追放された悪役令嬢と転生男爵のスローで不思議な結婚生活
妹であるために!
「妹の立場をかけた戦いが始まろうとしていますね」
「言葉にしたら訳が分からないな」
審判している俺達をヴァイオレットさんとスカイさんがそんな事を言うのが聞こえるが、聞いても字面にしても訳が分からない戦いが始まろうとしていた。
我が妹(今世)と我が妹(前世)が俺の妹の座をかけて戦う。……うん、恐らくは俺は世の兄が経験しないだろう経験をしている。
止めたいが当事者同士がノリノリなのでどうにもできない。それにクリームヒルトの望みが叶うならそれで良いし、クリも……意外と戦うのは好きなタイプだし、これを機に良いライバル関係にでもなれば良いのだが。
「あはは、じゃあ行こうか!」
「……来なさい」
服装は調査でも使っていた学園指定の運動着に着替えた両者。
クリームヒルトは寒いと言うのに上下共半袖半ズボンに近い短いタイプであり、クリは寒いからというよりは肌を見せたく無くて長いタイプを着ている。恐らくはスカイさんの様に意外と筋肉質な身体を見られたくないのだろう。
気にしすぎな所はあると思うのだが、その辺りは思春期の女子という事で触れないでおこう。
「じゃあ両者構えて」
武器は無し。魔法も禁止。
護身符の効果が切れた方が負けであり、衝撃はあまり吸収しないタイプ。ようは実際にダメージは無いのだがふっ飛ばされたりする衝撃は認識するような、実戦に近いタイプにヴァイオレットさんが調整。文字通り殴り合いである。場所はクリの希望でシキで目立たない場所で行い、地面は雪もなく土で目立つ障害物は無い。ただちょっと土ではなく石で出来た地面があるのが気になる程度か。
――……おかしいな、妹を取り合うような戦いのはずなのに。
なんか不良漫画で決闘しそうなシチュエーションである。女子同士だけど。目的も分からないけど。
そして観客はヴァイオレットさんとシルバとスカイさんとスカーレット殿下。
ヴァイオレットさん達はクリームヒルトの実力を知っているのか、クリを心配しているように見える。同時に俺が実力を認めているので興味深そうにしているようにも見える。
「では――」
そして俺が審判として始める合図をしようとすると、両者は戦闘態勢になる。
クリームヒルトは小さく跳躍を繰り返し動くように運動し、クリはファイティングポーズのように構える。共通しているのはあまり力を入れていないと言う所か。
『――っ』
そしてある程度腕に覚えがあるヴァイオレットさん達が、互いの構えを見て強さを感じ取り見る視線が変わる。
――……成程、以前のままであればクリームヒルトが勝つと思っていたが、これでは分からないな。
そう感じ取りつつ、俺は――
「はじめ!」
戦闘の合図をした。
「……破ッ!!」
そしてクリが距離を詰め、クリームヒルトの顔面に拳が叩き込まれた。
「え?」
なにが起きたか分からず、シルバのそんな間の抜けた声が聞こえてくる。
一瞬で顔面に綺麗に入った拳。それは動体視力と反射神経が良いクリームヒルトが回避しきれない速度で叩き込まれていた。
“いた”と、過去形でしか表現できない程に素早い一撃。
距離が俺を挟んでそれぞれ両手を広げて二人分は離れていたにも関わらず、気が付けばクリの右ストレートがクリームヒルトの顔面に入れられた。
――それを可能にしているのは、特殊な技術でも体術でもなんでも無い純粋な筋肉だ。
クリはシッコク兄が学園の一年生、つまりはクリ一桁の年齢の時にシッコク兄と魔法無しで戦い、勝利している。
肉体的には最盛期とも言える当時のシッコク兄に幼女であったクリが勝利したのだ。それほどまでにクリの筋肉は発達している。
質が良いのか、密度が高いのか。ともかく見た目は着痩せして華奢なクリは異様に力がある。今だとアームレスリングとかをすれば負けるかもしれない。……そんな力も娘を嫁にやって地位を上げる道具にしか思っていない両親には不要とされて居たのだが。
ともかくクリの今の一撃は、入ったのならば大の男相手だとしても模擬戦も喧嘩も終わる様な力強いモノであった。
「――――」
「……っ!」
だが俺達の中で最も早い攻撃を繰り出すシャトルーズの一閃ですら見切る事が出来るクリームヒルト。
当たりはしたが、クリームヒルトは完全に入らない形で顔面で受けて致命を避けた。
それにクリも気付いたが、気付いた理由は当てた時の感触だけではない。
――手首を掴んだ……!
顔面を殴られ、衝撃で後ろに吹っ飛んだ倒れる動きと共にクリの手首を両手で掴んだのだ。
殴った感触に気付くよりも早く、掴まれた事に焦るクリ。なにせクリームヒルトは始まりの攻撃を流すように受けた上で、手首を掴んだのだ。
そう来ることが分かった上でやらなければ出来もしない芸当であり、出来たからには予定通りと言える。
ここから来るのは腕挫十字固や脇固めなどの相手を攻撃するために繋ぐ技か、合気道の小手返しの様な体勢を崩す技か。なにに繋いでくるかによって対策が変わって来る。
だがクリの対策は極めて単純だった。
「持ちあげたっ!?」
そう叫んだのはシルバであったか。
クリは文字通りクリームヒルトを腕一本で持ちあげた。
クリームヒルトの体重は女性の身長の割には重い方だが、それでも150に届かない中での重さであり、たかが知れている。だが戦闘で重心を低くしている相手を腕一本で持ちあげるなど信じられるモノではない。
ましてや華奢と言える部類に見えるクリがやっている。驚くのも無理は無いだろう。
だがクリはそれを軽々とやってのける筋力を有しており――そして、信じられない行動をした理由は。
「……蛇ッ!!」
「っ!」
クリームヒルトが狙ってなにかをするつもりならば、なにかをする前に潰せば良い。
だからまずは持ちあげ――
「……這ッ!」
「イ゛ッ――!?」
――持ちあげた腕と一緒にクリームヒルトを地面に叩きつけた。
その衝撃は周囲の地面がクリームヒルトを中心にして凹む程度には威力の強いモノであり、なにか返すよりは受ける事に集中しなければ衝撃で動けなくなるのではないかと判断し、手首を放して受け身をとらざるを得ない程には。
そして放した手をクリは見逃さない。
クリームヒルトは今地に伏せ、クリは立っている。ならば一番早く威力の高い攻撃は、
「……玄ァッ!」
そう、蹴りだ。
護身符があるが故に手加減をしていないのか、直感的に手加減が出来ないと判断したのか。ともかくクリは勢いよく蹴ったのだ。
腕を叩きつけた後にも関わらず、初めの右ストレートより少し遅い、あるいは同じ程度の速度の蹴りはクリームヒルトを文字通りふっ飛ばした。
まるでボールを蹴ったかのように、クリームヒルトは吹っ飛んだ。
「……またっ!?」
吹っ飛んだ事にヴァイオレットさん達は驚愕したが、クリは別の意味で驚愕した。
言葉からして驚愕した理由は……
「ふっ!」
吹っ飛んで空中でくるりと態勢を変え、着地したクリームヒルトが原因だ。
護身符の事もあるが、あの感じからして再び受け流したのだろう。
「……静……」
そして距離をとられた事によりなにをして来るのか分からないクリは体勢を整える。
なにをして来るにしても、攻撃するよりは守りに徹した方が良いと判断したのだろう。なにせ筋力面ではクリに分がある。クリにとっては下手に攻めるよりは、受けて返すだけで充分な優位に立てるからだ。
だからクリームヒルトがなにをするのか観察し……
「オンユア」
「……?」
観察し、奇妙な体勢をとったクリームヒルトに疑問符を浮かべる。
「マーク――」
なにせクリームヒルトは着地と同時に頭を低くし、左足側の膝を立て、右足側の膝を地面につけ両手を前に出し地面につけたのだ。
クリやヴァイオレットさん達にとっては見た事のない奇妙な行動。だが俺やクリームヒルトは知っている体勢。
しかし知っていたとしてもこの状況で“それ”をするのは不可解と言える行動。
「ゲット、セット――」
陸上競技におけるクラウチングスタート。
間違いなく戦いの場で使う代物ではない。しかしそれを着地と同時に二秒もかからない時間で構え、足に力を溜める。
「――ドンッ!」
『……?!』
しかしクリームヒルトにとっては今の状況において“使える”と判断した行動であり、クラウチングスタートにより充分な筋肉の収縮から解き放たれたスタートダッシュは、見ている者全てを驚愕させるのに充分な速度であった。
なにせ身体強化をかけていないにも関わらず、動体視力でどうにか追えるか追えないかと言える速度だからだ。
「……来なさい!」
一直線に最短距離で真っ直ぐ向かってくるクリームヒルトに対し、クリは避けよとせずに守りの体勢へと変えた。
避けるには間に合わず、避けて致命の一撃を受けるよりは守りの方がダメージが少ないと判断したのだろう。
そしてそのスピードと動きから殴る系は捨て、蹴り技あるいは突進系の類と判断し、身長差から重心を低くして守りを固めるが――
「……えっ――? ――い゛っ!?」
クリームヒルトが行動したのは確かに蹴り技、下半身を使う攻撃であった。だがその攻撃は予想外のモノだったのだろう。
なにせクリームヒルトは真っ直ぐ向かってきて、勢いそのまま“縦に回転”したのだ。
走る途中で前傾姿勢を強め、勢いよく地面蹴り、そのまま両足が離れ僅かだが上空に飛び、クリの警戒していた視界から外れ混乱している所をすかさず頭に一撃を入れる。
つまりは空中回転踵落とし。クリームヒルトにとっての最速での不意打ち。間違いなく痛恨の一撃。
「よ――とっ!」
さらにそのままクリの頭を踏みつけ飛び、クリの後方二メートル地面に着地する。
混乱している内にさらなる追撃をするためだろう。混乱の最中、クリはなす術もなく攻撃を受け敗北する。
「……ゥ!」
「――!?」
俺の知っているクリであればそうであっただろう。
だが、クリはそのまま負ける事はなく。クリは両腕を上げてなにかをしようとする。
奇妙な動きにクリームヒルトは目を見開き――
「――あはは!」
なにをするのか分かったのかのように笑い、面白がっているように笑い、なにかをされる前にクリに追撃をしようとする。
「……削ァ!!」
「くっ!?」
だがクリームヒルトの追撃の前に、クリは両腕を地面に打ち下ろした。
その一撃は地響きを起こし、地面の一部の石を粉々に砕き、身を強張らせる程度には大きめの石が周辺の飛び散った。
恐らくは何処に居るか分からないクリームヒルトを威嚇するために全方位に攻撃したのだろうが、あのような威力を持つなど……いや、あれは――
――筋肉操作!?
魔法でもなんでもない、俺が昔クリに教えた技術。
狙った部位の筋肉を意識させ、収縮する事でより鍛える事が出来るトレーニングでも良く使われていた前世での技術である。正確には違うのだが“運動する部位を意識する事で部位を鍛える”というものだ。
だがクリは今それを先程のクリームヒルトのクラウチングスタートの時の様に、収縮からの発散をするために使い今の威力を生み出した。
ようは腕の筋肉を一時的に収縮させ、一気に開放したのだ。そんな行動をクリはやり遂げたのだ。
「甘い!」
だがその程度でクリームヒルトは怯みも脅えもしない。
迷う事無く揺れた地面のまま、石の大きなを受けながら突っ込み追撃、殴りつける。
「……そこ!」
だがクリはそれも理解した上で身体を固めていた。
筋肉操作を全身――とまではいかないが、持ち前の筋肉で身体を固め攻撃を耐えてクリームヒルトの場所を把握。
すぐさま反撃のため身体を回転させ右手で裏拳を出す。その速度は攻撃を繰り出した後のクリームヒルトに避けられるものではない。
「……え?」
だがクリは一つ勘違いしていた。
最初の手首を掴んだクリームヒルトの行動。アレを最初から狙って出した行動であったと。そうでなければあの対応は有り得ないと、勘違いしていた。
「あはは!」
しかしクリームヒルトのあの行動は起きた事に対する最適解としてその場で考えた事である。つまりは見えた上で、受けて掴んだ。
身体を固めた上で反撃を繰り出した裏拳を勢いが乗り切る前に間合いを潰し、さらには袖を掴む事で勢いを殺して掴み笑うクリームヒルトを見て、クリは自身の間違いに気付いたのであった。
「……っ」
クリは右腕を掴まれ体勢を崩しており、対するクリームヒルトは万全の態勢でいる。
この状況からの逆転は不可能。
「……良いね、こんな事なら前から戦っていれば良かった」
「あはは、だから何度も挑んでいたのに」
しかし戦っている者同士は終わりとは思っておらず、
「……まだ終わりなんて思ってませんよ、ね!」
「あはは――勿論!」
互いに 掴んだ/掴まれた 腕をけん制しつつ、その状態での殴り合いが開始された。
片腕だけにも関わらず、それを思わせないラッシュが始まる。
まさにそれは“強者”同士の戦いであり、それは護身符の耐久が切れて俺が止めるまで続くのであった。
「……妹って凄いんだね」
『妹は関係無い(です)』
そして戦いを眺めていたシルバが呟き、女性陣が先程の様に乗る事なく同時に否定した。
うん、これを認めたら世界の妹は大変な事になる。
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