追放された悪役令嬢と転生男爵のスローで不思議な結婚生活

ヒーター

呼び方(:灰)


View.グレイ


「弟子よ。学園長に変な事はされなかっただろうな。妙な視線で見られなかったか? 触られたり過剰な近付きがあったりしなかっただろな?」
「は、はい。特にありませんでした。今のアプリコット様ほどは近付かれませんでしたし、普通の問答であったかと……」

 冬という事で昼も短くなり、午後の実技試験と面接も終わり、全ての試験が終わった夕方。夕方であるのにすっかり暗くなった首都のとある通り道にて、私はアプリコット様に肩を掴まれ迫られていた。
 何故かは分からない。ただ、最後の試験である個別面談の相手が学園長との一対一のものだと知った途端から何故かアプリコット様の様子がおかしかった気がするのだが、終わってからずっとこの調子である。
 ここ最近の何処か距離のあるものではないので嬉しいと言えば嬉しいのだが、ここまで顔を近付けられると……

「アプリコット。心配なのは分かりますが、そう詰め寄ってはいけませんよ」
「そうは言うがメアリーさん。あの学園長ジョニーめの性癖フェチを知ってなお安心している者が居れば、信用できないと思うのだが……」
「……そうですね。ですが、一旦離れましょう? 落ち着かないと言える事も言えませんよ、お互いに」
「む、それもそうか……」

 と、私が今日の昼くらいから感じている妙な感情が強まっていると、試験が終わってから一緒に居るメアリー様がアプリコット様に注意をしてくださったお陰で離れて下さったので、感情を抑えることが出来た。……危ない、危ない……なにが危ないかは分からないけれど。

「メアリー。学園長の性癖とはなんなのだ? 彼と学園長になにが……?」
「えっと……色々ありまして。後で説明するので、それでよろしいでしょうかヴァーミリオン君」
「む、分かった。試験の後始末もあるからな、後で雑務処理を含めて生徒会室でゆっくりと……」
「はは、ヴァーミリオン殿下。そのような些事は近侍バレットの私に任せてくださってよろしいのですよ。説明に関しては私が後で伝えましょう」
「アッシュ。お前は余計な気を回さなくていい。それに雑務を避けていては王族として恥だ。俺に任せるが良い」
「そう仰られないでください。私は貴方を思って言っているのですから素直に――」
「メアリーくん。悪いけどこの送迎が終わったら後日の調査の件について話したいから時間良いかい? ほら、シャルの幼馴染の彼女が今向かっている件も含めてさ」
『エクル、抜け駆けをするな!』
「あの、私の意見を無視しないでくださいね?」

 私がどうにか感情を抑えていると、アッシュ様とメアリー様が、私達の宿屋まで案内するという行動に対し「危険だ!」とよく分からない事を言いだして着いてこられたヴァーミリオン様、エクル様と話されていた。
 何故だか分からないが、彼らを見ていると恋愛に於いては対象の相手の意見は大切だと思わずにはいられないが、何故なのだろう。

「しかし、お綺麗ですね! 首都では夜にライトアップされるとは以前聞いておりましたし、以前も少し見ましたがこうして間近で見ると綺麗さが段違いです!」

 それはともかく、私は謎の感情を抑える事と、話題を続ければまたアプリコット様が詰め寄って来るのではないかと思ったので、話題を逸らすために先程から思っている通りの光に関しての感想を述べた。
 シキでも夜の外には安全面を考慮した光はあるのだが、首都のこの光は比べ物にならない程多く、また色鮮やかで綺麗であり見るだけでワクワクする。
 クロ様の誕生日の際に話しを少しだけ聞いており、以前首都に来た時にもライトアップされている所は見たが、今現在ほどのものは見られなかった。まさに素晴らしき光景である。

「うむ、我もここまでのは初めてだな。以前も祭で盛り上がった際には見たのだが……首都というのはやはり広いのだな。良いモノだ」
「色々とこの光の中を見て回りたいですね。この光はお店が閉まる深夜までやっていると聞きますから」
「そうらしいな。だが、我達はあまり遅くまでは居られまい……が、夕食後に少しは時間があるだろう。その時にクリームヒルトさん達と見て回るか」
「はい!」

 この後メアリー様と、後で合流する予定のクリームヒルトちゃんと晩御飯を食べる予定だ。そしてその後に少し首都を回る。
 クリームヒルトちゃんが夜に学園生が首都に繰り出す時は外出許可証が必要なので「折角出したんだからギリギリまで遊ぼう!」と言って私達を誘ってくれたのである。
 しかし実際は私達未成年だけで夜の首都を回るのは禁止されており、危険があるという事でクリームヒルトちゃんが計らってくれたのだろうが。

「アプリコット様達と周るのが楽しみです! それにあれのために買い物もしたいですし」
「ふ、そうだな、我も選ぼう。それに学園生になれば見る機会は増えるだろうがな。…………あー……弟子よ、少し良いだろうか」
「はい、どうかなさいましたか?」

 私がクロ様にも頼まれたあの件に関して楽しみにしていると、アプリコット様が少し言い辛そうに帽子を押さえながら私に尋ねて来た。

「弟子が学園生になるにあたって、弟子は首都に慣れねばならず、多くの年上の同級生と触れ合わねばならぬ」
「はい」
「それに当たって言葉遣いなのだが……いや、それは個性として良いのかもしれないが、呼び方を……」
「?」

 どうしたのだろうか。心なしか山茶水仙花を贈る前の時のような、視線の逸らしを感じる。
 そして呼び方? なんの事なのだろうか。

「様付けでは同級生には距離を感じる者も居る。だから様付けをしない場合もある」
「成程。ではブラウンさんのように、さん付けの方がよろしいでしょうか」
「それでも良いが、呼び捨ても慣れた方が良いと思うのだ」

 呼び捨て……エメラルド様や今近くで言い争っているヴァーミリオン様達のように、親しき者同士で呼び捨てにしているのは見る。私にとっては皆様が尊敬すべきお方なので、基本敬称ではあるが……確かに呼び捨てで呼ぶのも慣れた方が良いのだろうか?

「だから……一度慣れるために我の事を呼び捨てで呼んでみないか。同級生なのだから、親しく……」
「え、嫌です」
「何故だ!?」

 アプリコット様が私の言葉に驚愕し、凛々しさがあまりない表情になる。が、不思議とこういった表情も見ていたくなるのは何故だろうか。

「私にとってアプリコット様は師匠であり、クロ様のように最も尊敬できるお方です。そのような方に対して私は敬意を忘れないようにしたいのです!」

 つまりはクロ様達が未だにお互いをさん付け、殿付けしているようなものだ。私にとってはアプリコット様はあらゆる面での師匠であるので、このお方に対して様を外すなど考えられない……!

「良いから呼んで欲しいのだが……むぅ」
「……えっと」

 だけど、アプリコット様が少し寂しそうにしているのを見て、私の中のなにかが揺らぐのを感じた。
 これは……山茶水仙花を探す前の時のような、この方にそのような表情をして欲しくないという感情だ。寂しそうにして欲しくないというのもあるが……私のせいで寂しそうになるというのは、不思議と嫌なものであった。

「……では、私めの事も名前でお呼びください。それならばよろしいです。えっと……アプリコットさ――アプリコッ……」
「…………」
「アプリコットちゃん、では駄目でしょうか?」
「っ! それもそれで良いが……今は呼び捨てで頼む」
「うっ……」

 アプリコット様にしては珍しい、そのようななにかを求めるような表情をされると非常に困る。
 ……成程、クロ様やヴァイオレット様が偶に相手に求められるような表情を向けられてしどろもどろとするのはこれが理由なのか!
 確かにこのような表情で見られたら困ってしまう。……あれ、でもそれはつまり私はアプリコット様を……いや、それよりも早く呼んで差し上げねば……!

「……アプリコット。……これでよろしいデショウカ」
「ロボさんみたいになっているぞ」
「……駄目でしょうか?」
「いや、良いぞ。……ふふ、意外と嬉しいものだな。――グレイ」

 …………なんだろう。以前も呼ばれたはずなのに、普段と違う呼ばれ方をすると言うのはなんとなくむず痒い。心がこのような感情を覚えるなんて知らなかった。
 今すぐクロ様やヴァイオレット様のように顔を覆いたい気持ちになる。
 しかし、不思議とこの感情は悪くないと思う自分も居た。
 ……本当に不思議である。

「……青いですね……でも、ああいう風にするのも良いですね……」
「安心してください。未来の後輩達のような空気を望むのなら、私は貴女に囁きかけましょう。呼び方を変えるのならば、渾名で……」
「メアリー。俺の事は愛称で呼んでいいぞ。シャルのように略しても良いし、呼び捨てでも構わない。むしろ敬称など不要だ!」
「殿下を敬称無しなど、彼女は出来ませんよ。あれが彼女なりの気遣い方なのだからね。だけど私の事は気軽にエクルと呼んでいいよ」
「エクル先輩は先輩なのですから、メアリーが外すなんてしないでしょう。その点私の事はアッシュと呼び捨てで良いですよ」
「アッシュ、お前は相変わらず狡い真似を……!」
「いや、ですから私の意見を無視しないでくださいね?」

 そしてメアリー様達が私達の方を見てさらに盛り上がっていた。
 何故かは分からないが、この方々を見ていたら「まだやっているのか」と思えてしまった。不思議と大人の達観じみた感情が沸き上がるのは何故だろう。

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