呪われ呪術師は世界の平和を強要する(ダークファンタジー)
呪われた出会い
牛鬼が崩れ落ち、静寂が満ちると、アルバートはわずかに寂寥感のようなものを感じていた。
いったいどれほどの時間を牛鬼と過ごしたのか、数日とは言わず、数カ月、あるいは数年かもしれない。
数え切れない死の中で、牛鬼の戦い方を知り、冒険者としての数年間など比較にならないほどの学びを得ることができた。生きて外に出ることができれば、きっと一流の冒険者と並んでも遜色ないはずだ。
濃密な時間の中で、アルバートが牛鬼に対して師を仰ぐような感情を得たのも無理からぬことだっただろう。
それほどの技量、それほどの暴力だった。
相棒だった魔道具の短剣にはひびが入り、淡く光る何かが薄っすらと漏れ出していた。
込められた魔力が漏出しているのである。
いくら”不壊”の魔法が込められているとはいえ、規格外の化け物を相手に耐えきれなかったらしい。
この魔力の漏出が終わった時、この短剣もまた死を迎えるのだと思うと、アルバートはわずかに感謝の念すら抱いた。
この武器がなければ、相打ちに持ち込むことすらできず、ただ殺されるだけだっただろう。最後まで保ってくれたのは幸運に他ならない。
牛鬼の墓標替わりに短剣を地面に突き刺し、立ち上がる。
「……先に進みますか」
どれほどの思いを抱こうと、死んだ者は蘇らない。
少なくともアルバートはその方法を知らないわけで、死んでしまった以上はそれまでと割り切るのが彼なりの弔いだ。
奥の扉は牛鬼の死とともに解錠されていた。
扉の先は小さな部屋だ。ベッドが一つ、机と椅子が一つ、たったそれだけのこじんまりとした部屋に先客がいた。
机に腰かけ、執務机に倒れ込むように伏した死体。全身の水分はとうに抜けきり、かさかさに乾いている。
死体の前に置かれた読みかけの本を持ち上げると、金のかかった装丁に金糸のタイトルで見て取れた。
「……死者の呪いですか。ずいぶんと物騒なタイトルだ」
「褒め言葉と受け取って良いかね?」
自嘲気味に問うてくるのは、どこまでも柔らかい口調。
それでもアルバートは総毛立ち、手に持った本を思い切り声の主へと投げつけた。
同時に短剣を引き抜こうとして、すでにそれがないことに気づいて舌打ちを一つ。同時に、目の前の存在の違和感に確信を得て、冷や汗を流すした。
「おやおや、嫌われてしまったか。吾輩に君を害する気はないと言っても信じてもらえないかね?」
そう嘯く仮面の男にはまったく気配がなかった。目の前にいるはずなのに、目を離せば幻影のように消え失せ、いないのが当たり前と納得してしまいそうな希薄さだ。
牛鬼とは別の意味で常軌を逸した存在。
注意しなければ認識することすら難しい。
「あなたは?」
「おや。知っていてここに来たのではないのかね。彼からは何も聞いていないのかい?」
「彼……?」
彼と言われて、思いつくのは牛鬼しかいない。牛鬼との会話を思い出して、ふと気づいた。
牛鬼は侵入者を排除しようとしていたが、その前に問いかけていたはずだ。我が主君の誘いを証明する物を持っているかと。その問いかけであれば、なるほど誘った主君が牛鬼の先にいるのが道理である。
そして牛鬼の主君とは他でもない、遥か昔に消えた世界の敵だ。
「まさか、呪術王ですか?」
「惜しいね。吾輩は呪術王の残滓……思念体とでも言うべきかな。我が力を受け継ぎにやってきた者へ、力を渡す役目を担う存在だよ」
「面倒くさいですね。呪術王だからカルロでいいですか?」
明らかに適当に短縮して思いついたと言わんばかりの名前に、呪術王の思念体は面食らったように目を瞬かせたあと、一転して笑い声を立てた。
「いいね。吾輩にそれほど親し気な話し方をする人間は久しぶりだよ。特別にカルロと呼ぶことを許そうとも」
「それはどうも。それで、思念体だからそんなに希薄なんですか?」
存在感の薄さを指摘すると、カルロは大きく頷いた後で困ったように顎をしゃくった。
「そういうことだね。いやはや、情けないね。何百年ぶりのお客様なのか皆目見当もつかないが、せっかくの客人に茶の一つも出せぬ体なのだ。申し訳ないが、右の扉を入ると台所がある。そこに茶があるから、自分で淹れてくれるかね?」
アルバートは一瞬思案したが、特に敵意はないと判断した。
恐らく物理的な干渉は無効。
投げた本はカルロの体を通り抜けているし、茶を入れられないという発言もある。
それが全て嘘で、任意で干渉するかしないかを選択できる可能性もあるが、わざわざ攻撃を食ってくれるはずがない。
アルバートには非物理の存在に対する攻撃手段がない。
ならば戦闘の意味はなく、少なくとも話をしたがっている様子のカルロに付き合うことにしたのだ。
台所は魔法的な力が作用しているのか清潔そのもので、用意されている茶葉も賞味期限の問題はなさそうだった。
高級そうな箱に納めらた茶葉はアルバートが聞いたこともない銘柄ばかりだ。恐らく呪術王が生きた時代の茶葉だからだろう。
とりあえず一つずつ摘まんで匂いを嗅ぎ、一番好みの香りの茶葉を選ぶ。
後ろからついてきたカルロから茶の淹れ方についてくどくどと文句を言われたから言う通りにしたが、それでも及第点とはいかなかったようだ。
「君には紅茶の味を台無しにする才能があるようだ。まったくもって度し難いね」
「あんたが飲むわけじゃないでしょう。飲めればいいんですよ」
なんともいえない雰囲気のカルロを無視して茶を啜る。
美味い。
少なくとも飲み慣れたペットボトルの紅茶とは雲泥の差だ。
それを伝えると、本当はもっと美味くなるのだとまた説教されてしまった。
何年ここにいたのか分からないが、会話する相手のいなかった老人は話したがりなようだ。早々に切り上げて本題に入ろうと顔を上げると、カルロはそれを察していたようでやれやれと息を吐いた。
「若者はせっかちだね」
「老人は気が長い」
アルバートの返しにカルロは盛大に笑った。耐えきれぬとばかりに膝を打ち、息も絶え絶えだ。
「君は面白いね。吾輩にそんな生意気を言う人間は全て殺し尽したと思ったんだが、いやはや、気骨ある若者が出てきたようでうれしいよ」
カルロは楽しそうに両手を叩く。
「話は簡単だ。吾輩は呪術王として全てを蹂躙し、吾輩の力を示した。吾輩なりに全力を尽くしたと言える。苛烈ながら充実した人生であったと思うが……吾輩ほどの力を持ってしてもそううまくはいかなくてね。ようやっと人心地つけたと思った時には、吾輩の存在は消滅の一歩手前だったのさ」
「待ってください。牛鬼が言ってましたよ。呪術王は不死なんでしょう?」
「牛鬼というのは門番のあれのことかな。まったく、おしゃべりなことだ。とはいえ、まあそうだね。だが、不死であっても不滅ではないんだよ。存在を構成する力を使い果たせば消滅はする。分かったかね?」
アルバートに納得の意思を見て取り、カルロは満足げに頷いて続けた。
「ならばこそ、だ。天寿を全うする最後くらい静かに余生を過ごしたい。仲間を失い、友を失い、一人静かに思い出に浸って消える。そう決めてここに居を構えたんだが、そこでふと気づいたわけだ。吾輩の力を継承する者……弟子を作っていないとね」
にやりと笑うカルロに、アルバートも察した。
「つまり、俺が力を受け継ぎにやって来た者ってわけですか?」
「その通り。吾輩、世界の敵であるからして……同じ時を生きる力ある者達は軒並み吾輩を忌み嫌っているんだ。かといって力無き者は受け皿として不十分……そこで一計を案じたんだ。いま存在しないなら、やってくるまで待つのが良かろうとね」
そうしてできたのが世界最恐の名を欲しいままにする鏖殺墓地で、それを踏破してやってきた力ある者に呪術王の力を受け渡すのだという。
ちなみに、とカルロは続けた。
「拒否権はないよ」
いったいどれほどの時間を牛鬼と過ごしたのか、数日とは言わず、数カ月、あるいは数年かもしれない。
数え切れない死の中で、牛鬼の戦い方を知り、冒険者としての数年間など比較にならないほどの学びを得ることができた。生きて外に出ることができれば、きっと一流の冒険者と並んでも遜色ないはずだ。
濃密な時間の中で、アルバートが牛鬼に対して師を仰ぐような感情を得たのも無理からぬことだっただろう。
それほどの技量、それほどの暴力だった。
相棒だった魔道具の短剣にはひびが入り、淡く光る何かが薄っすらと漏れ出していた。
込められた魔力が漏出しているのである。
いくら”不壊”の魔法が込められているとはいえ、規格外の化け物を相手に耐えきれなかったらしい。
この魔力の漏出が終わった時、この短剣もまた死を迎えるのだと思うと、アルバートはわずかに感謝の念すら抱いた。
この武器がなければ、相打ちに持ち込むことすらできず、ただ殺されるだけだっただろう。最後まで保ってくれたのは幸運に他ならない。
牛鬼の墓標替わりに短剣を地面に突き刺し、立ち上がる。
「……先に進みますか」
どれほどの思いを抱こうと、死んだ者は蘇らない。
少なくともアルバートはその方法を知らないわけで、死んでしまった以上はそれまでと割り切るのが彼なりの弔いだ。
奥の扉は牛鬼の死とともに解錠されていた。
扉の先は小さな部屋だ。ベッドが一つ、机と椅子が一つ、たったそれだけのこじんまりとした部屋に先客がいた。
机に腰かけ、執務机に倒れ込むように伏した死体。全身の水分はとうに抜けきり、かさかさに乾いている。
死体の前に置かれた読みかけの本を持ち上げると、金のかかった装丁に金糸のタイトルで見て取れた。
「……死者の呪いですか。ずいぶんと物騒なタイトルだ」
「褒め言葉と受け取って良いかね?」
自嘲気味に問うてくるのは、どこまでも柔らかい口調。
それでもアルバートは総毛立ち、手に持った本を思い切り声の主へと投げつけた。
同時に短剣を引き抜こうとして、すでにそれがないことに気づいて舌打ちを一つ。同時に、目の前の存在の違和感に確信を得て、冷や汗を流すした。
「おやおや、嫌われてしまったか。吾輩に君を害する気はないと言っても信じてもらえないかね?」
そう嘯く仮面の男にはまったく気配がなかった。目の前にいるはずなのに、目を離せば幻影のように消え失せ、いないのが当たり前と納得してしまいそうな希薄さだ。
牛鬼とは別の意味で常軌を逸した存在。
注意しなければ認識することすら難しい。
「あなたは?」
「おや。知っていてここに来たのではないのかね。彼からは何も聞いていないのかい?」
「彼……?」
彼と言われて、思いつくのは牛鬼しかいない。牛鬼との会話を思い出して、ふと気づいた。
牛鬼は侵入者を排除しようとしていたが、その前に問いかけていたはずだ。我が主君の誘いを証明する物を持っているかと。その問いかけであれば、なるほど誘った主君が牛鬼の先にいるのが道理である。
そして牛鬼の主君とは他でもない、遥か昔に消えた世界の敵だ。
「まさか、呪術王ですか?」
「惜しいね。吾輩は呪術王の残滓……思念体とでも言うべきかな。我が力を受け継ぎにやってきた者へ、力を渡す役目を担う存在だよ」
「面倒くさいですね。呪術王だからカルロでいいですか?」
明らかに適当に短縮して思いついたと言わんばかりの名前に、呪術王の思念体は面食らったように目を瞬かせたあと、一転して笑い声を立てた。
「いいね。吾輩にそれほど親し気な話し方をする人間は久しぶりだよ。特別にカルロと呼ぶことを許そうとも」
「それはどうも。それで、思念体だからそんなに希薄なんですか?」
存在感の薄さを指摘すると、カルロは大きく頷いた後で困ったように顎をしゃくった。
「そういうことだね。いやはや、情けないね。何百年ぶりのお客様なのか皆目見当もつかないが、せっかくの客人に茶の一つも出せぬ体なのだ。申し訳ないが、右の扉を入ると台所がある。そこに茶があるから、自分で淹れてくれるかね?」
アルバートは一瞬思案したが、特に敵意はないと判断した。
恐らく物理的な干渉は無効。
投げた本はカルロの体を通り抜けているし、茶を入れられないという発言もある。
それが全て嘘で、任意で干渉するかしないかを選択できる可能性もあるが、わざわざ攻撃を食ってくれるはずがない。
アルバートには非物理の存在に対する攻撃手段がない。
ならば戦闘の意味はなく、少なくとも話をしたがっている様子のカルロに付き合うことにしたのだ。
台所は魔法的な力が作用しているのか清潔そのもので、用意されている茶葉も賞味期限の問題はなさそうだった。
高級そうな箱に納めらた茶葉はアルバートが聞いたこともない銘柄ばかりだ。恐らく呪術王が生きた時代の茶葉だからだろう。
とりあえず一つずつ摘まんで匂いを嗅ぎ、一番好みの香りの茶葉を選ぶ。
後ろからついてきたカルロから茶の淹れ方についてくどくどと文句を言われたから言う通りにしたが、それでも及第点とはいかなかったようだ。
「君には紅茶の味を台無しにする才能があるようだ。まったくもって度し難いね」
「あんたが飲むわけじゃないでしょう。飲めればいいんですよ」
なんともいえない雰囲気のカルロを無視して茶を啜る。
美味い。
少なくとも飲み慣れたペットボトルの紅茶とは雲泥の差だ。
それを伝えると、本当はもっと美味くなるのだとまた説教されてしまった。
何年ここにいたのか分からないが、会話する相手のいなかった老人は話したがりなようだ。早々に切り上げて本題に入ろうと顔を上げると、カルロはそれを察していたようでやれやれと息を吐いた。
「若者はせっかちだね」
「老人は気が長い」
アルバートの返しにカルロは盛大に笑った。耐えきれぬとばかりに膝を打ち、息も絶え絶えだ。
「君は面白いね。吾輩にそんな生意気を言う人間は全て殺し尽したと思ったんだが、いやはや、気骨ある若者が出てきたようでうれしいよ」
カルロは楽しそうに両手を叩く。
「話は簡単だ。吾輩は呪術王として全てを蹂躙し、吾輩の力を示した。吾輩なりに全力を尽くしたと言える。苛烈ながら充実した人生であったと思うが……吾輩ほどの力を持ってしてもそううまくはいかなくてね。ようやっと人心地つけたと思った時には、吾輩の存在は消滅の一歩手前だったのさ」
「待ってください。牛鬼が言ってましたよ。呪術王は不死なんでしょう?」
「牛鬼というのは門番のあれのことかな。まったく、おしゃべりなことだ。とはいえ、まあそうだね。だが、不死であっても不滅ではないんだよ。存在を構成する力を使い果たせば消滅はする。分かったかね?」
アルバートに納得の意思を見て取り、カルロは満足げに頷いて続けた。
「ならばこそ、だ。天寿を全うする最後くらい静かに余生を過ごしたい。仲間を失い、友を失い、一人静かに思い出に浸って消える。そう決めてここに居を構えたんだが、そこでふと気づいたわけだ。吾輩の力を継承する者……弟子を作っていないとね」
にやりと笑うカルロに、アルバートも察した。
「つまり、俺が力を受け継ぎにやって来た者ってわけですか?」
「その通り。吾輩、世界の敵であるからして……同じ時を生きる力ある者達は軒並み吾輩を忌み嫌っているんだ。かといって力無き者は受け皿として不十分……そこで一計を案じたんだ。いま存在しないなら、やってくるまで待つのが良かろうとね」
そうしてできたのが世界最恐の名を欲しいままにする鏖殺墓地で、それを踏破してやってきた力ある者に呪術王の力を受け渡すのだという。
ちなみに、とカルロは続けた。
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