追放された悪役令嬢と転生男爵のスローで不思議な結婚生活

ヒーター

モーロン・ラーベー(:杏)


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「貴方はさ、こう言いたいんでしょ。悪意こそ人を人たらしめるってさ」

 クリームヒルトさんは、何処となく僕の知っている彼女とは違うを覗かせながら中年の男に対して言葉を続ける。

「殺人、殺害、殺傷、他殺。己が欲を満たすために他者を貶めて生きる事こそ人であり、恋も理性も馬鹿らしい、ってさ。もし恋や理性ソレが幸福に繋がるなら、人々は争いなど起こさなくて平和だ、って。この閉鎖空間も追い詰められて堕ちる私達を見て楽しむために閉じ込めたんでしょ?」
「そういうお前も随分と喋るな。私の言葉に憤りを感じているからこそ否定したいだけなのではないか?」

 中年の男はクリームヒルトさんの言葉に変わらず、余裕を持ちながら煽って来る。その程度の返しなど、歯牙にもかけないように。

「自分に悪意が向かぬように、理性コトバを並べて自制キョセイを促す。――ハハ、なんだ。結局お前は私の言う言葉を怖がっているのか!」
「怖がっているのはそっちでしょ。欲望ホンノウを肯定するくせに、言葉リセイで追い詰めようとしている、絆も恋も愛も知らないオジサン?」

 しかしふと、その言葉に中年の男は反応をした。怖がっているというのに反応したのか、あるいは自身も言葉を以って僕達を堕落させようとしている事に言葉を詰まらせたのか。
 あるいは――

「いや、違うか。自己愛だけは立派だものね、自己愛本能シシュンキオジサン?」

 この男が決して認めない物を、知らない扱いされたのを見過ごせなかったのか。

「まぁ、いいや。御託は良いからさ、私達を追い詰めて本能を見せたかったらごちゃごちゃ言わずにが――」

 クリームヒルトさんは周囲の皆に「手を出さないように」と身振りで伝えつつ。男に向かって歩いて行き。

「私を殺しとりに来い」

 言葉を簡潔に、宣戦布告をした。







 援護をしようかと言う僕達の問いに対し、クリームヒルトさんは感謝しつつも首を横に振り男と一対一を望んだ。むしろ言葉や魔法に惑わされぬように、自衛に注視していて欲しい、と。

「本能を抑えた苦しみの中で、幸福はない」

 宣戦布告をしたとしても、この空間を放置するのではないかと思いもした中年の男は、羽を生やしこの空間に降り立った。否定された事に腹を立てたのか、あるいはクリームヒルトさんの言葉がそれほどまでに認められなかったようである。

「絆も恋も、所詮は我欲の押し付けに耳触りの良い言葉を当てはめただけの虚構に過ぎない」

 出入り不能と謳ったのに降りたつ事が出来た事に、今までの男の言葉は嘘だったのかとも思ったが、どうやらそうではないようだ。互いが傷つけ合えない空間だったというのは本当であり、この空間に部外者が紛れ込んだ事でこの空間にもいずれ光はさすようである。

「そこの女は己が血と戦い、性的欲求を封じこめようと苦しんでいる。そこの男は肉が喰いたいと服で隠れた見えない所を噛み千切ろうとした」

 ただそれはクリームヒルトさんがこの男を倒せた場合の話だ。この男に彼女がやられた場合は、再びこの空間は闇に閉ざされる。
 そうなればクリームヒルトさんを欠いた状態で僕達が再び同じように追い詰められないとは思えない。僕達の命運は文字通りクリームヒルトさんが握っていると言えよう。

「本能を抑えて苦しみ、同調圧力で自由を奪い取る――ああ、まさに痴れ者だなお前は!」

 男は闇魔法を周囲に漂わせ、操り巨大な手とする。男が持つ二本の手足に加えられたその巨大な腕と手は、羽も相まってまるで蟲である。

「お前は実に良い生き方をしているな。自分の本能を抑え、他者のご機嫌取りを至上としている――良くも最も醜い生き方だ!」

 蟲のように素早く、かつ、振るうわれる腕は一撃を喰らえばただでは済まない威力を誇っている。飛び回り、素早く。そして手は形を変えて薙ぎ払われ、手が通った後の空間は闇魔法の残滓が残るうため、耐性を持たねば空間に入るだけでもダメージを受ける。まさに厄介な戦い方だ。

「そうだね」

 しかし、クリームヒルトさんは喰らわない。当たらない。動じない。

「生徒会長さんが抑えているのも、ハートゴールド先輩が肉を食べたくて自傷しかけたのも知っている」

 クリームヒルトさんの戦法は基本はクロさんと同じで身体強化と、相手を“視る”事による最善へ選択だ。クロさんと違う所は、クリームヒルトさんはそこに魔法も付け足して虚をまぜる事も出来る事である。

「私は社会にも家族にも馴染めずに、本能を抑えて作り笑いをしてそれっぽい虚栄を張って生きて来た。それは私にとても負荷がかかっていたと言えるよ」

 未来視をしているかのような動きに無駄は無く、彼女が動き終わった後にそれ以外の動きは考えられないと思えるような動き。そして的確に蟲に近付き攻撃を喰らわせていく。

「けどね、それは抑えられているんだよ。その理由は生徒会長さんも先輩も同じ理由だろうね」

 クリームヒルトさんは会話をしながらも、隙を与えない。好きなようにさせない。
 行動の最適化、強化、速度上昇を戦闘に行いながら常に別の姿に変えバージョンアップしていく。その戦い方は僕がかつて憧れはしたものの、自分とは違う戦い方なので別の方法で同じ高みを目指そうと思った、クロさんの戦いそのものであると言える。

「同じ理由、だと」

 一撃を胸に貰い、顔を歪めて距離を取りつつ蟲は問いかける。その理由とはなんなのか、と。

「私が本能を抑えて理性を優先し、社会で生きようとする理由はね」

 クリームヒルトさんは敢えて「私は」と言う。同じ理由の中でも、自分が語れるの自分の事だけであるから、と言うように。

「好きな人が居るからだよ」

 まっすぐな。聞いている方が恥ずかしくなる様な言葉を、迷わずに堂々と蟲に言ってのけた。

「私は本能だけで好き勝手生きるよりも、好きな人と一緒に過ごしたい。――それは、本能だけじゃ得られないから」

 幸福と本能が共に有る事を、クリームヒルトさんは否定していない。
 本能無しでは生物を語れない。しかしそれと同じように、理性無しで人を語るのも間違っている。
 好きな相手と一緒に過ごしたいというのも、蟲の言うような本能に欲求に辿り着くというのは理解している。
 ただ、クリームヒルトさんはこう言いたいのだろう。

「だから一つの側面を見て、これが全てだと語らないで」

 シャトルーズがヴァイオレットさんとの決闘の際に快楽を得たのも事実。しかし当時のヴァイオレットさんがそうせざるを得ない事を仕出かして、調和と他の決闘メンバーを守るために自ら抑え込むという汚れ役を買って出たのも事実。
 フォーン会長さんが欲求を抑えられずに苦しんでいたのも事実。しかしそれは色欲と血に溺れれば自分は最も苦しみ、周囲を巻き込みかねないと自制をしたゆえの高潔さだ。
 ハートゴールド先輩も欲求から肉を喰いたいと自身を傷付けた。しかし自分より小さな少女がその皆が寝静まった時の彼の行為を知っているほどに、皆のためにと錬金魔法や脱出方法の模索に尽力しているのに気付いたから自傷をやめ踏みとどまり、皆のためにと不甲斐ない自分を引き締めた。

「どんな状況であれ、見えるのはその相手の一面なのに――」

 だからこそ、この状況を作り出している蟲に対してクリームヒルトさんは明確に怒っていて。

「――人を貶めるのに、本能という言葉を使うな!」

 今までにない、本気の一撃を蟲の顔面に叩きつけた。

「大体私だってようやく好きな人が出来てこれからキャッキャウフフな生活が待ち構えているかもしれないと言うのに、本能だとかそんなもんを語らせるために私の好きな人との時間を奪うなんて許せない! それにそんな難しい事を考えている暇があったら、私は早くティー君と会って過ごしたいんだよ! 恋に理屈が通じるかぁ!!」

 そしてクリームヒルトさんはもう一発殴った。
 …………。うむ。

――クロさんの妹であるなぁ。

 明らかに私怨有り有りの本能な一撃を見て、僕はそう思うのであった。

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