女の子を撮影したら、惚れされることができる能力をてにいれた件
悪の動機
「ただいまー」
と、オレは部屋に戻った。部屋の明かりがついている。
ミオンは今日は仕事で帰らないと言っていた。
リコが来ているんだろうか?
でも、ミオンがいないのに、リコだけ来るってのも変だなと思いながら、オレは大部屋に向かった。
「おっ」
と、オレはうめき声を発して、その場に立ち尽くすことになった。
食堂に座っていたのは、他でもないこのオレの父親――陽山雄蔵だった。
髪には白いものが混じりはじめているが、顔立ちはまだまだ若々しい。精悍の気を眉間にやどし、その目は猛禽類のように猛々しい。
父の顔の第一印象を挙げるならば、戦士長、だ。大きな剣を振って、魔物と戦っていそうな雰囲気をまとっているのだ。実際、警視総監だから、現代の戦士長みたいなもんだ。
こうして対面していると、父からは突風が吹きつけてくるかのような威圧感をおぼえる。久しぶりに会った、というのもあるのかもしれない。
「遅かったな。どこで遊んでいた?」
それが父の第一声だった。
「べつに遊んでたわけじゃないよ。オレだっていろいろ用事があるんだから」
ふん、と父は鼻で笑った。
「部活動もやっとらんくせに、用事などあるわけなかろう。悪い連中とはつるむなよ。警視総監の息子が事を起こすとメンドウだ。役立たずは役立たずなりに、静かにしておけ」
「うん」
中学受験に失敗したときから、オレはこの人にとっては役立たずとなった。期待されるのも厭だが、あからさまに役立たずされるのも、それはそれで釈然としないものがある。
しかし実際、警視総監という優秀な父を前にすると、オレなんてゴミ以外の何者でもない。たぶんこの人は、若いころはモテてたんだろうな、と思う。今もモテるだろう。でも、モテることなんて、気に留めてもいなさそうだ。
「昨日このマンションで事件があってな。そのついでに立ち寄った。メンドウだが、お前と話さなければならんことがある」
昨日の事件というのは、憑人のことだろう。もしかしてオレが憑人だってことも、バレてるんじゃないかと身構えた。
「なに?」
座れ、と父が言った。
オレはまるで魔法にでもかかったかのように、父の前のイスに腰かけた。
「将来のことだ」
「へ?」
「なんだそのマヌケな返答は。お前は将来どうするつもりだ?」
「べつに決めてないけど……」
「大学は?」
「それも別に……」
「それでは困る。まさかこの私の脛をかじって生きるつもりではないだろうな? 金はあるが、そんな怠慢は許さんぞ」
「そんなつもりはないけど、オレはまだ2年だし、将来のことなんてまだ……」
「今の内に決めておけ。国公立に行けとは言わん。お前にそれはムリだろう」
「うん」
この国でもっとも優秀な大学を、首席で卒業した父とオレとでは、頭の構造が違っているのだ。
悔しいが、たしかにオレでは国公立はムリだ。
「ここに行け」
と、父はカバンからパンフレットを取り出した。
「灰都山大学?」
いちおうパンフレットを受け取った。表紙には可愛らしい女の子と、イケメンの男が写されている。
ここに写されている人たちは、きっと成功者なのだろう。
「オレの知人が教師としてつとめている。評判も悪くない。ここを卒業しておけば、それなりに就職先はある。この大学には寮もついているしな」
「寮に入れってこと?」
「そうだ。いつまでも家に居つかれては困るからな。さっさと巣立ちすることだ」
「でも、入れるか、わからないよ。父さんが口をきいてくれるなら、入れるだろうけどさ」
バカが、と父は吐き捨てるように言う。
「なんだそれは、裏口入学という意味か?」
「そうじゃないけど、でもオレのいまの学力だと、たぶんムリだと思うから」
「なら今から勉強しておけ、ふつうの人間なら1年あれば、どこへだって行けるものだ」
父の普通というのは、いったいどのレベルのことを指してるんだろうか。たぶん父が思っているよりも、もっとずっと普通のレベルは低い。
「うん」
「それでも妥協点だ。そこの大学より下は、行っても意味なんてありはせん。もし、そこの大学にも行けないというのならば、警察学校へ行け」
「け、警察?」
そうだ、と父は強くうなずいた。
「お前はくさっても、オレの息子だ。警視総監の息子が、ロクでもない仕事をしていたら、世間体にかかわる」
結局父は、オレの将来というよりも、世間体を気にしているのだろう。警視総監という立場上、どうしても周囲の目が気になるのかもしれない。
「でも、警察はチョット……」
今のオレにとっては、なおさら避けたい場所だった。
「とにかく恥ずかしくない生き方をしていれば、それで良い。今の内に努力しておけば、ゴミのような職に就かなくても済むわけだからな」
父の言う、ゴミのような仕事、というのは、いったい何を指すのだろうか。世間からわりと尊敬されている仕事でも、父にかかればゴミのような仕事、になるのかもしれない。
「出来れば芸術系の大学に行こうかな……とか思ってるんだけど」
咄嗟に思いついてそう言った。
芸術系の大学とか向いてるんじゃないかと、リコにそう言われたのを思い出したのだ。中学のときは、鉛筆画でそれなりに結果を出している。その道なら、まだ勉強よりかはガンバれそうな気がした。
「バカが。芸術大学に行って、どうするつもりだ? 画家にでもなるのか? それで食っていけるとでも思うのか?」
「いや、ただ、もしかしたら、そういう道ならやれるかも――って」
「そんなくだらん大学は認めん。お前は黙って勉強しておけば良いのだ。バカでも努力ぐらいは出来るだろう。灰都山大学か、警察学校だ。それ以外は認めん」
だろうと思った。
芸術大学に行きたかったわけじゃない。ただの、チョットした、抵抗だ。
「考えとくよ」
と、オレはそう言った。
オレがいつも使う、その場逃れのセリフ。
「考えるな。実行しろ」
と、父はそう釘を刺してきた。
「うん」
「すこしは霧島の娘を見習え」
「霧島の娘って、リコのこと?」
「あの娘は優秀だ。うちと取り換えて欲しいぐらいだよ」
「オレだってべつに、好きでこの家に生まれてきたわけじゃない」
と、ささやかな反論をしてみると、父は鼻で笑った。
「そうだろうとも。オレと母さんだって、お前みたいな無能が生まれてくるとは思ってなかったからな」
と、返してきた。
「あ、そう」
もろに傷ついたことを気取られなくて、素っ気なく応じた。
「じゃあオレはもう行く。高校生活をムダにするな。ゴミになるか、宝石になるか。いまの努力が将来につながるのだ。これ以上、オレを落胆させてくれるなよ」
いかにもアツシゲが言いそうなセリフだな、と思った。いまの大人たちは、どうしてそんな情熱的に生きていけたのだろうか。オレなんて、べつにいつ死んでも良い、ぐらいの気持ちで生きてるのに。
「あのさ、父さんに相談したいことがあるんだけど……」
セッカク警視総監である父親が帰って来ているのだ。懺悔という意味でも、リリンのことを相談しようと思った。ここで自首して、オレはふつうの人間に成り下がる。
父のすすめてくれた「灰都山大学」とやらに行って、それなりに退屈な人生を過ごそうと思ったのだ。
この瞬間、たしかにオレはそう思った。
しかし。
「甘えるな。自分で解決しろ」
と、父はそう言い残すと、そそくさと部屋を出て行ってしまった。
部屋には沈黙がおとずれた。父が消えたことで気がゆるんだ。
「酷いではないか! 酷いではないか! ワシは気づいておったんじゃからな。オヌシはワシのことを売ろうとしたな!」
父が消え去ったとわらつと、リリンが騒ぎはじめた。
この老獪そうな悪魔が、駄々っ子のように拗ねる姿は、すこし意外でもあり、可愛らしかった。
「悪かったよ」
インスタントコーヒーを淹れることにした。安っぽい臭いに、安っぽい味がした。あの「喫茶シルバー・バレット」で飲んだコーヒーとは味がぜんぜん違っていた。飲む気をなくして、それを机の上に置いた。
机上には、父から押し付けられた灰都山大学のパンフレットが置かれている。幸せな人生が約束されたように笑っている男女の写真。ウットウシイ。ゴミ箱に投げ捨てた。
「ヒヤヒヤしたわ。オヌシに憑いたワシが、間違っておった――とチッとばかり後悔したぐらいじゃぞ」
と、リリンはソッポを向いている。
「そう言うなよ。結局、売らなかっただろ」
「正確には、売れなかった――じゃろうが」
「まあね」
「しかしあれが、血のつながった息子にたいする態度かえ? 酷い父親もあったもんじゃなぁ」
「息子だろうとなんだろうと、父さんは優秀な人にしか興味ないからね」
「あの幼馴染の娘は、そんなに優秀なのかえ?」
「リコは優秀だよ。3年になった風紀委員長になるだろうし、成績だって学年3位のうちには入ってる」
「しかしまぁ、優秀かどうかなんてものは、学業で決まるわけではないと思うがのぉ」
と、リコはしきりに首をかしげていた。
「そうかもしれないけど、でも父さんの言うことも、そんなに間違えていないとは思うよ。勉強をガンバって、良い大学に入れば、それなりに良い仕事には就けるだろうし」
「あれだけ邪険に扱われて、父親に従順なのじゃな。怒ろうとか、そういう感情はないのかえ?」 と、オレを煽るようにリリンは言った。
「怒ってるよ。不愉快だし」
「それにしては、落ちついているように見えるが?」
「落ちついてるなら、パンフレットを捨てたりはしない」
でも、怒っているというだけじゃない。悲しいという感情もあった。オレは腐っても父さんの息子なのだ。すこしは認めてもらいたいという気持ちが、悔しいけれどあるのだった。
なんの努力もしていないのに、認めてもらおうなんて都合が良すぎるのだろうか。いや。オレだって努力してる。毎日必死に生きてるつもりだ。でも、あの人にとっては、そんなことは努力のうちに入らないのだろう。
「パンフレットを捨てるだけで、それで満足なのかえ?」
「なんだ? もっと暴れたほうが良いってか? 暴れても後で掃除するのが大変なだけだ」
「なぁ。カゲロウよ」
と、リリンはあらたまったように、ネコナデ声を発した。その声音は、意図的に発せられたものだとわかるぐらい、胡散臭い声音だった。それでも今のオレにとっては、傷が癒えてゆくかのような甘い響きだった。
「なに?」
「ワシは、オヌシの味方じゃ。どれだけ罵倒されようとも、周囲からどれだけ邪険にされようとも、ワシだけはオヌシを見捨てることはないゆえな」
「ホントウかよ」
「ホントウじゃ。その証拠にワシはまだ、オヌシに憑いておるじゃろう。売られそうになったときに、ワシだけネットのなかに逃げれば良かったものを。まだ、憑いておるじゃろう」
「たしかに」
そう言われれば、その通りだ。
リリンは逃げようと思えば、いつでも逃げ出せるのだ。
「ワシはオヌシを気に入ったから、こうして憑いているんじゃしな」
「オレが警視総監の息子だから、憑いたんだろ」
「それもあることは認めよう。しかし、最初に会ったときにも説明したはずじゃ。ワシが気に入ったから、憑いた。それがイチバン大きい。いくら警視総監の息子でも、ワシの好みでなければ憑いとらん」
「ふぅん」
と、わざと素っ気ない返事をした。
オレを慰めようというよりかは、籠絡しにかかっているのだろう。一瞬でもリリンのことを売ろうとしたオレを、もう一度、その悪魔の舌でからめ捕ろうというわけだ。
リリンの魂胆なんか見え透いている。見え透いていても、リリンの言葉は今のオレにとっては、なによりの慰めであることに違いなかった。
そうやって籠絡されかかっていることを、リリンに見抜かれたくなかった。だからあえて素っ気ない返事をしたのだった。
「見返してやりたいとは、思わんか?」
「見返すって父さんを?」
「うむ」
「残念だけど今から、父さんからすすめられた大学に行っても、父さんはオレを認めてはくれないよ。灰都山大学は父さんにとっては妥協点だ。見返すにはもっと優秀な大学に行かなくちゃ」
オレにはそんな学力はない。
「視野が狭いのぉ。オヌシのことを必要としてくれる者がいたことを、忘れたわけではあるまい」
「カチューシャさんか?」
「うむ」
「でも、警察の護送車を売るなんて、そんなこと……」
「父親は警視総監なんじゃろう。護送車を襲ってひとりの憑人を救出する。この作戦が成功すれば、オヌシの父親にとっては大打撃じゃろう。鼻を明かすという意味では、効果的じゃろう」
「……たしかにな」
この瞬間。オレのなかには、ドス黒い鬼気が立ち上ってきた。
チャームがどうとか、憑人がどうとか、悪魔がどうということは、二の次だ。父の鼻を明かせてやる。その思いが、オレを悪路へといざなった。父への怒りが、オレの手を取る。父への悲しみが、オレの背中を押した。
甘えるな。自分で解決しろ――という父の言葉が脳裏でひびいた。これがオレが導きだした答えだ。文句は言わせない。
堕ちてやる。
闇の向こうへ。
「心は、決まったかえ?」
「ああ」
「ならば明日、あの喫茶店に行くと良い。カチューシャは歓迎してくれる。ワシのほうから話しておこう。誰かが歓迎してくれる場所こそ、オヌシの居るべき場所じゃ」
さきほど淹れたインスタントコーヒーを、シンクに捨てることにした。黒い液体が、シンクを染め上げてゆく。
オレは――。
「つくづく弱い人間だなって思うよ」
「じゃからワシみたいなのに、好かれたんじゃろう」
と、リリンは微笑んだ。
と、オレは部屋に戻った。部屋の明かりがついている。
ミオンは今日は仕事で帰らないと言っていた。
リコが来ているんだろうか?
でも、ミオンがいないのに、リコだけ来るってのも変だなと思いながら、オレは大部屋に向かった。
「おっ」
と、オレはうめき声を発して、その場に立ち尽くすことになった。
食堂に座っていたのは、他でもないこのオレの父親――陽山雄蔵だった。
髪には白いものが混じりはじめているが、顔立ちはまだまだ若々しい。精悍の気を眉間にやどし、その目は猛禽類のように猛々しい。
父の顔の第一印象を挙げるならば、戦士長、だ。大きな剣を振って、魔物と戦っていそうな雰囲気をまとっているのだ。実際、警視総監だから、現代の戦士長みたいなもんだ。
こうして対面していると、父からは突風が吹きつけてくるかのような威圧感をおぼえる。久しぶりに会った、というのもあるのかもしれない。
「遅かったな。どこで遊んでいた?」
それが父の第一声だった。
「べつに遊んでたわけじゃないよ。オレだっていろいろ用事があるんだから」
ふん、と父は鼻で笑った。
「部活動もやっとらんくせに、用事などあるわけなかろう。悪い連中とはつるむなよ。警視総監の息子が事を起こすとメンドウだ。役立たずは役立たずなりに、静かにしておけ」
「うん」
中学受験に失敗したときから、オレはこの人にとっては役立たずとなった。期待されるのも厭だが、あからさまに役立たずされるのも、それはそれで釈然としないものがある。
しかし実際、警視総監という優秀な父を前にすると、オレなんてゴミ以外の何者でもない。たぶんこの人は、若いころはモテてたんだろうな、と思う。今もモテるだろう。でも、モテることなんて、気に留めてもいなさそうだ。
「昨日このマンションで事件があってな。そのついでに立ち寄った。メンドウだが、お前と話さなければならんことがある」
昨日の事件というのは、憑人のことだろう。もしかしてオレが憑人だってことも、バレてるんじゃないかと身構えた。
「なに?」
座れ、と父が言った。
オレはまるで魔法にでもかかったかのように、父の前のイスに腰かけた。
「将来のことだ」
「へ?」
「なんだそのマヌケな返答は。お前は将来どうするつもりだ?」
「べつに決めてないけど……」
「大学は?」
「それも別に……」
「それでは困る。まさかこの私の脛をかじって生きるつもりではないだろうな? 金はあるが、そんな怠慢は許さんぞ」
「そんなつもりはないけど、オレはまだ2年だし、将来のことなんてまだ……」
「今の内に決めておけ。国公立に行けとは言わん。お前にそれはムリだろう」
「うん」
この国でもっとも優秀な大学を、首席で卒業した父とオレとでは、頭の構造が違っているのだ。
悔しいが、たしかにオレでは国公立はムリだ。
「ここに行け」
と、父はカバンからパンフレットを取り出した。
「灰都山大学?」
いちおうパンフレットを受け取った。表紙には可愛らしい女の子と、イケメンの男が写されている。
ここに写されている人たちは、きっと成功者なのだろう。
「オレの知人が教師としてつとめている。評判も悪くない。ここを卒業しておけば、それなりに就職先はある。この大学には寮もついているしな」
「寮に入れってこと?」
「そうだ。いつまでも家に居つかれては困るからな。さっさと巣立ちすることだ」
「でも、入れるか、わからないよ。父さんが口をきいてくれるなら、入れるだろうけどさ」
バカが、と父は吐き捨てるように言う。
「なんだそれは、裏口入学という意味か?」
「そうじゃないけど、でもオレのいまの学力だと、たぶんムリだと思うから」
「なら今から勉強しておけ、ふつうの人間なら1年あれば、どこへだって行けるものだ」
父の普通というのは、いったいどのレベルのことを指してるんだろうか。たぶん父が思っているよりも、もっとずっと普通のレベルは低い。
「うん」
「それでも妥協点だ。そこの大学より下は、行っても意味なんてありはせん。もし、そこの大学にも行けないというのならば、警察学校へ行け」
「け、警察?」
そうだ、と父は強くうなずいた。
「お前はくさっても、オレの息子だ。警視総監の息子が、ロクでもない仕事をしていたら、世間体にかかわる」
結局父は、オレの将来というよりも、世間体を気にしているのだろう。警視総監という立場上、どうしても周囲の目が気になるのかもしれない。
「でも、警察はチョット……」
今のオレにとっては、なおさら避けたい場所だった。
「とにかく恥ずかしくない生き方をしていれば、それで良い。今の内に努力しておけば、ゴミのような職に就かなくても済むわけだからな」
父の言う、ゴミのような仕事、というのは、いったい何を指すのだろうか。世間からわりと尊敬されている仕事でも、父にかかればゴミのような仕事、になるのかもしれない。
「出来れば芸術系の大学に行こうかな……とか思ってるんだけど」
咄嗟に思いついてそう言った。
芸術系の大学とか向いてるんじゃないかと、リコにそう言われたのを思い出したのだ。中学のときは、鉛筆画でそれなりに結果を出している。その道なら、まだ勉強よりかはガンバれそうな気がした。
「バカが。芸術大学に行って、どうするつもりだ? 画家にでもなるのか? それで食っていけるとでも思うのか?」
「いや、ただ、もしかしたら、そういう道ならやれるかも――って」
「そんなくだらん大学は認めん。お前は黙って勉強しておけば良いのだ。バカでも努力ぐらいは出来るだろう。灰都山大学か、警察学校だ。それ以外は認めん」
だろうと思った。
芸術大学に行きたかったわけじゃない。ただの、チョットした、抵抗だ。
「考えとくよ」
と、オレはそう言った。
オレがいつも使う、その場逃れのセリフ。
「考えるな。実行しろ」
と、父はそう釘を刺してきた。
「うん」
「すこしは霧島の娘を見習え」
「霧島の娘って、リコのこと?」
「あの娘は優秀だ。うちと取り換えて欲しいぐらいだよ」
「オレだってべつに、好きでこの家に生まれてきたわけじゃない」
と、ささやかな反論をしてみると、父は鼻で笑った。
「そうだろうとも。オレと母さんだって、お前みたいな無能が生まれてくるとは思ってなかったからな」
と、返してきた。
「あ、そう」
もろに傷ついたことを気取られなくて、素っ気なく応じた。
「じゃあオレはもう行く。高校生活をムダにするな。ゴミになるか、宝石になるか。いまの努力が将来につながるのだ。これ以上、オレを落胆させてくれるなよ」
いかにもアツシゲが言いそうなセリフだな、と思った。いまの大人たちは、どうしてそんな情熱的に生きていけたのだろうか。オレなんて、べつにいつ死んでも良い、ぐらいの気持ちで生きてるのに。
「あのさ、父さんに相談したいことがあるんだけど……」
セッカク警視総監である父親が帰って来ているのだ。懺悔という意味でも、リリンのことを相談しようと思った。ここで自首して、オレはふつうの人間に成り下がる。
父のすすめてくれた「灰都山大学」とやらに行って、それなりに退屈な人生を過ごそうと思ったのだ。
この瞬間、たしかにオレはそう思った。
しかし。
「甘えるな。自分で解決しろ」
と、父はそう言い残すと、そそくさと部屋を出て行ってしまった。
部屋には沈黙がおとずれた。父が消えたことで気がゆるんだ。
「酷いではないか! 酷いではないか! ワシは気づいておったんじゃからな。オヌシはワシのことを売ろうとしたな!」
父が消え去ったとわらつと、リリンが騒ぎはじめた。
この老獪そうな悪魔が、駄々っ子のように拗ねる姿は、すこし意外でもあり、可愛らしかった。
「悪かったよ」
インスタントコーヒーを淹れることにした。安っぽい臭いに、安っぽい味がした。あの「喫茶シルバー・バレット」で飲んだコーヒーとは味がぜんぜん違っていた。飲む気をなくして、それを机の上に置いた。
机上には、父から押し付けられた灰都山大学のパンフレットが置かれている。幸せな人生が約束されたように笑っている男女の写真。ウットウシイ。ゴミ箱に投げ捨てた。
「ヒヤヒヤしたわ。オヌシに憑いたワシが、間違っておった――とチッとばかり後悔したぐらいじゃぞ」
と、リリンはソッポを向いている。
「そう言うなよ。結局、売らなかっただろ」
「正確には、売れなかった――じゃろうが」
「まあね」
「しかしあれが、血のつながった息子にたいする態度かえ? 酷い父親もあったもんじゃなぁ」
「息子だろうとなんだろうと、父さんは優秀な人にしか興味ないからね」
「あの幼馴染の娘は、そんなに優秀なのかえ?」
「リコは優秀だよ。3年になった風紀委員長になるだろうし、成績だって学年3位のうちには入ってる」
「しかしまぁ、優秀かどうかなんてものは、学業で決まるわけではないと思うがのぉ」
と、リコはしきりに首をかしげていた。
「そうかもしれないけど、でも父さんの言うことも、そんなに間違えていないとは思うよ。勉強をガンバって、良い大学に入れば、それなりに良い仕事には就けるだろうし」
「あれだけ邪険に扱われて、父親に従順なのじゃな。怒ろうとか、そういう感情はないのかえ?」 と、オレを煽るようにリリンは言った。
「怒ってるよ。不愉快だし」
「それにしては、落ちついているように見えるが?」
「落ちついてるなら、パンフレットを捨てたりはしない」
でも、怒っているというだけじゃない。悲しいという感情もあった。オレは腐っても父さんの息子なのだ。すこしは認めてもらいたいという気持ちが、悔しいけれどあるのだった。
なんの努力もしていないのに、認めてもらおうなんて都合が良すぎるのだろうか。いや。オレだって努力してる。毎日必死に生きてるつもりだ。でも、あの人にとっては、そんなことは努力のうちに入らないのだろう。
「パンフレットを捨てるだけで、それで満足なのかえ?」
「なんだ? もっと暴れたほうが良いってか? 暴れても後で掃除するのが大変なだけだ」
「なぁ。カゲロウよ」
と、リリンはあらたまったように、ネコナデ声を発した。その声音は、意図的に発せられたものだとわかるぐらい、胡散臭い声音だった。それでも今のオレにとっては、傷が癒えてゆくかのような甘い響きだった。
「なに?」
「ワシは、オヌシの味方じゃ。どれだけ罵倒されようとも、周囲からどれだけ邪険にされようとも、ワシだけはオヌシを見捨てることはないゆえな」
「ホントウかよ」
「ホントウじゃ。その証拠にワシはまだ、オヌシに憑いておるじゃろう。売られそうになったときに、ワシだけネットのなかに逃げれば良かったものを。まだ、憑いておるじゃろう」
「たしかに」
そう言われれば、その通りだ。
リリンは逃げようと思えば、いつでも逃げ出せるのだ。
「ワシはオヌシを気に入ったから、こうして憑いているんじゃしな」
「オレが警視総監の息子だから、憑いたんだろ」
「それもあることは認めよう。しかし、最初に会ったときにも説明したはずじゃ。ワシが気に入ったから、憑いた。それがイチバン大きい。いくら警視総監の息子でも、ワシの好みでなければ憑いとらん」
「ふぅん」
と、わざと素っ気ない返事をした。
オレを慰めようというよりかは、籠絡しにかかっているのだろう。一瞬でもリリンのことを売ろうとしたオレを、もう一度、その悪魔の舌でからめ捕ろうというわけだ。
リリンの魂胆なんか見え透いている。見え透いていても、リリンの言葉は今のオレにとっては、なによりの慰めであることに違いなかった。
そうやって籠絡されかかっていることを、リリンに見抜かれたくなかった。だからあえて素っ気ない返事をしたのだった。
「見返してやりたいとは、思わんか?」
「見返すって父さんを?」
「うむ」
「残念だけど今から、父さんからすすめられた大学に行っても、父さんはオレを認めてはくれないよ。灰都山大学は父さんにとっては妥協点だ。見返すにはもっと優秀な大学に行かなくちゃ」
オレにはそんな学力はない。
「視野が狭いのぉ。オヌシのことを必要としてくれる者がいたことを、忘れたわけではあるまい」
「カチューシャさんか?」
「うむ」
「でも、警察の護送車を売るなんて、そんなこと……」
「父親は警視総監なんじゃろう。護送車を襲ってひとりの憑人を救出する。この作戦が成功すれば、オヌシの父親にとっては大打撃じゃろう。鼻を明かすという意味では、効果的じゃろう」
「……たしかにな」
この瞬間。オレのなかには、ドス黒い鬼気が立ち上ってきた。
チャームがどうとか、憑人がどうとか、悪魔がどうということは、二の次だ。父の鼻を明かせてやる。その思いが、オレを悪路へといざなった。父への怒りが、オレの手を取る。父への悲しみが、オレの背中を押した。
甘えるな。自分で解決しろ――という父の言葉が脳裏でひびいた。これがオレが導きだした答えだ。文句は言わせない。
堕ちてやる。
闇の向こうへ。
「心は、決まったかえ?」
「ああ」
「ならば明日、あの喫茶店に行くと良い。カチューシャは歓迎してくれる。ワシのほうから話しておこう。誰かが歓迎してくれる場所こそ、オヌシの居るべき場所じゃ」
さきほど淹れたインスタントコーヒーを、シンクに捨てることにした。黒い液体が、シンクを染め上げてゆく。
オレは――。
「つくづく弱い人間だなって思うよ」
「じゃからワシみたいなのに、好かれたんじゃろう」
と、リリンは微笑んだ。
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