気付いたら、豪傑系悪役令嬢になっていた SE

8D

閑話 魅力的な恐怖

 俺が目を覚ますと、辺りはまっくらになっていた。
 場所は、俺の部屋だ。
 暗かろうとも、目は夜の闇に慣れていた。
 間違えるはずもない。

 少し混乱する。
 眠った記憶はない。
 なのに何故、俺は自室にいるのか?
 それもこんな夜中に目を覚ますなんて、おかしな話じゃないか。

 何故こうなったのか、記憶を探る。
 そして、思い出した。

 クロエ・ビッテンフェルト。
 あの女だ。
 俺はあの女に勝負を挑み、そして……。

「う……」

 記憶の中にある、殴りかかってくるあの女の凄まじい形相が俺に恐れを懐かせた。
 その形相と共に、凄まじい速さで飛んでくる痛み。
 あの表情は、怒り……いや、笑みだった……。
 弱者をいたぶる愉悦ではなく、ただ純粋に戦う事が楽しくて仕方ない。
 そんな笑みだった。

 俺は、父上の言葉を実感する思いだった。
 ビッテンフェルトは恐ろしい。
 まさしく、父上の言った通りだった。

 しかし……。

「殿下」

 不意に、闇の中から声がした。

「影の者か……」

 影とは、このサハスラータの抱える諜報組織の呼び名だ。
 正式な名称は無い。
 他国にもその存在は周知の事実であろうが、正式には存在しない組織だからだ。
 俺はそのいないはずの者達と個人的な繋がりを持っていた。

 父上の権限には到底及ばないだろうが、融通を利かせてもらえる程度には友好的な関係を築いていた。
 そしていずれは、父上の権限以上に彼らと親しくなるつもりだ。

「何用だ?」

 姿の見えぬ相手に、俺は訊ね返す。

「クロエ・ビッテンフェルト。いかがいたしましょう?」

 要点はぼかしている。
 が、どういう意図で訊ねたのか、俺にはすぐ察しがついた。

 殺すか否か、という事だろう。
 俺に屈辱を与えた相手だ。
 それを慮って伺ったのだろう。

「構わぬ。捨て置け」

 王族に手を出したのだ。
 影に命じずとも、抗議すれば何かしらの処分はできよう。
 だが、俺にはそれをするつもりすらなかった。

「むしろ、そのようなもったいない事は絶対にせんさ」
「勿体無い、とは?」

 俺の口から、自然と笑みが漏れた。
 俺が横たわっていたベッドのそば、窓から空を見上げる。
 鋭利に尖った月が見えた。

「お前にはわからぬ事だ。それより、国衛院という組織を知っているか?」

 訊ねると、影はしばし黙り込む。そして、口を開いた。

「アールネスの秩序を守護する組織。諜報機関としての側面も持っている組織です。他国と比べても、その水準は高く、恐らくは我らと互角かそれ以上の力を持っております」
「らしいな。聞いた話によれば、なんとも面白い組織だそうじゃないか」
「と、言いますと?」
「何でも、国内の有力な貴族を敵として見立て、その対応策を前もって立てているという。まだ敵になる予兆すらないのに、なんとも用心深く愚直なまでに勤勉な組織だな。ある意味、狂っている」
「そうですな。だからこそ、手ごわいと言えます。その国衛院が如何いたしました?」
「お前達は、その国衛院に忍び込む事ができるか?」

 影の、息を呑む気配が伝わってきた。

「忍び込んで、如何します?」
「出来るのか? 出来ないのか?」
「難しいでしょう。ですが、できるからこそ、そうお訊ねしたのです」

 なるほど。
 答える手間を省き、すぐに用件をうかがったわけだ。
 頼もしい事だ。

「ならば、一つ探ってきてもらいたい物がある」
「は、御心のままに」
「ふふふ」



 翌日の早朝。
 俺はアールネスの一行を見送った。

「なかなかに面白かったぞ」

 俺が言うと、クロエ・ビッテンフェルトは面食らった顔を見せた。
 なんとも間の抜けた顔だ。
 戦いの形相を思えば、何とも表情豊かな女だ。
 かと思えば、すぐに表情を笑みに変えた。
 本当によく、表情の変わる女だ。

 最初は男のようだと思ったが笑顔を見ると、なるほど女にしか見えない。

「それはよかったです。……約束、守ってくれてありがとうございます」

 なんともまぁ、だらしない表情だ事で。
 そんな無警戒な顔で言われると、少し意地悪をしたくなる。

「約束? お前が俺に加えた暴力行為の数々を黙っていた事か? それとも、お前の面白おかしい家族交流を黙っていた事か?」

 思わず息を呑む程に険しい表情で睨まれた。
 昨日の恐怖が一瞬思い起こされた。

「おっと、そう睨むな」

 しかし、からかいがいのある奴だ。
 やっぱり面白いな、この女は。

「また会う時を楽しみにしているぞ。ふふふ」

 少し呆気に取られた顔をしてから、クロエ・ビッテンフェルトは満面の笑みを浮かべた。

「また、機会があれば」

 心底から楽しそうな笑顔で、クロエ・ビッテンフェルトはそう言った。


 ビッテンフェルト。
 まさか、この俺の思い通りにならない女がいたとはな……。
 それだけでも愉快だと言うのに、あの女はそれ以上の価値を持っている。

 ビッテンフェルトは恐ろしい。
 俺は恐らく、あの時の恐怖を忘れる事ができないだろう。
 しかし、倦怠も退屈も、その時には一切俺を苛む事がなかった。
 あの女の事を思い出すだけで、俺の心はその苦痛を忘れられたのだ。

 あのような女がそばにいるならば、きっと俺は人生に退屈せずに済むのではないか。
 そう思えてならなかった。

「お前を思うと、屈辱的な気分に心が彩られる。この屈辱は、私の倦怠に彩られた人生を楽しさで染めてくれるだろうか?」

 俺はほのかな期待を込めて、彼女を見送った。

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