水月のショートショート詰め合わせ
ヘルツの水のプラント・ライフ
”憧れの植物の一生を、体験してみませんか?プラント・ライフ・ラボ”
頭から離れない、ポストに入っていたチラシの宣伝文句。丸一日気になり続け、日曜日の今日ついに、行ってしまおうと決心した。
スマホに表示される地図を頼って、何とか辿りついた雑居ビル。カラスが鳴いている。不安をごまかしながら、3階にあるプラント・ライフ・ラボを目指す。
「いらっしゃいませ」
緑色のドアを開けると、たくさんの観葉植物に囲まれた白衣姿の女性がいた。ふんわりと巻かれた綺麗な赤毛が印象的だ。
「植物体験をご希望でしょうか?」
「あ、はい。初めてなんですが」
「ご新規様ですね。ありがとうございます。では、まずご説明いたしましょう」
女性は嬉しそうに、奥からたくさんの冊子をいそいそと抱えてきた。
「こちらのラボでは、この舟のような形のカプセルの中で、ご希望の植物の理想的な一生をリアルに体験いただけるサービスを提供しております。体感時間は長いですが、所要時間は2時間ほどなので、映画のように気軽にお楽しみいただけます。」
女性が目の前で捲るパンフレットには、SF映画に出てくるようなカプセルが載っていた。カプセルの中では、男性が安らかに眠っている。
「あの、ゴーグルとかヘッドフォンとかを着けるんですか」
「いえ、カプセルの中には特殊な周波数の音が流れておりまして。その音で、入った人はすぐに深い眠りに入ります。そして、明晰夢のような感覚で、植物の一生を体感できる仕組みとなっております」
「え、音で」
「ええ。音で。小さい音なので、耳や脳への悪影響は心配ありませんよ。ちなみに、料金はこのようになっております」
女性がボードのようなものを見せてくれた。2時間の通常コースが、4,580円。高いのか安いのか分からない。しかし、ますます気になってきた。試してみよう。
目の前の広がる、いくつものパンフレットには、様々な植物の画像がぎっしりと載っている。
「ノスタルジックな風景の中でリラックスしたい方には、田んぼで揺れる稲やアフリカの動物たちに囲まれるバオバブがおすすめです。高山植物や砂漠のサボテンなど、スリリングな環境下で生き抜く植物も人気ですよ」
「へぇ。本当に、色んな植物があるんですね」
「ええ。華やかな胡蝶蘭や百合などのお花もございます。青い菊や青いバラなどの人工的なお花も、神秘的と人気で。ああ、個人的には、アフリカのナミブ砂漠に自生している、奇想天外という植物がおすすめです。絨毯みたいに葉を大きく広げるんですよ」
「奇想天外?すごい名前ですね」
「ふふふ。面白い名前や見た目の植物も、体験してみると楽しいですよ。ああ、ハーブ系の植物もあります。自分が発する良い香りで、うっとりできますよ。こちらにテスターが」
渡されたテスターを1つ1つ試しながら、手元の冊子を捲る。4ページ目で手が止まった。
「あの、この、レース・プラントっていうのは?」
「マダガスカル島に自生する水草です。葉脈標本のような感じで、葉肉が抜け落ちてる状態の大きな葉が特徴です。茎を水面より上に伸ばして、夏に開花します。薄紫の小さい花を、ぽっと咲かせるんです」
まさに、葉脈で編んだレースのような、繊細な葉に釘付けになった。
カプセルの中は微かに明るい。常に、小さい音が流れている。高くなったり、低くなったり。緊張で強張っていた身体が弛緩し、徐々に意識が薄れていった。
揺らめく太陽と青空を見上げている。少し冷たい水の中。私の四肢は大きなレース状の葉になっていた。いや、胴体か?身体がどうなっているのか、よく分からない。葉脈の格子を色鮮やかな小魚が通り抜けていって、くすぐったい。
春の終わり頃になった。微かに水に混ざる花々の香りに励まされながら、必死に茎を水面に向けて伸ばす。細い茎を一本、垂直に伸ばすことが、これほど大変だとは。
真夏の日差しが、水の中でカーテンのように揺れる頃、薄紫の小さい花を水越しに見た。愛おしい、滲む淡い紫色。
秋の夕方には、視界はオレンジ色だけになった。水面から差し込んでくる西日で、少し水温が上がったのだろう。温かい。近づいてきた大きな魚が、パシャパシャと音を立てて踊った。
羽根のように軽い大きなレースの葉は、緩やかな水の流れでひらひらと漂っている。
夕日がどんどん落ちて暗くなり、意識が水に溶けていく。ああ、もうそろそろ、人に戻る時間のようだ。
頭から離れない、ポストに入っていたチラシの宣伝文句。丸一日気になり続け、日曜日の今日ついに、行ってしまおうと決心した。
スマホに表示される地図を頼って、何とか辿りついた雑居ビル。カラスが鳴いている。不安をごまかしながら、3階にあるプラント・ライフ・ラボを目指す。
「いらっしゃいませ」
緑色のドアを開けると、たくさんの観葉植物に囲まれた白衣姿の女性がいた。ふんわりと巻かれた綺麗な赤毛が印象的だ。
「植物体験をご希望でしょうか?」
「あ、はい。初めてなんですが」
「ご新規様ですね。ありがとうございます。では、まずご説明いたしましょう」
女性は嬉しそうに、奥からたくさんの冊子をいそいそと抱えてきた。
「こちらのラボでは、この舟のような形のカプセルの中で、ご希望の植物の理想的な一生をリアルに体験いただけるサービスを提供しております。体感時間は長いですが、所要時間は2時間ほどなので、映画のように気軽にお楽しみいただけます。」
女性が目の前で捲るパンフレットには、SF映画に出てくるようなカプセルが載っていた。カプセルの中では、男性が安らかに眠っている。
「あの、ゴーグルとかヘッドフォンとかを着けるんですか」
「いえ、カプセルの中には特殊な周波数の音が流れておりまして。その音で、入った人はすぐに深い眠りに入ります。そして、明晰夢のような感覚で、植物の一生を体感できる仕組みとなっております」
「え、音で」
「ええ。音で。小さい音なので、耳や脳への悪影響は心配ありませんよ。ちなみに、料金はこのようになっております」
女性がボードのようなものを見せてくれた。2時間の通常コースが、4,580円。高いのか安いのか分からない。しかし、ますます気になってきた。試してみよう。
目の前の広がる、いくつものパンフレットには、様々な植物の画像がぎっしりと載っている。
「ノスタルジックな風景の中でリラックスしたい方には、田んぼで揺れる稲やアフリカの動物たちに囲まれるバオバブがおすすめです。高山植物や砂漠のサボテンなど、スリリングな環境下で生き抜く植物も人気ですよ」
「へぇ。本当に、色んな植物があるんですね」
「ええ。華やかな胡蝶蘭や百合などのお花もございます。青い菊や青いバラなどの人工的なお花も、神秘的と人気で。ああ、個人的には、アフリカのナミブ砂漠に自生している、奇想天外という植物がおすすめです。絨毯みたいに葉を大きく広げるんですよ」
「奇想天外?すごい名前ですね」
「ふふふ。面白い名前や見た目の植物も、体験してみると楽しいですよ。ああ、ハーブ系の植物もあります。自分が発する良い香りで、うっとりできますよ。こちらにテスターが」
渡されたテスターを1つ1つ試しながら、手元の冊子を捲る。4ページ目で手が止まった。
「あの、この、レース・プラントっていうのは?」
「マダガスカル島に自生する水草です。葉脈標本のような感じで、葉肉が抜け落ちてる状態の大きな葉が特徴です。茎を水面より上に伸ばして、夏に開花します。薄紫の小さい花を、ぽっと咲かせるんです」
まさに、葉脈で編んだレースのような、繊細な葉に釘付けになった。
カプセルの中は微かに明るい。常に、小さい音が流れている。高くなったり、低くなったり。緊張で強張っていた身体が弛緩し、徐々に意識が薄れていった。
揺らめく太陽と青空を見上げている。少し冷たい水の中。私の四肢は大きなレース状の葉になっていた。いや、胴体か?身体がどうなっているのか、よく分からない。葉脈の格子を色鮮やかな小魚が通り抜けていって、くすぐったい。
春の終わり頃になった。微かに水に混ざる花々の香りに励まされながら、必死に茎を水面に向けて伸ばす。細い茎を一本、垂直に伸ばすことが、これほど大変だとは。
真夏の日差しが、水の中でカーテンのように揺れる頃、薄紫の小さい花を水越しに見た。愛おしい、滲む淡い紫色。
秋の夕方には、視界はオレンジ色だけになった。水面から差し込んでくる西日で、少し水温が上がったのだろう。温かい。近づいてきた大きな魚が、パシャパシャと音を立てて踊った。
羽根のように軽い大きなレースの葉は、緩やかな水の流れでひらひらと漂っている。
夕日がどんどん落ちて暗くなり、意識が水に溶けていく。ああ、もうそろそろ、人に戻る時間のようだ。
「SF」の人気作品
書籍化作品
-
-
26950
-
-
93
-
-
141
-
-
221
-
-
39
-
-
107
-
-
516
-
-
0
-
-
63
コメント