気付いたら、豪傑系悪役令嬢になっていた SE

8D

閑話 心の隙間を埋めるもの 後編

 クロエは私と違って、人と関わる事がとても得意なようだった。

 フカールエル家の令嬢、グラン教諭とその娘さん、それに諸々の貴族子息令嬢と交友を持っている。
 それにあの平民女とも交友関係を築いているらしかった。

 クロエが私以外の人間と仲良くする様子には、色々とやきもきしてしまう。
 人の交友関係に口出しをする事はお門違いだが、それでも私の狭い心は不満を覚えていた。

 そんな気持ちを押し込めてなんとか私は過ごしていたのだが、ある日そんな不満は度を越えてしまったようだ。



 事件があったのは、中庭で平民女と話すクロエを見た時だった。
 アルディリアもいたけれど、その時はどうでもよかった。
 私はクロエと平民女の間に割り込んで座る。
 隣り合って座られるのが嫌だったから。

「それで、何の話をしていたのよ?」

 私は問う。

「ちょっと言えないかな」

 けれど、返ってきたのはそんな言葉だ。

 私に言えない話?
 二人だけで?
 アルディリアは知っているの?

 そう思って見れば、彼も苦笑している。
 恐らく、知っているのだろう。

「そう、私だけのけものなわけね……」

 チクリと、心に何かが突き刺さる。
 黒く鋭い何かだ。

 とても不愉快な気分だった。
 今にも、私は平民女を怒鳴りつけたい衝動に駆られる。
 それでも、彼女はクロエの友達だ。
 この苛立たしさをぶつければ、クロエを困らせてしまうだろう。

「ねぇ、あなた」

 クロエが何やら考え込み始めたので、私は平民女に声をかけた。

「は、はい」

 声をかけられて、平民女は緊張した声を出す。

「あなた、クロエとどこで知り合ったのよ」

 彼女は私の知らない内にクロエと交友関係を結んでいたので、いつそうなったのか気になった。

「え、えーと、確か入学式の日ですね」

 ……私より先に知り合っていたのね。
 そういえば、私がこの女と知り合ったのも入学式だった。
 あの時は王子と一緒にいる所を見かけて、罵詈雑言をぶつけてしまったのだ。

「どうやって、知り合ったのよ?」
「アルディリア様と話をしている時に、声をかけてくださいました」
「ふぅん」

 そう……クロエの方から声をかけたのね。
 クロエは社交的な性格をしている。
 仲良くなろうと思えば、誰とでも仲良くする人間だ。

 威圧的な雰囲気を持っているが、その性格は柔和でとっつきやすい。
 物腰も丁寧な方だ。

「よく遊んだりしているのかしら?」
「遊ぶ、という事はないのですが、交流はよくあります。選択の授業でも一緒になって、その時には顔を合わせますね」

 そう言って、彼女はクロエの事を語る。
 舞踏や両親から絶対に取るように言われている教養関係の選択授業があり、その都合でクロエと一緒になれない時間の授業の話だ。

 私の知らないクロエをこの女は知っていた。
 それを屈託の無い表情で語る彼女。
 クロエの良い所を語る彼女からは、純粋なクロエへの好意が滲み出ているようだった。

 きっと私では、こんなに純粋な気持ちを誰かへ伝える事はできない。
 私はそんな彼女を妬ましく思った。

 私の心に刺さった物が、少し大きくなった気がした。

 彼女は善良な人間なんだろう。
 素直で、人をひきつける魅力を持っているのだろう。
 私とは大違いだ。

 友人として付き合うのならば、誰もが彼女の方がいいと言うだろう。

 きっとそれは、クロエだって同じ。
 私なんかよりも、彼女の方が余程魅力的な人間なのだから。

 嬉しそうにクロエを語る彼女が、私には酷く気に障った。
 この女はまた、私から大事な関係を取り上げてしまおうとしているに違いない。
 そんな被害妄想じみた考えが浮かぶと、私の苛立ちは頂点に達した。

「平民が、ちょっと見ない間に大きな顔をするようになったわね」

 気付けば私は、そんな言葉を彼女に投げていた。
 それからはもう言葉を留められなかった。
 女を攻撃する言葉が止め処なく溢れ出てきた。
 罵倒をあびせ続けた。

 気に入らなかった。
 いいえ、気に入らないだけではなかった。
 私からたった一人の友達を奪おうとする彼女が恐ろしかった。
 排斥してしまいたいと思ってしまった。

「この場に相応しくないのは、公衆の面前で人を貶す君のような人間ではないのか?」

 そんな時、そう言って現れたのはリオン王子だった。
 彼は平民女を庇い、そして愛を語った。
 そんな事は私にとってどうでもよかった。
 そんな物よりも、衝撃が強かったのは彼の最後の言葉だ。

「カナリオを自らの狭量さで糾弾し、心のおぞましさを見せ付けるそなたに誰が心を開くと思うのだ? そなたに寄る者は、決してそなたを愛しているわけではない。そなたの地位とそれの生む利を得るために寄っているに過ぎない。顧みるがいい。そなたの行いは、心を寄せる余地もない」

 顧みるがいい。

 王子のその言葉に、私はハッとなった。
 思わず、クロエへ振り返った。
 クロエと目が合う。

 彼女が何を考えているのか、私にはわからない。
 けれど、私は彼女に今の自分を見られていた事が気にかかった。

 激情のままに、自分の嫉妬から人を責め立てる醜い自分を見られてしまった。

 そんな姿を見て、彼女はどう思っただろう。

 きっと、こんな私を見て、彼女は私を嫌いになってしまったに違いない。
 軽蔑したに違いない。
 そう思うと、私はその場から離れざるを得なかった。

 校舎裏へ向かおうとして、すぐに行き先を変えた。
 そこではない、どこか別の人目の少ない場所を探した。
 そして、屋上の片隅で私は蹲った。

 いつもの校舎裏だったら、クロエが追いかけてくるかもしれない。

 けれど、私が校舎裏へ行かなかったのは、いつもの場所にいても追いかけてこないかもしれないと思ったからだ。
 もし、彼女も知る私の逃げ場所へ逃れても、彼女が追いかけてきてくれないという事態が私には恐ろしかった。

 それはクロエが私の事を嫌いになって、私を見捨ててしまったという事に他ならないのだから。
 だから私は、普段通りの校舎裏へ行く事ができなかった。

 それ以来私は、クロエに会えなくなった。
 もし会ってしまえば、クロエに別れを告げられるのではないかと怖かったからだ。

 君には幻滅した。
 そう言われるのが怖かった。

 だから私は徹底的に彼女を避けた。
 闘技の鍛錬にも行かなくなり、舞踏の練習のために当家へ訪れた彼女も追い返した。
 学園でも話しかけられる前に、彼女の前から逃げた。

 そういう日々を過ごし、国王の主催する舞踏会の日になった。

 欠席してしまいたいと思ったが、私には一応リオン王子の婚約者という肩書きがある。
 如何に王子があの平民女を愛していても、身分の問題がある限り私がその肩書きから逃れる事はできない。

 表面上、義務のように贈られてきた王子からの招待状を受け、私は舞踏会に出席した。
 まぁ、実際に王子と踊る事はないのでしょうが。

 そう思った通り、王子が私をダンスへ誘う事はなかった。
 王子は今、別口で誘ったあの女と仲睦まじげに踊っている。
 その様を見ても私は、不満を覚える事はなかった。
 もう、私の中に王子へのこだわりはないのだから。

 予想はしていた事だが、舞踏会ではクロエが私を見つけて近付いてきた。
 例によって、私は彼女から逃げた。
 予想していた事なので、事前に辺りを警戒していたため何とか察知して逃げ出す事ができた。

 クロエとアルディリアが追いかけてくるのを、私は時に人ごみを利用して逃げ、時に隠れ見て、複雑な場内の地理を利用し、何とかかわした。

 そうしていると、いつの間にかクロエが追ってこなくなった。
 それどころか、ホールから姿を消してしまった。
 追ってこない方が都合はいいはずなのに、実際に追ってこなくなると言い知れぬ寂しさが胸中に広がる。

 逃げていたのは自分のはずなのに……。
 もう、私などどうでもいいのだな、と悲しくなってしまった。

 そうして顔を俯けた時だ。
 私の前に誰かが立った。
 顔をあげる。

 仮面に覆われた顔がそこにあった。
 顔を隠しているけれど、私にはすぐにそれが誰なのかわかった。

 逃げる暇もなく、私の手が掴まれる。

「あなたは……」

 クロエ……。

「踊っていただけますか?」

 一言、彼女が問う。
 あえて作られた低い声だ。

「……わかったわ」

 こうまでされてしまったら、逃げられない。
 私は覚悟を決めた。

 何を言われるだろうか?
 やはり、別れを告げられるのだろうか?
 私は恐れにびくびくとしながら、彼女に引かれてダンスフロアへ出る。

 クロエの男性パートにリードされ、私は踊る。
 互いに無言のまま、踊り続ける。
 私は彼女の言葉を待ったが、彼女も何を言えばいいのか考えあぐねているようだった。
 その間、私達は踊りに専念した。

 彼女は踊りがとても上手になった。
 きっと、舞踏と闘技という物には、似通う部分があったのだろう。
 型を覚えて、正確に体を動かすという点では同じだ。

 それに私が直接教えたという事もあって、彼女の踊りは私の動きにとても合っていた。
 ピタリと合わされた体から互いの動きが伝わって、少しの誤差も互いに補うように上手く修正される。
 互いを思い合い、互いを支えあう一体感を私は覚えた。

 今まで私は、舞踏と言っても一人で踊る物ばかりを練習してきた。
 二人で踊る舞踏はあまり得意な方ではなく、そういった機会もなかった。
 だからこそ、こんな感覚は初めてだった。

 二人で踊る舞踏が、こんなにも気分の良い物だとは思わなかった。

 身も心も相手の虜になってしまうような、そんな充足感が私を満たした。

「上手になったわね」

 思わず、私は口を開いていた。
 小さな驚きと逡巡を経て、クロエの言葉が返される。

「アードラーに教えてもらったからね。私は、アードラー以上に踊りの上手い人は知らないよ」
「ありがとう」
「ねぇ」

 私の言葉をきっかけに、クロエが言葉を投げる。

「どうして私達から逃げるの?」
「…………」
「私達の事が信じられなくなった? 嫌いになってしまった?」
「……そんな事、ありえない」

 そう、ありえない事だ。
 これはただ、私が臆病だったという事に過ぎない。
 私こそ、嫌われているかもしれないという事を恐れていた。

 クロエとアルディリア、二人に嫌われているのではないかという恐れが二人に会う事を拒んでいただけの事だ。

 私が答えると、クロエはホッと息を吐いた。

「そうなんだ。だったら、よかった」
「むしろ、あなたはどうなの?」
「何が?」
「私の事……嫌いになったんじゃない?」

 今度は私から問う。
 クロエがその問いを肯定する事を恐ろしく思いながらも、私は問わずにいられなかった。

「何で私がアードラーを嫌うと思うのさ?」

 けれど、何の事かわからないというふうに、クロエは答えた。

「……そう。……わからないのなら、いいわ」
「ふふ」
「何がおかしいの?」
「お互い様だったんだね。私もアードラーも、お互いに嫌われてないか心配だったんだ」

 そう……。
 もしかしたら、クロエも怖かったのかしら?
 私に嫌われる事が……。

「……そうね」
「対等だね。対等の友達だね」
「そうね、対等ね」

 対等な関係。
 私の憧れる友人関係。
 彼女はそれを尊重してくれていて、そんな関係が崩れていないと知れて、私はようやく安堵を覚える事ができた。

 同時に、私の心に突き刺さっていた黒い物が抜け落ちた気がした。

 すると、改めて私と踊る彼女への意識が強くなる。
 私を支える力強い腕と回した先のたくましい背中。
 触れる感覚に、私の心臓がドキドキと高鳴り始めた。
 奇妙な幸福感が私の心を満たす。

 彼女の顔を見上げると、さらに胸が高鳴った。

「クロエ。あなた、カッコイイわね」
「でしょー。たまに男装するのもいいかもしれないね」

 それは正しい解釈なのだけど、少しだけ間違っていた。
 きっと今の姿でなくても、私は彼女をカッコイイと思うだろう。

 そう思い、ふと私は気付いた。

 私の心を埋めた彼女。
 その在り方は、かつて王子へ懐いていた時と同じ。
 でも、きっと今は王子への気持ちがあった時よりも、その割合は大きいのだろう。

 これはきっと、友情じゃないんだわ。
 だって、友達といてこんなに胸がドキドキする事なんてないでしょうから。
 だからきっとこれは……。

 もう少しでダンスが終わる。
 その時間を思うと切なくて、私はギュッとクロエの手を握った。

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