追放された悪役令嬢と転生男爵のスローで不思議な結婚生活
思っていたより
「このようなものしかお出しできなくて申し訳ございませんでした」
「いえ、こちらこそ。情報の齟齬があったようで、予定より早く来てしまい、改めて申し訳ない」
予定より2日早くやって来たヴァイオレット・バレンタイン嬢は思ったよりも落ち着いていた。
初めは準備が大して出来ていない中に来たので、
『出迎えの準備できていないとは何事か! 数日早く来たくらいでこの体たらくとは、貴族として恥を知れ!』
と罵られるかと思ったが、流石にそこまで理不尽ではなく、まず予定より早く来たことを謝られた。
しかし本人にとっては数時間程度早く来た程度の認識だったらしく、どうも情報が錯綜して予定の日にち自体が誤っていたらしい。
情報を確認し合い、互いに状況を理解したころには大分時間を使ってしまっていた。その間にグレイに準備をしてもらったので出迎えの体裁は整えられたが。
「それに長旅で疲れており、多くの食事を出されても食べ切れなかったかもしれない。だから気にすることは無い。それに紅茶も美味であった」
あれ、思ったよりもいい子なのだろうか。特急でグレイに準備させた料理に不満を言うことなく、こちらの気まで使うとは。口調が強いのは恐らく公爵家の者としての振る舞いだろうし……
「――んっ、ふぅ」
ヴァイオレット嬢は再び紅茶に口をつけ、できるだけ疲れを見せないように息を吐く。
その所作は優雅という言葉が似合う。
ヴァイオレット・バレンタインは貴族と呼ばれるに相応しい風格がある。
まず女性の平均よりは高めの身長のせいか年齢よりも大人びて見える。
姿勢は乱れず、食事や髪を払う仕草一つ一つが洗練されており、良い教育を受けているのが伺える。
菫色の髪は腰程度までのストレートに伸びており、白い肌も髪と同様手入れが行き届いているのか芯が通ったように滑らかで、女性らしい柔らかさもある。
確か作品では、学園に入ってからは殿下相手に負ける方が多かったが、剣で勝負になる程度には運動能力も優れ、学力も学年の一桁の位置を保っていたはずだ。
(……あれ、この人能力高すぎない?)
乙女ゲーでは成長してその上を行く主人公の当て馬的な感じではあったけど。そしてプライドが崩れかけ、攻略対象に近寄る主人公に決闘を挑んでしまうわけだが。……あと、髪型はストレートだっただろうか?
それにしてもまさか彼女一人で来るとは思わなかった。
公爵家から見放されている(だろう)とは言え、公爵家の娘だ。何人か護衛や侍女も来ると思ったのだが……そこはあまり触れない方がいいだろう。
『私一人だ。馬車を引いた者も既に帰った』
などと言われては聞くに聞けない。
荷物も手で持てるレベルの大きめのカバン二つしかなかったし、なにがあったかは推して知るべし、というヤツか。
「改めまして、クロ・ハートフィールドと申します。この地、“シキ”を治める領主にして身分は男爵……ではあります。治めてから4年目ですが、年は19。この度は急な結婚ではありますが、これからよろしくお願いします」
「……ああ、よろしく頼む」
ヴァイオレット・バレンタイン嬢はこちらの挨拶に対し、妙な間を開けて返事をする。
……観察されているのだろうか。彼女にとっては突然夫となった相手ではあるので、観察や値踏みはされるとは思っていたので別に構わないけれど。
そしてヴァイオレット・バレンタイン嬢はコホン、と一息払い、こちらも改めてと前置きをし、凛とした表情で俺を真っすぐ見た。あ、やっぱり美人だ。
「ヴァイオレット・バレンタイン。公爵家、バレンタイン家の長女にして、で――この度クロ殿との夫婦の契りを交わした者だ。どうかよろしくお願いする」
今この子、殿下と言いそうになったな。
貴族の誇りか、あくまで毅然として振る舞おうとしているのだろうが、内心ではまだ整理がついていないといった所か。
「……いや、ヴァイオレット・ハートフィールドと名乗るべきだな。公爵家の名はもう名乗れはしまい」
自身の言葉に違和と嫌悪を感じたのか、少し悲しそうな表情で愛想笑いをした。
もし彼女がこちらの知っている通りの事をしてきたのならば、確かに公爵家の名は名乗れないだろう。
決闘、暴走、殿下との婚約破棄による王家との溝。公爵による軟禁や、自裁・自決でないだけマシというものかもしれない。
「この度の経緯になった仔細は聞きません。また心に余裕が出来た時に、気が向いたらでよいので」
「気遣い、痛み入る」
……恐らく疲れているのだろう。好きであった殿下にフラれ、親にも見捨てられ、付き人が一人も居ない状態で放り出され、今日会ったばかりの男を夫として迎えよと言われているのだ。15の少女には酷と言うものだろう。
「今グレイに湯の準備をさせましょう。狭いとは思いますがごゆっくりとお過ごしください」
「……あぁ。ありがとう」
あれ、今の間は何だろう。
今の言葉にも警戒と言うか、観察の意思が感じ取れた。……お風呂苦手なんだろうか。
◆
「クロ殿。入っても良いだろうか」
「ヴァイオレットさん? はい、構いませんが」
時刻は既に夜。風呂から上がり、自分の寝室で明日からどうするか悩んでいると、部屋の扉がノックされヴァイオレット嬢の声が聞こえて来た。ちなみに夫婦とは言え同室はまずいだろうと、ヴァイオレット嬢には別の部屋を用意してある。
このような時間になんの用だろうか? てっきり長旅の疲れで、もう眠っているものだと思っていたから、思いもよらぬ来訪に少々戸惑う。……ベッドが安物で文句を言いに来たわけじゃなければいいが。
こちらから扉を開けて出迎えた方が良いかもしれないが、入ってもいいかと尋ねてきている以上は向こうが部屋に入ってくるのを促すべきだろう。
「どうされました、か……?」
入ってきたヴァイオレット嬢の姿に一瞬戸惑ってしまう。
彼女の服は、先程までの装飾は少ないが質の良い服とは違う、寝間着姿であった。
薄い布一枚で、後は下着だけだろうその服装は、先程までの固い印象とは違い、彼女の女性らしさが強調されている。
「えっと、どうされましたか、ヴァイオレットさん」
戸惑いを払うため咳払いをした後、もう一度ヴァイオレット嬢に来訪の目的を聞いた。
「…………」
すると質問に対し何故か迷っているような、何故そのようなことをわざわざ聞くのかと言うような妙な間を置き顔を伏せていた。
……本当にどうしたのだろうか。先程までの彼女と全然印象が違う気がする。
「クロ殿」
少々の間の後、ヴァイオレット嬢は決意したかのように、キッ、と効果音が付きそうな鋭い視線をこちらに向ける。
あぁ、この視線は懐かしい。記憶は朧気であるが、この強い目つきはあの乙女ゲーの立ち絵を思い出させる。
「急な婚姻であり、出会ったのは今日が初めてとは言え、私達はもう夫婦だ」
「そうですね」
どうしたというのだろうか。
そのこと自体は夕食の時にも話をした。今更破棄したいなどと言うつもりならばわざわざ来ずに、内心に秘めバレないように行動に移すだろう。いや、律儀に話しに来たと言う可能性もあるが。
それに俺自身はあまり好きではないが、貴族として政略結婚で望まぬ相手と夫婦になること自体は珍しくない。だが、元々婚約対象が好きな人であった彼女自身は整理を出来ていないかもしれない。
「そして数日前から婚姻自体決まっていたが、二人で同じ屋敷で過ごすのは今日が初めてだ」
「はい」
「つまり今日は……結婚初夜といえる」
「はい?」
うん?
「だから――」
だから。
「――抱かれに来た」
よし、落ち着いて。
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