気付いたら、豪傑系悪役令嬢になっていた SE

8D

閑話 心の虚空を埋めるもの 前編

 私にとって他人は、私から離れて行くものだった。
 たとえ間近に見えようとも、触れる事のできないものだった。



 私の名前はアードラー・フェルディウス。
 父は公爵であり、大臣をしている。
 私はそんな父の一人娘だった。

 私には幼少の頃より奇特な性質がある。
 人に対して、自分の気持ちを伝える事、特に好意を伝える事が苦手なのだ。
 いや、苦手という言葉は生ぬるいだろう。
 もはや呪いのように、その性質は私を長く苦しめ続けていた。

 私が初めて友人になりたいと思った子の話だ。
 明るくて、笑顔が素敵な男爵家の令嬢だった。
 分け隔てなく、誰とでも仲良くなれる魅力的な子で、私もその子が好きになって友達になりたいと思った。

 どうすれば仲良くなれるだろう、どうすれば喜んでくれるだろう、と考えを巡らせ、私は彼女に兎のぬいぐるみをプレゼントする事にした。
 そして私はそれを渡す時に言ったのだ。

「男爵家のような位の低い家では、こういった物も買ってもらえないのではないかしら」

 私に侮蔑するつもりはなく、ただ素直に好意を伝える事が恥ずかしくて、口を衝いて出た言葉だった。

 照れ隠しのような物だった。
 けれど、私のその言葉は彼女を深く傷つけた。
 いつも笑顔で、誰にも優しい彼女が怒りのこもった目で私を睨みつけていた。

「馬鹿にしないで!」

 彼女は怒鳴り、渡されたぬいぐるみを私へ投げ返した。
 そして彼女は私から離れていった。

 私は彼女と仲直りがしたくて、何度か会いに行った。
 それでも私は、やっぱり素直になれなかった。
 謝る言葉が出てこなかった。

 それどころか私は、彼女が別の友達と遊んでいるのを見て、その友達を貶すような事を言った。
 厄介な性質だけでなく、私は独占欲と嫉妬心も強かった。

 家を侮辱し、友達すらも貶める人間が好かれるはずはない。
 わかってはいる。
 けれど、私にはおおよそ人に好かれる態度という物がとれなかった。
 ただただ、人を不快にさせる事しかできなかった。

 同じような事を何度か繰り返し――
 そして気付けば、私の近くに人はいなくなっていた。

 あまりにも寂しく、孤独に耐えがたくなった私は思いのたけを両親へ伝えた。
 私がどのような性質に苦しめられているのか、という事を一所懸命に伝えた。
 けれど、両親が私の苦しみを理解してくれる事はなかった。

 全ては私のわがままな性格が原因であり、それを治すように努めろと言われるばかりで、慰めようともしてはくれなかった。

 でも私は、両親の言葉に従った。
 両親は正しいのかもしれないと思い、私はこの性質を押さえ込めるように努めた。
 それらは全て無駄に終わったが……。

 私の孤独は続き……。
 私はもう、これから先ずっと人と関わる事はできないのだろう。
 そういう諦めを懐くようになった。

 そんなある時だ。
 私と第一王子であるリオン様の婚約が決まった。

 親の決めた婚約者という立場だが、その関係に私は光明を見出す思いだった。
 婚約者というものは、私にとっては両親を除いて一番強固な関係だった。
 双方の親、それも王が、一緒にいてもいいと保証してくれる強い関係だった。

 当然のように私は王子に嫌われたが、それでもよかった。
 離れたくても離れられない。
 どんなに嫌われようとも、婚約者はずっと私のそばにいてくれる存在だ。

 それだけで、私は嬉しかった。
 もう私は、孤独ではないのだと思った。

 でも、平穏な日々はそう長く続かなかった。
 王子が、平民の女に恋をしたからだ。



 魔法学園へ入学し、少ししてリオン王子の周りを平民の女が付き纏うようになった。

 いいえ、違う。
 彼女が付き纏っていたわけじゃない。
 あれはきっと、王子が彼女を求めていたからだ。
 それでも私は、その女が目障りでならなかった。

 私と王子は強固な関係を持っている。
 でも、それでも、彼女を見ていると不安だった。
 身分から、彼女が王子と一緒になる事はできない。
 私達の関係を壊す事はできない。

 そのはずなのに、王子と彼女が一緒にいる所を見ると、私はとても不安になった。
 壊す事のできない物をいつか易々と壊してしまうのではないか、と私は恐ろしくなった。

 不安と嫉妬心のない交ぜになった感情が私の中で渦巻き始め、そして私はいつしかその女へ嫌がらせをするようになった。
 嫉妬心の赴くまま、あらゆる手段で彼女を攻撃した。

 時には、彼女を庇う王子にも辛辣な言葉を浴びせてしまった。
 その度に、彼女は私へと反発し、そして王子は私から心を遠ざけていった。

 私はただ、自分の唯一の関係を守りたかっただけ。
 一人になるのが、嫌だっただけなのに……。
 日に日に私の心は、焦燥と不安に押し潰されていった。

 そんな時だった。
 私は、彼女に出会った。

 その日もまた、私はあの女を攻撃した。
 たまたま廊下で鉢合わせ、いつものように罵詈雑言を浴びせかけた。
 正直に言えば、私は身分にも爵位にもこだわりなんて持っていない。

 けれど、その時の私はあの女の身分がこの学園に相応しくないのだともっともらしく説いた。
 それはこの女自身が、その部分に追い目を感じていると気付いていたからだ。

 彼女は平民にしては物のわかる女だ。
 この学園に自分が似つかわしくない事を察している。
 それを悩んですらいるだろう。
 私はそれを知っていて、あえてその弱い部分を狙って攻撃していた。

 だが、その最中で王子が現れ、女を庇う。
 私はそれに嫉妬を覚え、王子にまで失礼な態度を取ってしまった。

 こんな事を言いたいわけじゃないのに……。

 そう思いながらも口にしてしまう。
 幼い頃からずっと、私を苦しめる性質のせいだ。

 私は逃げるようにその場を去った。
 いや、実際に逃げ出したのだ。
 そのまま人目につかない所を探し、校舎裏で蹲った。

 私はいつも、落ち込んだ時はこの場所へ来ていた。
 すると、どこからかリスが寄って来た。
 ここにいると、時折会いにきてくれる子だ。
 私は自分の心を慰めるように、心中を吐露し、艶やかな毛並みを撫でた。

 そんな時だった。

「どーも! アードラー・フェルディウス様! クロエ・ビッテンフェルトです!」

 そう言ってどこからともなく現れたのは、黒い服を着た長身の人物だった。

「きゃっ、誰あなた!」

 急に現れたその人物に、私は悲鳴を上げた。
 その人物に私は目を向ける。
 最初は男性かとも思ったが、よく見れば男性にあるまじき膨らみが胸にあった。

 見た目の印象としては、とても中性的だ。
 声も高すぎず低すぎず、顔つきは男性的にも見えるが女性的な柔らかさもある。
 女性にしては筋肉質で体格が良く男性にしては線が細い。

 そんな女性だった。
 黒い髪がつやつやとして綺麗だ。

 クロエ・ビッテンフェルト。
 そう名乗りを上げた人物。
 私はその名前に聞き覚えがあった。
 母から聞いた話だ。

 確か武家の娘で、毎晩父親に「パパ、だーい好き」と甘えているという……。

 え、この見た目で!?
 とてつもなく似合わない!

 それを指摘すると、クロエは苦しそうに呻いた。

「そうです。笑ってくださってもよろしいのですよ」

 自虐的にそう返される。
 彼女にとって、それを話の引き合いに出されるのはとても辛い事なのだろう。

「……いいえ、人にはそれぞれの事情がありましょう」

 そんな彼女の傷口を広げるような事はしない。
 私は立ち上がって答えた。

「普通に話してくださってもよろしいのですよ?」

 すると彼女は、そんな事を言った。
 何の事なのか、私にはすぐ察しがついた。
 今の私の独白を彼女は目撃していたのだ。
 胸の内が羞恥心でいっぱいになる。

「……何の事かしら?」

 それでも何とか表情を取り繕って答えた。

「まぁ、そう言わず、腹を割って話そうジャン」

 するとクロエは、令嬢にあるまじき砕けた口調で馴れ馴れしく言葉をかけてきた。

「馴れ馴れしいわよ、あなた」

 何なのだろうか、この女は……。
 馬鹿にしているのか?

 いいえ、きっと馬鹿にしているんだわ。
 私の本当の気持ちを知って、からかってやろうとしているんだわ。

 そうよ。
 本心を知られるという事は弱みを見せるという事。
 だから私は、本心を見せられない。
 結局の所、私の性質とは臆病さが原因なのだろう。

 そんな私の弱い部分を知って、突いてくるこの女に私は怒りを覚えた。
 そして気付けば、私は怒鳴り声を上げていた。

「……何よ! 馬鹿みたいだと思ってるんでしょ! 笑いたきゃ笑えばいいじゃない!」

 どうせもう、知られているという気持ちもあった。
 けど何より、人の弱みにつけこむようなこの女が気に入らなかった。
 私は真剣に悩んでいるのだ。

 人から見れば滑稽でも、私は苦しみ続けているのだ。
 そんな部分を攻撃するこの女が気に入らなかった。

 ええ、わかっている。

 それは私も同じ事なのだ。
 私もまた、あの平民の女に対して同じ事をしているのだから。
 それが正しくない事だとわかっていて、それでもやらずにはいられないから苦しいのだ。

 私のこの怒りは、自己嫌悪からのものでもあった。

 馬鹿にされている事が惨めで、自分のあまりの不甲斐無さに、涙が目に溜まり始める。

「いや、笑わないさ」

 彼女が告げる。
 先ほどまでのふざけた様子のない、真剣な声色だった。

「悲しくて泣いている人間を私は笑えない」

 そしてそう続ける。
 それは、私の胸の内を理解しているようなそんな言葉だった。

「ごめんなさい。無遠慮に踏み込み過ぎましたね」

 彼女はそう言うと、背を向けた。

「待って」

 私は彼女を呼び止めていた。

 もしかしたら、この時の私は期待していたのかもしれない。
 彼女は私を理解してくれる人間なのかもしれない、と。
 一緒にいてくれる人間なのかもしれない、と。

 だから私は踏み込んだ。
 自分の中のわだかまりを見せるように、彼女へ自分の弱さを語った。
 彼女はそれを受け止めてくれて、そして私達は友達になった。

 私にとって、彼女は初めての友達だった。



 不思議な物で、彼女との出会いは私の心の中の有り様を変えてしまった。

 私の心の中には、リオン様への大きな気持ちがあった。
 それは彼が私にとって特別な人間だったからだ。
 私にある、唯一の関係であったからだ。

 けれど、クロエという存在が私の中へ入ると、リオン王子への気持ちはすっぽりと抜け落ちてしまったのである。
 あれだけ愛しいと思っていた王子への気持ちが、初めからなかったように消えていた。

 代わりに、その抜け落ちてしまった穴を埋めるように、クロエという人間がすっぽりと納まってしまっていた。
 その時に私は正しく理解した。
 やはり、私の王子への気持ちは関係を求める気持ちが生み出したものだったのだろう。

 でなければ、恋愛関係ではなく友人関係であるクロエが王子の代わりになるはずはない。

 一人になりたくない。
 結局私は、その恐れを消すために王子を手放したくなかっただけなのだ。



 私は彼女と友人という関係になってから、毎日彼女の教室へ足を運ぶようになった。

 そんなある日、先客がいた。
 小柄な、とても可愛らしい子だった。
 その子は妙にクロエと仲が良さそうで、その様子を見るとイライラした。

「あなた誰?」
「え、アルディリア・ラーゼンフォルトです」
「ふぅん。私はアードラー・フェルディウスよ。ちょっと可愛いからって調子に乗らない事ね」
「えっ……?」

 気付けば私は、そんなやり取りを交わしていた。

 そして、後でアルディリアがクロエの婚約者だと知って驚いた。
 女の子だと思っていた……。



 それから私は、クロエから闘技を習うようになった。
 どうしてかと言えば、アルディリアが彼女から闘技を習っているからだ。
 私はそれを彼女に招待された茶会の日に知った。

 私とクロエの接点は学園の中だけでしかなく、その外にあっても交流を深めているアルディリアに私は嫉妬したのだ。
 いつもいつもクロエと一緒にいる、鬱陶しい男だ。

 拒絶されてしまうのではないか? そう思いながらも勇気を出して申し出ると、彼女は嫌な顔一つせず闘技の教授を了承した。

 しかし、その交換条件として提示した、舞踏の教授は拒否された。
 舞踏は、私にとって最も得意とする技術だった。

「それじゃあ、一方的でしょう。あなたに利がありませんわ」

 私は食い下がった。

「別にいいと思いますよ。友達ってのは、そういった損得の部分も友情で補う物だと私は思っておりますから」

 彼女は答える。
 彼女が言うのなら、そういう関係も正しいのかもしれない。
 強い情で関係を維持するという考えに、私は魅力を感じた。
 でも、情だけを頼りに甘える事が私には酷く卑怯に思えた。

「私の考え方とは違いますわ。互いに負い目を作らないから、対等に接する事ができるのだと私は思います」

 与えられるばかりではなく、与え合うもの。
 どちらかが一方的ではなく、あくまでも対等な関係である。
 互いに煩わせないものである。

 友人の関係とは、そういうものだと私はずっと考えていた。
 友達なんて、今まで一度もいた事がないのに……。
 でもだからこそ考えていた。

 一方的な利益はなく、打算もなく、何の負い目もなく、何も互いを縛らない中で、それでも共に有る者。
 一緒に居たいと思い合える関係。
 そういうものに、私は憧れてきた。

「それに、クロエ様はスタイルがいいからきっと舞踏も似合いますわ。女性向けのパートが難しくても、男性向けのパートは馴染むと思いますし……」

 私は何とか彼女を説得したくて言葉を重ねた。

「わかりました。では、それでお願いします。貸し借りなし。私達は対等の関係。それでいいのでしょう?」

 すると、彼女はそう言って応じてくれた。
 そして私は、もう一歩踏み込んだ。
 今までの人との関係に怯えていた自分が嘘のように、その時の私の心は勇気に溢れていた。

「それともう一つ」
「はい。何でしょう?」
「もう少し砕けた口調で話しませんか? ……私達は、対等の友達、なのでしょう?」

 が、言ってみると妙に恥ずかしくなり、勇気が急激に萎えた。
 途中で顔が火照ってしまい、彼女から目をそらしてしまう。
 不安になった。

「わかった。じゃあ、そうしようか。アードラー?」

 でも、彼女が私の名を呼んでくれる。
 私はそれが嬉しくて――

「え、ええ、もちろん、もちろんよ、クロエ」

 彼女の名を呼び返した。
 不安は消えていた。
 そのやり取りで、私は彼女と本当の意味で友達になれた気がした。



 ある日、私の目の前でアルディリアがクロエの胸に飛び込んだ。
 何たる破廉恥であろうか。
 クロエとの模擬戦で気を失い、急に立ち上がった事で起こった立ち眩みのせいだ。

 でも、ちょっと羨ましかった。
 クロエの胸はかなり大きい。
 その谷間に顔を埋めるのはどんな感じなのだろう?
 私はそれが気になった。

 どうしても、実際に体験してみたいと思った。
 多分、そこにはアルディリアへの対抗心もあったのだろう。
 彼だけがその感触を味わった事への不公平さを覚えてしまったのだ。

 私は立ち上がった。
 私も立ち眩む。
 傾く体をアルディリアが受け止めようとした。

 いや、あなたじゃないわ。
 どうあっても私の行く手を阻むつもりなのね?
 思い通りにさせるものですか!

 でも、立ち眩みのせいでうまく動きがコントロールできない。
 避ける事などできない。
 が、ふとその時、私には見えた。
 アルディリアの動きが。
 次の動作がわかり、そして同時にどういう足運びをすればかわせるのか、瞬時に思い浮かんだ。
 実質三歩。一歩をフェイントにして、残りの二歩でアルディリアの横をすり抜ける。
 そして、クロエの胸に飛び込んだ。

 柔らかさと圧が私の頬を優しく包んだ。

 すごい!
 これは想像以上だわ!

 ずっとこのままでいたい気分を押さえ込み、私はすぐに顔を上げた。

「べ、別に、転びたくて転んだわけじゃないんだからね」

 誤魔化すように声を上げる。
 胸の感触が気になってやったなんて知られたら、クロエに嫌われてしまう。

 ち、違うの、ただの知的好奇心と対抗心がそうさせたのよ。
 悪いのはアルディリアよ!

 しかし、恐る恐る見上げた先では、クロエがとても驚いた顔で私を見ていた。

「アードラー、あなた今、何したの?」

 不思議な事を問われる。
 したと事と言えば、アルディリアの横をすり抜けたぐらいだ。
 特に変わった動きはしていなかったと思うのだけど。

「え? 私今、何かしたかしら?」

 結局、何に驚いていたのか、彼女は語らなかった。
 本当に、何に驚いていたのかしら?

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