水月のショートショート詰め合わせ
ムクロジの真なる姿はエントロピーに隠れて
カンッという乾いた音と、手に伝わる振動。気付けば、無心になって打ち続けていた。もう、5分は無言のラリーを続けている。
ここ数ヶ月引きこもっていた私を公園に突然連れ出した友人は、いきなり羽子板をやろうと提案してきた。レトロな柄の羽子板と、カラフルな羽根の付いたムクロジの黒い種を、私に持たせて。
早く!と3m先で急かしてくる友人に、戸惑った。ほんの時々会う友人の話題は、いつも宇宙や星だ。たまに星座。
真夏の夕方に汗を光らせながら、嬉々として運動する人ではない、はず。しかも、なぜ羽子板?
困惑したまま、子供の頃の微かな記憶を頼りに、ムクロジの種、黒い球を羽子板で打つ。放物線を描いて、黒い球は友人の元に飛んで行った。
ベンチにどっしりと身体を預けながら、持っている羽子板の先に乗せたムクロジの黒球をじっと見る。羽根はラリー中に取れてしまったようだ。
隣の友人もほぼ同じ体勢で、空を見上げていた。
「ブラックホールってさ、すごいんだよ」
「飲み込んだもの全部の情報をさ、二次元化するの。薄い布みたいしてさ、輪っかにするんだって」
「その輪が、ブラックホールの外側にある輪なんだ。そのぺっちゃんこになってる情報の輪はね、熱力学的にはエントロピーっていうらしいよ。放射される熱エネルギー。要するに、ブラックホールは取り入れた情報の形を変えて、自分の熱を逃がしてる、ってことかもしれないんだって」
友人の夢心地のような声が左耳から入ってくるが、ほとんど理解できない。ムクロジの軽くて硬い漆黒の種は、コロコロと傾けた羽子板の上を転がる。
「光だって、ひとたまりもないんだ。ブラックホールに入ったら、永遠に出られない。だから、誰も本当のブラックホールなんて目撃できないんだ。あのブラックホールの輪にも、確かな実体がない。ホログラム。エントロピーが見せる幻の輪だ」
「君も同じだよ。他人は君の外側にある不確かな情報の輪を見て、君を評価してる。定義してる。でも、本物の君なんて誰にも見えない。きっと、君自身にも。もしかしたらさ」
友人の言葉が突然途切れて、友人の方へ顔を向けた。
誰もいない。ベンチに羽子板だけが残っている。手が急に軽くなった気がして、手元を見れば、自分の持っていた羽子板も消えていた。
素早く立ち上がって、周囲を見渡す。視界の端の方から、紙を丸めるようにくしゃくしゃと、景色全体が収縮していく。消えた景色を埋める星空の大海が、どんどん私を追い詰めてくる。
恐ろしくて、しゃがんで目を閉じていると、水の中に飛び込んだような感覚になった。必死にもがいていると、右手が何かを掴んだ。硬い、小さな球体。
恐る恐る目を開けると、視界は星空に埋め尽くされていた。宇宙を、漂っている。夢か?しかし、妙に現実感がある。
続く浮遊。水面に浮かんでいるような心地好さで、眠くなる。夢かどうかなど、どうでもよくなってきた。
「星かもしれない」
拳の中から大音量で響き渡る友人の声に驚く。ピリピリと痺れる手を開くと、あのムクロジの種があった。ほのかに、温かい。
ここ数ヶ月引きこもっていた私を公園に突然連れ出した友人は、いきなり羽子板をやろうと提案してきた。レトロな柄の羽子板と、カラフルな羽根の付いたムクロジの黒い種を、私に持たせて。
早く!と3m先で急かしてくる友人に、戸惑った。ほんの時々会う友人の話題は、いつも宇宙や星だ。たまに星座。
真夏の夕方に汗を光らせながら、嬉々として運動する人ではない、はず。しかも、なぜ羽子板?
困惑したまま、子供の頃の微かな記憶を頼りに、ムクロジの種、黒い球を羽子板で打つ。放物線を描いて、黒い球は友人の元に飛んで行った。
ベンチにどっしりと身体を預けながら、持っている羽子板の先に乗せたムクロジの黒球をじっと見る。羽根はラリー中に取れてしまったようだ。
隣の友人もほぼ同じ体勢で、空を見上げていた。
「ブラックホールってさ、すごいんだよ」
「飲み込んだもの全部の情報をさ、二次元化するの。薄い布みたいしてさ、輪っかにするんだって」
「その輪が、ブラックホールの外側にある輪なんだ。そのぺっちゃんこになってる情報の輪はね、熱力学的にはエントロピーっていうらしいよ。放射される熱エネルギー。要するに、ブラックホールは取り入れた情報の形を変えて、自分の熱を逃がしてる、ってことかもしれないんだって」
友人の夢心地のような声が左耳から入ってくるが、ほとんど理解できない。ムクロジの軽くて硬い漆黒の種は、コロコロと傾けた羽子板の上を転がる。
「光だって、ひとたまりもないんだ。ブラックホールに入ったら、永遠に出られない。だから、誰も本当のブラックホールなんて目撃できないんだ。あのブラックホールの輪にも、確かな実体がない。ホログラム。エントロピーが見せる幻の輪だ」
「君も同じだよ。他人は君の外側にある不確かな情報の輪を見て、君を評価してる。定義してる。でも、本物の君なんて誰にも見えない。きっと、君自身にも。もしかしたらさ」
友人の言葉が突然途切れて、友人の方へ顔を向けた。
誰もいない。ベンチに羽子板だけが残っている。手が急に軽くなった気がして、手元を見れば、自分の持っていた羽子板も消えていた。
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恐ろしくて、しゃがんで目を閉じていると、水の中に飛び込んだような感覚になった。必死にもがいていると、右手が何かを掴んだ。硬い、小さな球体。
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