呪われ呪術師は世界の平和を強要する(ダークファンタジー)

タロジロウ

屍狼族の少女 1

 アルバートが野盗と遭遇している頃、廃都ではムスラバ制圧のための軍勢の準備が昼夜を分かたず行われていた。

 総数四万の大軍勢である。
 人員の七割近くがリーゼロッテとイグナーツの種族から抽出されるとはいえ、残り三割はいわば寄せ集めの混成種族軍だ。その軍勢に参加する種族の総数は実に三十にのぼり、人員の抽出にも時間がかかる。

 種族が異なれば食す物が異なり、それに合わせた糧食も多岐に渡る。
 日用品の類は軍に参加する人数に応じて現金支給を行い、各種族がそれぞれ用意するよう通達を出して手間を減らしいる。
 だが、それでもなお、混成軍の扱いには相応の手間がかかるのは道理だった。

 ならば混成種族など利用しなければよい。
 死鬼族と妖剣族だけで軍を構成すれば話は簡単だ。
 なにせ、族長が君主を名乗ることを許された五大種族はその種族としての力量と、数がゆえに優遇されているのである。数は力、それがすべての本質であるとは言わないにしろ、千の軍勢を抽出する余力すらない種族と比較すれば、その立場に差がつけられるのは致し方ないと言うものだ。

 だが、だからと言って混成種族を無視するわけにはいかない。呪族としての繋がりを考えれば、悪く作用することはあれ、良くなることはないのだ。彼らは心ない化け物ではない。作られた存在であるとはいえ、個々の意思を持ち、家族を作り、日々を懸命に生きる者達である。

 軍から彼らを外すということは、彼らが所属する呪族という社会からのけ者とされたと認識される。数が少ないから無理をさせたくない、軍として単一種族で構成したほうが兵站や作戦立案の都合が良い、そんな正論は彼らには何の意味もないのだ。

 自分達を守る戦いに、自分達が参加するな?
 我らを呪族として認めぬとでも言うつもりか?

 彼らはそう声高に叫ぶだろう。
 どれほど数が少なかろうと、それは遥か昔に呪術王カース・ロードに作られた生命であるがゆえの、本能に刻まれた種への忠誠心がそうさせる。

 それでもなお彼らを除外するとすれば、彼らの怒りは粘りつくおりのように沈殿し、彼らの心を腐らせるだろう。

 それは紛れもない、毒だ。
 種族を腐らせ、呪族を死に追いやる毒なのだ。

 だからこそ、多少の無理を押しても混成種族を軍勢に加える必要があった。
 たとえどれほどの時間がかかろうとも、それは必要悪なのである。

 とはいえ、時間がかかるというのも呪族の常識からすればという話で、人間の常識からすれば恐ろしい速度――わずか二日で軍容が整いつつあった。軍の兵站に携わる人間であれば、それはまさに驚嘆の一言だっただろう。

 その主な要因は二つあった。

 一つは軍の準備を担うコルネリア・ヘルミーナという女の手腕である。
 彼女には軍を率いる才能はない。ラーベルクの攻撃により呪族が窮地に陥った時、軍を統括するリーゼロッテとイグナーツに謀反を考えさせたほどには壊滅的だ。

 しかし、彼女には必要な品を、必要な場所へ、あるべき時に用意するという才能と、各種族の不満や意見を聞き、時に宥め、時に煽り、時に摺り潰して、あらゆる手段をもってすり合わせる才能があった。

 それはいわば後方を守る者、そして為政者の資質であり、百四十年の長きに渡って呪族の統率を許された者の特質と言えるだろう。

 個としての強さを最も重要な評価の基準とするイグナーツですら、彼女の才能は世に比類なしと認めるものだった。

「まったくもって凄まじい。わずか二日でこれとはな……」

 広大な廃都をぐるりと一周する城壁には四つの門があるが、最も大きな大街門の上に設けられた歩廊の上で、イグナーツは改めてコルネリアの才覚を再認識していた。

 城門の外には広大な荒野が広がっているが、いまはムスラバ制圧のための軍勢が集合している。
 歩出発の時を今か今かと待ちわび、武装の確認に余念がない呪族の軍勢が、歩廊からよく見えた。

 荒野に向かって右の軍勢がイグナーツ軍で、青い肌の巨漢の大男達が簡素な皮鎧と毛皮を纏っている。手に持つ武器も粗暴に過ぎる。ただの鉄の棒である。硬く、頑丈であることだけを重視された人の腕ほどの太さの六角棒だ。

 向かって左はリーゼロッテ軍で、イグナーツ軍とは対照的に白地に金色の装飾が施された美しい揃いの戦鎧を着こんだ乙女の軍勢だった。持つ武器は様々な形状ではあるが、全て剣であることは統一されている。

 イグナーツはリーゼロッテの軍を忌々しく睨みつけ、視線を滑らせてそれぞれの軍勢の後方に目を向けた。

 軍勢の前方は中核となる死鬼族、妖剣族が並び、その後方に少数種族が並んでいる。
 それらの種族は特に指示をされたわけでもなく、自主的に後ろへと回っていた。
 君主を要する五種族への配慮というわけだ。

 いやはや、実に愚かしい。
 軍にあっては集団の武力と連携こそが重要と考えるイグナーツにしてみれば、同じ軍内にあって自身で壁を作ることは愚の骨頂である。

「いや……それは俺もか。はっ、度し難いな」

 自重するイグナーツの視線は、二つの軍勢の間に空いた広大な空間に止まっている。
 何のことはない、先着していたリーゼロッテの軍と距離を取って布陣するようにイグナーツが指示していたのである。

 軍需物資の受け取りを考えれば、軍勢の距離は近いほうが良い。
 べったりと横づけしろとは言わないにしろ、これほどの距離を開けるのは理屈に合わない。

 まったく意識していなかったが、軍勢の位置を見れば無意識にリーゼロッテを避けていたことは丸わかりだ。

 何が同じ軍内で壁を作ることは愚の骨頂かと、苦笑いしか出ない。

「何を笑っているんですの。男の思い出し笑いほど気色の悪いものはありませんわよ?」

「放っておけ、武器狂いが」

 いつの間にか歩廊に現れたリーゼロッテに、イグナーツは舌打ちとともに吐き捨てた。
 声をかけられるまで足音どころか気配一つ感じさせないのは、イグナーツと同等の武を修めているからに他ならならいが、それがまた彼の誇りを刺激する。

 リーゼロッテは艶を帯びた唇に薄っすらと笑みを浮かべ、腰に下げた長剣を撫でて見せた。
 その手つきを目にした男は、その細く美しい指先に自身の肌を撫でられる夢想をするだろう。彼女から放たれる色香は、それほどに強烈だった。

 例えるならば、女郎蜘蛛であろうか。
 清楚や凛々しさとはまったく異なる、いわば腐肉の中で際立つ美。捕らわれた男の末路がどうなるかなど、考えるまでもない。幸せな未来など、当然のように望めるはずもないのだろう。

 リーゼロッテはくすり、と笑った。

「武器を愛でることの何がいけないのかしら。荒れ狂うしかない蛮族には、私のフラムレインちゃんの可愛らしさが分からないのかしらね」

「武器に名前をつけるな、気色が悪い。そもそもだ、武器を愛でると言う癖に、少し前までの大剣はどうした?」

「シュタインヒルツちゃんね。そうねぇ、少し飽きてしまったんですもの。もっと可愛い子を見つけてしまったのだから、仕方ありませんわ」

 ぺろり、と舌なめずりするリーゼロッテが何をしたか、イグナーツはすぐに察した。

食った・・・か。飽きれば用なしとはな。愛でられる武器が哀れになるわ」

「ふふ。私に愛でられ、私の一部になるんですのよ。喜ぶに震えることはあれ、哀れなんて……そのきたねぇ口を閉じないとぶっ殺すわよ?」

「やってみろ、この狂人女が」

 リーゼロッテの急な変貌は、それまでの妖艶な美女の皮の下に獰猛な獣を垣間見せる。
 これまでの様子を見ている男がいたとすれば、彼女へ抱いた欲情を一息ひといきくびり殺し、肉食獣を前にして縮み上がる獲物となりさがるだろう。

 だが、イグナーツは微塵も動じることなく、リーゼロッテの殺気を受け止めた。
 いや、それどころか同じく殺気をぶつけて叩き返してのけた。

 一触即発、そんな言葉が相応しいほどの鬼気のぶつかり合いだった。
 冗談などではなく、放っておけば本当に戦い始めただろう。

 犬猿の仲という言葉があるが、それはまさしくこの二人のためにあるような言葉だ。
 姿が、立ち居振る舞いが、言動が、その性癖ですらも、一切合切が気に食わないのである。

 普段であればコルネリアなり、どちらかの副官なりが止めに入る。だが、そうでなければそのまま武力を行使する結果となることも多い。いや、むしろそうならないほうが珍しいのだ。

 二人の実力は拮抗しており、これまでは痛み分けで終わっていた。
 しかし、イグナーツはいま、呪種により明らかに力を増した己を自覚しているのだ。恐らくそれはリーゼロッテも同じとは思うが、それでもなお己の力を試すこともいいのではないか、そんな考えが脳裏を過ぎるのを止められなかった。

 だが、結果から言えば二人が刃を交えることはなかった。
 それというのも、廃都の城壁に沿って移動してくる小軍勢に視線を奪われたのだ。

 数は少なく、どう見積もっても千に届くかどうか。
 しかし、イグナーツと同じくらい巨大な灰色狼に騎乗したその姿は、遠目にもよく目立つ。

 灰色狼の機動力をもってして騎兵のように戦うのだろう、それぞれの手には自身の体よりも長い斧槍が握られていた。

 随分と重いとだろうに、彼らは体勢を崩すことなく直立不動で保持してのける。
 重い荷物を持てばすぐにわかるだろうが、重量物を持つ際には反対側へと体が傾くものだ。
 直立して立つには、それを苦にせぬ膂力が必要となる。

 彼らの立ち姿は、つまるところ、彼らの内に秘めた力を知らしめることに他ならなかったのである。

「あら、あれは……?」

「屍狼族だろう。呪術王カース・ロード様が遊軍としてつけると仰っていたはずだ」

「ああ。裏切者の一族ですね。役に立つとは思えませんわ」

 二人の脳裏には裏切者として粛清された屍狼族のダナの姿が思い起こされていた。

 屍狼族は都市での暮らしを好まず、廃都からやや離れた山間部に居を構えていたためか、二人ともほとんどその姿を見た事がなかった。

 屍狼族といえば小心者で小狡いダナしか印象にない。
 新たな族長を迎えた屍狼族が復権のために従軍すると言われても、嫌悪感を抱きこそすれ、好感を抱くことは難しかった。

 その負の感情は、彼ら二人の一族だけというわけではなく、混成種族軍ですら同様だ。
 屍狼族達は軍勢に合流しようとするが、その都度、合流地点でざわつくように軍勢がうごめき、合流を阻止されていた。

 結局、仕方なく空いていた二つの軍勢の間で腰を落ち着かせたようだが、二万の軍勢に挟まれたその軍勢はいかにもみすぼらしく見えた。

「族長が裏切ったからといって、即座にあれらが全て裏切者とは限らん。頭ではわかっているが、受け入れるのは難しいものだ」

「不快ですが、同意見ですわ。呪術王カース・ロード様のお言葉がなければ、ムスラバの前にあれらを血祭りにあげて差し上げますのに」

 二人が殺意の込もった視線を向けると、屍狼族の中の一騎がこちらを見上げた。
 明らかに二人の殺意を感じた、そんな動きだ。

 他の屍狼族に比べれば少し小柄のその影は、ゆっくりと自分達の軍勢を離れて城門に向かって灰色狼の歩を進め始めた。

 距離が近づけば、容姿も分かる。
 二人はそろって息を呑んだ。

「子供……ですわ」

「子供、だな」

 紛れもなく、ひと際巨大な灰色狼に騎乗した影は、年端もいかない少女だった。

 少女は二人を見上げ、にっこりとほほ笑んだ。
 それは戦場に赴く軍勢の中にあって、異様とも思えるほど不似合いな笑顔だった。

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