追放された悪役令嬢と転生男爵のスローで不思議な結婚生活
そこに居たのは(:菫)
View.ヴァイオレット
「なにを、言っている。お前は自身の名も忘れたのか!」
「……? ああ、そういえばそんな名でした。あれ、そんな名でしたっけ? ……っ、頭が痛みます。まさかヴァーミリオン殿下が言霊魔法を……? 彼なら教えてもおかしくはないですし……」
ヴァーミリオン殿下の言葉に彼女は頭が痛むかのように右手を頭にやる。
明確な隙ではあるのだが、誰も彼女を止めようとは動かない、動けない。今の彼女に触れては駄目だと、全員の心情が一致していたのだろう。
「痛い。痛い。痛い……痛いです。でもこれが痛みならやっぱり――――なんですね。でも痛いだけなのは嫌です。この痛みは嫌です……」
彼女は金色の髪を掴み、痛いと言いながら髪をぐしゃぐしゃに掻く。
だがそんな状況でも彼女は笑みを崩していなかった。
目は見開き、口元は笑う。
だからこそ今の彼女の言葉と行動に異様さが際立っている。本当に彼女になにが起きている?
「でも戦っていれば痛みも消えますね、あはは!」
その言葉で各々が構えを取り、攻撃や防御、詠唱の仕草を取る。
数で言えばこちらが圧倒している。多勢に無勢であり、こちらがクリームヒルトに傷を付けない様に気を払ったとしても、勝機はこちらに大いにある。
だが油断は出来ないと、全力で迎え撃ち無力化しようとして。
「ひとーり」
「は? ――ぐっ!?」
私を庇うように立っていたアプリコットの前に瞬時に移動し、突然の出来事に呆気にとられつつアプリコットの腹部に拳を入れた。
「ぐっ、ぁ、お、えっ、」
「コットちゃん!? このっ――!?」
そしてその一撃で咄嗟に杖でガードをしたアプリコットを戦闘不能に追いやった。
杖は折れ、蹲るアプリコットを見て反応出来なかったシアンが得意の蹴りを入れようとし、私は万が一それを外しても良いように魔法を発動させようとして。
「わー、エッローイです! あはは!」
「っ――わっ!?」
「っ!?」
シアンの蹴りを屈んで躱して流し、素早くて見切る事すら難しいシアンの足を掴んで、勢いを利用し、私に向かうように方向を流して私の魔法を遮った。
「一閃――」
「?」
「なっ!?」
「わぁ、怖いですよシャル。けど私に気を使ったのでしょうか。それじゃ斬れないですよ?」
シャトルーズが彼女の背後から斬れない様に刀の斬る部分と逆に向け、シアンの一撃よりも早い技を繰り出すが、言葉に不思議そうに振り返った彼女が、難なく刀を指で掴み、勢いを殺した。
「【地闇拘束魔法】」
「んー、鎖? 動けないです?」
「【地闇上級魔法】」
「おお、身体が重いです?」
彼女がシャトルーズの攻撃を摘まみ、シャトルーズに攻撃をしようとした所でエクルが束縛魔法で空間から出て来た鎖で手足を縛り。ヴァーミリオン殿下が重力系統の魔法を使い、彼女の動きを止める。
「申し訳ありません、クリームヒルト。少し休んでいてもらいますよ。――カーバンクル」
そしてそこにアッシュが契約している風の精霊、カーバンクルを使役して彼女に一撃を与えようとしている。死はしないし、大怪我を負うようなものでは無いだろうが、下手をすれば――――考えるな。今はまずは彼女を無力化せねばならない。
私に出来る事は、巻き込まれないようにアプリコットを引き連れて逃げて、倒れなかった時のために追い打ちの魔法を唱えておくことだ。アプリコットはシアンに治療をしなければ。
「借りるよ?」
「は――?」
しかし彼女は刀を指の力だけでシャトルーズから奪い取り、僅かに動く手首の動きだけで――
「よいしょ!」
「危なっ――しまっ、」
「あはは!」
「たっ!?」
「くっ!?」
エクルに刀を投げつけ、それを避けようとして一瞬束縛魔法が緩んだ瞬間に鎖を引き千切り、重力魔法を受けながらもエクルに向かってたった二歩で接近し、蹴りを入れる。
そのままエクルの腕を掴んでアッシュに投げつけた。
「んー、やっぱり駄目ですね。……私に遠慮しているんでしょうか。私はなんなのでしょうか?」
バランスを崩したアッシュとエクルにもう一度蹴りを入れ、ヴァーミリオン殿下へと向きながら疑問顔でよく分からない疑問を口にする。
ヴァーミリオン殿下は彼女の間合いに入っている事に下手に動けず、のほほんと言いながらも彼女に隙は無かった。
「スカイはよく分からない状況ですし、アメジスト……じゃない、ヴァイオレットは――うん、良いですね」
悩むような仕草を取った後、彼女は一瞥してから私を見ると……
「じゃあ、貴女を倒しましょうか」
ヴァーミリオン殿下は油断していなかっただろう。
シアンもアプリコットの状況を確認したとはいえ、意識をこちらに向ける事を止めなかったはずだ。
私だって動きを見逃さまいと注視していたはずなのに。
「あはは!」
だが、次の瞬間には彼女はすぐ近くに居て――
「イオちゃん!!」
「ヴァイオレット!」
近くでシアンの声が聞こえた。
少し離れた所でヴァーミリオン殿下の声が聞こえた。
だけど声よりも早く彼女の笑顔が目の前にあって――
「――あれ?」
一撃が来ると身構え、目を瞑り衝撃に備えていたが、いつまで経っても衝撃が来る事は無かった。
気が付くとふわっと宙に浮くような感覚と、誰かに抱えられるかのような感触が私を包んだ。
――この香りはもしかして……
この感触や香りは良く知っている。
彼は明るく元気で、私に無いモノを多く持っていて。
いつでも私のために立ち向かってくれるような、誰かのために怒れるような強さと優しさがあって。
身体能力が高くて。魔法が苦手で。身分関係なく多くの友を持ち。私を妻として迎え入れてくれて。息子に対し意外と弱くて。独特の苦みが紅茶より珈琲の方が好きだと言っていて。
「ふぅ、良かった間に合った……」
そして聞こえるだけで耳が幸福になるような、愛しい声が聞こえてくる。
声が聞こえて、恐怖で瞑っていた目を開けると、そこには――
「大丈夫ですか、ヴァイオレットさん?」
そんな愛しの夫が、綺麗な碧い瞳で私を見ていた。
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