もし21世紀の歴史好きが明智光秀に転生した場合、どう生きるべきか。

雪野宮竜胆/ユキミヤリンドウ

もし21世紀の歴史好きが明智光秀に転生した場合、どう生きるべきか。

 火が燃えている。
 赤い光が障子越しに部屋を明るく照らしていて、まだ夜明け前だけど明かりは必要ない。
 間近で火が燃えた時の頬があぶられるような感覚、焼ける紙の匂い。木が爆ぜる音。どれも昔は全然縁が無かったけど、もう慣れてしまった。


 聞こえてくる鬨の声と金属がぶつかり合う音がBGMのように遠く感じる。
 30畳はありそうな広間、まだこの部屋には火は回っていないけど、障子の紙は焼け焦げ始めている。広々とした部屋の畳には所々に火が付き始めていた。もう時間はあまりない。
 壁に飾られた屏風は金を豪華に使った京都の景色を描き出した見事なつくりだ。これも燃えてしまうのはなんとも勿体ない。


 目の前には白い寝間着姿の男。
 壮年の年、そして周りを火に囲まれた修羅場だけどここまで若々しいオーラが伝わってくる。長い槍を持っている。
 威厳のある、整えられた髭面にはある種の諦観のような落ち着いた表情が浮かんでいた。


 その左に控えているのは身長ほどに長い太刀を構えた小姓姿の少年。
 彼は女の子の様な顔に、今にも噛みつきそうな激しい怒りの表情をしている。無理もない。


「なぜだ!なぜあなたが!」
「………控えよ」


 男が静かだけどよく通る声で少年の言葉を制する。


「ですが」
「控えよ、と言ったよ……いいね」


 少年が不満げに黙って、僕を一睨みした。


 男の右には寄り添うように女の人がいた。こちらも寝間着姿。黒い髪を綺麗にまとめて、片手には長刀を携えている。
 そこそこ年のはずだけどこちらも若々しい顔。そこには陶酔したような不思議な笑みを浮かべていた。この場にはそぐわない表情だ。


「君の働きには十分に報いてきたつもりなんだけど……でも……君が私利我欲のために私に弓を引くとは思えない」


 そう言って男が考え込む。


「それに私を討ちたければ他に機会はあったと思う……こんな力攻めがさとい君のやり口とは思えないな」
「あなたには、今日、ここで死んでもらわないといけない、僕らの未来のために」


 彼は此処で死なないといけない。
 今日、天正10年6月2日。此処、本能寺で。それが歴史だ。
 そうでないと未来が変わってしまう。僕も存在できなくなる。それは何度か文字通り消えかけて思い知った。


「未来……」


 男が少し考え込んで合点がいったとばかりに頷いた。


「君は人ならざる者と思っていたけど……そうか、時の果てより来るものだったのかな。さすがに私もそれには思い至らなかったよ」
「……気づいていたんですか?」


 人ならざる者。僕が未来から来た時間転移者であることは誰にも言っていないはずだけど。


「君はあまりにも知りすぎていたからね……神仙の類か、狐の精かと思っていたんだけど」


 目立ち過ぎない様にかなり念を入れて隠していたつもりだったけど誤魔化しきれてはいなかったか。


「よくそんなのを召し抱えましたね」
「君の目は信用できると私は思ったんだよ。それに、私の役に立つものであれば、鬼であろうが狐であろうが構わない」


 こともなげに男が言う。


 正直言って、恐ろしく有能、というわけではない。戦でも内政でも。ただ。
 不思議と人を引き付ける魅力。
 先進的な思想と新しいものを取り入れる柔軟さ。
 鋭い人間観察眼と臣下を信じて仕事を任せる懐の深さ。
 物事の本質を見抜く知性。
 行くと決めたら突き進む行動力。
 そして必要ならばすべてを切り捨てる酷薄さ。


 孤高の切れ者のイメージは、実物を見るとかなり違ったけど。
 21世紀の日本とは比べ物にならないほど、しがらみとか仕来りとか身分の壁とか、そういうものが多い世界でも、聊かもひるむことなく、旗下を信じて文字通りその壁のすべてを叩き壊す。
 世評なんかお構いなしに我が道を突き進む、偉大なる改革者。そして時代を文字通り変えて来た。


 僕の尊敬すべき主、織田上総介三郎信長。


「君の本名は……そう、勇樹だったよね」


 思い出話を語るかのように信長が言う。
 久しぶりにその名前を人から呼ばれた。21世紀に居た頃の僕の名前。
 今の名前は信長が授けてくれたものだ。僕の本名は勇樹。
 しかしかなり前のことだってのによく覚えているもんだ。流石。


「ところで聞きたいけど」
「なんですか?」


「私を討って、君が天下を差配するのかい?」


 世間話のような口調で話しながら、信長が顔を熱そうに手で仰ぐ。火がいよいよ回ってきたか。サウナのように空気が熱い。
 僕の鎧は特注の簡易なものだけど、それでも汗が全身に滲み出ている。


「羽柴と組むのかい?柴田か……それとも徳川?」


 探るように僕を見ながら信長が言う


「なんで誰かと組むと思うんです?」
「君は至極優秀だが、優しすぎる。野心も感じない……独りで天下を差配するという柄ではないよね」


 質問の答えになってないようなことだけど。有無を言わせない断定した口調で信長が言う。


「でも、そもそも、野心が無いものは天下を狙ったりしないか。さっき、君は私がここで死ぬのが歴史だ、と言った。では歴史の中の君の役目はなんなんだい?」


 そう、僕はこの後の歴史を知っている。自分がどうなるべきかを。
 刀を構えた。柄に巻かれた布が籠手越しに掌に食い込んでくる。重い存在感が手に伝わってきた。


「ねえ。どうだい?」


 信長が額の汗を袖で拭って問いかけてくる。


「なんですか?」
「こんなことは止めよう。君の望みじゃないはずだ」


 見透かすような口調でそう言って、一拍間をおいて信長が僕を見た。


「……君の知る歴史を変えてみたいとは思わないか?私とともに」


 信長の言葉はまっすぐに僕に突き刺さった。
 そうできれば良いと何度も思った。掛け値なしに尊敬できる主だったのだから。
 僕の動揺なんて見え見えだったんだろう。信長が薄く笑って僕を見る。


「まあいい。ここで私が君に討たれて死ぬのが歴史の定めなら是非もなし、だ。だけど」


 そう言って信長が槍を構えた。


「君に私が切れるかな?明智勇樹……」


言葉を突き刺すかのように、十文字槍の切っ先がまっすぐにこっちを向く。


「いや………光秀」



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