水月のショートショート詰め合わせ
イチョウの流浪 幸あれ
朝、通い慣れた図書館までの道をイチョウの葉が覆っていた。
その光景を見て、秋になってしまった、という焦燥感がくすぶり出すと同時に、小さい頃、その光景にはしゃいでいたことを思い出した。
綺麗なイチョウの葉を集めたり、パリパリに乾いた葉の上で飛び跳ねたり。そんな無邪気さは、もうすっかり、浪人生の自分から消え失せている。気付いて、胸の奥が詰まるような気がして、イチョウから目を離した。
大量の参考書や教科書に囲まれながら、ノートに文字や数字を書き込んでいく。ノートの上から半分が埋まった時、シャーペンを動かせなくなった。
書くべきことは分かっているのに、どうしても、手が動かない。数分、呆然としてから立ち上がり、私と同じ立場の人々で埋まっている自習室を足早に出た。
ひんやりとした廊下を通り、螺旋状の階段を上がっていく。丸い天井窓のある最上階のフロアで、ずらりと並んだ書棚の間をゆっくり歩く。ぴったり並べられた本、本、本。
視界に、純白の背表紙が入ってきて、歩みを止めた。「新字」と黒く印字されただけの背表紙。分厚い。辞書だろうか。指を引っ掛けて、その辞書を引き出す。
開いてみて、驚いた。真っ白だ。白紙。他のページにも、文字は一切書かれていない。背表紙や奥付を確認してみても、著者名も出版社も出版年月日も印刷されていない。
その辞書を抱えて、読書スペースの椅子に腰かけた。机の上に置いて、謎の辞書を開く。最初のページを捲る。白い。次のページも。その次のページも。
なんだろうか、これは。好奇心が久々に湧き上がる。
天井窓から、バチバチバチという音が鳴る。大きな雨粒だ。あの銀杏の葉は、今頃アスファルトにへばりついてしまっているだろう。何となく、ページを捲って、もう一度目を見開く。
雨 銀杏 アスファルト
3つの言葉が太字で印刷されている。その下には、辞書らしい機械的な解説文。ページに残った不自然なほどの広さの空白以外は、至って普通の辞書だ。
面白い。辞書の幽霊か。
目を閉じて、自分の名前を心で唱える。目を閉じたまま、ページを捲った。
君 貴方 汝 そち あなた様
そう来るか。巧みに難題を回避してくる辞書の幽霊に、ますます楽しくなる。今度は、「新字」と念じてページを捲る。幽霊の名前。宿主の、だろうか。
私 幽霊 疑問 辞書 住居 古代 人気 神様 最近 暇 睡眠
単語を羅列した自己紹介。古代の神と、私は会話しているのだろうか。辞書を介して。興奮したまま、次のページを捲った。
君 言葉 好奇心 好意 私 命 言葉 贈呈 魂 共有 永遠 招福
並んだ言葉を繋ぎ合わせていると、印刷されているはずの文字が、動き出した。一列になり、滑らかに渦を巻いていく。
何かに急きたてられるように、渦の中心に、人差し指を当てた。文字は螺旋状に、私の指の表面を這い上がっていく。
腕まで上がってくると、文字同士が離れ、薄くなっていった。空になったページを見ると、太字の言葉が浮かび上がった。
グッドラック
その光景を見て、秋になってしまった、という焦燥感がくすぶり出すと同時に、小さい頃、その光景にはしゃいでいたことを思い出した。
綺麗なイチョウの葉を集めたり、パリパリに乾いた葉の上で飛び跳ねたり。そんな無邪気さは、もうすっかり、浪人生の自分から消え失せている。気付いて、胸の奥が詰まるような気がして、イチョウから目を離した。
大量の参考書や教科書に囲まれながら、ノートに文字や数字を書き込んでいく。ノートの上から半分が埋まった時、シャーペンを動かせなくなった。
書くべきことは分かっているのに、どうしても、手が動かない。数分、呆然としてから立ち上がり、私と同じ立場の人々で埋まっている自習室を足早に出た。
ひんやりとした廊下を通り、螺旋状の階段を上がっていく。丸い天井窓のある最上階のフロアで、ずらりと並んだ書棚の間をゆっくり歩く。ぴったり並べられた本、本、本。
視界に、純白の背表紙が入ってきて、歩みを止めた。「新字」と黒く印字されただけの背表紙。分厚い。辞書だろうか。指を引っ掛けて、その辞書を引き出す。
開いてみて、驚いた。真っ白だ。白紙。他のページにも、文字は一切書かれていない。背表紙や奥付を確認してみても、著者名も出版社も出版年月日も印刷されていない。
その辞書を抱えて、読書スペースの椅子に腰かけた。机の上に置いて、謎の辞書を開く。最初のページを捲る。白い。次のページも。その次のページも。
なんだろうか、これは。好奇心が久々に湧き上がる。
天井窓から、バチバチバチという音が鳴る。大きな雨粒だ。あの銀杏の葉は、今頃アスファルトにへばりついてしまっているだろう。何となく、ページを捲って、もう一度目を見開く。
雨 銀杏 アスファルト
3つの言葉が太字で印刷されている。その下には、辞書らしい機械的な解説文。ページに残った不自然なほどの広さの空白以外は、至って普通の辞書だ。
面白い。辞書の幽霊か。
目を閉じて、自分の名前を心で唱える。目を閉じたまま、ページを捲った。
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そう来るか。巧みに難題を回避してくる辞書の幽霊に、ますます楽しくなる。今度は、「新字」と念じてページを捲る。幽霊の名前。宿主の、だろうか。
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何かに急きたてられるように、渦の中心に、人差し指を当てた。文字は螺旋状に、私の指の表面を這い上がっていく。
腕まで上がってくると、文字同士が離れ、薄くなっていった。空になったページを見ると、太字の言葉が浮かび上がった。
グッドラック
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