僕は御茶ノ水勤務のサラリーマン。新宿で転職の話をしたら、渋谷で探索者をすることになった。(書籍版・普通のリーマン、異世界渋谷でジョブチェンジ)
格好いい人・下
普段は穏やかで笑みを絶やさない顔にははっきり怒りの表情が浮かんでいた。
「音楽をして好きに生きて行きたいなんて言えるのは、アンタが貴族で生活に不自由したことがないからよ。そんな甘いもんじゃないわ」
今までにない険しい口調で彼女が続ける。
「あたしがステージに立てるまでどれだけ苦労したか……それに、ステージに立ったら、演技が気に入らない客から罵声飛ばされたりするのよ
人に嫌われるのが怖いなんて言ってる坊ちゃんにができる仕事じゃないわ」
坊ちゃんと言われてかっと顔が熱くなった。
「君に私のことがわかるのか!ルノアールの一門に生まれたがスロットもない。
踊りの才に恵まれて自由に生きている君に私の気持ちがわかるか!」
自分が強ければと何度思ったことか。強さを支えてくれるスロット能力があればといつも思っていた。
ガルフブルグで随一の剣士であるダナエ姫や塔の廃墟との門を維持しているエミリオと違って私には何もない。
この家の軛を解く方法もない。生き方を選ぶ余地もなかった。
「知るわけないでしょ、そもそも、アンタだってあたしがどれだけ苦労したか……」
「君こそ私のことなんてわからないだろうに、勝手な……!」
「はじめから踊れたわけじゃないわよ、下積み時代はね……!」
「君が何を言ってるのかわからない、こっちの言葉で……!」
「ふざけんじゃないわよ……」
「なんだって?そんなことをよくも……」
◆
しばらく罵りあいが続いて、どちらかともなく言葉を切った。
さっきのお互いの怒鳴り声は結構響いたかもしれないが、人払いしているから誰も入ってこなかった。
不思議なことだけど、世界にたった二人だけでいるようにも感じた。
息を吸って頭を冷やす
「……すまない。怒鳴ってしまって」
「ううん、あたしも言い過ぎたわ」
シヅネが小さく頭を下げた。テーブルの上に水差しから水を一杯飲んで小さくため息をつく。
「あー……なんていうか、少し話していい?」
「ああ、構わない」
「あたしと貴方は違うから、分かるなんて軽率には言えない……でもね、嫌われるのが怖いのは分かるわ」
「……そうなのかい?」
彼女がこちらに来てまださほどの時間はたっていないが、ガルフブルグに、そして我が家にも難なく溶け込んでしまった。
召使がやるような雑事にも手を出して、皆から不思議な人という風にみられているが。
彼女はいつでも物おじせず自信に満ちているように見える。だからその言葉は意外だった。
「あたしだってそんな鉄メンタルじゃないからね……舞台だとね、ヤジがまたとってもよく聞こえるのよ。
それに自分の演技がネットで叩かれてるのを見るのは本当に辛かったわ」
一部分からない言葉もあるが……塔の廃墟の言葉なんだろうというのは察しがついた。
「それにあたしの世界にはスロットなんてなかったからね……自分が優れているかどうかを測る方法は無かった」
そういえばそのような話をアトリがしていた。
だからこそ、自分の魔法スロットが見えるのがとても面白かったと。
スロットの数は多くの場合強さの序列となる。
四大公家の当主はそれぞれ各家の固有スロット能力を発現することが多いが、現当主の私だけはそれを持っていない。
それは誰にも言えないことだが、大いなる劣等感として心の中に横たわっている。
「あなたにはスロットが無くて自信が持てない。その気持ちは……分かる気がする。
あたしだって、自分や人のダンスのスキルなんてものが見えたらどう思うかわからないわ」
スロットの数が見えるのは、持っていない者にとっては恐ろしく惨めなものだ。
でも、全く見えないのもそれはそれで恐ろしいと思う。
「怖くなかったのかい?」
「そりゃあね。ソロでステージに立った時の嬉しさももちろんあったけど、怖かったわ。
チケット売れなくてさ、ガラガラの客席を見て心が折れそうになったことも何度もある」
静かに彼女が続ける。
その時だけは普段自信に満ちている彼女がやけにはかなげに見えた。
「でもね……そんなのはね、関係ないわ。数字が見えようが見えまいが関係ない。結局覚悟を決めて踏み出すしかないのよ」
そう言ってシヅネが言葉を切る
「……辛い現実が待っているかもしれないけど、もしかしたらその先には素晴らしい景色が広がっているかもしれない。
でも前に進まないと、その先にある景色を見ることはできないわ」
そう言って彼女が私をまっすぐ見つめる。
なんとなく、心の奥を見せてくれている気がした。
「例えば、あなたがよく名前を出す、バスキア公だっけ?その人だってそうだと思うわ。初めから強い人はいない」
「そうかな?」
堂々たる態度で騎士団を指揮する彼。いまやバスキア公家歴代でも屈指の当主と評されてそれに異論をはさむ者はいない。
彼にもそんな時があったんだろうか。
「そうよ
強さを図るのはスロットの数字なんかじゃないわ。強くなるのはね、自分自身よ。数字じゃない」
彼女が自分に言い聞かせるように言った
「それにね、分かったのよ。ダンサーとして活動してね、大事なこと……全ての人に好かれることはできない」
彼女がちょっと俯いて話をつづけた。
「残念だけどね。どうやっても一部には嫌われるのよ。でも必ず好きになってくれる人もいる。だから好きな人にだけ好かれればいいの
誰かに嫌われるのは怖いわ……でも何かをするなら、それでも受け入れなくてはいけない」
嫌われることを受け入れる……とても難しいことに思えるが。
「あなたはこの国や他の貴族とかは嫌いなの?」
「いや……そうじゃない」
「……なら好きな奴に好かれればいいのよ、それでいいんじゃないかしら?」
「かもしれないが……」
「それにね、ステージの上であなたは一人じゃない。
貴方が素晴らしい演技をすれば必ず力になってくれる人がいるわ」
「それも君の経験かい?」
「ええ、そうよ。だからこそ、次に進める。ていうか、そうじゃないとやってられないわよ」
周囲の失望の目にももう慣れてしまった。
私が変われば彼らも変わってくれるんだろうか
◆
「もう結構遅いわね」
彼女が窓の外をちらりとみて、こちらを向いた。窓の外は真っ暗で、月の光と遠くに庭園の明かりが見えるだけだった。
「最後に……一つ聞いていいかしら」
「かまわないよ」
「あなたは……ルノアール公を辞めたいの?」
静かで決して重々しい口調ではなかったけど、重い質問だった。
自分の家のことや自分に従ってくれている人のことを思った。
「……そうは思っていない」
求められるものは大きく、責任は重く、押しつぶされそうになって、すべてを投げ出したくなったことも一度や二度ではない。
でもそれだけはできなかった。それが意地なのか、未練なのか、それ以外なのかはわからないが。
「なら……それは貴方が乗り越えなければいけない壁だわ。貴方しか其れはできない」
自分で目を逸らしていたことを改めて突き付けられた。
外交はルノアール家の権限であり他家は口をはさめない。だから直接は何も言われることは無かった。
でも分かっていた。
当主で居続ける限りこのままではいけないのだ。自分で何とかするしかない。
そして、今の時点でルノアール家に私の代わりはいない。
どちらともなく何も言わなくなって、部屋に沈黙が下りた。
静かに月の光が窓から差し込んできている。かすかに風の音だけが聞こえた。部屋のコアクリスタルの燭台がそろそろ消えかけてきた。
いつの間にか相当時間がたったんだろう。
「私も一つ聞いていいかな、シヅネ」
「いいわよ」
「なぜ私に仕えてくれたんだい?」
こんな情けない私に、とは言えなかった。
「あの子があなたがいいって言ったからよ。あの子は私の全て……それに」
シヅネが迷いなく返事を返してくる。そして私を彼女が静かに見つめた。
「あたしはあの子のことを信じてる。
だから、あの子がいいと言ったあなたのことも信じているわ」
◆
その日以来、シヅネと二人で交渉の訓練をした。
彼女曰く、練習は裏切らない、ということらしい。話の誘導の仕方や、交渉に挑むときの心構え、気持ちを切り替えるときのための動作、彼女はルーチンなどと言っていたが、そういうことを教えられた。
塔の廃墟ではこういう交渉術も剣術のように体系化されていたのだろうか。それとも彼女の経験のなせる業なのか。
「大丈夫よ。今は緊張してるかもしれないけど、いつかはそれが快感になるからね」
練習用に人払いした屋敷の一室で模擬交渉を終えて彼女が言った。
「とても信じられないよ……」
演技とはいえど、時に辛辣な言葉を浴びせられると胸が苦しくなる。言い返して相手が不満そうにすると悪いことをしている気がする。
どうにかそれも受け入れられるようになったけど、本当の交渉の場をそんな風に楽しめるとはとても思えない。
「プレッシャーを楽しむようになって初めてプロってもんよ。そんなこと言ってたら、ステージで楽器を弾くなんてむりよ」
彼女が冗談めかした口調で言う。
そんなことをできる気がしないが……でも彼女はそれがいくつもの場数を踏んでできるようになったんだろう。
私もそんな風にいつかなれるだろうか。
◆
そして。ソヴェンスキとの会談の日がまたやってきた。
事前に教えられた。
竜殺しカザマスミト、そしてブルフレーニュ家の密偵やバスキア家の郎党に塔の廃墟の者までがソヴェンスキに侵入してツカサスズを取り返してきたらしい。
彼等はなぜそんな風に出来るのだろう。なぜそこまでするのだろう。
アトリが言っていた。勇気がある人が格好いいと。
だからきっと彼の基準なら、カザマスミトは「格好いい」ということになるんだろう
「ルノアール公、お出で下さい」
天幕の中で待っていたら使者が呼びに来た。
「さ、行こう、オーギュスト・ルノアール様。貴方は強いわ。自信を持ってあなたのステージに立って」
「格好良くしてね、オーギュストさん……応援してるよ」
アトリが私を見上げて言う。
格好良く、か。
「分かった」
いよいよだ。彼女が私の肩をポンと叩いた。
正直言うと恐ろしい。訓練通りにできるだろうか。
自分の行動で起きることが恐ろしい。
ソヴェンスキの使者に向けられる目が恐ろしい。
上手くいかなくて皆の期待を裏切ることが恐ろしい。
でも彼等の勇気に報いなくてはいけない。
そう、この子が言うように。格好よく。
「音楽をして好きに生きて行きたいなんて言えるのは、アンタが貴族で生活に不自由したことがないからよ。そんな甘いもんじゃないわ」
今までにない険しい口調で彼女が続ける。
「あたしがステージに立てるまでどれだけ苦労したか……それに、ステージに立ったら、演技が気に入らない客から罵声飛ばされたりするのよ
人に嫌われるのが怖いなんて言ってる坊ちゃんにができる仕事じゃないわ」
坊ちゃんと言われてかっと顔が熱くなった。
「君に私のことがわかるのか!ルノアールの一門に生まれたがスロットもない。
踊りの才に恵まれて自由に生きている君に私の気持ちがわかるか!」
自分が強ければと何度思ったことか。強さを支えてくれるスロット能力があればといつも思っていた。
ガルフブルグで随一の剣士であるダナエ姫や塔の廃墟との門を維持しているエミリオと違って私には何もない。
この家の軛を解く方法もない。生き方を選ぶ余地もなかった。
「知るわけないでしょ、そもそも、アンタだってあたしがどれだけ苦労したか……」
「君こそ私のことなんてわからないだろうに、勝手な……!」
「はじめから踊れたわけじゃないわよ、下積み時代はね……!」
「君が何を言ってるのかわからない、こっちの言葉で……!」
「ふざけんじゃないわよ……」
「なんだって?そんなことをよくも……」
◆
しばらく罵りあいが続いて、どちらかともなく言葉を切った。
さっきのお互いの怒鳴り声は結構響いたかもしれないが、人払いしているから誰も入ってこなかった。
不思議なことだけど、世界にたった二人だけでいるようにも感じた。
息を吸って頭を冷やす
「……すまない。怒鳴ってしまって」
「ううん、あたしも言い過ぎたわ」
シヅネが小さく頭を下げた。テーブルの上に水差しから水を一杯飲んで小さくため息をつく。
「あー……なんていうか、少し話していい?」
「ああ、構わない」
「あたしと貴方は違うから、分かるなんて軽率には言えない……でもね、嫌われるのが怖いのは分かるわ」
「……そうなのかい?」
彼女がこちらに来てまださほどの時間はたっていないが、ガルフブルグに、そして我が家にも難なく溶け込んでしまった。
召使がやるような雑事にも手を出して、皆から不思議な人という風にみられているが。
彼女はいつでも物おじせず自信に満ちているように見える。だからその言葉は意外だった。
「あたしだってそんな鉄メンタルじゃないからね……舞台だとね、ヤジがまたとってもよく聞こえるのよ。
それに自分の演技がネットで叩かれてるのを見るのは本当に辛かったわ」
一部分からない言葉もあるが……塔の廃墟の言葉なんだろうというのは察しがついた。
「それにあたしの世界にはスロットなんてなかったからね……自分が優れているかどうかを測る方法は無かった」
そういえばそのような話をアトリがしていた。
だからこそ、自分の魔法スロットが見えるのがとても面白かったと。
スロットの数は多くの場合強さの序列となる。
四大公家の当主はそれぞれ各家の固有スロット能力を発現することが多いが、現当主の私だけはそれを持っていない。
それは誰にも言えないことだが、大いなる劣等感として心の中に横たわっている。
「あなたにはスロットが無くて自信が持てない。その気持ちは……分かる気がする。
あたしだって、自分や人のダンスのスキルなんてものが見えたらどう思うかわからないわ」
スロットの数が見えるのは、持っていない者にとっては恐ろしく惨めなものだ。
でも、全く見えないのもそれはそれで恐ろしいと思う。
「怖くなかったのかい?」
「そりゃあね。ソロでステージに立った時の嬉しさももちろんあったけど、怖かったわ。
チケット売れなくてさ、ガラガラの客席を見て心が折れそうになったことも何度もある」
静かに彼女が続ける。
その時だけは普段自信に満ちている彼女がやけにはかなげに見えた。
「でもね……そんなのはね、関係ないわ。数字が見えようが見えまいが関係ない。結局覚悟を決めて踏み出すしかないのよ」
そう言ってシヅネが言葉を切る
「……辛い現実が待っているかもしれないけど、もしかしたらその先には素晴らしい景色が広がっているかもしれない。
でも前に進まないと、その先にある景色を見ることはできないわ」
そう言って彼女が私をまっすぐ見つめる。
なんとなく、心の奥を見せてくれている気がした。
「例えば、あなたがよく名前を出す、バスキア公だっけ?その人だってそうだと思うわ。初めから強い人はいない」
「そうかな?」
堂々たる態度で騎士団を指揮する彼。いまやバスキア公家歴代でも屈指の当主と評されてそれに異論をはさむ者はいない。
彼にもそんな時があったんだろうか。
「そうよ
強さを図るのはスロットの数字なんかじゃないわ。強くなるのはね、自分自身よ。数字じゃない」
彼女が自分に言い聞かせるように言った
「それにね、分かったのよ。ダンサーとして活動してね、大事なこと……全ての人に好かれることはできない」
彼女がちょっと俯いて話をつづけた。
「残念だけどね。どうやっても一部には嫌われるのよ。でも必ず好きになってくれる人もいる。だから好きな人にだけ好かれればいいの
誰かに嫌われるのは怖いわ……でも何かをするなら、それでも受け入れなくてはいけない」
嫌われることを受け入れる……とても難しいことに思えるが。
「あなたはこの国や他の貴族とかは嫌いなの?」
「いや……そうじゃない」
「……なら好きな奴に好かれればいいのよ、それでいいんじゃないかしら?」
「かもしれないが……」
「それにね、ステージの上であなたは一人じゃない。
貴方が素晴らしい演技をすれば必ず力になってくれる人がいるわ」
「それも君の経験かい?」
「ええ、そうよ。だからこそ、次に進める。ていうか、そうじゃないとやってられないわよ」
周囲の失望の目にももう慣れてしまった。
私が変われば彼らも変わってくれるんだろうか
◆
「もう結構遅いわね」
彼女が窓の外をちらりとみて、こちらを向いた。窓の外は真っ暗で、月の光と遠くに庭園の明かりが見えるだけだった。
「最後に……一つ聞いていいかしら」
「かまわないよ」
「あなたは……ルノアール公を辞めたいの?」
静かで決して重々しい口調ではなかったけど、重い質問だった。
自分の家のことや自分に従ってくれている人のことを思った。
「……そうは思っていない」
求められるものは大きく、責任は重く、押しつぶされそうになって、すべてを投げ出したくなったことも一度や二度ではない。
でもそれだけはできなかった。それが意地なのか、未練なのか、それ以外なのかはわからないが。
「なら……それは貴方が乗り越えなければいけない壁だわ。貴方しか其れはできない」
自分で目を逸らしていたことを改めて突き付けられた。
外交はルノアール家の権限であり他家は口をはさめない。だから直接は何も言われることは無かった。
でも分かっていた。
当主で居続ける限りこのままではいけないのだ。自分で何とかするしかない。
そして、今の時点でルノアール家に私の代わりはいない。
どちらともなく何も言わなくなって、部屋に沈黙が下りた。
静かに月の光が窓から差し込んできている。かすかに風の音だけが聞こえた。部屋のコアクリスタルの燭台がそろそろ消えかけてきた。
いつの間にか相当時間がたったんだろう。
「私も一つ聞いていいかな、シヅネ」
「いいわよ」
「なぜ私に仕えてくれたんだい?」
こんな情けない私に、とは言えなかった。
「あの子があなたがいいって言ったからよ。あの子は私の全て……それに」
シヅネが迷いなく返事を返してくる。そして私を彼女が静かに見つめた。
「あたしはあの子のことを信じてる。
だから、あの子がいいと言ったあなたのことも信じているわ」
◆
その日以来、シヅネと二人で交渉の訓練をした。
彼女曰く、練習は裏切らない、ということらしい。話の誘導の仕方や、交渉に挑むときの心構え、気持ちを切り替えるときのための動作、彼女はルーチンなどと言っていたが、そういうことを教えられた。
塔の廃墟ではこういう交渉術も剣術のように体系化されていたのだろうか。それとも彼女の経験のなせる業なのか。
「大丈夫よ。今は緊張してるかもしれないけど、いつかはそれが快感になるからね」
練習用に人払いした屋敷の一室で模擬交渉を終えて彼女が言った。
「とても信じられないよ……」
演技とはいえど、時に辛辣な言葉を浴びせられると胸が苦しくなる。言い返して相手が不満そうにすると悪いことをしている気がする。
どうにかそれも受け入れられるようになったけど、本当の交渉の場をそんな風に楽しめるとはとても思えない。
「プレッシャーを楽しむようになって初めてプロってもんよ。そんなこと言ってたら、ステージで楽器を弾くなんてむりよ」
彼女が冗談めかした口調で言う。
そんなことをできる気がしないが……でも彼女はそれがいくつもの場数を踏んでできるようになったんだろう。
私もそんな風にいつかなれるだろうか。
◆
そして。ソヴェンスキとの会談の日がまたやってきた。
事前に教えられた。
竜殺しカザマスミト、そしてブルフレーニュ家の密偵やバスキア家の郎党に塔の廃墟の者までがソヴェンスキに侵入してツカサスズを取り返してきたらしい。
彼等はなぜそんな風に出来るのだろう。なぜそこまでするのだろう。
アトリが言っていた。勇気がある人が格好いいと。
だからきっと彼の基準なら、カザマスミトは「格好いい」ということになるんだろう
「ルノアール公、お出で下さい」
天幕の中で待っていたら使者が呼びに来た。
「さ、行こう、オーギュスト・ルノアール様。貴方は強いわ。自信を持ってあなたのステージに立って」
「格好良くしてね、オーギュストさん……応援してるよ」
アトリが私を見上げて言う。
格好良く、か。
「分かった」
いよいよだ。彼女が私の肩をポンと叩いた。
正直言うと恐ろしい。訓練通りにできるだろうか。
自分の行動で起きることが恐ろしい。
ソヴェンスキの使者に向けられる目が恐ろしい。
上手くいかなくて皆の期待を裏切ることが恐ろしい。
でも彼等の勇気に報いなくてはいけない。
そう、この子が言うように。格好よく。
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