水月のショートショート詰め合わせ

水月suigetu

アストロ・ホースは竜宮から降りてきて

水槽の中の美しい黄金色の小さい龍が、私の人差し指を追ってくる。

大きな円を描けば、くるっと龍が回転。おー、という歓声と拍手が起こった。赤字経営が続く小さい水族館の、1匹のタツノオトシゴがいる水槽の前で、こんなに盛り上がるなんて。飼育員を10年間やってきて初めてのことだ。

張り切って、タツノオトシゴの生態や面白い豆知識などを説明する。ふよふよと漂うタツノオトシゴは、時々、軽快なスピンを披露してくれた。




閉館時間を過ぎて、薄暗く静かになった館内。点検兼掃除に勤しむ。並ぶ水槽の表面を布で丁寧に拭いつつ、泳ぐ魚やエビ、クラゲなどの状態を確認した。

次は、不思議な黄色いタツノオトシゴの水槽。バケツを置いて、水槽を覗く。

いつも、俯きがちな顔。ストローのような個性的な口。下に向かうにつれて、ぷっくりと膨らむ愛らしい腹部。小刻みに動かす小さい胸ビレ。先端がくるりと丸まっている尻尾。

全体のシルエットはトゲトゲしていて強そうに見えるが、間近で観察すると、儚く健気な妖精のように見えてくる。先月、地元の漁師さんが連れてきてくれた子。漁の網に引っかかっていたらしく、色が珍しいからと寄贈してくれた。

最初はぐったりしていて餌も食べてくれず、とても心配だったが、すっかり元気になってくれた。2週間ほど前から、信じられないような複雑な芸を覚えだして、多くの人を驚愕させている。

「そろそろ、餌の時間ではないかな?」

低い声がして、振り向く。見渡すが、誰もいない。

「私だよ。水槽の中だ。今日は少し疲れた。早めに空腹を満たして、休みたい」

水槽の中?また振り返って、水槽を覗く。タツノオトシゴと、しばし向かい合う。

「……ふふふ、まさかね」

「そのまさか、なのだが。急かして申し訳ないが、餌を頼めないだろうか」

口をぷくぷくと動かすタツノオトシゴ。のけ反って後退り、バケツをひっくり返しそうになった。


「数千年前には、ヒトから龍と崇められたものだが、今はこんなに身体が小さくなってしまった。瞬間移動も空中飛行の力も今は不安定だ。ヒトと会話する力も弱まっている。しまいには、漁師に捕まってしまうし。ここに運ばれた時は、かなり落ち込んだ」

シュッとストロー状の口で餌をテンポよく吸い込んでいくタツノオトシゴは、見守る私に懇々と話しかけてくる。私は、困惑するしかない。

「私たちは、本当は魚ではないんだ。地球から30光年離れた星の住人でね。数千年前に地球に降りて、私たちが知り得ている技術と知恵を君たちヒトに伝えた。いつか、君たちヒトと一緒に銀河を探索できるように」

「君たちがオベリスクやピラミッドと呼ぶ建造物は、私たちが随分前に作った鉄塔だ。表面に配置した水晶は常に震えて、電気信号を発する。その電気信号を繋ぎ合わせて、電気を供給させていたのさ」

「地上のヒトは、電気を自由に使えたんだ。でも、当時はあまり電気の需要がなくてね。古代の信仰の象徴として、あの鉄塔たちが手厚く保管されるとは、意外だった」

タツノオトシゴは水草に尻尾を絡ませて、身体を固定したまま語る。宇宙人?タツノオトシゴが?理解が追い付かない。

「ここ日本のヒトたちにも、様々なものを伝えた。石の削り方、金属の扱い方、大きな木造建造物の効率的な造り方。君たちは予想を超える勢いで成長してくれた。しかし、私たちは弱体化し始めて、ついには故郷の星に帰還することもできなくなってしまったんだ」

「タツノオトシゴ、さん?たちが、元の姿に戻れる方法はないんですか?」

「今のところは。しかし、君たちヒトがいつか私たちを超える存在になって、私たちを助けてくれると信じている。その時には、一緒に銀河を旅することもできるだろう」

水草から離れたタツノオトシゴが、私の近くにやってきた。目と目が合う。

「最近やっと、ヒトの未来を信じてみよう、今出来る限りのことをしようという、軽やかな心持ちになれた。私にずっと心を砕き、話しかけてくれていた君のおかげだ。本当に、ありがとう」

胸ビレを震わせて、タツノオトシゴが恭しく私に頭を下げてきた。慌てて、お辞儀を返す。

「こちらこそ。あなたのおかげで、お客さんがあんなに笑ってくれるようになった。……水槽の中は、やはり狭苦しいですか?」

「私自身が小さいから、狭いとは感じない。餌も美味しいし、海水は新鮮だし、酸素たっぷりだ。正直、危険と隣合わせの海より快適だ」

「できれば、しばらくはまだ、ここに居てくれないかなぁなんて、思ってるんですが」

水槽に右手の指先を当てる。タツノオトシゴは、巻いている尻尾を伸ばして、私の指先に触れるような仕草をした。

「喜んで。君の傍にいよう。これからも、どうかよろしく頼む」

黄金色のタツノオトシゴは、くるりとスピンして、全身をキラリと光らせた。


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