追放された悪役令嬢と転生男爵のスローで不思議な結婚生活
無邪気(:偽)
View.メアリー
「……え?」
私のお腹に、包丁が刺さっています。
刺したのは今までにない無邪気な笑みで、こちらを見上げるような形で見ているシルバ君。まるで好きなモノを食べて嬉しいかと言うような、日常の中でのちょっとしたサプライズに成功したかのような笑みを浮かべ、私に包丁を刺していました。
「よいしょ、と」
「――っ!」
そしてシルバ君はそのまま刺さった包丁を抜き、それと同時に私は飛びのいてシルバ君から距離をとります。
同時に刺されたお腹に簡易的な治癒魔法をかけつつ、手で傷口を抑えます。
――大丈夫、深くは無いです。
血は治癒魔法をかけ、手で押さえても溢れる程には出ましたが、傷口周りの腹筋に力を入れてこれ以上血が出ない様に抑えます。
内臓にもダメージはあまりいっていません。適切な処置を施せば、傷痕は目立つ事は無いでしょう。そんな程度の傷口です。
「うん、やっぱり綺麗だ。外見だけでなく、中身まで綺麗なんだね、メアリーさん」
「ありがとう……ございます……?」
「でも残念、刺した瞬間力を入れてそれ以上刺さらい無いようにしたでしょう。本当だったらもっと深く刺さるはずだったんだけどな」
ですが傷なんてどうでも良いのです。問題は何故シルバ君が私を刺したのかです。
包丁を手にして、ついた血を愉しそうに指でなぞるシルバ君。今までにないその恍惚の表情はまさに前世で言う、ヤンデレ的な表情と言えましょう。
――……私を好きなシルバ君が、私を自分だけのモノにするために刺した……?
自意識過剰な部分もあるのは否めませんが、好意を否定する訳でもありません。
そして私の周囲には好意によって変わった方々が多く居ます。大部分は笑うようになったり表情豊かになったりと良い方面へ変わってはいますが、悪い方向……いつかのヴァイオレットのように、好意が暴走する事だってあります。もしやそのような方向にシルバ君が……?
いえ、何者かに操られている可能性だってあります。以前の誘拐騒動の時の様に、言霊魔法で操られている可能性もあるんです。むしろその可能性の方が遥かに高いのですが……
「メアリーさん、痛くないの? おかしいなぁ、深く刺さらなかったとはいえ、痛みで蹲ってもおかしくないのに」
「……生憎と痛みは慣れているんです。この程度は動く邪魔にもなりませんよ」
「わー、すごーい。僕だったら我慢できても顔を歪めちゃうよ。でもメアリーさんは私の想像を上に行くんだね!」
……駄目です。誘拐騒動の時に、今後言霊魔法の影響を感知できるように言霊魔法の魔法特性を学んだのですが、今のシルバ君からは感じられません。
あるのは周囲の空間と同じ魔力特性に、シルバ君特有の魔力の波だけです。……つまりそれは、シルバ君が自身の判断で私を刺したという事に他なりません。
そして同時に頬を染め、今までにない表情で私を見る様は別の存在を見ているかのようで――“私の想像”……? 何故一人称が変わって……
「確か前世では病気しがちで、痛みに耐えて過ごしたんだっけ。凄い人生だったんだねー」
……いえ、今はそれ所ではありません。
信じられないと思いながらも、今の状況を必死に理解しようとし、警戒心を抱きながらシルバ君をまずは取り押さえる算段を付けます。
場所――アプリコットの家の中。整頓されていますが、魔道具が多いです。
距離――力強く一歩踏み出せばすぐに取り押さえられる距離です。
武器――私は無手、シルバ君は包丁とアプリコットの魔道具を持ってます。
状況――扉が閉まったという事、呼びに来た事を考えると、ハクさんも協力を……?
他にも多くの状況を可能な限り短い時間で、可能な限り多くの情報を仕入れ、最悪を想定し、最善を成します。
今の最善はシルバ君を無力化し、落ち着いて話を出来る精神に戻すようにする事です。
――行けます。
そのために私は、シルバ君を抑えようと力を入れた所で。
「動かないで」
シルバ君は右手に持った包丁を、自身の左腕を刺しました。
「……え?」
私は力を入れようとしていた足が止まり、その予想外の行動に動きを止めてしまいます。
「ああ、メアリーさんの血が付いた包丁が、僕の腕に……!」
包丁を自身の腕に刺し、苦痛ではなくさらに喜ぶシルバ君。
そして私が突然の出来事に困惑していると、まるで操り人形かの様に顔を勢いよく私の方へと向けます。
「メアリーさん僕は貴女の才能は知っているよ貴女が本気を出されたら僕では一瞬で組み伏せられてしまうだろうね本当に本当に本当に凄いよ情けない話今の僕ではどうしても勝つ事が出来ないんだ一応は鍛えてはいるから少しは時間稼げるかもしれないよでもね時間を稼ぐ事が出来たとしても“ぐて”じゃないやヴァーミリオンやシスターが来ているから時間稼ぎもあまり意味を成さないんだだから僕ねどうすればメアリーさんにとって今の状態で戦えるかを考えたんだメアリーさんの気持ちを考えに考えに考えて気付いたんだけど僕がメアリーさんの好きな所として優しい所があるんだ当たり前すぎて気付かなかったけどそれに気付けばどうすれば良いか後は簡単だったんだよ!」
突然の行動、突然の矢継ぎ早な言葉。
異様かつ面妖。私の中の異常を知らせる機能が今更になって全力で回りだし、今まで経験した事ないほどの冷や汗を私は流します。
「ね、メアリー・スーさん? 貴女が私を取り押さえるなら、私は全力で私に傷を付ける。腕以外にも、肩とか手とか足とか! 一応死なない様にするけど、下手したら死んじゃうし、取り押さえられたら“暴走させて”の自死を選ぶかも! そうしたら困るのは貴女でしょう!」
「っ、そんな事をさせません……!」
「そうだろうね。でも私は全力でやるし、取り押さえようとしなくても、私は自傷をやるよ。けどそうしない方法が一つあるんだ!」
「……それはなんでしょうか?」
「うん、それはね。私に自傷をして欲しく無かったら、貴女が自傷してよ!」
「……はい?」
同じ姿形のはずなのに、今の私には、にっこりと笑う目の前に居るシルバ君はただの――
「優しいメアリー・スーさんなら、シルバ・セイフライドの代わりに傷付いてくれるよねっ!」
――化物でした。
備考1:「言霊魔法の影響を感知できるように魔法特性を学んだ」
あくまでも特性を学んだだけで使える訳ではありません。言霊魔法は現在特殊危険魔法に当てはまり、原則使用・学習禁止です。
備考2:「言霊魔法の影響を感知できるように魔法特性を学んだ」
何気なく言っていますが、感知系専門職がようやく出来るレベルです。
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