女の子を撮影したら、惚れされることができる能力をてにいれた件
下校
「ねぇ」
終点。灰都山端区。
その駅でオレはおりる。駅からは人間たちが放出されてゆく。群衆にまじって、オレも歩をすすめる。
駅前ターミナルのバス停では長蛇の列ができている。世界の終わりのような夕日が帰路を赤くする。
「ねぇ、ってば」
女性の声。まさか自分にかけられているとは思っていなかった。1度目は無視していた。2度目は、オレの背中に投げかけられている感触があった。
振り返る。
後ろにいたのはミオンさんだった。ふたつの意味でドキッとした。ひとつめはもちろんミオンさんがオレに声をかけていたという事実への喜悦。ふたつ目は、盗撮のことを問い詰められるんじゃないかって不安。
「え? オレ?」
「そうですよ。ほかにいないじゃないですか」
風が吹くと、ミオンさんの黒く艶やか髪をなびかせた。ミオンさんはすこしだけ身をすくめて、その髪をおさえていた。
「オレに、何か用事?」
「たしか同じクラスでしたよね。陽山炎魔くんでしたっけ?」
「あ、うん」
名前を覚えていてくれたことに感動したのだけれど、純粋に喜ぶことはできなかった。盗撮の件で来たのかどうかという警戒心が、オレの心をかたく緊張させていた。ふたつの緊張から、声が妙にうわずっていた。
コホン。空咳でごまかした。
「ここから家は近いのですか?」
「歩いて10分ぐらいかな。えっと……ミオンさんは?」
ミオンさんは歩み寄ってくると、オレの耳元にその唇を近づけてきた。そして吐息まじりに呟いた。
「ミオンでいいですよ」
生温かい吐息が、オレの耳朶から頬にかけてくすぐった。甘い香りがする。女の子の匂いだろうか? それともアイドルってみんな、こんな匂いがするんだろうか。
「でも呼び捨てにするわけにはいかないだろうし」
「どうして? クラスメイトではありませんか」
「それはまぁ」
ミオンさんと呼称するかどうかという不毛な問答がしばらく行われたのだが、結局、呼び捨てることが許された。アイドルを呼び捨てるなんて恐れ多いのだけれど、本人のお許しが出たんだし、遠慮することはないだろう。
「いっしょに帰りません?」
「いいけど……ミオンの家は近いのか?」
「私は家には帰りませんよ」
「へ?」
「コンサートとかであちこち飛び回りますから、実家にはほとんど帰りません」
「でも転校してきたんだったら、どこか近くに部屋とか借りてるんじゃないのか?」
「マネージャーさんがアパートを借りてくれてますけど、ここからは少し離れちゃってます」
と、ミオンは華奢な肩を小さく揺らして笑っていた。
「そう――なんだ」
じゃあ、どうしてこの駅で降りたんだろうか。
何か用事でもあるんだろうか。あまりセンサクしても無遠慮かと思って、それ以上尋ねることができなかった。
「さあ。帰りましょう」
「う、うん」
と、オレは足をすすめることにした。
オレの歩幅にミオンも付いて来る。駅前を出る。ビルが続く狭い空のコンクリートジャングルを抜けてゆく。女の子を道路側に歩かせたらダメなんだっけ? オレはなにげなくガードレール側へと移動した。
信じられない。
オレはいま、アイドルといっしょに歩いているのだ。緊張がたかぶって過呼吸にでもおちいりそうだった。
「陽山くんはどうして、カゲロウって呼ばれてるんですか?」
と、不意にミオンは尋ねてきた。
「名前が陽山炎魔だから。陽と炎でカゲロウって、そう呼ばれてるんだ」
「それでは、虫のカゲロウではなくて、あの真夏のゆらゆらしてるほうのことですね?」
ゆらゆらと表現したつもりなのか、ミオンは人差し指で、空に曲線を描いていた。
「ただの仇名だから。べつに意味とかはないと思うけど」
陽山炎魔って名前よりかは、カゲロウのほうがオレに向いてる名前だとは思う。カゲロウって影が薄そうだし。たぶんほかの連中もそう思ってるんだろう。オレの仇名は小中高校と一貫してカゲロウなのだ。「陽山炎魔」はオレにはチョットまぶしすぎる。
「虫のカゲロウって、1日で死んでしまう。儚い生き物だそうですよ」
「なんか聞いたことあるな。それ」
「儚いですよね」
「でも体感時間は人と違うとか聞いたことあるよ。1日でも満足してるんじゃないかな?」
「そうなのでしょうか?」
ミオンは首をかしげた。疑問を投げかけられても、オレはべつに昆虫のカゲロウじゃないし、わからない。
「さあ」
と首をひねった。
「陽山くんも、なんだか儚さがありますよね。放っておいたら、どこかに消えてしまいそうな。真夏のカゲロウより、虫のカゲロウって雰囲気ありますね」
「そんなふうに言われるの、はじめてだけど」
ホめてるのか、貶してるのか良くわからない。
って言うか、他人からオレの評価を聞くのが、そもそもはじめてな気がする。あんたはチョット暗いわね、とむかし母から言われて以来かもしれない。
「私も、陽山くんのこと、カゲロウって呼んでもいいですか?」
「いいよ」
アイドルに仇名で呼ばれるなら、むしろ本望だ。彼女の唇から出てくる、「カゲロウ」の4文字を聞くと、心臓が居心地悪そうに身動ぎをする。
「やった」
と、ミオンは胸の前でちいさく握りコブシをつくって見せた。
それはアイドル稼業によって体得した所作なのか、それとも自然と身に付いた仕草なのか、わからなかったけれど、どちらにせよ、怖ろしく可憐な生きものであるように感じさせられた。
「こんな堂々と街中を歩いていても良いのか?」
「どうしてですか?」
「いやだって、有名人だし、男といっしょに歩いたりしてても良いのかな――って」
お金払ったりして、わざわざ会いに行く人もいるって聞いている。手を伸ばせば届くような距離でいっしょに歩くのは、なんだか悪いことをしているような気になってしまう。
「意外と気づかれないんですよ。アイドルやってるときと、学生服着てるときって、雰囲気ちがうからじゃないですかね。特に女性は」
「女性は?」
「眉毛書いたりするだけで、すっごく印象変わりますからね」
と、ミオンはわざとらしく眉を上下させて見せた。
その眉も自分で剃っているのか、それともプロの人に剃ってもらっているのかはわからないが、ものすごく整っている。毛先の1本1本にまで手入れしているかのように見えた。
「てっきり週刊誌とかが付いて回ってるもんだと思ってた」
「引っ越してきてすぐですからね。まだ居場所がバレてないんですよ。きっと」
「へぇ」
どこへ逃げようとも追いかけまわしてくる悪魔みたいな連中だと思っていたのだが、意外とそんなことはないらしい。
「前回の学校では大変だったんですよ。記者さんが、学校にまで押し寄せてきて問題になっちゃったんですよ。それで転校することになったんです」
「あ、そうなんだ」
ヤッパリ悪魔みたいな連中だ。
「ふふっ」
と、ミオンは口元を手でおおって笑う。
「な、なに?」
何か笑われるようなことをしてしまったのかと思って、オレはそう尋ねた。女性という生き物の反応すべてが、オレには新鮮だった。
「カゲロウといっしょにいると楽しいなと思いまして」
「……」
赤面をおぼえた。
楽しいと言われるようなことをした覚えはない。会話だって、たいしたことをしゃべっていなかったと思う。オレに出来ることなんて、せいぜい生返事ぐらいだ。
あらためてミオンの姿を見る。
細く折れてしまいそうなカラダに、暴力的なまでにふくらんだ胸。内側から発散される陽キャの雰囲気。
オレとは世界が別だと思っていた住人。まさか接点ができるとは思わなかったし、気づけば自然と言葉をかわしている。
すくなくとも、盗撮のことを詰問しに来たわけではないようだ、とオレは警戒心を忘れてしまっていた。
終点。灰都山端区。
その駅でオレはおりる。駅からは人間たちが放出されてゆく。群衆にまじって、オレも歩をすすめる。
駅前ターミナルのバス停では長蛇の列ができている。世界の終わりのような夕日が帰路を赤くする。
「ねぇ、ってば」
女性の声。まさか自分にかけられているとは思っていなかった。1度目は無視していた。2度目は、オレの背中に投げかけられている感触があった。
振り返る。
後ろにいたのはミオンさんだった。ふたつの意味でドキッとした。ひとつめはもちろんミオンさんがオレに声をかけていたという事実への喜悦。ふたつ目は、盗撮のことを問い詰められるんじゃないかって不安。
「え? オレ?」
「そうですよ。ほかにいないじゃないですか」
風が吹くと、ミオンさんの黒く艶やか髪をなびかせた。ミオンさんはすこしだけ身をすくめて、その髪をおさえていた。
「オレに、何か用事?」
「たしか同じクラスでしたよね。陽山炎魔くんでしたっけ?」
「あ、うん」
名前を覚えていてくれたことに感動したのだけれど、純粋に喜ぶことはできなかった。盗撮の件で来たのかどうかという警戒心が、オレの心をかたく緊張させていた。ふたつの緊張から、声が妙にうわずっていた。
コホン。空咳でごまかした。
「ここから家は近いのですか?」
「歩いて10分ぐらいかな。えっと……ミオンさんは?」
ミオンさんは歩み寄ってくると、オレの耳元にその唇を近づけてきた。そして吐息まじりに呟いた。
「ミオンでいいですよ」
生温かい吐息が、オレの耳朶から頬にかけてくすぐった。甘い香りがする。女の子の匂いだろうか? それともアイドルってみんな、こんな匂いがするんだろうか。
「でも呼び捨てにするわけにはいかないだろうし」
「どうして? クラスメイトではありませんか」
「それはまぁ」
ミオンさんと呼称するかどうかという不毛な問答がしばらく行われたのだが、結局、呼び捨てることが許された。アイドルを呼び捨てるなんて恐れ多いのだけれど、本人のお許しが出たんだし、遠慮することはないだろう。
「いっしょに帰りません?」
「いいけど……ミオンの家は近いのか?」
「私は家には帰りませんよ」
「へ?」
「コンサートとかであちこち飛び回りますから、実家にはほとんど帰りません」
「でも転校してきたんだったら、どこか近くに部屋とか借りてるんじゃないのか?」
「マネージャーさんがアパートを借りてくれてますけど、ここからは少し離れちゃってます」
と、ミオンは華奢な肩を小さく揺らして笑っていた。
「そう――なんだ」
じゃあ、どうしてこの駅で降りたんだろうか。
何か用事でもあるんだろうか。あまりセンサクしても無遠慮かと思って、それ以上尋ねることができなかった。
「さあ。帰りましょう」
「う、うん」
と、オレは足をすすめることにした。
オレの歩幅にミオンも付いて来る。駅前を出る。ビルが続く狭い空のコンクリートジャングルを抜けてゆく。女の子を道路側に歩かせたらダメなんだっけ? オレはなにげなくガードレール側へと移動した。
信じられない。
オレはいま、アイドルといっしょに歩いているのだ。緊張がたかぶって過呼吸にでもおちいりそうだった。
「陽山くんはどうして、カゲロウって呼ばれてるんですか?」
と、不意にミオンは尋ねてきた。
「名前が陽山炎魔だから。陽と炎でカゲロウって、そう呼ばれてるんだ」
「それでは、虫のカゲロウではなくて、あの真夏のゆらゆらしてるほうのことですね?」
ゆらゆらと表現したつもりなのか、ミオンは人差し指で、空に曲線を描いていた。
「ただの仇名だから。べつに意味とかはないと思うけど」
陽山炎魔って名前よりかは、カゲロウのほうがオレに向いてる名前だとは思う。カゲロウって影が薄そうだし。たぶんほかの連中もそう思ってるんだろう。オレの仇名は小中高校と一貫してカゲロウなのだ。「陽山炎魔」はオレにはチョットまぶしすぎる。
「虫のカゲロウって、1日で死んでしまう。儚い生き物だそうですよ」
「なんか聞いたことあるな。それ」
「儚いですよね」
「でも体感時間は人と違うとか聞いたことあるよ。1日でも満足してるんじゃないかな?」
「そうなのでしょうか?」
ミオンは首をかしげた。疑問を投げかけられても、オレはべつに昆虫のカゲロウじゃないし、わからない。
「さあ」
と首をひねった。
「陽山くんも、なんだか儚さがありますよね。放っておいたら、どこかに消えてしまいそうな。真夏のカゲロウより、虫のカゲロウって雰囲気ありますね」
「そんなふうに言われるの、はじめてだけど」
ホめてるのか、貶してるのか良くわからない。
って言うか、他人からオレの評価を聞くのが、そもそもはじめてな気がする。あんたはチョット暗いわね、とむかし母から言われて以来かもしれない。
「私も、陽山くんのこと、カゲロウって呼んでもいいですか?」
「いいよ」
アイドルに仇名で呼ばれるなら、むしろ本望だ。彼女の唇から出てくる、「カゲロウ」の4文字を聞くと、心臓が居心地悪そうに身動ぎをする。
「やった」
と、ミオンは胸の前でちいさく握りコブシをつくって見せた。
それはアイドル稼業によって体得した所作なのか、それとも自然と身に付いた仕草なのか、わからなかったけれど、どちらにせよ、怖ろしく可憐な生きものであるように感じさせられた。
「こんな堂々と街中を歩いていても良いのか?」
「どうしてですか?」
「いやだって、有名人だし、男といっしょに歩いたりしてても良いのかな――って」
お金払ったりして、わざわざ会いに行く人もいるって聞いている。手を伸ばせば届くような距離でいっしょに歩くのは、なんだか悪いことをしているような気になってしまう。
「意外と気づかれないんですよ。アイドルやってるときと、学生服着てるときって、雰囲気ちがうからじゃないですかね。特に女性は」
「女性は?」
「眉毛書いたりするだけで、すっごく印象変わりますからね」
と、ミオンはわざとらしく眉を上下させて見せた。
その眉も自分で剃っているのか、それともプロの人に剃ってもらっているのかはわからないが、ものすごく整っている。毛先の1本1本にまで手入れしているかのように見えた。
「てっきり週刊誌とかが付いて回ってるもんだと思ってた」
「引っ越してきてすぐですからね。まだ居場所がバレてないんですよ。きっと」
「へぇ」
どこへ逃げようとも追いかけまわしてくる悪魔みたいな連中だと思っていたのだが、意外とそんなことはないらしい。
「前回の学校では大変だったんですよ。記者さんが、学校にまで押し寄せてきて問題になっちゃったんですよ。それで転校することになったんです」
「あ、そうなんだ」
ヤッパリ悪魔みたいな連中だ。
「ふふっ」
と、ミオンは口元を手でおおって笑う。
「な、なに?」
何か笑われるようなことをしてしまったのかと思って、オレはそう尋ねた。女性という生き物の反応すべてが、オレには新鮮だった。
「カゲロウといっしょにいると楽しいなと思いまして」
「……」
赤面をおぼえた。
楽しいと言われるようなことをした覚えはない。会話だって、たいしたことをしゃべっていなかったと思う。オレに出来ることなんて、せいぜい生返事ぐらいだ。
あらためてミオンの姿を見る。
細く折れてしまいそうなカラダに、暴力的なまでにふくらんだ胸。内側から発散される陽キャの雰囲気。
オレとは世界が別だと思っていた住人。まさか接点ができるとは思わなかったし、気づけば自然と言葉をかわしている。
すくなくとも、盗撮のことを詰問しに来たわけではないようだ、とオレは警戒心を忘れてしまっていた。
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