気付いたら、豪傑系悪役令嬢になっていた SE

8D

七十九話 クロエ、押し通る

 ちょっとしたアクシデントもあったが、私はマリノー、アルエットちゃんの二人と一緒にそれからも買い物を続けた。

 マリノーが真剣に素材の目利きをする中、そんな彼女の様子をアルエットちゃんと一緒に見守る。

 事、料理の事となるとマリノーの表情は変わる。
 材料を射抜く眼差しは、それこそ穴が空きそうな程に鋭い。

「他には無いのですか?」

 チキンライスに入れる鶏肉を選んでいた彼女は、店に並ぶ鶏肉を吟味した後、店主へそう訊ねた。

「これで全部だ」
「そうですか。行きましょう、クロエさん」
「おい、何が不満なんだ?」

 店から離れようとするマリノーを店主が呼び止める。
 マリノーは振り向いて、答えた。

「肉の色、血の色、臭い、弾力、どれもダメです」
「何だと!? 俺の店の品にケチつけるのか!」

 怒鳴る店主。
 彼に対して、マリノーはズイッと顔を近づけた。
 唐突に顔を近づけられ、店主は怯んでたじろぐ。

「絞めてから時間が経っていますし、血抜きも怠りましたね? 羽根の抜き方も雑。バラす時に小腸も傷つけてしまいましたね。あと、大きさを誤魔化すために水へ漬け置きもしましたか?」

 そう訊ねる彼女の目は、深淵を思わせる闇を湛えていた。

 ぞくっとした。
 私の腹筋へダイレクトアタックを仕掛けてきた時と同じ表情、同じ雰囲気だ。

「な、そ、そんな事は……」
「私、そういういい加減な人間がすごく嫌いなんですよ。それこそ、そんな人間がこの世からいなくなればいいと思ってしまうくらいに嫌いなんです」
「そそ、そうか。す、すまねぇな」

 気圧されたのか、完全に店主の威勢は失せ、今や怯えにも似た表情になっていた。
 そんな彼に、マリノーは笑みを向ける。

「じゃあ、行きましょうか。クロエさん」

 それから何事もなく、マリノーは踵を返した。
 そうして私へ向けた表情は普段通りのマリノーだ。
 彼女は私の隣を通り過ぎ、先頭を切って歩き出す。
 私はアルエットちゃんと二人、その後へ続くように歩き出した。

「びっくりした……」
「マリノーお姉ちゃん、材料選ぶ時はいつもあんなだよ」

 アルエットちゃんが答える。

 マジで?

「でも、今日は普通だったけど、怒ったらおっぱいの間からナイフ出して怒るよ」

 え、あのキッチンナイフ、標準装備になってるの?
 さっき絡まれた時に出せばよかったのに。

 いや、まぁ下手に出して刺激するのもよくないから、やっぱり出さなくて正解だったか。

 彼女のヤンデレ衝動は完全に封じられたと思っていたが、こんな形で表面化しているとは思わなかった。
 さっきの彼女には、般若を見たよ。

 般若……ナイフ使い……う、頭が……。



 買い物が終わり、日が傾き始めた頃。
 市の店も大半が片付けられ、人通りも少なくなっていた。
 私とマリノーは、まばらになった道路をアルエットちゃんと手を繋いで歩いていた。
 アルエットちゃんはもうおねむらしく、瞼が半分閉じている。
 両手を繋いだ私達に引かれるままに歩みを進めていた。

「ありがとうございます」

 そんな時、マリノーが唐突に礼を言った。

「あいつらを追っ払った事?」

 礼の理由は、それぐらいしか思いつかなかった。

「それもそうです。でも、また別の事です。あの時の私は、あの人と今みたいな近しい関係になれるなんて、思ってもいませんでした」

 それは、ティグリス先生の事だろうか?

「多分あなたがいなければ、今でも気持ちを伝えられず、遠くから見ているだけだったでしょう。いえ、きっとそれか先もずっと気持ちを秘めていたかもしれません。だから、改めてお礼を言いたかったんです」

 マリノーが私を見た。
 立ち止まる。
 そして、笑った。

「ありがとうございます。あなたのおかげで勇気を持てました」

 そんな事は無い。
 マリノーは自分が思っている以上に強い人間だよ。

 マリノーは知らないでしょう?
 ゲームでの君は、しっかりとティグリス先生の心を掴んだんだよ。
 たった一人で。
 時間はかかったのかもしれないけれど、マリノーはちゃんと勇気を持っているんだ。

 だから私は返事をしなかった。
 ただ、笑みだけを返した。

 そんな時だった。

 私の手を握り返していた、アルエットちゃんの手が重みを増した。
 ついに眠ってしまったのかな?
 そう思ってアルエットちゃんを見下ろす。

 すると、アルエットちゃんは膝を折ってうな垂れていた。
 そして、私の手が痛いほどの力で握り返される。
 アルエットちゃんはマリノーの手を離すと、自分の胸元へ手をやった。

「アルエットちゃん?」
「あ……か……あ……」

 返事にならない、言葉にすらならない、ただ呼吸に雑音が混ざっただけのような声がアルエットちゃんの口から漏れた。

 ふと気付き、私はアルエットちゃんを抱き寄せた。
 顔を見る。
 アルエットちゃんは、零れんばかりに目を大きく開き、半開きの口から涎を垂らしていた。

 安らかさとは対極にあるような表情だ。
 私の手を握る力が、一層に強くなる。
 いや、もはやアルエットちゃんには意識が残っているように見えなかった。
 それは握っていると言うよりも、痙攣によって起こる筋肉の収縮だ。

 死んでしまう……。
 そう思ってしまう程の苦しみ様だった。

 これは、発作だ。
 瞬時に悟る。

「アルエットちゃん……っ」

 あまりの事にマリノーが口元へ手をやり、驚愕に目を見開いていた。
 悪いけどマリノー、驚くのは後だよ。

「マリノー、このあたりにお医者さんの家か病院ってない?」
「わ、わかりません」

 この辺りの医療施設が解からないなら、闇雲に探すよりも自分の知っている中で最短距離の医療施設を探した方が早い。

 とはいえ、知っているのは一つだけ。
 貴族街にある貴族向けの医院だ。

 この市場からは、それなりの距離がある。
 間にはスラム街もあり、普段なら迂回していくべき所だ。

 でも、スラム街を突っ切り、なおかつ私が本気で走れば五分かからずに到着できる。

「マリノー、貴族街の医院に連れて行く。私はこれから全力で走るから、馬車でも呼んで後から来て」
「私も一緒に行きます! ちゃんとついて行きます」

 多分無理だよ。
 でも、説得している時間も惜しい。

「わかった。じゃあ、マリノーにもついて来てもらう」
「え、あ、ちょっと!」

 私はアルエットちゃんを左腕で抱き上げ、マリノーを右肩に担いだ。

「落とすつもりはないけど、一応捕まってて。行くよ!」
「は、はい」

 戸惑いながら、マリノーは返事をした。
 私はそれを合図に走り出した。



 私は人の合間を縫いながら、医院を目指して走った。
 市のある区画を走り抜け、スラム街へ差し掛かる。
 アルエットちゃんもマリノーも軽い。
 それほど負担にはならなかった。
 これならば思っていたよりも早く、医院へ着きそうだった。

 そうしてスラム街の半ばまで来た時だ。

 私達は十数人の男達と鉢合わせた。

 道を塞ぐように、大人数で歩いていた男達。
 その先頭を歩いていた男が、私に声をかけた。

「よぉ、偶然だな。都合がいいぜ。ちょうど、今から探しに行こうと思ってたんだ」

 そう言って立ち塞がったのは、昼間マリノーに絡んでいた男の一人だった。
 ナイフを持っていた男だ。

「言ったろう? 俺はヤクザ者だ。素人に嘗められるわけにゃいかないんだよ。だからこれが、俺達ブランカ一家にたてついた報いって奴だぜ」

 その男の仲間であろう、十数人の男達は私の前に立ち塞がる。
 きっとブランカ一家なる組織の構成員だろう。

 意趣返しが目的か……。
 こんな時に……。

 アルエットちゃんは今、小康状態だ。
 呼吸は荒いが、まだ落ち着いている。

 だがそれも一時的な物だ。
 断続的に発作が起こる。
 その度に、アルエットちゃんは苦しそうに痙攣する。

 また彼女が発作を起こす前に、一刻も早く医院へ連れて行きたかった。

 私は焦りから歯を強く噛締めた。

 男達を見る。
 突破……できないな。
 二人を抱えたまま行くのは危険だ。
 腕で防ぐ事もできないし、もし掴みかかられて転びでもしたら二人もただではすまない。
 なら、いっそ……。

 私はマリノーを下ろした。

「クロエさん?」
「ちょっとの間、アルエットちゃんをお願い……」

 私はアルエットちゃんをマリノーに預け、二人を庇うように前へ出た。

「ずいぶんと急いでるみたいだな。顔に書いてるぜ。でもよぉ、俺達はお前みたいに穏便な解決を望んじゃいねぇからな。見逃してはやれねぇぜ」

 愉悦交じりの笑みを男は私に向けた。
 私はその男を睨みつけ、答える。

「こっちもそのつもりだ。問答する気はないし、手加減するつもりもない」
「あ? 何が言いてぇんだ?」

 男は怪訝な顔で訊ねる。
 私はそんな男と、その後ろに控える十数人の男達を睨みつけた。

「死にたくなかったら、さっさと退《ど》けと言っているんだッッッ!」

 そして相手を威嚇するように、大きく吼えた。



 最後に残った、昼間の男の頭を片手で掴んで持ち上げる。
 私の周りには、顔が血まみれになっていたり、顔が原型を留めていなかったり、関節が変な方向に曲がったりした十数人の男達の姿があった。

「ぎぎ、や、やめ、ぐああ……」

 掴み締め付けた男の頭蓋骨が、ミシミシと音を立てる。
 このまま潰すか……。

 いや、やめておこう。

 思い留まる。
 男の頭を地面へ投げつけ、その後頭部を踏みつけた。
 男が意識を失う。

 三分程度、時間のロスだ。

「マリノー」

 私が呼ぶと、呆気にとられていたマリノーが我に返る。

「はい」

 私は再び二人を抱き、医院への道を走り出した。

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