追放された悪役令嬢と転生男爵のスローで不思議な結婚生活
信じていた。
漏れ出たナニカはオール嬢へと向かい、ナニカを受け入れようとしていた。
その事からオール嬢自身が憑りつかれるモノと俺は思い、動いた。
「カーマインさんに聞いていた通りだ。実に良い反応だよ」
しかし想像通りとでも言いたげに、笑みとも嘲けりとも取れる表情でこちらを見た時に俺は勘違いしていたと気付いた。
もしかしたらクリームヒルトやメアリーさんは分かっていたかもしれないが、今ではもう遅いという事だけが分かってしまった。
――二人を……!
遅いのならば今から可能な事をすれば良い。
無事であれば怒られ、なにかあれば心配された後怒られそうではあるが、ヴァイオレットさんとクリームヒルトに被害が及ばない様にしなければ。
あのナニカが先程メアリーさんも説明していた得体の知れない存在であり、あの乙女ゲームと同じ性質を持つならば、ヴァイオレットさんもそうだが、特にクリームヒルトには見せたくない。アンナモノを見ればクリームヒルトは“振り戻し”になる。
――来い。
どういった理屈をあのナニカが持っているかは知る由も無い。
オール嬢の目的がナニカに身を委ねて力を得る事で俺達を襲おうとしているのでは無く、俺達をただ苦しめるためだけに憑りつかせる事で苦しめようとしているのかもしれない。
というよりは、不敵なオール嬢の表情からして“そう”なのだろう。どのようにして憑りつかせようとしているのかは知らないが……
――俺に、来い!
だとしてもその対象をヴァイオレットさんやクリームヒルトに向ける訳にはいかない。
大切な存在を傷付けさせるくらいならば、俺がその傷を受けてやる。こんな時に前に出ずしていつ出ろと言うんだ。
命を投げ出すつもりではない。皆でこの場を切り抜けるためにも、皆で生きるためにも。
俺が耐えれば、クリームヒルトやメアリーさんが補助をしてくれるだろうし、例えなくても俺は勝ってみせる。
その程度の覚悟は、左手薬指に指輪を填めた時から決まっている――
「信じた通りだ」
そして俺がナニカを受けようとした時。
腹部に鈍痛が走った。
「あ――――?」
気を緩めたつもりはない。
ナニカに対しても、オール嬢に対しても、ヴァイオレットさんにも、クリームヒルトにも、扉に向かった殿下達にも、扉を抑えているメアリーさんにも、扉近くの溢れ出るナニカを薙ぎ払っている国王にも、意識を割き“見て”いた。
「オマエなら見えると思ったよ。カーマインさんがオマエは目が良いのだと言っていたから」
間違いなく見ていたのに。
一瞬で、クリームヒルト自身と錬金した布を弾きつつ、腕を黒く変色させ、槍のように変形させたオール嬢の身体の一部が俺の腹部に刺さっていた。
「扉に反応し、昏い力に反応し、表情を見て勘違いに気付き、それでもなお油断はしなかった。――そうしないと、極限まで見たオマエの思考の隙をつけなかった」
そして俺の腹部に刺さったオール嬢の身体の一部を見て、前提が違っていた事に今更ながらに気付く。
「考える数を増やし、意識を分散させ、危険の中でも己を危険に晒せる高潔さ。そして、それでも大切な存在を信じ、己が強さを信じて生き残ろうとする心の強さ!」
クリームヒルトが錬金した布が弾かれたのは、効果が弱かったのではない。
ただ前提が間違っていたという事。
「アァ、信じていて良かったよ。だから今から奪う事が出来る! ――オマエを信じて、良かった」
……既にオール嬢は、あのナニカに憑りつかれている。
ナニカを宿そうと今この場を狙ったのではなく。宿った力を内に抱えた上で、同じ所まで俺を落とそうとしているという事を。
オール嬢の内に潜むモノを俺の内部から流し込み、外部からも俺をナニカで浸食させようとしてるという事を、理解した。
――意識、が。
黒く塗りつぶされていく。
夜眠る時の暗闇ではなく、なにか別のモノに支配を奪われるのではないかという恐怖を伴う暗闇。
暗闇に満たされていない今でも、あらゆる負の感情に満たされて――
「あり、がと、よ」
「は……?」
ああ、しかし。
これは俺の目的は果たされたのではないだろうか。
「お陰で、俺だけが喰らう事が出来た。――俺を信じてくれて、ありがとうよ」
なにせオール嬢はナニカの対象を俺だけにしてくれたのだ。
身に宿し、今も俺の内側から注いでいるこの力があれば、この場に居る誰にでも対象に出来ただろうに、わざわざ俺が憎いという事で、俺だけを対象にしてくれたのだ。
気を抜けば負の感情の波に襲われ二度と目覚めないのではと思ってしまうが、それよりも感謝の念が沸き上がって来る。
「生憎と無駄に運動能力が高い事が、俺の自慢できる数少ない取り柄でね。その強みを活かせるような場を作ってくれてありがとうと言っているんだ」
「なに、を……」
ガシッ、と離してたまるものかと。大切な存在に傷付けられてたまるものかと。俺以外をこの腕とナニカの対象にしてやるものかと。握りつぶすほどの全力で掴み、逃がさないようにする。
「逃がさねぇぞ。俺から全てを奪うと言っただろう」
例え腕を折られようとも筋肉と皮膚がこの黒い手は離さず。
腕が引き千切られたのならば噛みついてでも。
身体が持つ限り、絶対に。
「喧嘩を売ったからには、商談が終わるまで途中で降りさせはしないぞ。オール・ランドルフ」
――絶対にこの腕を、最愛のに向けさせはしない。
「――クロ殿!」
ふと、意識が飲み込まれる前に、誰かが俺を呼ぶ声が聞こえ。
出来れば見たくない、こちらを心配するような表情のヴァイオレットさんの姿が視界の端に映った。
――ああ、やっぱり怒られそうだな。
そう思うと、怒られる時間を減らすためにも、早く目覚めないと駄目だなと思った後。意識が黒く塗りつぶされた。
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