転生隠者はまったり怠惰に暮らしたい(仮)

ひらえす

閑話 辺境都市バルガにて〜それぞれの夜


「ふぃー………」
 ジェイガンはトントンと書類をまとめた。いつもならそれを手伝って自分以上に仕事をしてくれる相棒の1人は、今は居ない。夕方にギルドを出て、子爵邸で仕事があるそうだ。
「お疲れさん」
 そんな中だからこそ、アーバンがアーバンなりにわかる書類に目を通してくれていた。
「ルドのやつ、倒れないといいけどなぁ」
「リッカさんが何かしてたから、大丈夫だろ?」
「そうなのか?」
 アーバンは顎に手を当ててうーんと唸りながら口を開く。
「良く見えなかったけど、ルドの顔見た途端にギョッとして口が動いてたからさ。その後顔色が良くなってたから、もしかしたら……かな?」
「まあ、隠者様も弟子は見捨てないか」
「ルドが弟子かどうか微妙みたいだぜ?」
 その後できる限りの書類整理を手伝った後帰り際のアーバンを背を見ながら、後方で施錠をしていた受付長メリルは、ふとつぶやいた。
「あら?」
「どうした?」
 小走りに走っていくアーバンを見送りつつ、メリルは気のせいかもしれないけれど、と一言添えてからさらに口を開いた。
「アーバンが普通に走っているように見えて」
 ジェイガンは目を見開いて視線を左右に忙しなく彷徨わせた。
「たしかに、左足に体重をかけても崩れてないな」
 かつてクランの新入りを庇った時におった重傷がもとで、ジェイガンは冒険者の引退を決めたはずだった。今でも寒い時期は痛むと……
(前の冬は言ってない……少なくとも俺は聞いて無ぇな)
「もう良くなったのかねぇ?」
(もしかしたら、隠者様の仕業かもしれねぇなぁ)
「リッカさんのおかげかもしれませんね?」
 目を細めて微笑むメリルの肩に手を回し、2人は家路を急いだ。

◇◇◇◇◇

「ただいま……」
「あら、おかえり」
「あい!」
 愛息子を起こさないようにと声をひそめて帰宅したアーバンだったが、どうやらちょうど起きてしまったところだったようで、頬に涙が伝ったままの息子は、アーバンの顔を見て完全に覚醒したようだった。
「悪いな。完全に起きちまったかな」
「ううん。寝つきも悪かったし……父さんに会いたかったみたいね、リッカ」
 愛息子はアーバンの腕に抱かれてご満悦で、しばらくするとあくびを繰り返し、いつの間にかトロトロと眠り始める。
「可愛いなぁ」
 アーバンは腕の中の息子のふくふくとした頬を優しくつついた。もごもごと口が動くのを眺めては破顔する。
「そうね」
「マリスが生きてたら……」
「うん……」
 7年前、まだ1歳になるかならないかの時に流行病で無くした子供のことは、決して忘れることはない。マリスの護石は、今も暖炉の上に飾ったままだ。
「そうだ、道場を作る場所は決めたの?」
 マリスの護石を眺めたまま、ミリィが尋ねた。
「んー……まだ決められないんだよなぁ」
「ギルマスのお家の近くか、ちょっと狭いけどウチの近くか……まだ悩んでるの?」
 唇をうーんと尖らせて悩むアーバンの顔がなんだかおかしくて、ミリィはくすくすと笑ってしまった。
 確実に2年いなければならないジェイガンと違って、アーバンには特に役職の縛りは無い。道場を開くのは若い頃からのアーバンの夢のひとつではあったのだが、膝の怪我のこともあって今までは一歩踏み出せずにいた。
 しかし、10年経ってやっと以前のように基本の構えを取れるようになってきたことと、今回のルドウィッグの新しい門出を機に踏み出そうとしているのだ。ミリィはそれが嬉しい。
「今日のあんたが1番若いのよ!さっさと決めちゃいなさいよ。ギルドの仕事は時間を決めてやることもできるんだから」
 ギルドの受付と冒険者と、1番忙しい時は古着屋の経営までやっていたミリィは、こう言う時は容赦がない……とアーバンは思う。
「足のこともあるからなぁ……やっぱり近場がいいかもなぁ」
 近場の空き家を改造して小さな道場をやるか、ジェイガンの屋敷の隣りの土地を借り受けて余裕を持って道場を開くか、もうここ半年は悩み続けていた。

 足のことがあるからと言いつつ、その足がほぼ完治しているのを自覚したのは、その後リッカから「じわじわ元の良い状態に治るのを補助する治癒術」を習ってしばらく経った頃、どうやら『俊足』のスキルを保持しているらしい愛息子と本気のかけっこをした時のことなのだが、それはまた別の話である。

◇◇◇◇◇

「あぁ、起きていたんだね」
 そんなことを言いながら湯上りの髪を拭くのもそこそこに書類を読もうとしているルドウィッグから、エリーナは書類を取り上げて、代わりに銀盆の上の封書を差し出した。
「あぁ………」
 その封蝋を見て、ルドヴィックはあからさまにウンザリした顔になる。
 現国王エンリケとルドヴィッグは、学園時代に多少の付き合いがあった。その時に使われていた封蝋とサイン。これはどちらかと言うと面倒ごとの始まりになることが多い。

「お断りを、お断りされたのね?」
「おそらくね」
 ペーパーナイフを入れて便箋を取り出し、中身を確認すると、そのままエリーナに手渡した。
「このサインは……?」
「国王陛下の、私的なやり取りの時に使うものだよ」
「まあ」
「今すぐじゃないから準備をしておくように、だそうだ」
「まだ子爵位を継いでもいないのに」
「そうだな……」
「もし、そうなったら王宮勤めになるの……?」
「そうかもしれない。いや、そうするつもりだと思う」
 国王エンリケの言葉を要約すると、ルドウィッグが子爵位を引き継いでしばらくしたら色々な功績を讃えて伯爵に陞爵して王宮で仕事をしてもらうつもりだから、その時は王都に居住用の家がひつようになるから、そのつもりでいるように、と書かれている。ついでに目ぼしい家をいくつか見繕ってあるという念の入れようだった。こうなると、現在子爵家の後継でしかないルドウィッグには、もう断ることは出来ない。
「陞爵前にリッカさんの証明証を作っておいて正解でしたわね」
 もともとは伯爵令嬢のエリーナだ。伯爵夫人である実母も健在なのだし、可愛がってくれる辺境伯夫妻に教えを乞うことも可能だろう。だから特に怖いことはない、と自分自身に言い聞かせた。
「ありがとう、エリーナ。頼りにしているよ」
「貴方なら、子爵でも伯爵でも問題ありませんわ」
 疲れているだろう夫に、エリーナはにっこりと微笑んで見せた。
「ありがとう、私の奥さんは世界一だ」
 そんな世界一の妻は、今夜はこれ以上の書類仕事を許さなかった。

 バルガの夜は、暖かく、穏やかに更けてゆく。

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