追放された悪役令嬢と転生男爵のスローで不思議な結婚生活
琥珀兄の巻き添え
義理の兄を歓待する準備をしなくてはならないとはいえ、領主としての通常業務をないがしろにする事は出来ない。静かにしてくれと言っても、静かにする事は無い……むしろそれで静かになれば逆に不安になる領民達への対応もあるし、冒険者のトラブルもある。ギルドとの連携もあれば、税務もしなくてはならない。
書類仕事自体は何処かの第二王子の嫌がらせが無くなったため大分落ち着いてはいるが、無い訳では無い。なにもしなければすぐに溜まっていくだろう。それでも大分楽になったが。
「――お帰り下さい。そのような安い仕事を領民にさせる訳にはいかないので」
そして義理の兄の他にも、対応しなければならない来客というものもある。書類仕事の代わりにこちらが増えた、いう感じである。
シキの領主は特定の物以外の無駄金を使いたがらない、という話が広がったのか、最近は物を売りに来る商人は減ったのだが……
「そう仰らないでください、クロ・ハートフィールド様。私共でもこれ以上の資金の提供は出来ませんが、今後の発展を通しまして――」
「これ以上の資金提供が出来ないのならば、私達にメリットは有りません。生憎と領民を苦しませる趣味は有りません。それとも私達に飢えろと仰るのでしょうか」
「いえいえ! そのような事ではございません。ですが私達でもこの条件が精一杯でして。どうかこちらをご覧になり、再考をしていただければ、と。例えば――」
目の前に居る、何処かの立派な商会から来たという男は、新たな契約書の説明文を差し出し、よく回る二枚の口から繰り出される耳触りの良い文言を繰り広げる。
当たり前のことをさも素晴らしい事のように言い。デメリットを隠しはしないが、見方を変えればメリットであると言うような、就活生の自己アピールかのように言いかえて来る。
――最近増えたな、こういう事業や契約を結ばせようとして来る輩。
むしろ最近はこの手の輩が多い。良い話を持ってくる商人も居るのだが、大抵は値踏みをするような様子見の契約を持ちかけて来たり、目の前の男のように向こうが得をする契約を持ちかけて来る輩だ。……こちらは落ち着くまでもう少しかかりそうである。
そして目の前の男は態度こそ敬っているが、自身の商会の影響力が余程自身があるのか、「これからの展望」をチラつかせて上から目線でこちらを見ている。でなければこの程度の契約を提案して来ないだろう。……本当に、面倒な事この上ない。
「つまり――」
「お帰り下さい。貴方方との契約に一切の魅力もメリットも感じられません」
「――え」
「この程度の内容にこちらの利益は有りません。これなら隣街に行ってパン屋の品出しのアルバイトをした方が遥かに儲かります。むしろそちらの方が余ったパンを貰える可能性がある分魅力的だ」
「ですが、我が商会とも今後の繋がりをですね」
「この程度の契約を提案してくる商会との繋がりなんていりませんよ。では、今後はもう少し技術に対する敬意を勉強なさってから来て下さい。偶には二つの舌だけでなく、脳と目でも鍛えてはどうでしょうか。実体験が足りないようですよ」
俺は書類を全て整え、問答無用で相手に受け渡して帰る様に伝えた。そうすると目の前の商人は俺に向かって舌と喉を鍛え始めたが、しばらくすると鍛え終わったのか、俺に対する敬いなど忘れた様子で勢いよく去っていった。どうやら舌だけでなく地面を大きく叩くほどには足も鍛えているようである。
「……ふぅ。バーントさん、お疲れ様です。楽にして良いですよ」
一緒に商人との契約の場に居たバーントさん。俺が話している間も微動だにせず立っており、今も商人が去っていく際に乱れた扉などをすぐさま整えていた。
「御主人様こそお疲れ様です。珈琲をお持ちしましょうか」
「お願いします。いつもより甘めで」
「承りました」
「はい、では。……よし、じゃあ俺は契約の時に出していたカップを片付けて――あれ、ない?」
「そちらならば片付けておきましたよ。それとお待たせしました。こちら珈琲になります」
「待ってないんですが、ありがとうございます」
アンバーさんもそうなのだが、バーントさんは偶に分身とか時間停止とか出来るのではないかと思う程の仕事ぶりをこなす時がある。今も気付けば契約の際に相手に出していた紅茶入りカップを片付けているし、キッチンまでただ行って帰るだけの往復の時間しか経っていないと思うのだが、何故か珈琲も淹れて来ている。……うん、ちゃんと甘めになってるな。美味しい。美味しいけど、なんか怖い。
「しかし、御主人様はああいった商人の方との交渉が上手いですね」
「上手いと言われましても、良くない条件だったのでただ断っただけですし」
「ですが見た限りではあの契約書……資金が少ないと御主人様は仰っていましたが、私には言われるまで気付かないような書き方をされていました」
……バーントさん、契約書いつ見たんだろう。角度的にチラッと見える程度だと思うんだが。
「それにあの商人の弁舌は見事なものです。もし私が御主人様の代理で話を聞いていましたら、良い話として御主人様に話していたかもしれません」
主人である俺を持ちあげるための言葉を使っているのだろうが、そう言われると「不利な話を騙されずに断った凄い俺!」的な風に思ってしまう。バーントさん、こういう風に持ち上げるの上手いんだな。
「まぁ経験則と言いますか。前世での経験が活きただけですよ」
「前世……確か別の世界の記憶、でしたか。似たような交渉をされた事があったので?」
「働き始めて、経験が無いなりに頑張って色々しましたからね。油断すると詐欺に関わるので、本当大変でしたよ」
「詐欺、ですか」
「ええ。それを思うとさっきの商人は可愛い物です」
こう言ってはなんだが、契約書の複雑さとか巧妙な話術とかは前世の輩の方が手強い……というか、狡かった。あいつらあの手この手で言いくるめようとして来るんだよな、本当に厄介だ。
会社の商談の時は本当に大変で……というか俺、型紙師なのになんでそんな経験があるんだろうな。いや、型紙師には確かに交渉術は必要だろうが、なんかこの交渉は違う気がするのは気のせいか。
……お陰で領主としてやっていけている訳ではあるのだが。複雑である。
「さて、悪徳商人が去った事ですし、義兄さんの歓待の準備を進めますかー」
だが、今度来る義理の兄達は、この経験を利用しても上手くいくとは限らない相手だ。悪徳商人のせいで気力は削がれたが、ヴァイオレットさんのご褒美のために頑張らないとな! ……ヴァイオレットさんの言う通り、心の支えになっているな。凄いな。
「はい。私も気力が回復しましたので、より頑張らせて頂きます」
「え、なにか回復する事あったんですか?」
「御主人様の交渉の声を聴き続けられましたので」
なんか怖いんだけど。
「あ、では気力回復したついでに良いでしょうか」
「なんでしょう?」
「ソルフェリノ義兄さんのために作る料理の素材を捕縛――違う、回収――手に入れるために、ロボが力を欲しいそうなので、空を一緒に飛んできてもらえますか?」
「え」
俺に言われたバーントさんは妹と同じような反応で固まったのであった。
――まぁ、そんな感じに、通常業務をこなしながら準備を進めていくのであった。
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