた。



 私はアルディリアと同じクラスだった。
 席が近い事もあって、会話する事も少なくない。

 出会いのイベント以来、彼は私に興味を持ったようだった。

 そしてそのまま夏迎えの祝いに開催される舞踏会へ誘われ、一緒に踊った。
 本来ならアルディリアは婚約者であるクロエを誘うべきであり、彼自身彼女を恐れている事もあってこんな浮気行為のような事はできない。

 けれどそういうふうになってしまったのは、クロエ自身に「そのような軟弱な会になど参加するものか」と断られてしまったらしい。

 だから、堂々と私を誘えたわけである。

 そして彼のルートへ入り、色々なイベントを経験したわけであるが……。
 私は一つ気付いた事がある。

 アルディリアのイベントで一番多いパターンは、アルディリアと喋っていたらどこからともなく現れたクロエが乱入するという物である。
 アルディリアを取り合っているというよりも、クロエが一方的にカナリオへちょっかいをかけているような感じの物が多い。

 そしてそっちの絡みの方が多いため、アルディリアルートはファン達からクロエルートと揶揄されるわけなのだが……。

 実際にカナリオとしてそのイベントを体験すると、その理由がわかってしまった。

 私はクロエとのミニゲームを制するため、闘技を習得した。
 全ての悪役令嬢を得意分野で正々堂々叩き潰せる天才だけあって、カナリオの体は驚く程のスピードで闘技者としての強さを物にしていた。

 今や、クロエに勝利できる程の強さがこの細い体には秘められている。
 そして、その過程で気配を探る技術を身につけたわけなのだが……。

 休み時間などにアルディリアと遭遇すると、決まって近くに彼女がいる事が発覚した。
 巧妙に見えない位置から、アルディリアをいつも見ているのである。

 そして、私がアルディリアと仲良くしているとどこからともなく現れて「別にアルディリアの事なんて関係ないんだからね!」というふうを装って私にちょっかいをかけてくるわけである。
 彼女は私に付き纏っているようでいて、実の所はアルディリアのそばにいただけなのだ。

 大変わかりやすい。

 何の事は無い。
 クロエはアルディリアが好きで、けれど素直になれないのだ。
 ゲームの時は、アルディリアへあまりにも辛く当たるので嫌っていると思っていたのだが、実際はその逆なのだ。

 彼女はよく、アルディリアの事を「軟弱者」と謗るが、その裏では「どうしてあんな事を言っちゃったんだろう……」と三角座りで落ち込んだりしているに違いない。

 ツンデレかっ!

 しかしだからと言って、最近仲の良くしている公爵令嬢みたいにコミュ障とかそういう感じではない。

 人当たりはよく、闘技の授業などでは他の生徒達にアドバイスなどをして面倒見も良い。
 闘技授業に参加する生徒達は、誰がクロエにタオルを渡すかで揉めたり、クロエが右手にリストバンドをすればみんな右手にリストバンドをしたり、とむしろ彼女は人気である。

 言葉遣いに素っ気なさはあるが、人への対応はとても柔らかい。
 彼女がツンツンと素直になれないのはアルディリアだけだ。

 好きな子ほどイジメちゃうとかそういうのだろうか。

 小学生男子かっ!

 そんなクロエに私はやきもきした気持ちを覚えた。



 クロエは校舎の物陰に隠れ、中庭でリスと戯れるアルディリアを眺めていた。
 その姿を眺める内、彼女の口元が歪む。
 表情が、ほっこりとした笑顔を作った。

「声をかけたらどう?」

 そんな彼女の背後から、現在進行形で腐りつつある公爵令嬢から習った気配を誤魔化す方法で近付き、声をかける。

「シッ!」

 瞬間、振り向き様の裏拳が飛んでくる。
 私はそれを手の甲で受け止めた。

「貴様は……! カナリオッッッ」
「大声出したらバレるよ」

 クロエは口を閉じ、そのままクシャリと顔を顰めた。

「何の用だ?」
「可愛い男の子を覗き見る不審な女の子に注意をしようかと」
「ふん。何の事だ。私はここで、型の練習をしていたに過ぎない」

 言って、わざとらしく闘技の型を取り始めるクロエ。
 私は溜息を吐いた。

「ねぇ、そのままでいいの?」
「何の話だ」

 型を止めないまま聞き返してくる。

「意地を張り通す事だよ」
「意地など張ってはいない」
「アルディリアは、クロエを恐がってる」

 言うと、クロエの動きがピタリと止まる。
 型を止め、私に向き直った。
 前へ歩み寄り、正面から私の顔を見下ろした。
 彼女の睨み付けるような眼差しを私は受け止めるように見返す。

「それがどうしたッッッ」
「気持ちは言葉にしなくちゃ伝わらないって言ってるんだよッッッ」

 互いに言い合い、口を閉ざす。

「私は、アルディリアの事など何とも思っていない」
「ならなんでちょっかいかけるのさ」
「私はただ、貴様に興味があるだけだ。貴様の強さを秘めたその体に」
「気持ち悪い事言うな!」
「変な誤解をするな! そんな意味ではない! とにかく、私は貴様を気にしているだけで、アルディリアを気にしているわけではない。あいつは、ただの婚約者でしかないのだから」
「アルディリアをつけ回してるくせに……」

 沈黙し、先程のようにクロエが顔を顰める。

「それに、他の人にはそんな事ないのに、アルディリアにだけは辛く当たってる。気にしてないのに、どうしてアルディリアにだけ態度が違うの?」
「……あの軟弱さが、気に入らんだけだ。気に入らぬから、辛く当たっているのだ」
「本当に嫌いな相手とは口もきかないくせに」

 再び黙り込む。
 私から視線をそらした。

 そんな彼女の手を取る。

「何をする!?」
「見てられないんだよ。クロエが男の子一人に怖気づいてる所なんて」
「怖気などない。あのような軟弱者の何を恐がれと言うのだ」
「だったら、ちゃんと気持ちを伝えなよ。恐くないなら、それくらいできるでしょう」
「ぬぅ……」

 そのまま私は、校舎の物陰から彼女を連れ出した。
 リスと戯れるアルディリアの方へ行く。

 私がどうして、こんな強引なまでの手段に出たのか、私にもよくわからない。
 ただ、二人が一緒にいない事が妙に気に入らなかった。
 理屈ではない違和感……嫌悪感にすら到達しそうな程の気分を覚えたのだ。

 そうじゃない。
 これは間違いだ。

 そういった漠然とした不自然さを今の二人の関係に見出してしまっていた。

「カナリオ」

 近付いてくる私に気付いて、アルディリアは笑顔になる。
 けれど、すぐ私の後ろにいるクロエに気付いて表情を強張らせた。

 そんな彼の前に、クロエを立たせる。
 彼の周りに集っていたリスが逃げていく。

「……アルディリア」

 クロエが口を開く。
 彼女に珍しく、体が緊張で強張っている。
 声も震えていた。

「はい」

 アルディリアが返事をする。
 こちらの声も震えている。

 クロエはそんな彼に口を開こうとして、そして……。

 口を閉ざした。

 彼女の目には、ブルブルと震えるアルディリアが映っている。
 青くなった彼の顔は、確かな恐怖を映していた。

 その姿を見て、目を瞑るクロエ。
 その表情は、まるで苦痛を堪えるようだ。
 沈痛な面持ちだ。

 彼女は目を見開いて、何も言わずに踵を返した。
 そのまま去ろうとし、私の隣を通る時……。

「すまなかったな……」

 そう私の耳元に囁いた。

「クロエ……」

 私は彼女の名を呼び、彼女の背中を見送った。



 そのまま二人の仲が変わるという事はなかった。
 依然としてアルディリアは私に興味を持っているが、私と彼が進展するという事もなかった。

 私自身、あれ以降あんなお節介を焼く事はなかった。
 ただあるがままに日々を過ごした。

 変わらない。
 変わらないまま、私はゲームの展開をなぞらえるように日々を過ごし……。
 そして……。

 隣国、サハスラータはアールネスへと戦争を仕掛けた。



 私、クロエ、アルディリアの三人は、ある作戦のために山道を行っていた。
 その作戦を終え、アールネスへ帰還する途中だった。
 そうして、山の中にある岩場へ辿り着く。

 特撮ものでヒーローが怪人と戦っていそうな、開けた場所だ。

「カナリオ。私と勝負しろ」

 クロエは私に決闘を申し込んだ。
 これはゲームと同じ展開である。

 だから、こんな場違いな決闘にも私は驚く事はなかった。
 ただ、納得はできない。

「何故? そんな事をしなければならないのさ?」
「ケジメのようなものだ」

 ゲームとは違う台詞だった。
 ゲームでの彼女は、ただカナリオとの決着を望んでいた気がする。
 でも、今の彼女にそんな様子は見えない。

「恐らく、この作戦の成功でアールネスの勝利は決定的な物となるだろう。戦争は近い内に終わる」
「だったら、帰ってからでもいいでしょう。グズグズしていたら、追手が来るかもしれない」

 実際、追っ手は来ている。
 ゲームでもそうだった。

「いや……だからこそ今なのだ。私は、ビッテンフェルトの姓を持つ者として、負けてはならなかったのだ」
「どういう事?」
「お前の強さは私が一番よく知っている。私が勝てぬ事もよくわかっている。だが、それでも負けてはならなかった。もし、ビッテンフェルト家に生まれたのが私のような弱い女でなければ……。父上の強さを継ぐ、男でも生まれていれば、こんな事にはなかなかったであろうな」
「今するような話? 何が言いたいのか全然わからないんだけど?」

 やや苛立ち混じりに、私は聞き返した。

 わけがわからなかった。
 彼女が何を考えて、何が言いたいのかさっぱり理解できなかった。

 けれど、クロエは頭を左右に振って答えない。

「責任と決着……。黙ってここで、私にそれを果たさせてくれ」

 言って、彼女は構えを取った。
 クロエに、これ以上答える気はないようだった。

 アルディリアを見届け人として、私はクロエとの決闘を受けた。



 私はクロエとの決闘に勝利した。
 仰向けに倒れるクロエを私は見下ろしていた。

 それは死闘だった。
 お互いの全力を出し合った、今までにない激しい物だった。
 勝利を得る事もギリギリで、何かがわずかにでも違えば、今見下ろされていたのは私だっただろう。
 そんな私自身、満身創痍だった。

「アルディリア……」

 クロエがアルディリアを呼ぶ。

「何?」
「見届けたな? カナリオ・ロレンスはクロエ・ビッテンフェルトに勝利した。彼女の強さは、私を超える。父上と陛下に、伝えてくれ……」
「……わかったよ」

 言うと、クロエはふらりと立ち上がる。
 振り返り、私達が来た道を見据える。
 その視線の先には、こちらへ向かうサハスラータ軍の姿が見えた。

 その数はざっと見て百以上。
 そんな兵士達を見て、クロエは続ける。

「そして私は、逸話を残そう……。そうすれば、強さも引き立つのだから……」
「そんなわけのわからない事言ってないで、早く逃げよう」

 私はクロエに言う。

「私は残り、奴らの足を止める。でなければ、今のお前達では逃げられまい」
「始めから戦わなければ、こんな事にならなかったと思うけどね」
「そうもいかんさ。こうでなくてはならん。頭を使わぬ私が、珍しく頭を使ったのだ。報いてくれ」

 だからどういう意図なのさ。
 わけがわからないよ。

 不意に、クロエは優しげな笑みを作る。
 そして、私とアルディリアに向けて口を開く。

「正直に言おう。私は、アルディリアが好きだ。婚約者として紹介されたその日から、私はずっと好きだった。ただ、恥ずかしくてな……。照れて嫌な事しか言えなかったが……」
「クロエ?」

 アルディリアは驚いた顔で彼女の名を呼ぶ。

「そして、カナリオ、貴様の事も嫌いでは無い……。あの時の事は、感謝している。だからこそ今、私は素直に話せるのだ」
「何でこんな時に……こんな土壇場までその素直さをとっておくのさ……?」

 聞き返すと、クロエは笑って答える。

「確かに今更だ。だがな、こんな時でなければ私は素直な言葉を吐けなかっただろう」

 わかってるよ。
 そんな人間だって。
 私達はライバルとして戦っていたけれど、だからこそどんな人間かはよくわかってる。

 でも、納得できるわけじゃない。

「さぁ、逃げろ。二人とも」
「でも、クロエ」

 アルディリアが言い募ろうとする。
 そんな彼に、クロエは一層深い笑みを向ける。

「惚れた女だろう? それに、私の大事な友でもある。この場で殺すな。絶対に……」

 アルディリアの目に涙が浮かぶ。

「……わかった。ごめんよ、クロエ……。僕は、何もわかってなかったよ」

 言って、アルディリアは私の体を支える。
 そして、走り出した。



 アルディリアの足取りは重い。
 それは私を支え歩いているから、という理由だけでは無いだろう。

「僕は気付かなかったよ。ずっと一緒にいたのに……」

 アルディリアが呟くように言葉を紡ぐ。

「嫌われているんだと思ってた。怖いとすら思ってた。でも……そんな誤解が、彼女を傷付け続けていたのかな……」

 普通はわからないよ。
 言葉を伝えられないなら、態度で示すしかない。
 でも、その態度すら彼女は素直じゃなかった。

 気持ちを察する事なんて、できるわけがない。

「きっと、これで終わりじゃないよね? きっと、クロエは帰ってくるよね? だって、クロエは、強いもの……。帰ってきたら、今度こそ僕はちゃんと彼女を見てあげたいんだ……」

 私は答えられなかった。

 結末を知らなければ、私もアルディリアと同じように希望へと縋る事もできた。
 でも私は、結末を知っている。

 彼女がもう帰らない事を知っている。

 ゲームでの彼女は、このまま死ぬのだ。

 それを知りながら、私は彼女に背を向けて逃げている。
 きっとこのまま逃げれば、後悔するだろう。
 死ぬ事を知っていて見捨てたという自責の念は、私の一生を蝕むだろう。

 だが、今の私は満身創痍。
 戻って戦っても、恐らく死ぬだろう。

 自分から死を選ぶ。
 その決断を下す事は恐ろしい。

 けれど……。

 私は立ち止まった。

「カナリオ?」
「ごめん、アルディリア。先に逃げて……」

 言って、私は踵を返す。
 そして、元居た戦場へ向けて走り出した。

 一生を心の苦痛に苛まれて生きるより、一瞬で終わる死の苦痛の方がまだマシかもしれないな。
 そんな事を思ってしまった。

 そんな考えで、恐怖がなくなるわけじゃないけれど……。

 木々の茂る景色を振り切り、風を振り切り、恐怖を振り切り、私はクロエのいる場所へ向かう。

 そして森が開け、岩場へ辿り着いた。
 兵士に囲まれるクロエを見つけ、その場目掛けて跳躍する。
 今まさに、彼女の背へ斬りかかろうとする兵士を蹴りつける。
 驚くクロエの背へ自分の背を合わせるようにして構える。

「貴様、何故戻って来た?」
「一人より、二人の方が楽でしょう?」
「貴様という奴は……馬鹿な女だ。貴様が死んでは意味がないというのにな……」

 そう言うクロエは、どこか嬉しそうだった。

「死ぬと決まったわけじゃない。要は、倒してしまえばいいんでしょう?」
「簡単に言ってくれるな……」
「……生きて帰るよ」

 そんなやり取りを交わした時だった。

 剣をがむしゃらに振り回しながら、こちらへ向かってくるアルディリアの姿が見えた。
 私達の所を目指し、来る途中で斬られそうになる。

 斬り付けようとする兵士へ、私とクロエの拳が同時に炸裂する。
 そうして辿り着いたアルディリアが、私達へ声をかける。

「足が速すぎるよ、カナリオ」
「アルディリア。そのまま逃げてもよかったんだよ」
「確かに僕は臆病者だし弱いけれど、それでも男なんだ。女の子二人に戦わせて、僕だけ逃げるなんて事はできないよ」

 そっか。
 そういえば男の子だった。

「クロエ。三等分でも、逸話には十分だと思うよ。実際は、二等分かもしれないけどね」
「……かもしれぬな」

 よくわからないやり取りを交わすクロエとアルディリア。
 そして私達は、死を切り抜けるための戦いを開始した。



 戦いの終わった岩場には、立っている者が一人もいなかった。
 私もまた例外ではなく、仰向けに倒れている。
 投げ出された体には、無数の傷ができていて、服には所々血が滲んでいる。

「クロエ……アルディリア……」

 空に向かって名前を呼ぶ。

「何だ?」
「何?」

 二人の声が答える。
 どこにいるかはわからないけれど、近くで私と同じように空を仰いでいるのかもしれない。

「疲れたねぇ……」
「そうだな。もう少しだけ眠っていたい」
「本当に」

 二人の意見には、私も賛成だった。

 今は少し、眠りたい。



 目を覚ますと、そこはビッテンフェルト家の自室だった。
 なんとなく、自分の手の平を見る。

 何か夢を見ていた気がするが、思い出せない。
 ただ無性に、アルディリアに会いたい気がした。

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