水月のショートショート詰め合わせ

水月suigetu

外の鬼はお菓子の家に

ココア味のドア型のクッキーを、割れないように慎重に掌に乗せる。建設中の家が鎮座している大きな回転台に近づいた。

1m四方の土台は、硬く焼いたクッキー。四方の壁も、アイシングで細かいレース模様をつけた屋根も、もうしっかり組み立てられている。

後は、この上部が丸いドア型クッキーを取り付ければ完成だ。慎重に、ドアをはめ込む。息を詰めて、静かにドア全体を押して。倒れてこないか確認しながら、ゆっくり手を放す。

やった。できた。回転台から少し離れて、たっぷり息を吐いて、吸い込む。クッキーの甘い香りを感じながら、工事が完了したお菓子の家を眺める。

手前の壁には、格子の窓が2つ。キャンディー製のステンドグラス風の窓は、レモンイエロー。バニラ風味のクッキーの壁には、細かいレンガの模様を付けたので、今年のお菓子の家はリアルな見た目になった。

冷蔵庫から、ドライフルーツやアーモンドスライス、アイシングや葉っぱ型チョコを持ってきた。もう少し、華やかに。デコレーションを追加しよう。模様は、どうしようか。



”山を守る鬼の一族が、そんなものを作りたがっていると知られたら、人間に笑われてしまうでしょう!”

”鬼の役目は、山への畏怖の念を人間に抱かせること。恵の源である山と人間が平和に共生し続けるには、私たちは強く厳しく在らねばならないのです。跡取りの一人娘のあなたが、そのように軟弱なことでは困ります”

初めて見惚れたお菓子の家を思い出すと同時に、母さんにかけられた重い言葉が耳の奥で再生される。アイシングの袋を掴もうとした手が止まった。

私は小さい頃、お菓子の家の写真に心を奪われた。人間が山に残していった雑誌に載っていた写真。三角屋根の、可愛いミニチュアの家。食べたことの無いクッキーやチョコというお菓子でできた壁やドアが、美味しそうで綺麗で。お菓子の家を作りたいと願うようになった。

しかし、鬼の一族の役目を誇って生きている母が、私の夢を理解することはなかった。数十年前、ついに私は鬼の住処の洞窟を飛び出して、山の麓の集落に行き着いたのだ。

若い女性に擬態して、あちこちを彷徨った。瞬間移動や変化などの鬼の特殊能力も駆使して、人間の生活や知恵をひたすら学んで。数年前にやっと、小さいお菓子屋さんを開くことができた。

家と連結しているお店では、クリスマスの時期に大きなお菓子の家を飾っている。毎年、お菓子の家作りに没頭できるようになったのだ。没頭できるようになったのに。なぜ毎回、母の言葉を思い出してしまうのだろう。



「鬼さーん、こんにちはー!」

裏庭から声がして、早足に向かう。山の集落の子が数人、集まっていた。

「こんにちは。元気だねー。もうほとんど完成してるから、お店の玄関から回って入ってきて」

「はーい!」

疾風のように走っていく子供たちを見送って、窓を閉じる。廊下を歩きながら、首を回して腕を回す。魔法使いの鬼サンタになりきるという、大仕事が待っている。



「では皆さん、少しの間、目を閉じて。今年も皆さんに、魔法のクリスマスプレゼントを贈ります。お菓子の家の中へご案内しましょう。大きな声でいつもの合言葉、言えるかな?」

お菓子の家を取り囲んでいた子供たちを、自分の近くに集めて、声を張り上げた。

「はーい!」

「合言葉は?」

「福は内!鬼も内!」

鐘の音のような子供たちの声が響いた瞬間、私も目を閉じて感覚を研ぎ澄ませた。お菓子の家の中を、強くイメージする。数十秒後に目を開ければ、お菓子の家の中に配置しておいた、ドールハウス用の精巧なテーブルやシャンデリアが目に入ってきた。

私のすぐ横には、あのレモンイエローのキャンディーの窓。バニラの香りに包まれている。無事に、お菓子の家の中に入れたようだ。

「到着。もう開けていいよ」

キャー、すごーいと歓声を上げた子供たちは、広いお菓子の部屋の中を走り回った。今年のお菓子の家の出来に、合格の印が押されたようだ。安心して、ミニチュアだったはずの大きなイスに座る。テーブルに頬杖をついて、窓を見た。

レモンイエローの窓から差し込む光は、どこまでも優しい。


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