追放された悪役令嬢と転生男爵のスローで不思議な結婚生活

ヒーター

カップは来客用


「こちら、東方にある山麓でとれました紅茶になります」
「ありがとう」

 応接室にアッシュを通し、グレイが淹れた紅茶を振舞う。
 アッシュが一口飲むと少し驚いた表情をし、美味しいという感想を口にする。それを聞くとグレイは一礼し、俺が座っているソファの後ろに移動し、綺麗な姿勢で立つ。

「……アッシュ卿、先程の事ですが」
「いえ、私はこうして報告に来て、まずは紅茶を頂いているだけです。それだけですよ」

 アッシュは先程の件など無かったかのように笑顔で振舞う。心遣いはありがたいのだが、変な勘違いをされていても困る。しかし相手が触れないでいるので、これ以上はこちらからも触れない方が良いだろう。
 それに先程の件よりも、俺にとってはどうすればよいのか分からないこともある。

「……貴女もここに来るとは思いませんでしたよ。私達を避けていたのに、どういう心境の変化でしょうか、バレンタイン殿――いえ、ハートフィールド男爵夫人?」

 そう、ヴァイオレットさんがアッシュが居るこの部屋に一緒に来ているのだ。
 少々気まずい雰囲気が流れる。初めは俺とグレイだけで対応する予定であったが、本人の希望によりこうして一緒にこの場に居る。
 ちなみにヴァイオレットさんの寒気とやらは気のせいだったとのことだ。
 後で大事を取らせるつもりではあるが、今はアッシュと対面しようとしている彼女の意思を尊重したい。したいのだが……

「おかしなことを言うのだな、は。私は実務を取り任されている立場の者だ。ならばシキに関する報告ならば聞いていてもおかしくはあるまい」
「……そうですか。確かに貴女は座学・実戦共に優秀でしたから。書類仕事などにおいても立派に熟されているでしょうね。ですが領民の声には耳を傾けないと駄目ですよ?」
「はは、それでは私が領民の要望を聞かず、引きこもって事務的な業務しかできないみたいじゃないか」
「なにを仰るのです、私はそのようなことは言っておりませんよ。多少なりとも事業に携わる者としてのアドバイスです」
「そうか? そう聞こえたのだが、気のせいであったか、ははは」
「ええ、気のせいですとも、ははは」

 どうしよう、怖い。
 数日前には会ったら心が折れるとか言っていたはずなのに、何故今日はこうして毅然と振舞っているのだろう。歓迎されることかもしれないが……やはり熱か。熱のせいなのか。そして笑っている声が二人共乾いているのはどうにかならないのか。

「それでこの度はどのようなご用件で? 調査の方に進展でも?」

 俺は一つ咳払いをしてアッシュの注意をこちらに向けさせる。
 調査の方に進展があるとしても精々異常は見受けられなかったか、モンスターの生息範囲情報の更新位なモノだけだろうが。
 ないとは信じたいが、報告と言う名目でヴァイオレットさんに会いに来て貶めに来た、とかでないことは祈ろう。

「はい。最近周辺で奇妙な目撃情報があるとのことです」

 しかしアッシュが報告した内容は予想に反したものであった。
 ……え、本当に?

「調査で分かった事とは別なのですが、私が持っている情報網によると――」

 アッシュが言うには、どうもこの周辺でモンスターが活発化して生息範囲から外れるモンスターがいるらしい。数こそ少ないが、警戒に越した事はないとのこと。
 本来領主間で情報が共有される内容であるが、情報源が周辺で調査しているアゼリア学園の生徒達と個人たびびとの感覚によるものらしいので、まずは個人的なネットワークを広げているアッシュに情報が行ったようだ。
 ……シュバルツさんはこの近辺には手を出さないことを約束させているし、彼女関連ではないと思いたいが。

「そういえば、ロボさんも緊急招致がかかっていたな。それと関連することやもしれん」

 ロボの緊急招致……あぁ、確か報告があったな。内容はワイバーンが目視で確認できる距離に発見されたため、警戒が必要、とかだったか。そのワイバーンはロボがなんか凄いビームで焼き払ったらしいが。南無。

「情報ありがとうございます、アッシュ卿」
「いえ、こちらこそこの調査期間中お世話になりましたから。第二王子からの要望での緊急の調査でしたが、お陰で学園の評判を下げることなく済みそうです」

 お世話になったと言うか、あいつらが迷惑を掛けてこちらこそ申し訳ないと言うか……それに――

「…………」
「クロ殿……?」

 と、いけない。今は変なことを考えないようにしよう。
 ともかくアゼリア学園生徒の調査は明日が調査最終日で、明後日に帰路に就く。
 こういった作業は最後になるほど気が抜けてきて事故が起こりやすい。こちらも気を抜かないようにしよう。

「クロ殿?」
「っ!?」

 気を抜かないようにと一旦思考を振り切り、目を閉じ開けるとヴァイオレットさんが心配そうにこちらを覗き込んでいた。
 な、なんだ? 距離近くないか……!?

「大丈夫か? 調子が悪いようなら後は私とグレイで対応するが」
「だ、大丈夫です。ちょっとアッシュ卿の報告に不安になっただけですよ」
「そうか? 無理はしないでくれ、領民を心配してクロ殿が倒れては元も子もない」

 先程までの事を考えると貴女に言われたくはないのですがね。
 だけど心配かけてしまったようだ。余計なことを考えるのは控えるとしよう。

「……早い気の変わりようですね」

 アッシュは俺達の様子を見てなにか思ったのか、こちらを見ながら言葉を掛ける。
 口調こそ穏やかだが、その視線には若干の苛立ちと呆れが孕んでいた。

「仲が良いのですね。あれだけ殿下に対してご執心だった貴女が、表面を取り繕って受け入れられただけで、随分と余裕のある態度だ。私達が居る学園と比べて居心地がいいのでしょうね、ここは」

 随分と嫌味を言ってくれる。
 普段は物腰柔らかく、陰でグレーな行為を行い、殿下やネフライトさんヒロインにかかる火の粉を取り払う性格キャラじゃなかったのか。彼にとってはヴァイオレットさんのした過去の行為はそんなにも許せない事だったと言うのか。もしかして一人で来たのはこれが理由なのだろうか。
 許す、許さないは個人の自由だし、被害者に加害者を許せと強制する気もない。だが、過去の行為に対して気分が悪くなる相手のように、こちらも行動に対して不満を募らせても文句は無いだろう。
 俺は一旦心を落ち着かせてから反論を言おうとするために、紅茶が入ったカップを手にし――

「ああ、私はクロ殿と夫婦であり、クロ殿を好きだからな。仲良く見えても不思議ではあるまい」
「――ぐっ、熱っ、痛っ!?」
「クロ様!?」

 悠然と紅茶を飲みながら宣言するヴァイオレットさんの言葉に、俺は手にしていた紅茶のカップを握力で破壊し、中に入っていた紅茶が手にかかり破片が手に刺さった。幸い皮膚を抉るような刺さり方はしていないが、割かし熱くて痛い。
 しかし突然なにを……!?

「大丈夫か、クロ殿!? 火傷は、傷は!? 応急手当てをして、今すぐアイボリーを――」
「だ、大丈夫ですヴァイオレットさん。そこまで痛くも熱くもないのに、刺激が突然だったから言ってしまっただけです」

 俺の言葉に嘘は言っていないかと心配そうな表情になるヴァイオレットさん。俺の手の様子を見て、傷が無いことを確認すると初級水魔法の応用で軽く冷やし、大丈夫だと判断すると安堵した表情になる。
 くっ、なんだこれ。唐突過ぎて付いていけない。

「だとしても処置はした方が良い。皮膚用抗菌軟膏剤薬を塗っておこう。すまない、オースティン、不躾な対応で悪いが夫の治療をしたい、今日の話はここまでで良いか?」
「……ええ、構いません」

 ヴァイオレットさんはグレイにアッシュを送るよう伝え、俺はそのまま連れられる。アッシュを追い返すためにこの場を去るのではなく、純粋に心配してくれているだけのようだ。
 ……嬉しいような、照れくさいような。

「……貴女がそのような表情になるとは」

 アッシュが去り際になにか呟いた気がしたが、上手く聞き取れなかった。





備考:東の方にある山麓でとれました紅茶
・ようはダージリン

皮膚用抗菌軟膏剤薬
・ご想像にお任せします

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