気付いたら、豪傑系悪役令嬢になっていた SE

8D

九十一話 一転攻勢

 私が、王子と一緒に廊下を歩いていた時の事だ。

 ばったりと、カナリオに遭遇した。

 驚く王子と口元へ手を当てて身を強張らせるカナリオ。

「カナリオ」
「リオン、様……」

 王子は一歩近付き、カナリオは同時に一歩引いた。

 カナリオは、あからさまに王子を拒絶していた。
 態度と表情からそれはよくわかった。

「ごめんなさいっ……王子!」

 踵を返し、カナリオは走り去る。

「待ってくれ!」

 追おうとする王子、だったが……。
 すぐに足を止めた。

「追わなくていいんですか?」
「追った所で、どうすればいい?」

 王子は、苦しげな表情と声で問い返してくる。

 確かに、カナリオが避けているのなら無理に追わない方がいいかもしれない。
 王子自身、彼女を追ってどうすればいいのかわからないのだろう。

 でも、カナリオはどうして王子を避けているんだろうか?



 数日後、その日も私は王子と一緒に二階の廊下を歩いていた。
 そんな時、ふと窓から中庭を見る。
 すると、中庭のベンチに座るカナリオとムルシエラ先輩の姿を見つけた。

「王子」
「何だ?」
「お腹が空きました。アンパン買ってきてください」
「アンパン? なんだそれは?」

 そういえばこの国にはなかったっけ。
 酒種のパンもなければ、そもそもあんこがない。

「じゃあ、購買部で適当なサンドイッチをお願いします」
「何故私が?」
「陛下から王子への無礼を許されているので、たまには無礼な事をしておこうかと」
「罰として甘んじて受けておこう」

 王子は渋々ながら、購買へ向かった。
 その間に、私は中庭へ向かう。

 王子がいたら、また逃げられるかもしれないからね。
 王子を避ける理由を聞き出すならば、私一人で行った方がいいだろう。

 中庭へ辿り着くと、二人は何やら話しこんでいた。
 カナリオの表情は暗く、何か重大な悩み事の相談をしているようだった。

 彼女の家には、悩み事があると男の娘に相談しろという家訓でもあるのだろうか?
 それなら、女子に相談してもいいと思うのだが。
 私とか。

 私じゃなくても、他に何人かいる。
 昼食会に集う悪役令嬢《とも》達が……。
 もしかしたら、私やアードラーがゲーム補正によってカナリオへ苦手意識を持っているように、カナリオも悪役令嬢へ苦手意識を持っているのかもしれないな。

「何をしている?」

 カナリオに声をかけると、言葉が固くなった。
 ゲーム補正のせいである。

 カナリオは顔を上げて私を見た。

「クロエ様……」

 私の名を呼んでから、辺りを見回す。
 一緒に王子がいるかもしれないと思ったのだろう。

「ムルシエラ先輩に、相談事がありまして」
「そうか。聞いてもよい内容か?」
「……はい。リオン様の事を、少し」

 少し迷いながら、カナリオは答えてくれる。

「なら丁度良い。私にも王子の事で貴様に聞きたい事がある。何故、王子を避けているのだ?」

 カナリオは表情を強張らせた。
 一つ息を吐き、私の顔をまっすぐ見据える。
 決心を固めたのだろう。

「内密に、していただけますか?」
「無論だ」
「わかりました。お答えします」

 カナリオが語った理由は、とても単純な事だった。

「私と一緒になれば、王子は王になれません。私のために、王子が不幸になるのは耐えられないのです」

 カナリオは、王子のためを思って身を引いていたのだ。

「ムルシエラ先輩に相談していたのもその事か?」

 カナリオは頷く。

「私は、王子から身を退こうと思っています。でも、一緒にいたい気持ちが消えなくて……。ふとしたきっかけで、会いに行きたくなってしまうんです。この前も、実際に会って声を聞いて、気持ちを振り払うのが辛かった」

 この前、私が一緒にいた時の事か。

「次に会えば、私は王子の言葉を振り切れない。呼び止められれば、そのまま動けない気がして……。そんな気持ちを振り払うにはどうすればいいか、どんな心の持ち方をすればいいのか、先輩に相談していたんです」

 ああ、それなら人選は間違っていないかもしれない。
 私達の中でもムルシエラ先輩は一番年上。
 外交の仕事などで人との接し方は熟知している。
 経験豊富で頼りになりそうだ。

 好きな人間にも、嫌いな人間にも、分け隔てない接し方をせねばならない仕事だろうから、心の御し方についても良いアドバイスをくれそうだ。

「その事なのですが」

 先輩が口を開く。

「一つ、よい方法がありますよ」
「本当ですか?」
「ええ。いとも容易く、そしてとても効果的な方法です。これを実行すれば、カナリオさんは王子のそばにいる事を我慢しなくてもよくなりますし、王子が継承権を剥奪される心配もありません」
「それは、何ですか?」

 カナリオは希望に目を輝かせ、先輩の答えを促す。

「そうですね。クロエさんもいる事ですし、丁度いいかもしれませんね」

 ムルシエラ先輩が一度私を見た。
 その目には、妖しい輝きが宿っている。
 作る表情も相まって、その時の先輩にはどこか艶っぽい印象があった。

 そして次に、ムルシエラ先輩はおもむろにカナリオを自分へ引き寄せた。
 顔を近づけ、告げる。

「カナリオさん。私の妻になってくれませんか?」

 私もカナリオも、思わぬ事に言葉を失った。

 無意識の内に組まれていた私の腕がポロリと解けそうになり、思わず腕を戻す。

 何でこんな事になってんの?

「え……?」

 遅れて、カナリオが小さく声を漏らす。

「冗談……ですよね?」
「本気です」

 にっこりと笑って答える先輩。

 カナリオの顔が動揺で面白い事になった。

「どうして!?」
「私は仕事柄、よく王城へ行きます。
 妻になれば、一緒に上がる事はできますよ。王子に会う機会は多いでしょう。
 でも、人妻ですからね。王子といえども、手は出せない。
 結婚できないから、継承権を放棄する心配はない。
 それに他人の妻であるという自覚を持てば、王子の気持ちに抗いやすくなる。
 ほら、いい考えでしょう?」

 本当にそうか?
 と思うのだが……。
 カナリオはそれどころじゃない様子だった。

 さりげなく手を強く握られ、気付けばさっきよりも体を密着させられている。
 先輩の美貌が限りなく自分の顔と近い位置にある。
 顔は真っ赤だ。

「で、でも、私の勝手な気持ちのために、先輩に好きでもない相手と結婚させるわけには……」
「こうまでしても、わからないんですか? 私はずっと――」

 先輩は、最後の一語をカナリオの耳元で囁く。
 多分「好きだったんですよ」とかそんな感じの事だろう。

「だ、ダメです!」

 カナリオは突然、ムルシエラ先輩を突き飛ばす。
 そして、逃げるように走り去って行った。

 後には、ベンチに倒れた先輩と私だけが残された。

「強引過ぎますよ、先輩」
「でも、心は揺さぶれたでしょう? きっと、彼女は私を今後異性として意識するようになる」

 先輩は悪びれる様子もなく、笑顔すら浮かべてベンチへ座りなおした。

「大事なのは意識。そして、利点と機です。彼女は王子との関係に悩んでいた。私はそんな彼女に私と伴侶となる事の利点を教えた。少なくとも、一考する余地はできました。それに、心を揺らしている今なら、私にも付け込む余地があると思いませんか?」

 自分に好意を持つ異性であるという意識。
 先輩の妻になれば王子のためになるという利点。
 そして、心の不安定な時に攻勢を仕掛ける機。

 これが、外交に携わる人間の交渉戦略という物なのだろうか?

 そうそう。
 そういえばこんな感じだったな。
 ルートに入った時のムルシエラ先輩。

 強気で、とっても強引なのだ。

「クロエさん。私は本気ですから」

 どうして私に念を押す?

 いいえ、わかってます。
 王子に伝えろというのですね?

 今のやりとりは、王子に対しての牽制でもあるのだろう。

 自分にカナリオを譲れば、あなたは王の地位を約束されますよ。
 だからカナリオは諦めてはいかがです?

 そういう牽制だ。

「カナリオには内密に、と言われていますが?」
「じゃあ伝えなくて、いつの間にか取られているなんて事になってもいいんですか?」

 そっちの方が先輩にとって都合がいいはずなのに、どうしてわざわざそんな事を言うのだろうか?
 牽制をした方が、都合がいいという判断なのかもしれない。

 でも、そんな事を言われると黙っているのも王子に気の毒だ。

 正直に言えば、私はカナリオがアルディリアのルートにさえ入らなければどちらとくっついても構わないのだが……。

 でも、最近はちょっと王子を応援したい気も……。
 でも、ムルシエラ先輩には何度もお世話になっているし……。

 どっちかを選べなんて、私にはできない。 
 これが三角関係に悩まされるヒロインの気持ちだろうか?

 いやでも、カナリオを諦めれば王様にはなれるから、王子にとってはどちらも悪くない選択なのだ。

 王子にとってはどちらが幸せかわからない以上、結局は伝えるべきなんだろうな。

 そして王子がカナリオより王位を選んだ場合、その時点でムルシエラ先輩にとっての邪魔者はいなくなるわけだ。

 なるほど。
 こっちの方がハイリスク・ハイリターンなわけだ。
 ギャンブラーだな、先輩。

 しかし、なんだかムルシエラ先輩に全部仕組まれていたみたいに思えてしまう。

 はぁ、どうしよう……。



 こうして、攻略対象としてのムルシエラ先輩が、突如としてカナリオへと牙を剥いたのである。

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