追放された悪役令嬢と転生男爵のスローで不思議な結婚生活

ヒーター

軽く触れて、仄かに甘い味(:菫)


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 あれ?
 何故私は泣いているんだろう。
 悲しむような事を言われてもない。身体的苦痛を受けた訳でもない。精神的苦痛を受けた訳でも無い。だけど目から涙が溢れてくる。
 今はクロ殿に喜んで貰えた事に喜ぶべき所ではないか。誰かの前で泣くなんて良い事ではない。
 だから今すぐ私が作りたい表情の笑顔を作れ。こんな事をしていてはクロ殿に迷惑が掛かってしまう。

「あ、あれ……なん、で……?」

 止まれ。止まって。
 私にも理由が分からない状態で涙を流してもクロ殿が困るだけだ。
 だけど溢れてくる涙は止まらず、はしたなく手で拭っても更に溢れてくる。
 このままではクロ殿に縫ってもらったドレスに染みが付いてしまう。
 私の為だと作って貰えて、嬉しくて今日この日に誕生日で少しでも嬉しさを返せればと願わずにはいられなかった大切なドレスが汚れてしまう。そんな事は私も望むべき事ではない。

「――大丈夫ですか!? な、なにか俺変な事でも――」

 ほら、クロ殿も突然泣き出した私に慌てているじゃないか。
 私が何故泣いているのかが分からず、どうすればいいのか悩み、なにか声をかけるべきなのか、何処か痛いのかと困っている。
 困らせたくない。私はただ、クロ殿に喜んで貰いたいだけだ。
 なにを渡せば良いかと悩んで。いつ渡せば良いかと機会を伺い。機会が来たから実行し。プレゼントを渡して。中身を見て気に入って貰えたら嬉しくて。でも気に入って貰えるか緊張で他になにも考えることが出来なくて。それでも必死に今まで受けた教育のように出来る限り表情を表に出さないようにして。

「違、う……変な事は、言ってない……クロ殿は、悪くない」

 だけど今はそんな必死の取り繕いも剥がれ、みっともなく涙を流している。
 感情を上手く制御出来ない。涙を止めようとしても出来ない。
 元々私は感情を表に出す、出さないという取捨選択は下手であると学園に入ってから自覚はしていた。だけど喜哀楽の感情を抑えるのは上手い方だとは思っていた。殿下との別れの時も涙は流さなかった。
 こんな誰かの前で涙を流すなんて事は、幼少期にバーントやアンバーに隠れて泣いたのを見られた時とシュバルツ襲撃後の洞窟でくらいだ。

「これ、は……嬉し、くて……」

 だけどあの時のような苦痛で泣いているのではない。
 ぐちゃぐちゃに混じった感情の中で、段々と何故涙を流してしまっているのかを少しでも整理しようとして、ただ苦痛や悲しみではなく、喜びの嬉しいという感情から来る涙である事は不思議と理解できた。

「嬉しくて、ですか?」

 嬉しかった。
 プレゼントを受け取って貰えて、喜んで貰えた事もある。だが中身はまだ見て貰っていないからそれが全てではない。嬉しくてもこんな留めなく溢れる程ではない。
 涙は単純な、何気ないクロ殿の言葉が原因で。

「ようや、く……クロ殿に、好きって、言って、貰えた……!」

 私は、何故泣いているのかを涙を拭いながらどうにか単語化しながら話すことが出来た。
 同時に私はこれだけで泣いてしまったのかと感情はさらに混乱する。

 ――ああ、だけど。同時に泣いてしまった理由も分かって来た。

 かつての私は、嫉妬の末に殿下に見限られた。
 かつての私は、暴走の故に学園から排斥された。
 かつての私は、罪過の果に父に興味を無くされた。
 行動が目に余ると言われた。
 周囲を見ていないと言われた。
 好きであった事は無いと言われた。
 罪に成らないのなら殺していると言われた。

「好きな相手、に……好き、と言って、貰えた……!」

 世の中の全てが敵に見え、私は生涯を孤独に過ごすものだと自棄になり、知らない男性と唐突に夫婦になる事すら受け入れようとしていた。
 だけどクロ殿達に会えたお陰で、私は立ち直る機会を貰えた。

 初めて会った日の夜。私はクロ殿に嫌いと言われた。
 指輪を貰ったあの日。私はクロ殿に貴女の味方と言って貰えた。
 過去に目を背けた折。私はクロ殿に一人で抱え込まなくて良いと言われた。
 友が現在を問うた時。私はクロ殿に幸福だと微笑まれた。
 自惚れになるかもしれないが、クロ殿は好意を抱いてくれていた。
 大切と言われた事はある。私は何度も口にしていた。行動から感じ取れる事はあったけれども、だけど一度も「好き」とは言って貰えていなかった事に、今言われてようやく気付いた。
 そして今、クロ殿に自然と言って貰えた。
 ただそれだけで。私は涙を流してしまっていた。こんなにも嬉しい事は他にはないと言う程に、嬉しさから涙が溢れてしまっていた。

「……すまない、クロ、殿……急に、泣き出してしまって……」

 だけど急に泣き出してしまってはクロ殿も混乱する。
 こんな情緒不安定でどうする。落ち着くんだ、私。
 嬉しいのは確かでも、クロ殿にとっては何気なく言ったただの言葉で、そんな何気ない言葉に反応されても引いてしまうだけだ。
 涙を拭って、前を向こう。そして今の事を忘れて貰うようにお願いしよう。
 クロ殿は優しいから、きっと触れないでくれるだろうから――

「ヴァイオレットさん」

 前を向こうともう一度涙を拭った時に、クロ殿は私に近付き右手に渡したプレゼントの箱を持った状態で両肩に手を置いた。
 急な行動に頭の中がまだ混乱している中、私は訳も分からずクロ殿の顔を見る。

「ありがとうございます。俺を好きでいてくれて」

 聞くと安堵する声が近くで聞こえる。
 優しくて何処か力強い碧い瞳が私を見ている。
 微笑むだけで私も微笑みたくなる顔が近くにある。
 私が背を伸ばして顔をあげれば届く所に、唇がある。

「――――」
「――――」

 ちらり、と。
 僅かな雪が舞った夜の事だった。

 一生忘れない思い出を、クロ殿に貰うことができた。

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