呪われ呪術師は世界の平和を強要する(ダークファンタジー)

タロジロウ

清廉なる意志は折れぬがゆえに美しけれ

 ムスラバという街は、海上都市、または遺跡都市の二つ名で親しまれていた。
 貿易の要衝でありつつも地下に広がる古代遺跡の入り口を持つという二つの特色があり、そこに住まう人間の半数近くが定住者ではないという特殊な街だ。

 名目上はヒルデリク王国の管理下にあるが、遺跡から発掘される多様な魔道具ローグメイデンと魔物の素材、ロゼリア神聖国家を主とする各国との貿易、それらの莫大な利益に裏打ちされた政治力は、国家の枠に収まらなくなって久しい。

 それはムスラバに赴任したハーミット公爵が管理者となり、王国に自治権を要求してから顕著となった。

 その時々で統治者を王国が決めるという慣習を打ち捨て、自分達の町の統治者は自分達で決めるべきだというムスラバの総意により、統治者の決定権を奪い取ったのである。

 その実態は民主主義とは異なり、ハーミット公爵一族がムスラバを手に入れるための手管でしかなかったわけだが、時の公爵はいかにも上手く盤面を整えてのけた。

 紆余曲折はあれど、ついに公爵はムスラバを手に入れ、ロゼリア神聖国家とのパイプを築くに至り盤石の政治体制を整えたのである。

 それから百年。
 現在のムスラバを治めるのはノワール・ハーミット。
 いささか珍しい女性公爵である。

 浪費家で愚鈍の象徴として民に知られるこの女は、年に数度訪れれば珍しい執務室に足を運び、執政官に罵詈雑言を浴びせていた。

「オルフェン、宣戦布告ですって!? 何を馬鹿げたことを言っているの! ここは私の国よ!!」

 青いドレスを振り乱しながら、ノワールは悪鬼のような顔で叫んでいた。

 年齢ゆえにいささか陰りが見えているとはいえ、美姫とうたわれた美しい顔立ちだが、怒りに歪み見る影もない。厚塗りされた化粧が割れて剥がれそうになっているとなれば、もはや醜悪と評するべきだろう。
 
 過年若いが有能ゆえに執政官に抜擢されていたオルフェンは、顔に飛んだ上司の唾にわずかに眉を動かしたが、かろうじてその場で拭うのは自制した。

 過去の怪我が元で両足はぴくりとも動かないが、その知性はいささかも衰えていない。
 あらゆる苦境を打破してきた彼の人生は、執政官という職を得て花開いたとさえいえる。

 しかもこの女ときたら、人を貶めるのが何よりも好きなサディストなのだ。
 飛んできた唾を拭うなんて姿を見せたらどんな目にあうか、想像もしたくない。

 尊敬とは無縁な上司ではあるが、執政官はそれでも己の職務に忠実であろうと善処した。

 打てば潰されるという最悪な上司ではあるが、だからといって投げ出せばこの街の財政が破たんしかねない。なにせ自分の後釜に座る予定の男は家柄だけが自慢の肯定しか囀らない阿呆鳥だ。

 馬鹿女と阿呆鳥が手を取り合えばいかような未来が待っているか。
 端的に言って最悪である。

 どれほどの苦難があろうとも、この男の市民に対する忠誠心は比類なく、少なくとも自分からこの職務を投げ出すつもりはなかった。

 が、人であればこそ一言皮肉も言いたくなろうというものだ。

「お言葉ですが……まず、ここは国ではなく、街であります。ヒルデリク王国の所有でありますな」

「建前はね! それより、宣戦布告をしてきたのはどこの馬鹿者よ!」

 執務室に同席していた老ふぇんの業務遂行を手伝う執政部付の補佐官達は、ハーミット公爵の問題発言に揃って棒でも飲み込んだような表情を浮かべた。

 建前もくそも、どうひっくり返してもムスラバはヒルデリク王国所有だ。
 王国に収める莫大な税ゆえに現在の体制に目こぼしをされているが、実際に独立を叫べば国家の総力を挙げて叩き潰しに来る。

 この馬鹿女はそんなことも分からないお花畑の脳みそをお持ちらしい。
 その様子に思うことは多々あれど、オルフェンはため息一つでそれを飲み込んだ。皮肉一つも通じない、分かり切っていたことではある。

「相手は呪族であります。呪術王カース・ロードの軍勢でありますな。すでに物見が走らせた伝令により、二万の軍勢が二つ、帰らずの森を出立したと報告を受けております」

呪術王カース・ロードですって!? そんなもの、王国の馬鹿どもが軍備拡張するために吹聴した噂話でしょう! そんなものに踊らされてどうするの!?」

「噂話……ですか? 一年前にラーベルク陸軍大将旗下、十万の軍勢が滅ぼされたというのに?」

 何を馬鹿な、とその目が語っている。
 だが、馬鹿は馬鹿だから馬鹿なのだということを改めて再認識するだけに終わった。

「そんなこと知らないわよ! 呪族なんて返り討ちよ!」

「……は、全力を尽くします。して、援軍の申請はいかほど?」

「不要よ!」

 一瞬耳を疑ったオルフェンは、根気強くもう一度同じ質問を繰り返した。
 だが、帰ってくるのはまったく同じ不要の返答だった。

「……それは……なぜ?」

 絞り出すように漏れでたのは紛れもない、理解できぬがゆえのオルフェンの苦悩だった。

「なぜも糞もないでしょう! 援軍ですって? 私の軍が無能だと王国に言うつもり? 私の軍は強く、美しく、何者にも負けないわ。なにせ、私が率いるのですからね!」

「あなたが率いる? 戦場に出たこともないのに?」

「ふん。兵法書ならば読んでるわ。私の知略の前に呪族なんて塵芥ちりあくたよ」

 なるほど、と合点がいった。
 考えてみれば、これほど明確なことはなかったわけだ。
 こいつは馬鹿である。

 机上の空論、生兵法は怪我の元、言い方はいくらでもあれど、要は頭でっかちの経験に裏打ちされていない知識など糞の役にも立たないという先人の教えだ。

 少なくともこの馬鹿女は本を読んだだけで名軍師になれると勘違いしているらしい。それがまかり通るならこの世は名将だらけである。

 万歳、常勝軍団が簡単に作れるぞ!
 金も人件費も大幅に浮くではないか!

 そもそも、この女に頭でっかちになるほどの知識が蓄えられているはずもなし。

 糞っ喰らえ、それがオルフェンの結論だった。
 しかしそれでも上司の気性を知悉ちしつすることこそ、執政官の職務の中で最も重要な能力だ。

 押して、退いて、宥め、透かして、美辞麗句でうやむやのうちに目的を達成する。
 しかしそれでもどうにもならない時もあるのだが、よりにもよっていまがその時である。

 これ以上食い下がっても無意味、むしろ不必要な反骨心を煽って状況を悪化させると判断して引き下がった。

「かしこまりました。それでは、そのように」

「最初からそう言えばいいのよ。まったく使えないわね!」

 言いたいことを言い切ったノワールは、苛立ちを発散するようにオルフェンが座る椅子の足を力いっぱい蹴飛ばした。

 平衡を失って椅子から転げ落ちたオルフェンに補佐官達が駆け寄って助け起こし、ノワールを怒りに任せて睨みつける。

「なによ、言いたいことでもあるわけ? 領主の前で椅子に座ったままなんて無礼をするお前が悪いんでしょうに」

 小馬鹿にしたような言葉に、かろうじて堪えていた補佐官達が激昂しかけた。
 しかし、それよりも速くオルフェンが頭を下げた。

 動かぬ足を引きずり、地面に頭をこすりつけるようにして、謝罪の言葉を口にする。

「誠に申し訳ないですな。ご存じかと思いますが、私の両足は使い物にならぬ棒きれですから、立ち上がることができぬのですな」

「あら、そうだったかしら?」

 白々しいが、補佐官達は耐えた。

 この女が怒りに我を忘れればどうなるか分からない、どうにか穏便に抑え、民の為に少しでも自分たちの権限を強くするべきだ、オルフェンの姿はそう語っていたのだ。

「ふん。全員腰抜けね……もういいわ、気分が悪い。あんた達、行くわよ!」

 捨て台詞を残し、ノワールは部下を引き連れて執務室から消えた。

 だが、それでもオルフェンは用心深く廊下の気配を探る。
 愚痴の一つでも言いたいところだが、万が一にもノワールが戻って来たら、それでこれまでの努力は水の泡だ。

 実際、ノワールはそれくらいの嫌がらせはやる女だ。
 用心はどれほどしてもし過ぎるということはない。

 補佐官達もそれを理解しているのだろう、甲高い足音が完全に消え、頭の中で百を数え終わるまで姿勢を崩さなかったオルフェンが頭を上げると、部屋の中にようやくほっとした空気が流れた。

「……オルフェン様、嵐のようでしたね」

「いやはや、まったくでありますな」

 乱れた気持ちのままでは仕事はできぬ。
 補佐官達に半ば持ち上げられるように助け起こされて椅子に座ると、呼吸を整え、新しく用意された熱い茶を一杯。

 動かぬ足のなんと憎らしいことか。
 それでも一言の文句も口にだすことはしないのがオルフェンの矜持であり、上に立つ者の努めである。

 上が不満を口にしたとて、それを聞かされる部下に信頼などされようか。上に立つ者には相応の責任と、振舞いが求められるのである。

 ただ一言の文句も言わぬオルフェンとともに、補佐官達は無言で茶を啜って茶菓子を一つつまんだ。
 それだけで執政官達は心を平穏に、集中力を極限へと振り戻す。

 そうすればすぐに思考は冴え渡り、今後のことを話し合えるようになった。
 となれば、話題は一つに尽きる。

「援軍なし……ですか。ムスラバの常備軍は三百、近隣から掻き集めたとして五百がいいところでしょう。海に囲まれている地理的優位を最大限に生かしても勝ち目はありませんな。籠城をするにしても、助けの来る当てがない籠城など緩慢な自殺にしかなりません」

「でしょうな」

「どうされますか?」

「決まっていますな。援軍は必要不可欠」

「しかし、命令に違反することになりますが……」

 そんなことをすれば処刑、良くて追放である。
 領主は貴族であり、執政官は平民でしかない。その立場の差は容易に首を飛ばす。

 不安な表情を見せる補佐官たちを見回し、執政官は苦渋の決断をした。

「一番年上なのは誰でしたかな……ああ、アスラン君、君でしたか?」

「左様です」

 一礼したのはあと数年で引退することが決まっている老人だ。つい先日孫娘が生まれたと嬉しそうに報告してくれていた。

 命令すれば恐らく孫娘とは二度と会えまい。
 なれど、人民のために犠牲は不可欠。

 一瞬の逡巡を見て取り、アスランは破顔した。

「おや、年甲斐もなく悪戯心が沸きましたな。おお、そうだ、辞める前にあの馬鹿女に意趣返しをしていきましょう。そう、不必要な援軍を要請するなど面白いですな。そう……五万ばかり呼びましょうか」

 打たずとも気心のしれた同僚。
 口に出せぬ命令を了解し、晴れ晴れと承諾して見せる。
 この心意気に報いずして何が執政官だろうか。

「すまぬ」

 それだけ言うのが精一杯だった。

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