追放された悪役令嬢と転生男爵のスローで不思議な結婚生活
リクエスト話:彼なシャツ(:菫)
※この話はなろう様活動報告にて募集いたしましたリクエスト話(ifなど)になります。細かな設定などに差異があるかもしれませんが、気にせずにお楽しみ頂ければ幸いです。
リクエスト内容「クロの服をヴァイオレットが着ることになる彼シャツ話」
※時期はご想像にお任せいたします。
View.ヴァイオレット
「~♪」
私は鼻歌を軽く歌いながら、洗濯物を畳んでいた。
普段であれば周囲の目や、はしたないという理由で鼻歌は歌わない私であるが、今は周囲に誰も居らず、気分が良かったので、王国出身ならば誰もが知っている歌を歌っていたのだ。
「いい天気でー、綺麗に干せたー♪」
リズムは歌のまま、歌詞は今の感情に替えて歌う。
そう、私が気分が良いのはなんてことない。私が洗濯物当番の今日この日、洗濯物を綺麗に干せて、綺麗に片付ける事が出来た。ただそれだけに過ぎない。
「~~♪」
だがそれだけの事が、今の私にとって上機嫌になる程の事であるともいう。
初めはクロ殿やグレイ、偶に臨時で入るアプリコットやカナリアに教わりながら、戸惑いつつも始めた洗濯。
貴族である私が何故このような事をしないと駄目なんだと思いながら初めた、家事の一つ。
誰にでも出来る事だと思っていた洗濯方法にも、衣類を長持ちさせる、駄目にしないためには知識が必要なのだと衝撃を受け。
手伝って貰いながらも、私が当番の日はどうも今一つな仕上がりであった洗濯だが……今ではこうして洗濯したてのお日様の香りが心地良いと感じ。
私が綺麗に仕上げた服をクロ殿やグレイが着ているのを見ると、なんとなく嬉しさを感じ始めるようになった。
今では洗濯をする事は大変とは思っても、苦であるとは感じなくなって来た。今のように上手くいった時は機嫌も良くなる。……とはいえ、今この屋敷に居るのが私だけという状況でなければ、鼻歌は歌わないが。
――目指すはクロ殿の仕上げ具合で、いずれはバーントやアンバーを超えたいな。
だが私の腕はまだまだである。クロ殿の仕上げは素晴らしいので真似をしたいし、公爵家の使用人だけあって、最上級の腕を持つバーントやアンバーにも追い付きたい。
追い付くには年月は足りないし、あちらは専門なので早々追い付けるものでは無いが――ん?
――これは……クロ殿が作ったシャツか。
ふと畳もうとしていた服で、すぐさま畳むのではなく、手に取って間近で見ようと思った服があった。
それは飾り気もなにもない、だがしっかりとした作りの男物のシャツ。日常遣いの代物だが、礼服な場においても通用しそうな代物だ。
「……相変わらず縫製が上手いな。職人が作ったものとそう変わらない――いや、クロ殿は本職であったか」
縫製や裏地を見て、クロ殿の腕前に私は感心する。
こういった縫製……手芸の類は、私はシキに来る前から覚えはある。それに服の良し悪しの目利きとして、服の知識は作成も含め心得はある。
だからこそ分かる、このクロ殿手作りの服の素晴らしさ。クロ殿は触れない時期があった上、縫製に使用する道具が違うので腕が落ちていると言っていたが、これで落ちたとなると元はどれほどだったのかと言いたくなるほどだ。
「……こればかりは勝てそうにないな」
勝ち負けではないし、諦めるのもどうかという話だが、この方面でクロ殿に追いつくのは、私が勉強し続け、クロ殿の年齢になっても無理そうだ。
――……男物のシャツ、か。
私は裏を見るのを止め、再び表を見て手前に掲げる。
当然ではあるが、私が着るのは女物のシャツである。こういった服は着た事はない。
「……少し、着てみようか」
普段であればそのような事はせず、早く畳んで部屋に戻していた所だろう。
だが、今の私は上機嫌であり、新しい事に挑戦するような浮かれ気味だったのか。はたまた、洗濯したてとはいえクロ殿が着ていたという事実に妙な心が湧いたのかは分からない。
あるいはその両方かもしれないが、ともかく私はこのシャツを着てみようという気持ちになったのである。
――服の上からは……皺になるだろうか。かといって素肌に着るのは……シャツの上からなら良いだろうか。
素肌に着るのはクロ殿に失礼だという、後から考えると「今更だ」と言いたくなる事を思いながら、私は上着を脱いでいく。
そして上半身が、下着の上に着る薄手のシャツとなってクロ殿のシャツを着た。
「……胸がキツイ」
そして最初に思った事は、そんな事だ。
私とクロ殿の胸囲自体はそう変わらないはずだ。だが男性女性の身体の構造上、同じ胸囲ならばどうしても前がキツクなってしまう。
――くっ、ボタンは閉じれたが、前が……
胸の部分や、ボタン配置の右前と左前が逆なので止める事に少し苦労しつつ着たのは良いが、前部分が妙な感じになっている。
身長差のお陰なのか、足りずにお腹が見える、という事は無いが、凄く前に引っ張られる感じがある。
「よっ、と。……ふむ、こんな感じか」
気になる所は有りつつも、私はシャツを着て近くにあった鏡の前に立つ。
――…………成程、こんな感じか。
男物を着るので少しは凛々しくなるかと思ったが、そんな事は無かった。
肩幅が合わないので決まらないし、袖は余って手が指先まで隠れる。
……勇ましく胸が出ているため胸周りはパツパツで、ウエストは緩くヒラヒラしている。
ともかく、凛々しさとは無縁であった。そもそも下は普通に女物であるし、合うはずもないか。
――だが、なんだろう、イケない事をしている気分だ。
気分もなにも、クロ殿の服を勝手に着ているのでイケない事ではあるのだが、妙な高揚があるせいかそんな事実は考えつかなかった。
そしてふと、余っている袖口を見ると、私の顔に近付け……
――うん、お日様の良い香りだな。
クロ殿のシャツではあるが、洗濯し、日に浴びたものを取り込みたてなので当然お日様の香りだ。
――……というか、私はなにを期待したんだろう。
何故服の香りをかぐという行為をしたのかよく分からないまま、私はふと冷静になる。
――こんな姿を見られては駄目だな。……脱ぐか
傍から見れば、私がクロ殿の服を着て、色々と堪能しようとしている変態にならないかと思い、私は脱ごうとする。
そのために顔近くに寄せていた袖口離し、脱ごうとして――
「…………」
「…………」
「…………おかえり」
「…………ただいまです」
脱ごうとして、クロ殿と目が合った。
「早かった、な」
「ええ、仕事が早く終わって……」
「クロ殿。いつからそこに居たのだろうか?」
「……鏡の前でポーズをとる辺りから……」
ふむ、成程。
つまりなんだ。恥ずかしい所を見られた訳か。
もしかしたらクロ殿は、場合によっては私が洗濯前のクロ殿の服を着て楽しんでいるようにも見えた訳か。
……成程。
「違うのだ、いや、なにが違うかと問われれば私も分からないのだが、とにかく違う!」
私は私自身がなにを言っているかも分からない状態で、慌てて否定をした。
なにを言えば良い。この状況でなにを言えば誤解が解ける。
そもそも誤解とはなんだ。なにがなんでなんなのだ。
なにか言わなければならないし、落ち着かないと駄目だと分かっているのだが、頭に熱がこもって上手く思考が働かない。
ええい、一体私はどうすれば良いんだ……!
「ヴァイオレットさん」
「クロ殿、これはだな――」
「貴女は俺をどうしたいんですか」
「――え?」
私がどうすれば良いのか、クロ殿も慌ててなにも出来ずにいる、なんて事が無いかと淡い期待を抱いていたのだが。
クロ殿の表情は慌てる事無く、恥ずかしさで目を逸らす事もなく。
私を真っ直ぐ見て――近付いて来た。
「ク、クロ殿? もしかして勝手に着たのを怒っているのだろうか?」
「ある意味では」
「う……す、すまない。つい着てしまいたくなって……少しはクロ殿の様に、凛々しくなると思ったのだが、私には似合わなくて……」
「なにを言うんですか。最高に似合っていています」
「え? い、いや、そんな事は無いはずだ。袖は余っているし、肩も余っている。明らかに服に着られているようなみっともない――」
「いいえ。今のヴァイオレットは俺の心を掴んで離さない状態です」
「え――ク、クロ殿!?」
私を呼び捨てで呼び、余った袖――私の手首を優しく掴むと、クロ殿は更に近付いて来る。
それは顔を見上げた先、私が背を伸ばせばすぐに唇が届きそう距離であり。
伸ばさなければ最も近い距離で、私の大好きなクロ殿の顔を堪能できる距離で。
いつもと違う服のせいか、クロ殿の温かな体温がより感じて――鼓動も感じる。……私の運動中かのような激しい鼓動のせいで、なにがなんだか分からなくなっているが。
「心が動かされる、というのはこういう事を言うのでしょうね。もうこれ以上は無いと思った所からさらに上に行く事は何度も有りましたが……」
「あ、有ったが?」
「今の俺は、より深い所に突き刺された感じです。上ではなく、真っ直ぐぶつかられて打ち負けた気分です。なんでこんな事をしているんですか」
「えっと……出来心?」
「出来心でこんな事をするんですか」
「こんな事、とは……?」
「夫の心を掴んで、離さないイジワルな事をです」
「そ、そんなにか?」
「そんなにです。相変わらずヴァイオレットはイタズラ好きですね」
「これはそんなつもりでは、」
「イタズラをするなら、返される覚悟はあるのですよね」
「な、い……? クロ殿、それはどういう意味だ?」
「どういう意味なのでしょうね」
「ク、クロ殿、顔が、顔が近いし、身体も……!」
「言っておきますが、受けた分は返しますから。覚悟してくださいね、ヴァイオレット」
「ク、クロど――」
私は言葉を最後まで言い切る事は出来なかった。
理由は……私だけの、秘密にしたい。
ただ言える事は、着ていたシャツはアイロンをかけ直す必要出来た、という事くらいか。
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