水月のショートショート詰め合わせ

水月suigetu

飲み込むヒューマンレコードの明滅

赤い「破棄」の字が大きく書かれた段ボール箱をじっと見る。今日はこの中にぎっしりと詰まった資料の情報を移し替えなくてはならない。

再生機器が製造されなくなった記憶媒体はガラクタ同然となり、貴重な情報ごと捨てられてしまう。その情報の一部は私の元にやってきて、密やかに廃棄を免れるのだ。

数十年前まで、データの移し替え作業を行う人間は少数いた。しかし、今では移し替えをしないまま、ガラクタとなった記憶媒体のほとんどが廃棄されている。古い記録を維持するためだけに、少ない人手を割くことができなくなったからだ。




箱のテープを剥がし終えた。本格的な作業にとりかかる。5cm四方の黒い小箱をテーブルに並べていく。

綺麗に並べ終えた後、冷蔵室に移動し、ホルダーにセットされた大量の試験管を台車に乗せた。作業部屋に慎重に運び入れ、ホルダーを1つ、机の上に置く。




原因不明の著しい人口の減少。一縷の望みだった自律型AIの研究開発も、人手不足で維持できなくなった。

”完成間近だった私の自立型AI「カバラ」にも、スクラップにせよという指示が下った”

頭上の電球がチカチカと点滅する。文明はこのまま、後退し続けるだろう。

”しかし、私の生体情報を載せ、世の大海に解き放ったカバラは前進し続ける”

小箱の1つを開ける。中に4つ収まっている薄い金属片を1つずつピンセットで取り出し、透明な薬液が入っている試験管の中に入れる。金属片は泡を出しながら溶けた。

試験管を1本手に取り、無色透明のままの液体を勢いよく飲み込む。




飲み込んだ直後に、キリンの群れが悠々と歩く光景が鮮明に脳裏に浮かぶ。画面が切り替わり、今度はオフィスでの会議の様子。家族水入らずでのバーベキューパーティー。独房の監視映像。深海探査の様子。

目まぐるしく変わる視界で少しふらつく。

両足に力を入れて耐えた。少しでも早く、少しでも多くの記録を飲み込まなくてはいけないのだ。目の前に並んだ試験管の液体を、次々に飲み干す。

”ヒトから創られたヒトだったものとして。これから、先代のヒトの記憶を受け継ぐ新しいヒトになるものとして”

激しく点滅する視界。「カバラ」と私を穏やかに呼ぶ博士の声が、頭の中で響いた。

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