俺は新(異)世界の神となる! ~そのタイトル、死亡フラグにしか見えないんで止めてもらえませんか~
幕間2 第56億7827回 従属神会議(後)
「今回ばかりは、肝を冷やしました。……識神さま。ご助力ありがとうございました」
従属神会議が終わり、神数の減った部屋でサテラが識神に軽く頭を垂れた。
いまこの場に残ったのは、この神殿域の住神である戦女神たちと上位神たちだけだ。
「いやいや代理どのの持つ徳じゃな。それに今回、ヴリュンヒルデと面識を得ておったのが良かったのう。あやつが反対に回っておったらこうは簡単に事が運ばなんだろう」
「私がどうしたのですか識神どの」
「おおヴリュンヒルデ……おぬし代理どのと知己を得てすっかり変心したようではないか――とな。そういう話をしておったのじゃ」
識神の言葉は、あきらかにヴリュンヒルデを揶揄っている。
「私とて頭が固いわけではないのですよ。それに……そうですね、今回代理どのと出会って。サテラやシュアル、バルバロイが、代理どのに肩入れしている理由が判ってしまったものですので……。ただ、サテラ。この度の結果は、偶然にも必要な欠片が揃っていたからです。胸に刻んでおきなさい」
識神からサテラに視線を移して、彼女を諭すために掛けられたヴリュンヒルデの言葉は、優しさと厳しさの両方を含んで響いた。
「しかしあなたの考えているとおり。代理どのには、早い内にあの狼人族の巫女以外の神職を見つけなければなりませんね」
ヴリュンヒルデの視線は、先ほどまで大和の映像を投影したテーブルの上に止まっている。
「ところでバルバロイ。おぬし、今日はえらく静かだったではないか……。ふむ、それもまたしかた無しかのぅ。結局のところ、守護しておった者の魂を救うという目的は果たしたものの、自身の筆頭巫女を失い。さらには代理どのを、いま一歩のところで闇に堕としてしまうところだったのだからのう」
識神は、自身の天敵でもあるバルバロイ……会議のときから腕組みをしたまま、静かにたたずんでいる彼に矛先を向けた。
「今回は……確かに俺が悪かった。魔の者が暗躍しているとは思っていた。だが、まさかあれほどの力を持つ使徒が、この時期に活動しているとは思わなかった。……だが爺さん、テメエも気づきもしなかったろ?」
「………………」
識神はバルバロイをやり込める算段で話を振ったようだが、素直に非を認められたうえに、確かに自身も気付かなかったという事実を突きつけられてしまい言葉に詰った。
「まあ、バルバロイも識神の爺さんもそのくらいにしたらどうだ。今回のあの使徒のことは、どの神も察知できなかったんだ。だがよう、あのレベルの使徒がすでに活動を開始していたのにこれだけの被害で終わったんだ。上出来じゃねえか。ええ?」
バルバロイの横で築神が取りなすように口を開く。
「おぬし……。それでうまく話を纏めたつもりか? バルバロイと共に、主神の宝物庫を破った件。ただで済ますと思っておるのか? ヴリュンヒルデが意図的に上位神だけを残した意味がわかっておらぬようじゃのぅ」
「なッ、確かに主神のヤロウの宝物庫を開けさせてもらったが、それを爺さんに咎められる覚えはねえな」
築神が、剣呑な雰囲気を振りまき識神を睨みつける。
「おぬし……、これが何だかわかるかのぅ」
「そっ、それは……! 爺さんテメエ……」
識神が掌に出現させたモノを見て、築神が忌々しげに口ごもる。
「そうじゃ、主神の宝物庫の鍵じゃ。……このたび主神がハネムーンとやらに出掛けるおり、儂の神殿域を訪れてのう、主神の神器を使わねばならぬ事態が起きた場合。上位神で合議をして使うようにと言い残していったのじゃ。その最終的な決裁権も儂に託されておる。……儂が言っておる意味――わかるであろう?」
「………………」
「…………」
「……わかったよ。でっ? 俺たちに下る罰はどんなもんだ?」
ひとしきり睨みあったあと、諦めたように築神から力が抜けた。いつもならば識神とぶつかるときには共闘するバルバロイが乗ってこないからだ。
「そうじゃのう……この度のおぬしらの軽挙で、多大な被害を受けたエルトーラ。その闘技場の修復に力を尽くすのじゃな。……ただし、神の力を使うことは禁ずるぞ」
「ゲッ、おうおう! いったい何年かかると思ってやがんでい!」
築神が法被に似た服の袖を肩まで捲り上げて腕組みをすると、軽く身体をねじるように上目遣いに識神を睨む。
「そのくらいせねば、おぬしらには罰にもなるまい……」
築神に対する識神の反応はにべもないものだった。だが、喧嘩相手であるバルバロイが、今回はあまりにも素直すぎて物足りないようにも見えた。
「代理どののようすはいかがですかな?」
従属神会議が終わり、会場を後にしようとしたサテラに陽行神から声がかかった。
「これは陽行神さま。いまは主神さまの神殿域にて、シュアルさまが癒やしてくれております。私がシュアルさまにかの者を託しに行ったときには、まだ目を覚ましましておりませんでした。……魔堕ちはまぬがれました。しかし精神的な傷は軽いものでは無いと思われます」
陽行神は、左の手で右の肘を支えるように腕を立てて、軽く握りこんだ手を頬にそえこめかみをトントンと指先で叩くようにしながらサテラのはなしを興味深そうに耳にしている。
「……もし良ければですが、……私が代理どのの心の傷を消してさしあげましょうか?」
「……心の傷を消すとは?」
太陽の運行をその職としている陽行神の口からでた意外な言葉に、サテラが疑問を返した。
「そやつは、太陽運行の職を引き継ぐまえは、心療神と呼ばれておったのじゃ。対象を心に限定した癒やしじゃな。いまでもその力にかけては右に出るものはおるまい。それにしても陽行神。代理どのの心の傷を消すとは大きく出たものじゃ」
サテラと陽行神の話しを聞きつけた識神が、問われてもいないのに知識をひけらかした。
「わたしとしてはそちらの方が性に合っているのですよ。しかしサテラさんは納得がいったのではないですか? 今ではわたしを信仰する民たちのおかげで、このように少しは陽行神としての見栄えも身についてきました。ですが、なかなか元来の気質が抜けません」
自分の装いをサテラに晒すように腕を開いてみせる陽行神の外見は、たしかに医術の神とは見えない雄々しい肉体をもつ青年神ではあるのだ。
しかしその身に纏う雰囲気は、完全に外見を裏切っている。
それは彼の、どこか強者の機嫌をうかがい見るような、おどおどとした視線に特に表れていた。
この世界の神々にはたしかに肉体がある。だがその存在はより精神体に近い。生まれ出た本質は確かにあるのだが、地上の民の信仰の力によって、時を経るにしたがい微妙に変質していくのだ。それはサテラたち戦女神の筆頭でもあるヴリュンヒルデにも言えることだったので、納得することは難しくない。
「しかし、心の傷を消すとなれば。その傷を負った原因でもある、彼の思いも消すことになるのではないのですか?」
「そうじゃのぅ、あの者を育てることを考えるのならば。今回の事件で負ったあの者の心の傷は、自身で癒やすしかないであろうのぅ」
今回の事件で、ヤマトは自分が護ろうと思っていた者を、操られたとはいえはからずも己の手で殺めてしまった。その理不尽な状況と、それを引き起こした使徒ルチアへの怒りから闇に堕ちかけた。そんな彼を救ったのは、やはり彼が護ろうと心に決めた狼人族――自身の巫女であるペルカだった。
それは、彼の内に、自分が護りたいと思った存在を、自分自身よりも大切に想う心があるからだ。
あのときペルカとパスで繋がったサテラは、図らずも彼女を通してヤマトの心奥底にあるモノを垣間見た。
その結果導き出した答え。
それが、サテラや識神が、地上のモノとヤマトの関係を強めようと考えた所以だ。
ただ……サテラが会議の中で口にしなかった事がある。
それは……彼がこの世界で大切だと、そう強く想うモノの中に、自身の存在もあった事。
それを思い出すたびに、サテラの心の内には、これまで感じた事の無い、どこかむず痒いような不可思議な想いが漂う。
「私も……彼は、彼はきっと己の力で、あの心の傷を癒やすと信じます。申し出は有りがたいものですが、謹んで辞退申し上げます」
自身にそのような想いを引き起こすヤマトの……彼の想いが消えてしまう……。
それは、今のサテラには何故か受け容れがたいモノだった。
「……そうですか。たしかにわたしの先走りですね。しかし、消すとまではいかずとも、少しでも早く心の傷が癒えるようにお手伝いができると思います。よろしければこれから代理さまのところにうかがいましょう」
陽行神は、気弱な笑顔を浮かべながらそう切り出した。
そのとき作戦室のドアの奥のほうから、なにやら喧騒が響いてきた。
今この部屋の出入りは転移の魔方陣を使っている。ドアを使った部屋の出入りができるのは戦女神の眷属とヴリュンヒルデに認められたわずかな女神だけだ。
不穏さが滲む室外の騒ぎに、誰がやってきたのかと神々の目が向く。
それと同時に荒々しくドアが開け放たれた。
「たいへんです!! 代理どのが! 代理どのが!」
「落ち着きなさいシュアル! なにが起きたのですか!?」
普段はおっとりとしていて嫋やかなシュアルが、珍しく着衣を乱して駆け込んできた。
いつも綺麗に整えられているつややかな長い黒髪も乱れて、数本の髪が顔にかかっている。
「こちらを……!」
問いかけたヴリュンヒルデに、シュアルは襟元から一枚の紙を取り出して手渡した。
そのシュアルの顔には、気遣わしげな表情のな中にどこか困ったような色合いも含まれている。
「これは……?」
その場に居残った上位神たちは、シュアルとヴリュンヒルデの周りに集まると、その手元を覗きこんだ。
「……!!」
「……こいつぁー?!」
「……また。あの者は……、まったく!」
のぞき込んだ紙に書かれた文字を読み、ヴリュンヒルデは驚きを、バルバロイとサテラは微妙な表情で言葉を発した。
そこにはこう書いてあった。
『出家します。探さないでください』
大和の居た世界を知らないヴリュンヒルデや多くの神は、書かれた言葉に込められた大和の意思を間違いなく読みとった。
しかし、大和と親しみ、彼の部屋の本を読み漁っていたサテラやシュアル、バルバロイは、書かれた文字自体の意味も判ってしまったのだ。
それが微妙な表情の原因であった。
「フォッフォッフォッ、――代理どのもよほど混乱しておるようじゃのぅ」
識神も大和がこの世界に呼び込まれた後。
主神代理となった彼のことを知るため、彼のいた世界を調べたのだろう。
サテラたちの中にある心配と呆れの含まれた微妙さの意味が判っていた。
「しかし困ったのぅ、代理どの……どうやら手に入れたばかりの新たな神の御業を使っておるようじゃ。地上のどこかへ降臨したのであろうが……儂でも痕跡が追えぬとはのぅ。さすがに主神の力を継いでいるだけのことはあるわい」
「妙な感心をしないで下さい! クッ――急ぎ彼を探さねば!! ヤマトの部屋に向かいます! なにか彼が向かった先の手がかりがあるかも知れません!!」
識神の、この状況をどこか楽しんでいるような不謹慎な云いように、サテラは困惑と呆れから復活すると、慌てて転移陣に走った。
「…………しかし、出家してどうするんだあのヤロウ……」
光を散らして転移の魔法陣に消えたサテラを見送るとバルバロイは笑いを抑えるようにつぶやいた。
「あなたたちだけで分っているようですが、どういう意味なのですか、この文字は?」
「ああ、これはこういう意味だ。………………」
バルバロイたちの説明を聞いたヴリュンヒルデの顔にも、次第に反応に困ったような表情が浮かぶ。
「だが、これはいい機会であろう。己を知るもののいない土地で誰の干渉も受けず、自身でこの世界を感じることができるであろう。それに、心の傷を癒やす良い休養になるやもしれぬ」
識神はその瞳に思慮深げな光を瞬かせて、サテラの去った転移陣に目をやるのだった。
◆◇◆◇◆◇
「気に入らぬ……。主神代理が異世界の者というだけでも納得がいかぬのに、あのような危険な者を野放しにするなどと!」
獣王神は自身の神殿域に入るなり、胸に溜めこんだ怒りを爆発させた。
豊かな緑を湛える草原。そこに生い茂る丈の高い草を、軽い衝撃波が波紋を広げるように揺らしていく。
「上位神たちは己の力を過信しているのではないでしょうか?」
同行していた眷属の獣神がへつらうと、
「上位神が如何なるものぞ!! シュアルのようにただ多くの種を創造しただけの淫売が、その地位に就くことができる時点でたかがしれておるわ!!」
獣王神は憂さを晴らすように吠える。
それだけでは湧きあがった怒りがおさまらないのか、怒りを発散するように手近にあった大岩をその拳で叩き砕いた。
「ウググゥ、このていどでは腹の虫がおさまらんわ!」
はじめは大和の処遇をめぐる上位神たちとの意見のぶつかり合いに対しての怒りであったはずだ。
だがいつのまにか、獣王神の胸にあったのは、精霊から神上がり。当初は己の庇護の元にあったいち獣神。
そのシュアルに、地位を上回られたときの屈辱の思いであった。
すでに遙か古の出来事だ。しかし獣王神にとってはそれほどの屈辱であったのだ。
しかもそのシュアルが、あの危険な主神代理と近しく親しんでいるというのだ。己はあの者に干渉することもできないというのに……。
「上位神どもに、我以上の屈辱を与えねば気がおさまらん。なにか手はないものか」
「なれば獣王神さま、……このような手はいかがでしょう……」
同行していた獣神が、辺りを憚るように獣王神に近寄ると、彼に耳打ちをする。
………………
ニヤリ――と、言葉を聞いた獣王神の相貌に、凶悪な笑みが浮かんだ。
従属神会議が終わり、神数の減った部屋でサテラが識神に軽く頭を垂れた。
いまこの場に残ったのは、この神殿域の住神である戦女神たちと上位神たちだけだ。
「いやいや代理どのの持つ徳じゃな。それに今回、ヴリュンヒルデと面識を得ておったのが良かったのう。あやつが反対に回っておったらこうは簡単に事が運ばなんだろう」
「私がどうしたのですか識神どの」
「おおヴリュンヒルデ……おぬし代理どのと知己を得てすっかり変心したようではないか――とな。そういう話をしておったのじゃ」
識神の言葉は、あきらかにヴリュンヒルデを揶揄っている。
「私とて頭が固いわけではないのですよ。それに……そうですね、今回代理どのと出会って。サテラやシュアル、バルバロイが、代理どのに肩入れしている理由が判ってしまったものですので……。ただ、サテラ。この度の結果は、偶然にも必要な欠片が揃っていたからです。胸に刻んでおきなさい」
識神からサテラに視線を移して、彼女を諭すために掛けられたヴリュンヒルデの言葉は、優しさと厳しさの両方を含んで響いた。
「しかしあなたの考えているとおり。代理どのには、早い内にあの狼人族の巫女以外の神職を見つけなければなりませんね」
ヴリュンヒルデの視線は、先ほどまで大和の映像を投影したテーブルの上に止まっている。
「ところでバルバロイ。おぬし、今日はえらく静かだったではないか……。ふむ、それもまたしかた無しかのぅ。結局のところ、守護しておった者の魂を救うという目的は果たしたものの、自身の筆頭巫女を失い。さらには代理どのを、いま一歩のところで闇に堕としてしまうところだったのだからのう」
識神は、自身の天敵でもあるバルバロイ……会議のときから腕組みをしたまま、静かにたたずんでいる彼に矛先を向けた。
「今回は……確かに俺が悪かった。魔の者が暗躍しているとは思っていた。だが、まさかあれほどの力を持つ使徒が、この時期に活動しているとは思わなかった。……だが爺さん、テメエも気づきもしなかったろ?」
「………………」
識神はバルバロイをやり込める算段で話を振ったようだが、素直に非を認められたうえに、確かに自身も気付かなかったという事実を突きつけられてしまい言葉に詰った。
「まあ、バルバロイも識神の爺さんもそのくらいにしたらどうだ。今回のあの使徒のことは、どの神も察知できなかったんだ。だがよう、あのレベルの使徒がすでに活動を開始していたのにこれだけの被害で終わったんだ。上出来じゃねえか。ええ?」
バルバロイの横で築神が取りなすように口を開く。
「おぬし……。それでうまく話を纏めたつもりか? バルバロイと共に、主神の宝物庫を破った件。ただで済ますと思っておるのか? ヴリュンヒルデが意図的に上位神だけを残した意味がわかっておらぬようじゃのぅ」
「なッ、確かに主神のヤロウの宝物庫を開けさせてもらったが、それを爺さんに咎められる覚えはねえな」
築神が、剣呑な雰囲気を振りまき識神を睨みつける。
「おぬし……、これが何だかわかるかのぅ」
「そっ、それは……! 爺さんテメエ……」
識神が掌に出現させたモノを見て、築神が忌々しげに口ごもる。
「そうじゃ、主神の宝物庫の鍵じゃ。……このたび主神がハネムーンとやらに出掛けるおり、儂の神殿域を訪れてのう、主神の神器を使わねばならぬ事態が起きた場合。上位神で合議をして使うようにと言い残していったのじゃ。その最終的な決裁権も儂に託されておる。……儂が言っておる意味――わかるであろう?」
「………………」
「…………」
「……わかったよ。でっ? 俺たちに下る罰はどんなもんだ?」
ひとしきり睨みあったあと、諦めたように築神から力が抜けた。いつもならば識神とぶつかるときには共闘するバルバロイが乗ってこないからだ。
「そうじゃのう……この度のおぬしらの軽挙で、多大な被害を受けたエルトーラ。その闘技場の修復に力を尽くすのじゃな。……ただし、神の力を使うことは禁ずるぞ」
「ゲッ、おうおう! いったい何年かかると思ってやがんでい!」
築神が法被に似た服の袖を肩まで捲り上げて腕組みをすると、軽く身体をねじるように上目遣いに識神を睨む。
「そのくらいせねば、おぬしらには罰にもなるまい……」
築神に対する識神の反応はにべもないものだった。だが、喧嘩相手であるバルバロイが、今回はあまりにも素直すぎて物足りないようにも見えた。
「代理どののようすはいかがですかな?」
従属神会議が終わり、会場を後にしようとしたサテラに陽行神から声がかかった。
「これは陽行神さま。いまは主神さまの神殿域にて、シュアルさまが癒やしてくれております。私がシュアルさまにかの者を託しに行ったときには、まだ目を覚ましましておりませんでした。……魔堕ちはまぬがれました。しかし精神的な傷は軽いものでは無いと思われます」
陽行神は、左の手で右の肘を支えるように腕を立てて、軽く握りこんだ手を頬にそえこめかみをトントンと指先で叩くようにしながらサテラのはなしを興味深そうに耳にしている。
「……もし良ければですが、……私が代理どのの心の傷を消してさしあげましょうか?」
「……心の傷を消すとは?」
太陽の運行をその職としている陽行神の口からでた意外な言葉に、サテラが疑問を返した。
「そやつは、太陽運行の職を引き継ぐまえは、心療神と呼ばれておったのじゃ。対象を心に限定した癒やしじゃな。いまでもその力にかけては右に出るものはおるまい。それにしても陽行神。代理どのの心の傷を消すとは大きく出たものじゃ」
サテラと陽行神の話しを聞きつけた識神が、問われてもいないのに知識をひけらかした。
「わたしとしてはそちらの方が性に合っているのですよ。しかしサテラさんは納得がいったのではないですか? 今ではわたしを信仰する民たちのおかげで、このように少しは陽行神としての見栄えも身についてきました。ですが、なかなか元来の気質が抜けません」
自分の装いをサテラに晒すように腕を開いてみせる陽行神の外見は、たしかに医術の神とは見えない雄々しい肉体をもつ青年神ではあるのだ。
しかしその身に纏う雰囲気は、完全に外見を裏切っている。
それは彼の、どこか強者の機嫌をうかがい見るような、おどおどとした視線に特に表れていた。
この世界の神々にはたしかに肉体がある。だがその存在はより精神体に近い。生まれ出た本質は確かにあるのだが、地上の民の信仰の力によって、時を経るにしたがい微妙に変質していくのだ。それはサテラたち戦女神の筆頭でもあるヴリュンヒルデにも言えることだったので、納得することは難しくない。
「しかし、心の傷を消すとなれば。その傷を負った原因でもある、彼の思いも消すことになるのではないのですか?」
「そうじゃのぅ、あの者を育てることを考えるのならば。今回の事件で負ったあの者の心の傷は、自身で癒やすしかないであろうのぅ」
今回の事件で、ヤマトは自分が護ろうと思っていた者を、操られたとはいえはからずも己の手で殺めてしまった。その理不尽な状況と、それを引き起こした使徒ルチアへの怒りから闇に堕ちかけた。そんな彼を救ったのは、やはり彼が護ろうと心に決めた狼人族――自身の巫女であるペルカだった。
それは、彼の内に、自分が護りたいと思った存在を、自分自身よりも大切に想う心があるからだ。
あのときペルカとパスで繋がったサテラは、図らずも彼女を通してヤマトの心奥底にあるモノを垣間見た。
その結果導き出した答え。
それが、サテラや識神が、地上のモノとヤマトの関係を強めようと考えた所以だ。
ただ……サテラが会議の中で口にしなかった事がある。
それは……彼がこの世界で大切だと、そう強く想うモノの中に、自身の存在もあった事。
それを思い出すたびに、サテラの心の内には、これまで感じた事の無い、どこかむず痒いような不可思議な想いが漂う。
「私も……彼は、彼はきっと己の力で、あの心の傷を癒やすと信じます。申し出は有りがたいものですが、謹んで辞退申し上げます」
自身にそのような想いを引き起こすヤマトの……彼の想いが消えてしまう……。
それは、今のサテラには何故か受け容れがたいモノだった。
「……そうですか。たしかにわたしの先走りですね。しかし、消すとまではいかずとも、少しでも早く心の傷が癒えるようにお手伝いができると思います。よろしければこれから代理さまのところにうかがいましょう」
陽行神は、気弱な笑顔を浮かべながらそう切り出した。
そのとき作戦室のドアの奥のほうから、なにやら喧騒が響いてきた。
今この部屋の出入りは転移の魔方陣を使っている。ドアを使った部屋の出入りができるのは戦女神の眷属とヴリュンヒルデに認められたわずかな女神だけだ。
不穏さが滲む室外の騒ぎに、誰がやってきたのかと神々の目が向く。
それと同時に荒々しくドアが開け放たれた。
「たいへんです!! 代理どのが! 代理どのが!」
「落ち着きなさいシュアル! なにが起きたのですか!?」
普段はおっとりとしていて嫋やかなシュアルが、珍しく着衣を乱して駆け込んできた。
いつも綺麗に整えられているつややかな長い黒髪も乱れて、数本の髪が顔にかかっている。
「こちらを……!」
問いかけたヴリュンヒルデに、シュアルは襟元から一枚の紙を取り出して手渡した。
そのシュアルの顔には、気遣わしげな表情のな中にどこか困ったような色合いも含まれている。
「これは……?」
その場に居残った上位神たちは、シュアルとヴリュンヒルデの周りに集まると、その手元を覗きこんだ。
「……!!」
「……こいつぁー?!」
「……また。あの者は……、まったく!」
のぞき込んだ紙に書かれた文字を読み、ヴリュンヒルデは驚きを、バルバロイとサテラは微妙な表情で言葉を発した。
そこにはこう書いてあった。
『出家します。探さないでください』
大和の居た世界を知らないヴリュンヒルデや多くの神は、書かれた言葉に込められた大和の意思を間違いなく読みとった。
しかし、大和と親しみ、彼の部屋の本を読み漁っていたサテラやシュアル、バルバロイは、書かれた文字自体の意味も判ってしまったのだ。
それが微妙な表情の原因であった。
「フォッフォッフォッ、――代理どのもよほど混乱しておるようじゃのぅ」
識神も大和がこの世界に呼び込まれた後。
主神代理となった彼のことを知るため、彼のいた世界を調べたのだろう。
サテラたちの中にある心配と呆れの含まれた微妙さの意味が判っていた。
「しかし困ったのぅ、代理どの……どうやら手に入れたばかりの新たな神の御業を使っておるようじゃ。地上のどこかへ降臨したのであろうが……儂でも痕跡が追えぬとはのぅ。さすがに主神の力を継いでいるだけのことはあるわい」
「妙な感心をしないで下さい! クッ――急ぎ彼を探さねば!! ヤマトの部屋に向かいます! なにか彼が向かった先の手がかりがあるかも知れません!!」
識神の、この状況をどこか楽しんでいるような不謹慎な云いように、サテラは困惑と呆れから復活すると、慌てて転移陣に走った。
「…………しかし、出家してどうするんだあのヤロウ……」
光を散らして転移の魔法陣に消えたサテラを見送るとバルバロイは笑いを抑えるようにつぶやいた。
「あなたたちだけで分っているようですが、どういう意味なのですか、この文字は?」
「ああ、これはこういう意味だ。………………」
バルバロイたちの説明を聞いたヴリュンヒルデの顔にも、次第に反応に困ったような表情が浮かぶ。
「だが、これはいい機会であろう。己を知るもののいない土地で誰の干渉も受けず、自身でこの世界を感じることができるであろう。それに、心の傷を癒やす良い休養になるやもしれぬ」
識神はその瞳に思慮深げな光を瞬かせて、サテラの去った転移陣に目をやるのだった。
◆◇◆◇◆◇
「気に入らぬ……。主神代理が異世界の者というだけでも納得がいかぬのに、あのような危険な者を野放しにするなどと!」
獣王神は自身の神殿域に入るなり、胸に溜めこんだ怒りを爆発させた。
豊かな緑を湛える草原。そこに生い茂る丈の高い草を、軽い衝撃波が波紋を広げるように揺らしていく。
「上位神たちは己の力を過信しているのではないでしょうか?」
同行していた眷属の獣神がへつらうと、
「上位神が如何なるものぞ!! シュアルのようにただ多くの種を創造しただけの淫売が、その地位に就くことができる時点でたかがしれておるわ!!」
獣王神は憂さを晴らすように吠える。
それだけでは湧きあがった怒りがおさまらないのか、怒りを発散するように手近にあった大岩をその拳で叩き砕いた。
「ウググゥ、このていどでは腹の虫がおさまらんわ!」
はじめは大和の処遇をめぐる上位神たちとの意見のぶつかり合いに対しての怒りであったはずだ。
だがいつのまにか、獣王神の胸にあったのは、精霊から神上がり。当初は己の庇護の元にあったいち獣神。
そのシュアルに、地位を上回られたときの屈辱の思いであった。
すでに遙か古の出来事だ。しかし獣王神にとってはそれほどの屈辱であったのだ。
しかもそのシュアルが、あの危険な主神代理と近しく親しんでいるというのだ。己はあの者に干渉することもできないというのに……。
「上位神どもに、我以上の屈辱を与えねば気がおさまらん。なにか手はないものか」
「なれば獣王神さま、……このような手はいかがでしょう……」
同行していた獣神が、辺りを憚るように獣王神に近寄ると、彼に耳打ちをする。
………………
ニヤリ――と、言葉を聞いた獣王神の相貌に、凶悪な笑みが浮かんだ。
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