呪われ呪術師は世界の平和を強要する(ダークファンタジー)
絶望の女王
彼らは自分達を呪族と称した。
だが、そもそも彼らは一つの一族ではない。
多くの種族の集合体というのが正しく、統率者たる一族も特に決まっているわけではなかった。
王が死ねば、その都度種族ごとに存在する君主の中で最も相応しい者が、力ある五つの種族の中から選ばれる。
長い戦いの歴史で絶対数を減らしているがゆえに、その選択は呪族の存亡に直結する。だからこそ、揉めることも、争うこともなく、粛々と種を存続させるに足る才を持つ者が選ばれていた。
そして現在の統率者は朱眼族の君主、コルネリア・ヘルミーナその人だ。
腰よりやや長い炎のように赤い髪が印象的で、彼女が豊満な肢体を揺らして歩く度に、揺れた髪の隙間から艶めかしい臀部の膨らみが微かに見える。
それは男ならずとも引き付けられる強烈な魅力を醸し出すのだが、もちろん後ろ姿だけではなく、前から見てもそれは変わらない。
意志の強い鋭い瞳は凛々しく、薄い唇が笑みを形作れば蕩けるような官能が脳髄を揺さぶるほどだ。
とはいえ、彼女をよく知る者であればその印象を鼻で笑うだろう。
なにせ、齢二百を越えてなお結婚はおろか、浮いた話の一つすらなく、朱眼族の君主として子を成す必要性を解かれれば顔を赤く染める有様なのである。
初心と言えば聞こえはよいが、些か行き遅れを心配される年頃になってきて、同じ君主連中からは失笑されてばかりだった。
いま、そんな彼女の美しい顔には笑みではなく、祈りが浮かんでいた。
「偉大なる呪術王よ。我が願いに声を……我らが種の滅亡に救いの手を……」
それはただの祈りではない。
つい今しがたまで行っていた儀式の結果が最良であるようにという希望だった。
すでに人類との絶対防衛線である大樹海は突破され、呪族の前線砦の幾つかが占領されている。種の存亡をかけた生存戦争に兵力の出し惜しみなどない。だというのに、圧倒的な軍事力の差に遅滞行動すら許されず、彼女達の軍は押しに押し込まれていた。
このままでは呪術王の居城でもあった”廃都メギナ・ディートリンデ”が戦火に包まれるのは避けられない状況だった。
「ひ、姫様……本当に大丈夫でしょうか。禁呪の行使など……」
「大丈夫です。呪術王は我々を見捨てたりはしません。必ずお助けになります」
コルネリアは部屋の石床に刻まれた魔法陣の前に跪いたまま、不安そうな顔をする朱眼族の護衛騎士を励ました。
コルネリアが行うは呪術王の僕を召喚する呪法。
呪族が呪術王の眷属の末裔を自称するのは、この呪法があるからだ。人類に行使ができないことは過去の眷属達の実験で証明されていた。
自分達にだけ許された呪術王との繋がりを示す呪法。誇りであり切り札だが、乱用するにはいかない事情もある。
呪法によって召喚された僕が、召喚者に従順とは限らないのだ。多くの場合は問題がない。従順でないとしても数で押せば倒せる。
しかし、一度だけ廃都の住人の半数が血に沈んでようやく倒せるほどの化け物が現れたことがあるのだ。
それ以来、儀式は禁呪とされた。
身の丈に合わぬ力は破滅の類語でしかなく、護衛騎士が怯えるのも致し方ないとコルネリアは注意することはしなかった。
どれほど怯えようと、これしか方法がないのだ。
コルネリア達の戦力ではヒルデリク王国の軍勢を打ち破ることはできない。血気に逸る者達は現状を理解しようとせず、打って出ることを進言してくる。コルネリアはそれを唾棄すべき妄念だと端から切り捨てていた。
状況を理解せず、ただ蛮勇を頼りに前に出るのも良い。自死を望むのならば好きにすれば良いとすら思う。
だが、それに呪族全体を巻き込むのは許されるべきではない。
最後の最後まで足掻いてくれよう、その一心で手を出した禁呪の儀式は確かに成功していたようだった。
「ひ、姫様……」
慄きに震える護衛騎士の声にコルネリアが顔を上げると、魔法陣の中心がぼんやりと光っていた。
その光は次第に光量を増し、石床に刻まれた魔法陣の線をなぞるようにゆっくりと進む。やがて魔法陣全体が煌々と輝き出した頃、光が魔法陣の中央に浮かぶように凝縮した。
「お、おお……呪術王様……!」
歓喜に震える護衛騎士だったが、その声はすぐにくぐもった呻きにとって変わられた。
神々しささえ感じさせた光が一点に凝縮したかと思うと、光の中心から泥のように粘り気のある闇が溢れだしたのだ。
「ひ、ひぃっ」
「静かに。呪術王様の眷属が来られます」
どろりとした闇は意志を持つように蠢き、天井に達するほどに伸びあがると質感を伴い始め、やがて重厚な扉を形作った。
重々しい音を立て、両開きの扉が開く。
全開まで開いたその向こうに見えるのは闇だ。
護衛騎士が万が一に備えてコルネリアの前に立つのと、その喉笛から奇妙な笛の音が響いたのは同時だった。
「な……っ!?」
コルネリアの眼に映ったのは、喉元を切り裂かれた護衛騎士の姿。
屈強でどんな打撃にもびくともしないはずの太い首は、筋肉の二束でかろうじてつながっているにすぎず、背中の側にだらんと頭を垂らしている。
噴き出す血と呼気がまるで笛のように鳴り響いていると知るのと、背筋に走る怖気に咄嗟に身を投げ出したのは同時だった。
それがコルネリアの生死を分けた。
首筋にちりと何かが触れる感触が走り、熱く燃え上がるように感じた。
地面を転がりながら首を触るとぬるりとした血の手触り。皮一枚、瞬時の判断で命拾いしたことに安堵する暇もなく、コルネリアは闇の中からゆっくりと姿を現すそれに目を奪われた。
豪奢ではあるが薄汚れた全身鎧と、裏地に丸い装飾物を幾つも吊り下げた外套に身を包み、右手には血塗れの大剣をぶら下げる。
一見すると流浪の騎士を思わせたが、高い天井につっかえそうなほどの巨躯と、首から上が存在しないという点が尋常の存在ではないと理解させた。
コルネリアスはその姿を見て悟った。
伝説に謡われる最悪の失敗、廃都の半分を殺し尽くした伝説の怪物と同じ姿だった。
「は……はは……っ! 失敗したか……!」
失敗は元より織り込み済み。
成功するまで何度でも繰り返すつもりだったが、よりにもよって1度目の儀式で最悪のカードを引いた己の不運ときたら!
いいや、もはや呪族に対して運命が処刑台を用意したとすら思える。
乾いた笑いしか浮かべることができず、コルネリアはそれでも気をしっかり保とうと懸命に努力した。
からからに干上がった喉を湿らそうと口を動かす。
恐怖ゆえか唾の一つも出て来なかった。
ふと、コルネリアは視線を感じた。
召喚された呪術王の眷属には頭がない。それにもかかわらず、ねばりつくような視線が確かにコルネリアの肢体を舐め回している。
意味はないと知りつつも、恐怖に駆られたコルネリアはその視線の元を探そうとし、すぐに後悔した。
外套の裏に鈴生りになった丸い装飾と思っていたもの……それが全て人の頭で、視線の元がその頭達の怨嗟に満ちた瞳の群れだと気づいてしまったからだ。
「か、呪術王、様……!」
絶望に打ちひしがれたコルネリアの頭上に、血の滴る大剣が振り下ろされた。
だが、そもそも彼らは一つの一族ではない。
多くの種族の集合体というのが正しく、統率者たる一族も特に決まっているわけではなかった。
王が死ねば、その都度種族ごとに存在する君主の中で最も相応しい者が、力ある五つの種族の中から選ばれる。
長い戦いの歴史で絶対数を減らしているがゆえに、その選択は呪族の存亡に直結する。だからこそ、揉めることも、争うこともなく、粛々と種を存続させるに足る才を持つ者が選ばれていた。
そして現在の統率者は朱眼族の君主、コルネリア・ヘルミーナその人だ。
腰よりやや長い炎のように赤い髪が印象的で、彼女が豊満な肢体を揺らして歩く度に、揺れた髪の隙間から艶めかしい臀部の膨らみが微かに見える。
それは男ならずとも引き付けられる強烈な魅力を醸し出すのだが、もちろん後ろ姿だけではなく、前から見てもそれは変わらない。
意志の強い鋭い瞳は凛々しく、薄い唇が笑みを形作れば蕩けるような官能が脳髄を揺さぶるほどだ。
とはいえ、彼女をよく知る者であればその印象を鼻で笑うだろう。
なにせ、齢二百を越えてなお結婚はおろか、浮いた話の一つすらなく、朱眼族の君主として子を成す必要性を解かれれば顔を赤く染める有様なのである。
初心と言えば聞こえはよいが、些か行き遅れを心配される年頃になってきて、同じ君主連中からは失笑されてばかりだった。
いま、そんな彼女の美しい顔には笑みではなく、祈りが浮かんでいた。
「偉大なる呪術王よ。我が願いに声を……我らが種の滅亡に救いの手を……」
それはただの祈りではない。
つい今しがたまで行っていた儀式の結果が最良であるようにという希望だった。
すでに人類との絶対防衛線である大樹海は突破され、呪族の前線砦の幾つかが占領されている。種の存亡をかけた生存戦争に兵力の出し惜しみなどない。だというのに、圧倒的な軍事力の差に遅滞行動すら許されず、彼女達の軍は押しに押し込まれていた。
このままでは呪術王の居城でもあった”廃都メギナ・ディートリンデ”が戦火に包まれるのは避けられない状況だった。
「ひ、姫様……本当に大丈夫でしょうか。禁呪の行使など……」
「大丈夫です。呪術王は我々を見捨てたりはしません。必ずお助けになります」
コルネリアは部屋の石床に刻まれた魔法陣の前に跪いたまま、不安そうな顔をする朱眼族の護衛騎士を励ました。
コルネリアが行うは呪術王の僕を召喚する呪法。
呪族が呪術王の眷属の末裔を自称するのは、この呪法があるからだ。人類に行使ができないことは過去の眷属達の実験で証明されていた。
自分達にだけ許された呪術王との繋がりを示す呪法。誇りであり切り札だが、乱用するにはいかない事情もある。
呪法によって召喚された僕が、召喚者に従順とは限らないのだ。多くの場合は問題がない。従順でないとしても数で押せば倒せる。
しかし、一度だけ廃都の住人の半数が血に沈んでようやく倒せるほどの化け物が現れたことがあるのだ。
それ以来、儀式は禁呪とされた。
身の丈に合わぬ力は破滅の類語でしかなく、護衛騎士が怯えるのも致し方ないとコルネリアは注意することはしなかった。
どれほど怯えようと、これしか方法がないのだ。
コルネリア達の戦力ではヒルデリク王国の軍勢を打ち破ることはできない。血気に逸る者達は現状を理解しようとせず、打って出ることを進言してくる。コルネリアはそれを唾棄すべき妄念だと端から切り捨てていた。
状況を理解せず、ただ蛮勇を頼りに前に出るのも良い。自死を望むのならば好きにすれば良いとすら思う。
だが、それに呪族全体を巻き込むのは許されるべきではない。
最後の最後まで足掻いてくれよう、その一心で手を出した禁呪の儀式は確かに成功していたようだった。
「ひ、姫様……」
慄きに震える護衛騎士の声にコルネリアが顔を上げると、魔法陣の中心がぼんやりと光っていた。
その光は次第に光量を増し、石床に刻まれた魔法陣の線をなぞるようにゆっくりと進む。やがて魔法陣全体が煌々と輝き出した頃、光が魔法陣の中央に浮かぶように凝縮した。
「お、おお……呪術王様……!」
歓喜に震える護衛騎士だったが、その声はすぐにくぐもった呻きにとって変わられた。
神々しささえ感じさせた光が一点に凝縮したかと思うと、光の中心から泥のように粘り気のある闇が溢れだしたのだ。
「ひ、ひぃっ」
「静かに。呪術王様の眷属が来られます」
どろりとした闇は意志を持つように蠢き、天井に達するほどに伸びあがると質感を伴い始め、やがて重厚な扉を形作った。
重々しい音を立て、両開きの扉が開く。
全開まで開いたその向こうに見えるのは闇だ。
護衛騎士が万が一に備えてコルネリアの前に立つのと、その喉笛から奇妙な笛の音が響いたのは同時だった。
「な……っ!?」
コルネリアの眼に映ったのは、喉元を切り裂かれた護衛騎士の姿。
屈強でどんな打撃にもびくともしないはずの太い首は、筋肉の二束でかろうじてつながっているにすぎず、背中の側にだらんと頭を垂らしている。
噴き出す血と呼気がまるで笛のように鳴り響いていると知るのと、背筋に走る怖気に咄嗟に身を投げ出したのは同時だった。
それがコルネリアの生死を分けた。
首筋にちりと何かが触れる感触が走り、熱く燃え上がるように感じた。
地面を転がりながら首を触るとぬるりとした血の手触り。皮一枚、瞬時の判断で命拾いしたことに安堵する暇もなく、コルネリアは闇の中からゆっくりと姿を現すそれに目を奪われた。
豪奢ではあるが薄汚れた全身鎧と、裏地に丸い装飾物を幾つも吊り下げた外套に身を包み、右手には血塗れの大剣をぶら下げる。
一見すると流浪の騎士を思わせたが、高い天井につっかえそうなほどの巨躯と、首から上が存在しないという点が尋常の存在ではないと理解させた。
コルネリアスはその姿を見て悟った。
伝説に謡われる最悪の失敗、廃都の半分を殺し尽くした伝説の怪物と同じ姿だった。
「は……はは……っ! 失敗したか……!」
失敗は元より織り込み済み。
成功するまで何度でも繰り返すつもりだったが、よりにもよって1度目の儀式で最悪のカードを引いた己の不運ときたら!
いいや、もはや呪族に対して運命が処刑台を用意したとすら思える。
乾いた笑いしか浮かべることができず、コルネリアはそれでも気をしっかり保とうと懸命に努力した。
からからに干上がった喉を湿らそうと口を動かす。
恐怖ゆえか唾の一つも出て来なかった。
ふと、コルネリアは視線を感じた。
召喚された呪術王の眷属には頭がない。それにもかかわらず、ねばりつくような視線が確かにコルネリアの肢体を舐め回している。
意味はないと知りつつも、恐怖に駆られたコルネリアはその視線の元を探そうとし、すぐに後悔した。
外套の裏に鈴生りになった丸い装飾と思っていたもの……それが全て人の頭で、視線の元がその頭達の怨嗟に満ちた瞳の群れだと気づいてしまったからだ。
「か、呪術王、様……!」
絶望に打ちひしがれたコルネリアの頭上に、血の滴る大剣が振り下ろされた。
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