水月のショートショート詰め合わせ

水月suigetu

下町歌舞伎に呼ばうばうわう

いかにも重そうな銅製の型を、細身の職人が一気に二つ折りにする。間髪を入れず片方の型が開いて、2列に並んだ人形焼きが現れた。

犬の形を模した人形焼きは、魅力的な湯気を立てている。少し迷ってから、財布を取り出した。





ステンドグラスの色彩豊かな幾何学模様から、優しい光が入っている。もうこのカフェに通って数年になるが、見飽きない。凝ったデザインの窓の美しさに誘われるように足を踏み入れたカフェは、もうすっかり私の第二の書斎になっている。

片手にペンを握ったまま、横の窓に見とれていると、足元に何かが触れた。つぶらな深い茶色の瞳が、私を見つめている。

「助六」

私が名前を呼んで撫でると、艶のある漆黒のゴールデンレトリバーは、目を閉じて尻尾を振った。

「お待ちどうさま。今日は少し深煎り。人形焼きに合うかしら。あ、助六もおやつにしようか」

目の前に置かれた、ターコイズブルーのカップから、たまらない好い香り。傍に置かれた小さなお皿には、あの人形焼き。

店主のマリーさんが犬用のおやつを持って来ると、助六はお座りし直して、目を輝かせた。



「ん、美味しい。可愛いし。やっぱり最強のお菓子ね」

頬張った人形焼きを味わいながら、マリーさんの感想に頷く。

「この人形焼き好きなのよ。こんなに貰っちゃって。悪いわね」

「いつもカウンター席を1つ占領しちゃってるので、感謝の気持ちとして」

「あらー、気にしなくていいのよ。基本的に寂しいカフェだから」

再び足に、少しの衝撃。助六が私の足元で伏せていた。

「この前ね、この子、吠えて唸って、お客さんを外に引っ張りだしちゃったの。びっくりしちゃって」

「え、助六が?」

おしゃれな和柄の赤い首輪が似合う助六は、吠えない静かな犬だ。どんなお客さんにも、紳士的に接するクールな犬でもある。その助六が。

「夕方にね、厄介な酔っ払いさんが来たの。他のお客さんの迷惑だからってお断りしたんだけど、怒って怒鳴り始めちゃって。困ってたら、助六がその人の足に噛みついたの。狼みたいに唸りながら」

助六が大きな欠伸をした。想像できない。

「抵抗されて口を離したんだけど、物凄い声で吠えてね。臨戦態勢の野犬みたいに。人が、犬が変ったみたいだった。酔っぱらいさんはまだ私に何か言おうとしたんだけど、助六がまた足を噛んでね、引きずり倒して玄関の外まで引きずって行っちゃった」

穏やかに眠ろうとしている助六の勇猛果敢な姿。どうしても、イメージできない。

「慌てて追いかけたんだけど、酔っぱらいさんは怯えて逃げていって。帰ってきたら拍手喝采よ。まさにヒーローの凱旋」

江戸の庶民が憧れた、快活なヒーロー、助六。歌舞伎の有名な役だ。確か、黒い着物に、赤いふんどしの。スゥスゥという寝息を立てている犬の助六の纏う色も、黒と赤。想像の中で、犬の助六が見得を切る。

「ねぇ助六。君のお話を書いてもいい?」

私が小さく話しかけると、助六はピコピコと耳を動かした。




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