イリアス・フォルトナー雑貨店の営業日誌

にのまえあゆむ

第10話 疑惑の目

鬼火のような炎を灯す野生の聖獣を見かけてから、王都まで約一時間で到着した。その頃にはすっかり日も暮れて、夜の闇はだいぶ深くなっている。

「さすがに王都ともなれば栄えてるわね」

エルフの国が精霊崇拝で自然を大切にしているとは言っても、文明の利器を使わず、着の身着のままみたいな原始的な生活をしているわけじゃない。
木造とは言ってもしっかりとした技術に裏付けされた住居に住み、料理にもちゃんと火を使ってる。

それに、王都ともなれば他国から観光なり商売なりで訪れる外国の人もそれなりにいるはずなので、夜になっても闇と静寂に包まれるってことはない。
樹齢ン千年と思われる巨木が何十本、何百本と乱立する中、木肌に沿うように建てられた建物のいくつかは、おそらく酒場なのかな? 窓からは明かりがこぼれ、騒がしい話し声が聞こえてくる。

なんとも賑やかですこと。
あたしもちょっと寄ってこうかなぁ。お腹も空いてるし。
いやでも、先に宿を取るべきかな。あまり遅くなりすぎると、部屋が埋まっちゃうかもしれない。

「フェンリル、先に宿に行こう」
『承知』

あたしの言葉を受けて、フェンリルはすぐに宿へ向かってくれた。この街にはあたしもフェンリルも初めてだけど、宿はどこの場所でも独特の匂いがするのでわかりやすいんだって。
……ん? てことは、もしかして。

「ねぇ、フェンリル。ミュールがどこにいるのか匂いで辿れる?」
『位置の特定は難しいが、場所ならわかる』

そう言ってフェンリルが首を巡らせた場所は、この王都のシンボルにもなっている、ひときわ巨大な樹木だった。

「あそこって、王城があるとこじゃん」
『あの辺りから匂う、というだけである。近づけば、より鮮明に辿れるやもしれん』

それって、王城に行けってこと? それともまさか、中に入れって言いたいの?
近づくだけならまだしも、中に入るのはさすがに無理でしょ。

『行けとは言わぬ。むしろ、あそこには近づかない方が良いかもしれんぞ』
「え、どういうこと?」
『上手くは言えぬが、どうも嫌な臭いもするのだ』
「嫌な臭い?」

それって、実際に何か臭ってるってこと? それとも気配とか雰囲気とか、フェンリルならではの第六感で感じるものってことかしら?

「どっちにしろ、あそこにミュールがいるなら行くしかないでしょ」

フェンリルの忠告めいた言葉は気になるけど、そこにミュールがいるなら嫌とは言えない。
それにしても王城とは……もしかしてあいつ、実際はエルフのお姫様だったとか? それとも、王城に押し留められるほどのことをやらかした?
なんかこれ、また面倒事が起きそうな気がするなぁ。三〇万の報酬だと割に合わないことになったら……ミュールにたかるか。そうしよっと。

「ともかく、まずは今日の宿を取らないとね」

明日以降どうするのかも、まずは宿が取れなくちゃゆっくり休めない。あたしはフェンリルを連れて宿の中へ足を踏み入れた。

「いらっ──ひえっ!」

宿の敷居をまたいだ途端、受付にいた店員のお兄さんがいきなり悲鳴を上げた。
お兄さんとか言っちゃったけど、彼もエルフなので見た目どおりの年齢かどうかはわからない。二百か三百歳かもしれない。
そんな人が、あたしを見ていきなり悲鳴を上げるなんて、ちょっとショック……って、見てるのはフェンリル? あ、そっか。

「ごめん、フェンリル。普通の人はあんま聖獣を見慣れてないみたいだから、いったん帰ってもらっていいかしら?」
『やれやれ……致し方あるまい』

渋々、といった感じでフェンリルは帰還した。
そういえば、契約している聖獣を喚び出す時は定型の呪文が必要だけど、帰還のときは双方の合意だけで還せるのよね。
どういう理屈なんだろ?
今まであんまり気にしたことはないけど、スイレンから『聖獣の喚び出しは時空魔法の一系統』みたいなことを言われて、ちょっと気になっちゃった。

まぁ、今それを考えたって仕方ないんだけどさ。

「すみません、驚かせちゃって。さっきの子はあたしと契約してる聖獣で、あたしは調教士なんですよ。危険はありませんし、帰還もさせたので心配はありません」
「えっ? ちょっ、調教士だって?」
「あたしはダンジョン中立地帯にある第三前線都市から来た冒険者よ。それより、部屋は空いてます? まずは一泊、状況によっては数日ほど泊まりたいんですけど」
「あ、ああ、部屋は空いてますよ。一泊一万で朝食付きです。ただ、フェンリルが入れるほどの広さはありませんが……」

最初のフェンリルがよっぽど印象的だったのか、それともこれが素の対応なのか、この宿の受付はずいぶんと親しげね。
だったらこっちも妙にかしこまることはないか。

「部屋の中で喚ぶなって言うなら喚ばないわよ」
「そうしてもらえると助かります。それにしても凄いですね。もしかして、冒険者ってヤツですか? 最近王都を騒がせてる化物を退治しに来てくれたとか?」
「化物?」

なんですかそれは。初耳なんですけど?

「あれ、違いましたか? 最近、王都に炎を纏う鳥の化物が現れるんですよ。おかげであっちこっちで火事が起きていて、つい最近なんか王城にまで被害が出たとか」
「えっ、今この国ってそんなことになってるの!?」

ちょっとちょっと、それって大事じゃない!

「まぁ、心配しなくたって大丈夫です。今のところ何度も追い返してるし、うちの国にはゴーレムもいます。討伐されるのも時間の問題でしょうね」
「そっか」

その〝炎を纏う鳥の化物〟って、もしかして王都へ来る道中に、あたしが見かけた聖獣のことかしら?
確かに、聖獣を見慣れていなければわけのわからない化物と勘違いしてもおかしくないけど……どっちにしろ、きな臭い話ね。あまりこの国に長居しない方がいいかもしれない。

まぁ、長居することになるかどうかは、ミュールを無事に見つけ出すことと、ゴーレム技術の中核素材であるアールヴの樹の樹液を、首尾よく手に入れられるかどうかに懸かってるわけだけどさ。

「そういうわけで、安心して泊まっていってください」
「そうするわ。あ、そうだ。部屋にお風呂ってある?」
「お客さん、エルフ森林王国は初めてですか? この国に風呂はありません。樹上生活が基本ですから、風呂みたいに大量の廃水を処理する方法がないんですよ」

「え、そうなの? じゃあ、エルフの人たちって体が汚れたらどうしてるの?」
「エルフは種族的に汚れにくいんです。老廃物が他の種族より少ないですから。ホコリやなんかで汚れた際には浄化の魔法で綺麗にするんですよ。それでも汚れがひどかったら、川や湖での水浴びをしますね」

わーお、さすがエルフ。種族的に魔法特性が高いってのは伊達じゃないわね。体を綺麗にするのに魔法を使うって、つまりエルフは誰でも魔法が使えるってことじゃない。腕の良し悪しはあるにしても。

「じゃあ、えっと、あたしみたいな外国の人はどうするの? 外国からの訪来者もいるでしょう?」
「だから〝浄化屋〟って商売があります。宿の場合は、従業員がその役割を担ってることが多いんですよ。うちにもありますよ? 一回五〇〇エンで、浄化屋へ直接お支払いください」
「じゃあ、ちょっとお願いしてみようかな。浄化を掛けてくれるのは部屋でしてくれるの?」
「そうです。お部屋は八号室になります」

あたしは宿泊料金を支払い、鍵を受け取った。
これはエルフの国が樹上生活が基本だからなのかもしれないけど、どうやら建物に〝階層〟といった考え方はないみたい。というのも、宿みたいに部屋がいくつも必要な建物は、木をぐるりと包むように建てられるから、階段がないのよね。緩やかな傾斜で上に登っていく感じになっている。

そんな作りになってる宿の八号室は、まぁなんというか、普通の部屋だった。ベッドがあってテーブルがあって、それだけで部屋の中がいっぱいになるような、狭いけれど必要最低限の用意がなされている標準的な宿って感じ。
なるほど、確かにフェンリルがいたんじゃこの部屋へ案内するのは無理だったわね。他に広い部屋はなかったと思う。

しばらくすると、部屋に女性エルフの従業員が来て浄化魔法を使ってくれた。
てっきり受付のお兄さんエルフが来るもんだとばかり思っていたけど、これはもしや、服を脱がなくちゃいけないのかしら? と思ったら、男性客には男性が、女性客には女性の従業員が対応することが、この宿の決まりらしい。
それに、浄化の魔法は服を来たままでも大丈夫みたいで、服も一緒に綺麗にしてくれた。

意外と便利ね、浄化屋さん。

■□■

翌日の目覚めは、なんだか気分もスッキリしてとても爽快だった。これって木造建築だから、何かしらの癒やし効果があるってことなのかしら? それともエルフの国だと、どこの宿もこんな居心地がいいのかな。

なんであれ、体の調子がいいのは間違いない。

朝食は、まぁエルフの国だけあって質素なものだったけれど、味はよかった。
うーん、アタリの宿を選べたかな? 王都だから宿は他にもあるだろうけど、あそこを選んでくれたフェンリルには感謝しないとね。
さて、じゃあミュールを探しに……あ、そういえばフェンリルが〝ミュールの匂いは王城からする〟って言ってたっけ。

でもなぁ、なんでミュールが王城にいるんだろ?
何かやらかした?
それとも、ミュール自身が王城に行かなくちゃならない理由があった?

どちらにしろ、国の外に出ていたミュールが王城にいるというのは、王都エルヴィンに住むエルフも気になる情報のはずよね。
……ふむ。

「出掛けてくるわ」

あたしは受付にお兄さんエルフに声をかけた。もちろん鍵を返すためだけど、それだけじゃない。

「あ、そうだ。ちょっと聞きたいんだけど」
「なんです?」
「この王都に、あたしと同じ第三前線都市から来たミュールっていうエルフがいるはずなんだけど、そういう話って聞いたことがない?」
「ミュール? うーん……聞いたことがあるような、ないような……そういえば、いやでもなぁ……」

おやや?

「何か心当たりが?」
「つい最近、外の世界を知る旅に出ていた第一王女様がお戻りになられましてね。その方のお名前がミュルリアナと言うんですが……まさか、その方のことじゃないですよね?」
「第一王女様?」

いやいや、あたしが探しているのは冒険者ギルドで受付嬢をやっていて、ヤンチャな新米冒険者を魔法でボコボコにする血気盛んなエルフですよ。
とてもそんな高貴なお方じゃない。
……え、違うよね?

「そのミュルリアナ姫ってどういうお方なの?」
「いやあ、さすがに王家の姫様のお人柄まではわからないですよ。しかも、最近まで諸外国にご留学されていたわけだし」
「そっか、ありがとう。いい宿だったわ。もしかすると今晩にもまた来るかもしれないけど、その時はよろしくね」
「ご利用いただき、ありがとうございました」

定型文みたいなセリフは、ちゃんと客対応のセリフなのね……。まぁ、いいけど。
それにしても、王都を襲う炎を纏う鳥の化物ねぇ……。
王都の雰囲気を見る限り、そこまで切迫した状況じゃないのかな? 緊急事態という空気を感じない。
けど、だからといって悠長に構えているのも違うか。今は大丈夫でも、明日にはどうなるかわからないし……って、そういう風に考えるとこが、あたしもまだまだ冒険者だなぁって思うわ。

うん、よし。

ここはミュールを優先させよう。とっとと見つけて第三前線都市に帰りましょう。アーヴルの樹のことは、またの機会にしてもいいしね。
確か、フェンリルの話だとミュールの匂いは王城から嗅ぎ取れるんだったっけ。
行けば会わせて……うぅ~ん、どうだろう。

もしミュールが厄介事に巻き込まれているのなら、難の根拠もなく訪れたって相手にされずに追い返される。それどころか、こっちも目をつけられちゃうかもしれないわよね。
はてさて、どうしたもんか。
やっぱフェンリルを喚んで押し通る? いやでもなぁ、場所が王城だし、下手なことをすれば国際指名手配だよ。やってらんないよ。
せめてミュールの状況がわかれば、動き用もあるんだけどなぁ。

「もし、そこの冒険者」

いちおう、それとなく行けるところまで王城に近づいてみようかしら。もしかすると、近くで見ないとわからないことがあるかもしれないし。

「おい、待て! 無視するんじゃない!」
「え?」

もしかして、あたしのこと?
驚いて──というよりも半信半疑で振り返ってみれば、明らかに都民とは違う様相のエルフ男性が立っていた。
三人とも腰には細剣を佩き、同じようなデザインの軽鎧を着ていた。
驚くべきことはその軽鎧、混じり気なしのミスリル鎧だった。しかもリーダー格の男が佩いている細剣は、なんらかの魔力を有した魔力剣っぽい。
てか、それだけの装備を身にまとう三人組って……。

「どちら様です?」
「私はエルフ森林王国聖樹騎士団、都市警備隊隊長のペリド・サフォークという。少々そなたに聞きたいことがあるのだが、しばし時間を頂戴する」
「都市警備隊?」

それは……ええと、聖樹騎士団というのがエルフ森林王国の軍隊ってことよね。その中で、都市の警備を任された騎士部隊に所属していると、この人は自分の身分をそう言ったわけよね?
いわばエルフ森林王国が所持する武力の一員が、いきなりなんの脈絡もなく外国籍のあたしに話しかけて来たことになる。

「そんな方が、あたしになんの用です?」
「そう警戒しないでもらいたい。ただ二、三質問するだけだ」

いやその、いきなり国家権力に声をかけられて「警戒するな」って言う方が無茶ってもんでしょうよ。

「質問と言われても、あたしは昨日、この街に来たばかりですよ」

街どころか国に足を踏み入れたのも昨日だ。いきなり都市の警備隊に目をつけられるようなことはしてない……してないよね?

「承知している。そなたの名はイリアス・フォルトナーであろう?」
「ええ、はい」
「第三前線都市に籍を置く冒険者で間違いないな」
「ですね」
「しかし、そうすると妙だな」
「何がです?」

「我が領土の南西、ダンジョン中立地帯と隣接する国境砦からの連絡によれば、イリアス・フォルトナーなる冒険者が入国したのは昨日のことだ。それが、今日はもう王都にいる。いくらなんでも早すぎるだろう」
「国境砦からの連絡って、それも一日で届いてるじゃないですか。あたしが一日で到着してもおかしくないのでは?」
「情報が届くのと人が実際に移動するのでは労力が違うだろう。それに、情報の伝達だけならいくらでも方法がある」

まぁ、確かに鳥の帰省本能を使った情報伝達方法とかあるし、遠距離通話魔法みたいなものもあるって聞いたことがあるから、遠距離でも連絡を取り合う方法がないわけじゃないけどさ。

「そういうことなら、あたしが調教士って連絡も届いているんじゃないですか? 聖獣に頼んで、半日くらいでここまで運んでもらったんですよ」
「確かに、そなたは調教士との連絡も受けている。連れていたのがフェンリルだともな。ところで、フェンリル以外にも契約している聖獣はいるのかね?」
「ええ、まぁ、いろいろと。良縁に恵まれたので」
「その中に、鳥の聖獣はいるかね?」

鳥? それってまさか……いや、でもそんな馬鹿な。

「……質問は二つか三つじゃなかった?」

フェンリル以外に契約している聖獣の有無を尋ねたのが、三つ目の質問だとあたしは数えていたんだけどね。

「そう言わないでくれ。とても大事で重要な確認なのだよ」

そう言った隊長さんの──ペリド隊長の雰囲気が少し固くなった気がする。後ろに控える部下の二人も、緊張感が増したようだ。
これはちょっと、迂闊なことは言えないな。『いない』と嘘を付くこともできるけど、それはそれでバレた後がより一層面倒なことになりそう。

「いますよ」
「そうか。……そうかぁ……」

あたしの端的な答えに、ペリド隊長はどこか困ったように項垂れた。
けれど、それも一瞬のこと。
すぐに表情を引き締め、真っ直ぐにあたしを見つめてきた。睨みつけてきた、と言い換えてもいいような眼差しだ。

「そうであれば、申し訳ない。イリアス殿、我々にご同行を願いたい」
「は?」

あまりにも突然の申し出ね。しかも、国家権力を持つ立場の人が〝お願い〟とか言い出しても、それはもはや逆らえない強制命令じゃない。

「念の為言っておくけど、あたしはこの国の人間じゃないわよ」
「承知している。だから〝お願い〟しているのだ」
「断ることもできると?」
「もちろん、断るならばそれでも良い。が、ここはエルフの国だ。そして私は王国法によって国家の秩序を守る立場を賜っている。その義務を果たさねばならん」

そんなことを言いながら、隊長さんの手は腰に佩いてる細剣の鞘に掛かってるじゃない。いざとなったら抜く気満々なのね。
後ろに控えてる部下二人なんて、鞘に手を掛けた上に腰も落としていつでも飛びかかれるように構えているわ。
これはもう、ただ事じゃない。それがハッキリわかった。
そして、騎士さんたちをここまで警戒させている理由は……宿屋の受付で聞いた、王都を襲う炎を纏う鳥の化物があたしの仕業だと思っているからだ。
それがわかったからと言って、そのことをズバリ指摘するのもマズい。下手な言い方をすれば、騎士さんたちの疑惑を間違った方へ確信させてしまう。

「一つだけ教えてもらえる?」
「よかろう」

おや、てっきり突っぱねられるかと思ったんだけど……この隊長さん、立場があるから強引なだけで、思ったよりも話の通じる人なのかもしれない。

「あたしは何を疑われているの?」

宿屋の受付をしていたお兄さんは、炎を纏う鳥の襲撃をあまり深刻に捉えていなかった。
仮に、あたしへの疑惑が件の鳥関連だとしても、せめて自分がどんな容疑で疑われているのかさえわかれば、対応も選びやすくなる。
果たして、隊長さんからの返答は──。

「我が国に対する侵略容疑だ」


「………………はぁっ!?」

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