呪われ呪術師は世界の平和を強要する(ダークファンタジー)

タロジロウ

人に混じりし異形

 転移が終わると、車酔いにも似た酩酊感を感じる。
 それがどのような原理で発生するかは分からないが、十数秒そのまま待機すれば収まる程度のものだ。

 アルバートはそれを経験的に理解していたから、慌てることなくその場で立ったまま、酔いが収まるのを待った。

 思えば、ラーベルクとの戦闘の際は酔いを無視して行動できていたわけで、興奮による脳内麻薬でも分泌されていたのかもしれない。仮にそうだとしても、必ず無視できる保証もなし。戦闘時に転移呪術を使用するのはやめたほうがいいだろう、そんなくだらないことを考えているうちに回復し終わり、周囲を確認する。

 アルバートが転移したのは薄暗い室内の中だった。
 壁の窓は内側から隙間なく木材を打ち付けられ、唯一の光源は天上に設えられた採光用の天窓が一つだけだ。

 それとて精々が人の頭一つ分で、窓のすぐ下に銀板が吊り下げられている。射し込んだ光は銀板で反射して室内に取り込まれるが、屋根の上に人がいたとして、天窓を覗いても見えるのは銀板に映る自分の顔だけという、徹底して外からの視線を遮る構造だ。

 そんな部屋の扉を開き、中に入ってくるものがあった。

「これは……ようこそお越しくださいました、至高の我が王フィロ・プリアドネ

 アルバートの姿を認めてすぐに膝を突いたのは、アルバートと同じ顔をした男だった。

 いや、顔だけではなく、背格好、声質までまるっきり同じだ。
 唯一違うのは、粘りつくような話し方だけだった。

「久しいな、ウベルト。準備は万全か」

 顔を上げたアルバートと同じ顔をした男――ウベルトは、にぃと口角を上げた。

「はい。いつでも開始できます」

「そうか。では、報告を聞こう」

 準備は万全と言われようと、本当にそうであるかは疑わしい。ここ一年のウベルトの情報収集の精度は充分に満足の行くものだったが、だからといって無条件に信じるほどアルバートは愚かしくはなかった。

 いや、その本質はただ誰も信用していないというだけなのかもしれない。アルバートにとっては誰しも目的を達成するための駒であり、全幅の信頼を置くなどそもそも不可能ではないか、そう自己分析をし、やはり頭のねじが飛んでいるのだと自嘲した。

「はい、まずはこちらへ。ここは至高の我が王フィロ・プリアドネに似つかわしくありません」

 確かに、薄暗く埃臭い部屋は話をするには不向きだろう。
 部屋はそもそも人が暮らすようにはできておらず、部屋の床一面に描かれた転移用魔法陣を人目から隠す目的のために用意されているのだ。

 促されるままに隣室へ向かうと、先ほどの部屋よりは生活感が感じられた。ただし、拭えない違和感はある。まるで、無理やりに人が住んでいるとみせかけたようだ。

 部屋の中央に用意されたテーブルと椅子を促されて座ると、ウベルトは部屋に似つかわしくない本格的なティーセットで紅茶を用意し始めた。

「モーロック様から至高の我が王フィロ・プリアドネ様の好みをお伺いし、練習しました。お口に合うといいのですが――」

「構わん。元より期待していない。それより、以前に会った時よりも口調がなめらかになったな。新しい体のおかげか」

「はい。以前の体はずいぶんと古く、あちこちに問題がありましたから。至高の我が王フィロ・プリアドネに似た背格好、骨格の人間を捕らえ、顔、声を変えて体を奪いました。どうでしょうか、我ながらよく似せることができたと思うのですが」

「ああ、確かに似ているな。その恰好で暮らしているのであれば、吾輩が成り変わっても違和感はないだろう」

 紅茶が注がれたティーカップをアルバートの前に置きながら、ウベルトは嬉しそうに頷いた。

「ええ、まったく問題ありません。偽装は完璧です」

「それで、ムスラバに潜入する目途はたったか」

「はい、それも問題ありません」

 ムスラバへの潜入は今回のアルバートが立てた戦略の中で骨子となる部分だった。

 だが、ヒルデリク王国は呪族に反応する結界で主要な都市を覆っている。その結界を呪族が通り抜けようとすれば、その時点で反応し、人に化けていたとしても分かるようになっているのだ。

 結界は呪力に反応する仕組みで、魔力の内側に呪力を封じている人間には反応しない。呪族は魔力を持たず、呪力だけを持っているがゆえに反応するのだが、魔力と呪力が混じり合ったアルバートもまた結界に反応すると予想されていた。

「調べたところ、誤作動はよくあることのようです。なにせ、呪力に反応するのですから、魔道具ローグ・メイデンや力ある魔導書の類でも容易に反応します。おかげで、王都などは別として、普通の都市であれば門番の検査もおざなりなもののようです。魔道具ローグ・メイデンや魔導書の所持申告をしていればほぼ通過可能です」

「ふむ。魔導書か……だから、ここに魔導書があるのか?」

 アルバートは机の上に置かれた魔導書を取り上げて見せると、ウベルトは然りと頷いた。

「この男の体を奪ってから半年、魔導書修復技師として活動をしております。ムスラバには魔導図書館がありますれば、魔導書を持った修復技師が訪れても違和感はありません」

「ふむ。ところで、別のお前はすでにムスラバに潜入しているのだろう。どうやっているのだ?」

「くひっ。結界に反応せぬほど細かくわけて……でございます」

 分かるようで分からない発言だが、アルバートはそれで満足した。

 ウベルトの種族としての特性を考えれば、細かい部分を聞いてもおぞましいだけだと理解していたからだ。どれほど凄惨な内容であろうと心が揺らぐとは思えないが、聞かずに済むならばそのほうがよい。

 そう判断して立ち上がると、空いたティーカップに紅茶のお代わりを注ごうとしていたウベルトを制止した。

「すぐにムスラバに向かう」

「は、すぐにですか」

「問題があるか?」

 ウベルトは小首を傾げ、いいえ、と言った。

「しかし、ただの魔導書修復技師がムスラバまで一人で出向くことは通常あり得ません。野盗避けに冒険者を雇い、馬車で移動して頂くことになります」

「準備にどれくらいかかる?」

「そう、一時間ほど頂ければ。ちょうど、近隣で名を挙げている冒険者のチームが街を訪れています。私が出向いて契約して参りますので、少々汚のうございますが、ここでお待ちください」

「そうか。わかった」

 部屋を出たウベルトを見送り、アルバートは空いた時間を呪術の開発に費やした。

 アルバートはこの一年の情報収集で、自身の知らない魔法が存在することを知っていた。

 カルロの図書館――賢者の隠れ家にあった魔導書の魔法、呪術はすべて習得している。カルロは世界中の魔導書を集めたと言っていたが、どうやらそれ以降の月日で新しい魔法が開発されているらしいのだ。

 であるならば、アルバートが開発できぬという道理もない。

 理論も、実践も充分。知見はそこらの賢者など裸足で逃げ出すほど持ち合わせている。

 訓練と呪力の増強のためにあまり時間が取れないが、日々のルーティーンの合間を縫っては新しい呪術の開発に勤しむのがアルバートの楽しみだった。

 実際に魔法陣を空中に描き、ああでもない、こうでもないと呪術文字を入れ替えては戻し、時間を忘れて熱中していたせいか、ウベルトが部屋に戻ってきたことにも気づかなった。

 その熱中ぶりは、出発の用意を済ませて戻ってきたウベルトが、声をかけるのを躊躇うほどだった。

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