追放された悪役令嬢と転生男爵のスローで不思議な結婚生活

ヒーター

濃緑の宣言(:偽)


View.メアリー


「焦っていますか?」
「――っ!?」

 私がかけた言葉に、アッシュ君は痛い所を突かれたかのように近付けようとした顔を止めました。
 結果としてしたという噂は流れましたが、かつて私もアッシュ君にキスをされそうになった事は有ります。ですが後の時と違って、今のアッシュ君はなにか……別の事に焦っている気がしました。

「アッシュ君。私を……求めてくれるのも嬉しいです。貴方が男性である事も理解しています。ですが……もし今の貴方はそれ以上に、なにかに焦っていませんか?」
「……ああ。焦っている。メアリー、貴女は魅力的な女性だ。誰も放っておかない。なのに、こうして私と他に誰も居ない場所で、無防備に――」
「無防備なのは、貴方を信用しているからですよ。いたずらに刺激をしたのならば謝ります……ですけど」

 好意を向けられる事は恥ずかしいけど嬉しいです。
 私だって男性と付き合いたいという願望はあります。前世では望んでも出来なかった事を、今世では果たしたいと常日頃から思っています。
 ですけど、今の私には――

「『ごめんなさい。今の私には、やる事がありますから』」

 だからその好意にはは答えられないと、伝えました。
 ごめんなさい、アッシュ君。全て落ち着いたら私は……

「それは、どういう――」
「……アッシュ」

 と、アッシュ君が私に疑問を投げかけようとした時、ふと他に誰も居ないはずの資料室で声をかけられました。
 私達が声のした方へと顔を向けると。

「ここで作業をしていると聞き、俺になにか手伝えることは無いかと来ては見たが……なにをしているか、聞かせて貰おうじゃないか」
「……シャル君」

 ……間違いなく怒っている、シャトルーズ君ことシャル君が居ました。
 努めて冷静に振舞っていますが、今にも抜刀とかしそうな勢いです。刀は持っていませんが、気合で作りだしそうな感じです。

「いや、落ち着こう。落ち着こうでは無いか、俺。合意の上ならば時と場所の注意だけをして、俺は引き下がろう」
「えっとシャル君? これはですね」

 一人称が俺になっている時点で冷静さを欠いている気もしますが、まずは落ち着いて貰わないといけません。
 合意かどうかと問われれば、強引にキスをされそうであったので合意では無いのですが、そんな事言ったらこの資料室で事件が起きそうです。ですからまずは落ち着いて貰おうと私が説明をしようとして、

「ほう、合意ならば引き下がるのか。随分と甘い判断だな、シャル」
「アッシュ君?」

 何故かアッシュ君はシャル君を煽り始めました。
 私が口を出そうとすると、アッシュ君は私の唇の前に人差し指を近付け、微笑みかけてきます。

「ここは任せてください」

 いえ、なんだか今の貴方に任せると割とややこしくなる気がするのですが。
 小さな声でウインクされながら言われても困ります。格好良くて様になっているのも困ります。

「どういう意味だ、アッシュ」
「そのままの意味だ、シャル。お前は私達が合意の上であったとして、付き合っていたとする。それでもメアリーを奪ってやろうとは思わないのか」
「……もし合意の上ならば、口出しはしない。俺が望んでいるのは彼女の幸せだ。当然俺の傍で幸せになれば嬉しいが、既に付き合っているのならば俺はお前達を祝福しよう。俺は彼女の幸福を壊したくはない」
「詭弁だな」
「――なに?」

 そんな私の想いを余所に、両者は会話を続けます。
 ……えっと、とりあえずアッシュ君は私の手首を放して欲しいです。男の子にこうして肌を触れられるのは緊張するのですが。

「詭弁だと言ったんだ。シャル、お前のメアリーへの愛はそんなものか。真実の愛ならば、そんな簡単に引き下がるなどできないはずだ。そんなものは偽物の愛だ」

 真実の、愛……?
 なんでしょう、その心が弾むようなもどかしくなる様な、その言葉を口にするのも受け取るのにも勇気がいりそうな言葉は。その言葉を向けられる程私は綺麗ではないのですが。

「俺の、彼女への想いが偽物だと……巫山戯るなアッシュ! 俺のこの気持ちが偽物ならば、世の中に本物の気持ちなどあるものか!」
「ならば何故今私とメアリーのこの状況が同意の上ならば引き下がろうとした! ならば偽りに過ぎないと言っている!」
「偽りなどではない! 俺が彼女に抱くこの気持ちは――間違いなく、本当の恋だ!」

 本当の、恋……!?
 恋と愛の違いはなんなのでしょうか。私はそれを理解する事が出来るのでしょうか。
 前世でプレイしたゲームの告白シーンで「恋は現実に折れ、現実は愛に負け、愛は恋に無力となる」みたいな台詞があったような気がします。
 つまりシャル君はアッシュ君の真実の愛に勝つために本当の恋を選択したのでしょうか。いえ、違いますよね。そういう事じゃないですよね。

「私はそんな偽物の愛を抱く相手など、相手にはならんと思っている。シャル、お前は本当にメアリーが好きなのか」
「ああ、そうだとも。例え今は他の男に心を奪われていようと、ファーストキスを他の男に捧げていたとしても構わん! 最後には俺の傍にさえ居てくれればそれで良い!」

 あれ、その台詞と似た台詞を何処かで聞いた事がある気がします。

!」
「え、はいっ!?」

 唐突にシャル君に名前を呼ばれ、私は驚きで変な声を少し上げてしまいます。
 アッシュ君ならばここまで驚かなかったと思いますが、シャル君のその言葉に私は驚いてしまったのです。何故なら、シャル君が今まで私のファーストネームを呼んだ事は一度もありませんでしたから。

「今はアッシュと付き合っていようと、俺は諦めないからな。俺はお前を守る為にも強くなり、お前に相応しい男になる。俺は必ずお前が他の男など目に入らないような、男になって見せる。だが、これだけは忘れないで欲しい。俺はお前の事を――」

 そう言いつつ、アッシュ君が持っている左手首とは逆の右手首を両手で包み込むように取り、私をジッと見つめます。
 うっ、黄緑の綺麗な目がこんなに近い所に……普段近くには居ても、あまり私に接して来ないシャル君であるので、こうして近づかれると心臓の鼓動が早くなるのを感じます。
 さらになんですかこの格好良い声は。前世であれば声だけで多くの女性を魅了できる声優になれますよ。……彼もこの声は声優さんと同じでした。良い声なはずです。
 いえ、そもそも勘違いがあるのですが……

「私は誰とも付き合っていないですし、先程のも合意とは違うのですが……」
「アッシュ。表に出ろ。彼女を汚そうとした罪は重い」
「いいだろう。お前の今の言葉を持って改めてライバルと認めた。白黒はっきりさせようじゃないか。どちらが彼女に相応しいかを……!」

 ……緊張のあまり余計な事を一番ダメなタイミングで言ってしまいました。
 このままだと本当に決闘をしそうです。

「だがこれだけは言っておく、私はメアリーに対してしようとしたことは、お前もあの状況を見れば仕方の無い事であった」
「……確かに、違和感はある。いくら他に誰も居なかったとはいえ何故お前があのような行動を……先日の第二王女殿下の言葉が原因か?」
「それもあるが……メアリーが資料を手にして、腕を伸ばし、背伸びをして戸棚に入れた。……俺の前で無防備にな」
「どういう…………ああ、成程。無防備であったか」
「無防備だったんだ……」
「そうか……」

 しかし何故かアッシュ君の言葉にシャル君が納得し、戦うムードが静まっていきました。
 ……よく分かりませんが、とりあえず決闘は止めておきましょう。





備考:「メアリーが資料を手にして、腕を伸ばし、背伸びをして戸棚に入れた。……俺の前で無防備にな」
意訳
「背伸びをして上着やスカートの裾が少し上がって、普段見えている以上に見える肌ってなんか興奮する」

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