根っからの暗殺者、ファンタジー世界を往く【凍結】

決事

プロローグ

「ごめん、ごめんね……」
 誰かとベッドに横たわっている。性生活が乱れていたことは否定できないが、酒には強い方だ。昨日の記憶も一から十まで残っている。就寝していようと誰かが同じ寝床に潜り込んできてそれに気付かず寝こけているなんてこともあり得ない。
 だから、この状況はあまりに想像の埒外だった。
 相手は起きているようで、まずはこちらが覚醒したことを悟られないよう様子を見ることにした。
 瞼の間に薄っすらと人の顔が見える。黒々とした射干玉の髪を持った女らしい。しかし、相手が素人だと確認してからバッと目を見開いても視界はぼやけたままで、女の顔の細部までは分からなかった。
 それでも、その泣き腫らした美しい緑眼と、嗚咽を交えたか細い声に見覚えも聞き覚えもないことだけは分かる。職業柄、人を覚えることには自負があったからだ。
「ぁ。あぅあぁ、ぇ?」
 ──喉を震わせて出した誰何はひどく要領の得ないものだった。端的に言えば、喃語である。
 さしもの自分も頭が真っ白になった。おかしい、自分はとうに成人した人間だったはずなのだが……。思い通りにならないふわふわした指先に力を籠めると、柔らかな指と女の手のひらが触れ合った。起き上がろうと勢いをつけて振った脚は、彼女の腹に沈んで止まる。
「ごめんなさい、ほんとうに」
 意識が浮上してから謝り通しの女は、この状況を見るに自分の母親のようだ。だが、この涙ながらの謝罪を聞けば、この後どうなってしまうかなどどんな馬鹿でも分かる。
 そっと、脇の下に汗ばんだ体温の高い女の手が添えられ、持ち上げられた。そのまま布が敷き詰められた籠に入れられる。肌に触れた布は上質な絹らしかった。
「……さようなら」
 籠を抱えて窓枠に乗せる。籠の半分が外に浮き、ふらふらと揺れる。
「ごめんね」
 女は最後にまた謝罪を口にして、とんと籠を押した。

 ──雪がちらちらと降って注いでいる。ここがどこかは分からないが、雪が降るような気候にあって、屋外で野ざらしの赤ん坊が何時間も生きていられるわけがない。せめてもとあの世間知らずの母がかけてくれた布の塊は、艶々すべすべしているだけの見た目重視で、防寒の用途で仕立てられたものではないとすぐに分かった。
 寒い。以前も幼いころに雪の中路地裏でうずくまっていたことがあったが、この年では自分の体を抱えてせめて少しでも暖を……なぞということもできない。
 指先の感覚はもうなかった。
 緩やかに身体の熱が奪われていく。子ども体温は冷えるのも早いのだ。
 何故か降って湧いた二度目の生は一日ともたずに消えゆくようだった。

~*~*~*~*~

 門前払いをされてしまった。
 客観的に見ても自分に否は全くなかったから落ち込むことはない。が、それでも今日の仕事ができずに帰るというのはなんとも虚しいことである。前払いで渡された金貨が腰元の巾着袋の中で音を鳴らす。
 ──数日前にこそこそとやってきた王の使者は、王の愛人の体調を診て欲しいのだと宣った。
 愛人というのはこちらの解釈の話で、実際には“王の大切なヒト”と言っていた。巷で言う側室というやつなのだろうが、庶民で魔女のわたしには麓の飲んだくれが家庭の余所に拵えた愛人と何が違うのか分からないのである。
 まあ、それはそれとして仕事の依頼は有難い。大口も大口の仕事だ。
 今度の新月の晩に城の正門脇にある通用門で彼ともう一度顔を合わせ、報酬をいただく。それから彼の案内で側室サマのお部屋へ。診たらその後はお引き取りを。
 何の文句もない契約内容に了承を返し、新月の晩を迎えた。
 の、だったが。メイドの残り一人まで人払いされた側室の部屋に通されて寝室の扉を叩くも、終ぞ開くことはなかった。
 どうやら王の独断で自分を呼んだらしく、彼女は非常に具合の悪そうな掠れた声で大丈夫だからもう帰ってくれと訴えた。王には自分から言っておくから、と。
 側室、愛人とは言えど、わたしからすると傷一つつけてはならない雲の上の女人だ。無理に押し入ることもできず、納得できないながら引き下がることにした。
 そのまま溜め息を吐きつつ杖を突いて歩く。人の気配のない真っ暗な城はこの国の中心部とは思えないほど寒々しかった。
 きっと通用門で自分を待っているだろう使者を務めた衛兵に、何故こんな早い帰りなのかと突っ込まれては堪らない。少し時間を稼いでから帰路につこうと足を城外に向けた。
 後から思えば、いつになく勘が冴え渡っていたのだろう。
 踵がめり込んでしまうくらいに人通りがなく柔らかい地面を踏みしめていた時、色が見えた。
 建物の角を回り込んだ地面に、色が落ちていたのだ。
 こんな深夜に寒い中一体、と焦燥感に駆られて角を曲がって傍にしゃがみ込む。
 そろそろと手を伸ばすと、丁寧に編み込んだ丈夫な作りの籠が置かれている。身長に中に手を差し込めば、氷のように冷たい肌に触れた。
「まさかっ、赤ん坊……っ!?」
 慌てて抱き上げると、息も細く、起きる気配もない。
 近くに誰か、と首を回すと二階に彼女の気配があった。
 追い返された時の声が脳裏に蘇る。……そうか、そういうことだったのか。
 王は何も知らない。彼はきっと本当に彼女が心配だっただけだ。そして、彼女は妊娠したことも出産したことも一人で抱え込んで、わたしが訪ねたことをきっかけに──
 わたしの所為ではないけれど、この小さな命に宿った鮮やかな色が消えてしまうのはもったいないと思った。
 腕の中の子どもを抱き締めて、額に唇を押し付けた。
「さあ、今日からあなたはわたしの子どもよ!」
 そうと決まればこうしてはいられない。元通りに籠に詰め込んで、ローブの中に入れて少しでも温まるようにと祈り、駆け足で正門へと向かった。

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