気付いたら、豪傑系悪役令嬢になっていた SE
九十五話 そうなんです
その日は年に一度、シュエット学園恒例の山間行楽行事だった。
秋のこの時期、王都から北西に位置する山は赤く綺麗に染まる。
その景色を楽しむための行事が年に一回行われるのだ。
簡単に説明すれば林間学校みたいなものだ。
生徒達は山の景色を楽しみ、その中にある宿泊施設で一泊して素晴らしい思い出を胸に懐いて帰る。
そういうイベントだ。
ちなみに、夕食は各自班に分かれて料理を自作する事が恒例となっている。
貴族はいつ戦場へ赴く事があるかわからないので、野戦における炊事の予行演習としてそうしているらしい。
が、戦に出ないであろう令嬢達も参加しているので、建前以外の何物でもないのだろう。
作るのはシチューだ。
カレーではない。
残念ながら、この国にはカレーがないのだ。
恐らくこの世界のどこかにある、インドっぽい国と交易できるようになるまでお預けだ。
クミンやらターメリックが輸入された暁には、カレールーを作って一大ムーブメントを起こしてやろうと私は密かに画策していた。
行事は学年によって日程が違い、今回は私達一年生の番だった。
班の友達と一緒に、赤く色付く木々の山道を進む。
七人一組の班の内わけは、私、アルディリア、アードラー、マリノー、ルクス、リオン王子、そしてクラスメイトの男爵令嬢だ。
全員自分より上の爵位を持つ家ばかりな上、公爵家二人、王族一人がメンバーの中にいる。
粗相をすれば半端じゃない罰が下りそうなメンバーの中にあって、男爵令嬢の顔からは表情が消えていた。
正直、誰もこんな地雷みたいな班に入りたくないのだ。
一応言っておくと、私の友達はゲーム関係者だけじゃない。
他にも友達はいる。
で、今回の班決めの際に一人足りず、私のいる班への生贄として選ばれたのがその友達である男爵令嬢ちゃんだ。
「あなた達、ビッテンフェルトの令嬢と仲がいいでしょう? だから、誰かあの班に入ってちょうだい」
という話になり、最終的にくじ引きで男爵令嬢ちゃんは私達の班へ組み込まれたわけである。
ごめんよ、みんな。
こんな事になるなんて思わなかったんだ。
だから、絶交するなんて言わないでね。
男爵令嬢ちゃんは最初、なんとか居場所を求めて私のそばにいようとしたみたいだが、残念ながら私の近くにはだいたい王子とアードラーがいる。
私に守ってもらうのは諦めて、今は比較的安全なマリノーのそばで目立たぬよう影に徹している。
「あの、皆様……。……もうちょっと、歩く、速さを……」
道の途中、息を切らしながらマリノーが提案した。
談笑を交えながら歩いていて気付かなかったが、私達の周りには他の生徒達がいなかった。
思えば、私を含めたほとんどが体力に自信のある人間ばかりだ。
マリノーと男爵令嬢ちゃんは、そんな体力勢の歩行速度に必死でついてきていたために息を切らせてとても辛そうな様子だった。
という事で、他の生徒達が追いつくまでしばらく休憩する事になった。
「ごめんね、二人とも」
「いえ、こちらこそついていけなくてすみません」
「私も、皆様方の足を引っ張るような事をして申し訳ありません。決して、わざとではないのです。どうか、お許しください……」
とてつもなく恐縮している男爵令嬢ちゃんを慰めてあげた。
「それにしてもかったるい行事だよな。山登って飯食うだけなんてよ」
ルクスが木に寄りかかって言う。
「山登りでお腹が減る。御飯を食べる。おいしい! それの何が不満?」
「メインは景色だと思うわよ」
私が答えると、アードラーがツッコミをいれる。
もちろん、景色もいい。
でも、私はそっちよりお昼に食べる予定の母上特製弁当とマリノーのお弁当の方が魅力的に思えてならない。
自分でも残念だと思うくらいに花よりダンゴだ。
男子《だんご》ではなく、団子《だんご》である。
「あの、それよりクロエ。ちょっと聞きたい事があるんだ……」
おずおずとアルディリアが声をかけてくる。
「何?」
「前から聞こうと思って聞けなかったんだけど、あの……クロエがリオン様の、その、正室になるかもしれないって話……」
ああ、その事か。
「何だそれは? 初めて聞いたぞ」
反応したのは王子だった。
私を見る。
「どういう事だ?」
「ヴェルデイド公と陛下の企みらしいですよ」
「ヴェルデイド……」
きっと王子の脳裏には、あのドSピンクの事が思い浮かんでいる事だろう。
実際正解です。
「そなたはそれでいいのか?」
「嫌ですよ」
「クロエ……」
アルディリアが私の言葉にパッと笑顔になる。
「だって、王子じゃ婿養子に来てくれないじゃないですか。私のお婿さんは、ビッテンフェルト家を継いでくれるような次男坊以降の人じゃなくちゃダメなんです」
「クロエ……」
アルディリアが悲しそうな表情になる。
本当はアルディリアが相手じゃなくなるのが嫌っていうのもあるけれど、それを伝えるのはちょっと恥ずかしい。
「でも、あんまり気にしなくていいかもしれませんよ」
「何故そう思う?」
私が言うと、王子は訊ね返す。
「まぁ、なんとかなるような気がするんですよ」
ケ・セラ・セラ。
ハクナマタタになんくるないさー。
そんな事を話している時、引率をしていたティグリス先生が追いついてきた。
どうやら、お喋りに夢中で先生も追い越していたらしい。
「お前ら、先に行き過ぎだ」
「声をかけてくださればよかったのに」
「他の生徒が転んで怪我してな。その治療をしていた。その間にお前達はとっとと行ってしまったんだ。他の生徒がそれを指摘してくれなければ、気付かなかった所だ」
「そうでしたか」
「他の生徒が追いつくまで待機していろ」
「わかりました」
先生はそう言うと、マリノーの方へ向かった。
マリノーはへたり込んでいた。
「大丈夫か? マリノー」
「先生……? はい、大丈夫です」
マリノーは疲れの滲む顔に、笑顔を作った。
「そうか。辛くなったら言え。抱《かか》えていってやる」
「は、はい。その時は、お願いします」
先生が微笑んで言うと、マリノーは顔がほんのり、どころか赤熱化したようになった。
けれど、先生はすぐにその隣にいた男爵令嬢ちゃんに向く。
「お前もだ。この班は色々と大変だろう」
「はい。ありがとうございます、先生」
笑顔の先生に、男爵令嬢ちゃんの頬がほんのりと染まった。
その次の瞬間、マリノーが「き……っ」と小さく悲鳴を上げ、胸を押さえて倒れた。
「おい、どうした? マリノー。気を失っている!?」
先生が驚いてマリノーに声をかける。
多分、ヤンデレの発作……。
というより、ビッテンフェルト流精神医療の効果だろう。
あれくらいで発動するなんて、最近許容量が少なくなっているんじゃないだろうか……。
それだけ、マリノーの中にある愛情が大きくなっているのかもしれない。
それからしばらくして、後ろの班が追いついてきた。
その面々を見て、王子に緊張が走る。
追いついた班は、カナリオの班だった。
カナリオは私の知らない友達と班を組んでいる。
カナリオは相変わらず、体調が悪そうだ。
表情が暗く、顔色も悪い。
もしかしたら、私が余計な事を言ったせいで悩みが深まったのかもしれない。
カナリオは私達……というより王子を見て歩みを留めた。
しばらく、王子と見詰め合う。
そして、どちらともなく視線を外した。
王子はカナリオを気にしているようだった。
でも、近付こうとはしない。
自分がカナリオの悩みの種になっているのではないか、という考えに行き着いて躊躇っているようだ。
カナリオが歩みを進め始める。
私達の班を追い抜いて、先へ行く。
先生も気を失ったマリノーを負ぶって、その前を歩き始めた。
「私達も行きましょうか」
私は王子に声をかけた。
「そうだな……」
私達は再び、山道を進み始める。
前のカナリオ達に追いつかないよう、歩く速度を調整していた。
そうして進む私達の前に、大きな谷が現れた。
長いつり橋のかかった谷で、その下には大きな川がある。
透明度のある川だが、速い流れと深さがあるためか水底は見えない。
けれど、その表面を滑るように行く、木々から落ちた赤い葉っぱの群れが少し綺麗だと思った。
「すごい景色だ」
「ええ。ここは有名な絶景の一つ。ここを見る事が行楽の目的でもあるのよ」
アードラーが説明してくれる。
「そうなんだ」
「この川は西南の方角へ流れていて、西の隣国に続いているのよ。流されたら国境を越えちゃうかもしれないから、落ちないようにね」
「ははは、気をつけないとね」
そんな事にはならないよー。
と心の中で考えながら笑い返す。
ふと前へ目をやる。
カナリオが、つり橋のロープに手をかけて下を覗き込んでいた。
きっとこの景色はパワースポットみたいなもんだ。
この自然の力強い景色を見て、少しでも元気になってくれればいいな……。
なんて思っていた時だ。
カナリオの右手が、ロープを持つ手から滑り落ちた。
バランスを崩し、そのままロープの間へ体を落とす。
その先は、橋の外だ。
私はその光景を目の当たりにし、彼女へ向けて全速力で走る。
橋桁が一枚割れたけど、幸いその橋桁に乗っている人間はいなかった。
「「クロエ!?」」
アルディリアとアードラーの驚く声。
それを耳にしながらカナリオへ走る。
けれど、私が彼女の所へ向かった時にはすでに、カナリオの体は橋の下にあった。
体ごと飛び込むように手を伸ばし、何とか彼女の手を取る。
よしっ! 間に合った!
もう片方の手で、橋桁を掴む。
が、掴んだ橋桁が脆くなっており、砕けて折れた。
何の! これくらい、ピンチの内にも入りませんよ!
すぐに橋桁を離して、魔力縄《クロエクロー》を放つ。
魔力縄がロープへ巻き付く。
が、巻き付いたロープが脆くなっており、あえなく千切れてしまった。
何と! 隙を生じぬ二段構えっ!
どこの担当か知らないけど、ちゃんと整備しろぉ!
そんな事を思いながら、私とカナリオは川の流れへと身を投じたのだった。
川の速い流れの中、私はアードラーの話を思い出していた。
このまま流れていくと、西方の隣国へ向かってしまう。
西の隣国は友好国だが、勝手に入ると面倒な事になるだろう。
戻るのも苦労しそうだ。
そう思って、私はカナリオと手を繋ぎながら泳いでなんとか川岸へ辿り着く事ができた。
それでも片手で泳ぐ事は大変で、泳ぎ始めてから上陸までかなり時間がかかってしまった。
そして上陸した岸から見える光景は、生い茂った木々ばかり。
深い森が広がっていた。
多分、国境を越える前に川から出られたと思う。
それはいい。
だが、ここがどこなのか……。
それはさっぱりわからなかった。
私達はこうして、遭難したのだ。
秋のこの時期、王都から北西に位置する山は赤く綺麗に染まる。
その景色を楽しむための行事が年に一回行われるのだ。
簡単に説明すれば林間学校みたいなものだ。
生徒達は山の景色を楽しみ、その中にある宿泊施設で一泊して素晴らしい思い出を胸に懐いて帰る。
そういうイベントだ。
ちなみに、夕食は各自班に分かれて料理を自作する事が恒例となっている。
貴族はいつ戦場へ赴く事があるかわからないので、野戦における炊事の予行演習としてそうしているらしい。
が、戦に出ないであろう令嬢達も参加しているので、建前以外の何物でもないのだろう。
作るのはシチューだ。
カレーではない。
残念ながら、この国にはカレーがないのだ。
恐らくこの世界のどこかにある、インドっぽい国と交易できるようになるまでお預けだ。
クミンやらターメリックが輸入された暁には、カレールーを作って一大ムーブメントを起こしてやろうと私は密かに画策していた。
行事は学年によって日程が違い、今回は私達一年生の番だった。
班の友達と一緒に、赤く色付く木々の山道を進む。
七人一組の班の内わけは、私、アルディリア、アードラー、マリノー、ルクス、リオン王子、そしてクラスメイトの男爵令嬢だ。
全員自分より上の爵位を持つ家ばかりな上、公爵家二人、王族一人がメンバーの中にいる。
粗相をすれば半端じゃない罰が下りそうなメンバーの中にあって、男爵令嬢の顔からは表情が消えていた。
正直、誰もこんな地雷みたいな班に入りたくないのだ。
一応言っておくと、私の友達はゲーム関係者だけじゃない。
他にも友達はいる。
で、今回の班決めの際に一人足りず、私のいる班への生贄として選ばれたのがその友達である男爵令嬢ちゃんだ。
「あなた達、ビッテンフェルトの令嬢と仲がいいでしょう? だから、誰かあの班に入ってちょうだい」
という話になり、最終的にくじ引きで男爵令嬢ちゃんは私達の班へ組み込まれたわけである。
ごめんよ、みんな。
こんな事になるなんて思わなかったんだ。
だから、絶交するなんて言わないでね。
男爵令嬢ちゃんは最初、なんとか居場所を求めて私のそばにいようとしたみたいだが、残念ながら私の近くにはだいたい王子とアードラーがいる。
私に守ってもらうのは諦めて、今は比較的安全なマリノーのそばで目立たぬよう影に徹している。
「あの、皆様……。……もうちょっと、歩く、速さを……」
道の途中、息を切らしながらマリノーが提案した。
談笑を交えながら歩いていて気付かなかったが、私達の周りには他の生徒達がいなかった。
思えば、私を含めたほとんどが体力に自信のある人間ばかりだ。
マリノーと男爵令嬢ちゃんは、そんな体力勢の歩行速度に必死でついてきていたために息を切らせてとても辛そうな様子だった。
という事で、他の生徒達が追いつくまでしばらく休憩する事になった。
「ごめんね、二人とも」
「いえ、こちらこそついていけなくてすみません」
「私も、皆様方の足を引っ張るような事をして申し訳ありません。決して、わざとではないのです。どうか、お許しください……」
とてつもなく恐縮している男爵令嬢ちゃんを慰めてあげた。
「それにしてもかったるい行事だよな。山登って飯食うだけなんてよ」
ルクスが木に寄りかかって言う。
「山登りでお腹が減る。御飯を食べる。おいしい! それの何が不満?」
「メインは景色だと思うわよ」
私が答えると、アードラーがツッコミをいれる。
もちろん、景色もいい。
でも、私はそっちよりお昼に食べる予定の母上特製弁当とマリノーのお弁当の方が魅力的に思えてならない。
自分でも残念だと思うくらいに花よりダンゴだ。
男子《だんご》ではなく、団子《だんご》である。
「あの、それよりクロエ。ちょっと聞きたい事があるんだ……」
おずおずとアルディリアが声をかけてくる。
「何?」
「前から聞こうと思って聞けなかったんだけど、あの……クロエがリオン様の、その、正室になるかもしれないって話……」
ああ、その事か。
「何だそれは? 初めて聞いたぞ」
反応したのは王子だった。
私を見る。
「どういう事だ?」
「ヴェルデイド公と陛下の企みらしいですよ」
「ヴェルデイド……」
きっと王子の脳裏には、あのドSピンクの事が思い浮かんでいる事だろう。
実際正解です。
「そなたはそれでいいのか?」
「嫌ですよ」
「クロエ……」
アルディリアが私の言葉にパッと笑顔になる。
「だって、王子じゃ婿養子に来てくれないじゃないですか。私のお婿さんは、ビッテンフェルト家を継いでくれるような次男坊以降の人じゃなくちゃダメなんです」
「クロエ……」
アルディリアが悲しそうな表情になる。
本当はアルディリアが相手じゃなくなるのが嫌っていうのもあるけれど、それを伝えるのはちょっと恥ずかしい。
「でも、あんまり気にしなくていいかもしれませんよ」
「何故そう思う?」
私が言うと、王子は訊ね返す。
「まぁ、なんとかなるような気がするんですよ」
ケ・セラ・セラ。
ハクナマタタになんくるないさー。
そんな事を話している時、引率をしていたティグリス先生が追いついてきた。
どうやら、お喋りに夢中で先生も追い越していたらしい。
「お前ら、先に行き過ぎだ」
「声をかけてくださればよかったのに」
「他の生徒が転んで怪我してな。その治療をしていた。その間にお前達はとっとと行ってしまったんだ。他の生徒がそれを指摘してくれなければ、気付かなかった所だ」
「そうでしたか」
「他の生徒が追いつくまで待機していろ」
「わかりました」
先生はそう言うと、マリノーの方へ向かった。
マリノーはへたり込んでいた。
「大丈夫か? マリノー」
「先生……? はい、大丈夫です」
マリノーは疲れの滲む顔に、笑顔を作った。
「そうか。辛くなったら言え。抱《かか》えていってやる」
「は、はい。その時は、お願いします」
先生が微笑んで言うと、マリノーは顔がほんのり、どころか赤熱化したようになった。
けれど、先生はすぐにその隣にいた男爵令嬢ちゃんに向く。
「お前もだ。この班は色々と大変だろう」
「はい。ありがとうございます、先生」
笑顔の先生に、男爵令嬢ちゃんの頬がほんのりと染まった。
その次の瞬間、マリノーが「き……っ」と小さく悲鳴を上げ、胸を押さえて倒れた。
「おい、どうした? マリノー。気を失っている!?」
先生が驚いてマリノーに声をかける。
多分、ヤンデレの発作……。
というより、ビッテンフェルト流精神医療の効果だろう。
あれくらいで発動するなんて、最近許容量が少なくなっているんじゃないだろうか……。
それだけ、マリノーの中にある愛情が大きくなっているのかもしれない。
それからしばらくして、後ろの班が追いついてきた。
その面々を見て、王子に緊張が走る。
追いついた班は、カナリオの班だった。
カナリオは私の知らない友達と班を組んでいる。
カナリオは相変わらず、体調が悪そうだ。
表情が暗く、顔色も悪い。
もしかしたら、私が余計な事を言ったせいで悩みが深まったのかもしれない。
カナリオは私達……というより王子を見て歩みを留めた。
しばらく、王子と見詰め合う。
そして、どちらともなく視線を外した。
王子はカナリオを気にしているようだった。
でも、近付こうとはしない。
自分がカナリオの悩みの種になっているのではないか、という考えに行き着いて躊躇っているようだ。
カナリオが歩みを進め始める。
私達の班を追い抜いて、先へ行く。
先生も気を失ったマリノーを負ぶって、その前を歩き始めた。
「私達も行きましょうか」
私は王子に声をかけた。
「そうだな……」
私達は再び、山道を進み始める。
前のカナリオ達に追いつかないよう、歩く速度を調整していた。
そうして進む私達の前に、大きな谷が現れた。
長いつり橋のかかった谷で、その下には大きな川がある。
透明度のある川だが、速い流れと深さがあるためか水底は見えない。
けれど、その表面を滑るように行く、木々から落ちた赤い葉っぱの群れが少し綺麗だと思った。
「すごい景色だ」
「ええ。ここは有名な絶景の一つ。ここを見る事が行楽の目的でもあるのよ」
アードラーが説明してくれる。
「そうなんだ」
「この川は西南の方角へ流れていて、西の隣国に続いているのよ。流されたら国境を越えちゃうかもしれないから、落ちないようにね」
「ははは、気をつけないとね」
そんな事にはならないよー。
と心の中で考えながら笑い返す。
ふと前へ目をやる。
カナリオが、つり橋のロープに手をかけて下を覗き込んでいた。
きっとこの景色はパワースポットみたいなもんだ。
この自然の力強い景色を見て、少しでも元気になってくれればいいな……。
なんて思っていた時だ。
カナリオの右手が、ロープを持つ手から滑り落ちた。
バランスを崩し、そのままロープの間へ体を落とす。
その先は、橋の外だ。
私はその光景を目の当たりにし、彼女へ向けて全速力で走る。
橋桁が一枚割れたけど、幸いその橋桁に乗っている人間はいなかった。
「「クロエ!?」」
アルディリアとアードラーの驚く声。
それを耳にしながらカナリオへ走る。
けれど、私が彼女の所へ向かった時にはすでに、カナリオの体は橋の下にあった。
体ごと飛び込むように手を伸ばし、何とか彼女の手を取る。
よしっ! 間に合った!
もう片方の手で、橋桁を掴む。
が、掴んだ橋桁が脆くなっており、砕けて折れた。
何の! これくらい、ピンチの内にも入りませんよ!
すぐに橋桁を離して、魔力縄《クロエクロー》を放つ。
魔力縄がロープへ巻き付く。
が、巻き付いたロープが脆くなっており、あえなく千切れてしまった。
何と! 隙を生じぬ二段構えっ!
どこの担当か知らないけど、ちゃんと整備しろぉ!
そんな事を思いながら、私とカナリオは川の流れへと身を投じたのだった。
川の速い流れの中、私はアードラーの話を思い出していた。
このまま流れていくと、西方の隣国へ向かってしまう。
西の隣国は友好国だが、勝手に入ると面倒な事になるだろう。
戻るのも苦労しそうだ。
そう思って、私はカナリオと手を繋ぎながら泳いでなんとか川岸へ辿り着く事ができた。
それでも片手で泳ぐ事は大変で、泳ぎ始めてから上陸までかなり時間がかかってしまった。
そして上陸した岸から見える光景は、生い茂った木々ばかり。
深い森が広がっていた。
多分、国境を越える前に川から出られたと思う。
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