転生隠者はまったり怠惰に暮らしたい(仮)

ひらえす

閑話 伯爵令嬢エミリア

第3章

閑話

※伯爵令嬢エミリア視点です※

久しぶりに、空を見た。庭とはいえ外に出たのも何ヶ月ぶりだろうか。
「お嬢様、日差しが強いので…」
日傘をさしてくれる侍女。手入れの行き届いた庭。秋咲きの薔薇の最後の香りが風に乗って鼻腔をくすぐった。
庭なのだから一人で大丈夫、と侍女の同行を断ってみたが、病み上がりなのだからと断られた。
(そうね。しょうがないわね)
エミリア・マーゴー・ジェッタは、改めて空をあおいだ。眩しくて目の当たりに持ってきた指は、青白く骨張っていると称しても間違いないくらいだ。
(あの子は…あの空の向こうにいるのかしら)
そんな事を小さく呟きながら、この1年ほどの事をまた思い返していた。

成人したての若者ばかりが集められた夜会で、彼と出会った。この国では、15歳から17歳で成人の儀を行えば、大人として扱われる。エミリアは17歳で儀式をした。
先に15歳で儀式を終えていた彼。ひとつ年下なのに既に遊び人だと噂のあった彼だが、貴族の世界しか知らなかったエミリアにとっては、自分の知らない下町や冒険者の世界のことを誇らしげに語る姿は、少しだけ野生的で魅力的に映ったのだ。幼い頃から婚約者がいてもおかしくない家格なのに、それをしないのは運命の相手を探しているからだ、と嘯く姿。無垢な伯爵令嬢でしかなかった自分はそれを信じたのだ。

伯爵である父は、嫡男の弟にばかりかまけて、エミリアには無関心だった。それでも、エミリアとヤクドル侯爵子息が恋仲なのではと話題になった時だけは手放しでエミリアを褒めた。「このまま縁をつなぎ止めろ」と厳命された。母だけは後から心配そうに、浮かれるエミリアに「貞操だけは何があっても守りなさい」と言っていた。
(言われていたのにね……)
ランスロット・ヤクドルは言葉巧みに、どこで覚えたのか男娼か女衒もかくやというほどの手練手管で、あっという間に恋に浮かれたエミリアの純潔を散らせた。とある夜会の控え室、エミリアはドレスのままで。でも、それでもいいと思っていたのだ。「これで君は俺の物だよ」という言葉とともに、左手の薬指に口付けてくれたから。その後も、何度か夜会の時にはそうやって体を重ねたりもした。下町に平民の格好をして遊びに行って、出会い宿と呼ばれるところにも行って…半年ほどして妊娠に気付いた。そして、周りの驚きと焦りなどに気づかずに頬を染めて妊娠をランスロットに告げた時…全ては終わった。少なくとも、当時のエミリアにとっては。
(馬鹿だったのね、わたくし…)
妊娠を知った父は怒り狂い、母は驚愕して倒れた。
ヤクドル侯爵家は知らぬ存ぜぬを通しつつ、多額の金を伯爵家に送りつけてきた。そして、宮廷勤めの父が、何故かあり得ぬほど昇進したらしい。弟の王立貴族学院への推薦入学も決まったそうだ。
周りの変化について行けぬまま、エミリアは母に連れられて母の実家の所有する別荘に軟禁されてしまう。泣きながらエミリアの頭を撫でる母に、エミリアはようやく自分が捨てられたと気付いたのだ。
(受け入れられなかったけれど…ね)
産み月を迎えても、呆然としたままろくに食事も摂らずにいたためなのかお腹はほとんど膨らまず、妊婦とは気づかれないほどだった。毎日狂ったようにランスロットに手紙を書いては来ない返事を待った。何回、何百回、ランスロット様愛していますと書き綴っただろう。
そうしているうちに、月足らずでいきなり訪れた繰り返し襲ってくる痛みに耐え、現実に戻った眼が自覚したのは、とても小さい我が子の姿だった。
(お医者様の言った通りに、お乳もほとんど飲まずに、2日で天に還ってしまった…セドリック…セドリック……)
息子の名前はセドリックと決めてるから、女の子なら君が決めればいいよと笑っていたランスロット。無意識のうちにその名で呼んでいた、小さな息子。ランスロットと同じ髪の色。うっすらと開いた瞳は、エミリアの色。
現実に戻りかけていた自分は、そこでまたおかしくなった、とエミリアは静かに回想する。我が子の遺髪を守り袋に入れたところまでは覚えている。その後の記憶は曖昧だ。侍女の話によると、ぼうっとしていて話もせず、食事もろくに摂らず、守り袋を握りしめて何やらずっとブツブツ呟いていたらしい。自分が今生きているのは、献身的に支えてくれた侍女、そして初めて夫に逆らって娘を守り抜いた母のおかげだ。
(そして…あの方…)
2ヶ月ほど前になるはずだ。自分の前に現れた、誰か。男のようにも女のようにも思える、誰か。ただエミリアの前に立って、エミリアを見つめていた。
すると、不意にエミリアの手の中から守り袋が無くなった。ハッとしてその誰かを見ると…その手の中に袋があり…遺髪とともに入れてあった、セドリックの護石を眺めている。
「か…かえ…し……て…!」
まともに声を出していなかったので、声が出ない。立ち上がろうとしてよろけ、床に倒れた。なんとか顔だけ上げると、その人は護石を魔法陣の中に浮かべて、何かをやっていた。その傍に、大小様々な光が浮いているように見える。
「……全てはきちんと理解した後で決めるといい。辛いとは思うけれど、どうやら貴女は、孤独ではないようだから」
(…え?)
……気がつくと、元通り座って守り袋を握りしめていた。

その後…10日ほど経っただろうか。不意に、エミリアは目を覚ました。身体に力が入らず、ベッドに横たわったまま目を開けてキョロキョロしていると、不意に声を聞いた。
『おかあさま…』
幻聴かもしれない。でも私には、セドリックだと解った。
(ああ……ごめんなさい!ごめんなさいセドリック…!)
涙が滝のように流れるのを止められず、私はひたすらセドリックに謝っていた。
『おかあさま…おかあさま』
幼い声は、ただ愛に満ちていた。
しばらく泣いて泣いて、ようやく涙が出なくなった頃、侍女がやって来た。
「お嬢様!お嬢様…!お目覚めに…!」
それからは別荘中が大騒ぎになった。母は喜びのあまり私を抱きしめて失神して、お医者様はあわてて応援を呼んで…わたくしは、そんな皆をぼうっと眺めていて…守り袋の異変に気づいた。中の護石が真っ二つに割れているのだ。他にも無数に亀裂が入っていて、触れるとポロポロと崩れた。
(どうして…)
大きな破片をながめていて、ふと元々表に彫り込まれていた模様の裏…まるで石の内側に挟み込んだかのような模様が増えているのに気づいた。慌てて破片同士を合わせてみる。震える手はうまく使えなかったが、侍女が私の鬼気迫る状態に気づいたらしく、手伝ってくれた。
「これは、名前ですね…セドリック、エミー…いや、エミリア…?お嬢様?」
(これは…!)
口を覆ってまた泣き出した私の背を、侍女はまた黙ってなでてくれた。

「あれから…早かったわね」
「…はい?」
「いいえ、私が目を覚ましてからいままで、とても早かったように思えるの」

目を覚まして、翌日に父が訪ねてきた。まずは、エミリアに謝罪をはじめたのだ。父は、女だからいずれ嫁ぐだけだ、と家庭教師だけをつけて、エミリアを学院に入れなかったこと、子育てを全て母と使用人に任せきりにしていたこと、全て自分が間違っていたと口にした。何があったかわからなかったが、自分こそ迷惑をかけたと謝ると、エミリアが1番苦しい時に遠ざけてしまったことを涙ながらに詫びられて、ビックリしてしまった。
後から執事にこっそり聞いたのだが、母から再三諭されても諌められてもどこ吹く風だったらしいのだが、ある日学院に通いはじめた弟からも色々と話を聞いたり、王宮の新しい職場で高位の貴族からも話を聞いているうちに、少しずつ態度が軟化していっていたらしいのだ。
「そして、つい一昨日なのですが…目覚めてすぐ、自分は人でなしだ!と叫ばれまして…」
…詳しくお聞きしても、答えてくださいませんので、と執事はそれ以上は答えなかったが、きっと父にも何かあったのだ。頑固だったり、一度決めると頑なに己の道を進むところなどは、もしかしたらエミリアと父は似ているのかもしれない。

その後、エミリアが自力で歩けるようになった頃、社交シーズンの終わりを待って家族で領地に戻った。ジェッタ領は南の方にあり、気候も暖かい。ようやくこうして庭までならと外に出ることを許可されたのだ。
「あのね、わたくし、春になったら神殿に入ろうかと思うのよ」
もう19歳。20を過ぎれば、貴族令嬢としては嫁き遅れとなる。何より傷物の自分には縁談など無いだろう。
驚愕した侍女が傘を取り落とし、その話が庭に出ていた他の使用人から両親に光の速さで伝わり、1週間後にずっとエミリアに憧れていたというか親戚の子爵の嫡男が現れて、あの手この手で春の神殿入りは延期になることを、この時のエミリアはまだ知らない。

「転生隠者はまったり怠惰に暮らしたい(仮)」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く