僕は御茶ノ水勤務のサラリーマン。新宿で転職の話をしたら、渋谷で探索者をすることになった。(書籍版・普通のリーマン、異世界渋谷でジョブチェンジ)
対峙・上
声の方、エスカレーターの方にもう一人誰か立っていた。
エスカレーターの上から現れたのは女だった。足音がほとんどしなかったから全く気付かなかった。
「邪魔者なら……」
そこまで行って、僕とラティナさんを見て小さくため息をついた。
「成程……流石ですね」
そう言うと、女がまっすぐ僕等の方に歩いてきた。
薄暗い中でもウェーブのかかったくすんだ感じの長い金髪をポニーテールのように後ろで結んでいるのは分かった。年も僕や都笠さんと同じくらいだろうか。
探索者が好んで着るような飾り気のない軽装の皮鎧で身を固めている。ただ、少なくとも渋谷の探索者の酒場とかでは見たことがない顔だ
顔立ちで、それだけ見れば家庭的な美女って感じなんだけど。
その顔ににこりと笑みを浮かべるけど、青い大きめの目の視線は冷たい……顔立ちが整っているのもあって、まるで精巧な人形のようだ。
女がミハエルとの間に立ちふさがるように立って、そして、恭しく頭を下げた。
アデルさんがジェレミー公にやるような、貴族に対する敬礼のようだ。
「龍殺し、いや、カザマスミト様。それにラティナ様。お会い出来て光栄です。私はヴェロニカ・エカテリンヴェルと申します」
「僕のことを知ってるのか?」
「不躾ですがここでお目にかかれたのも天の導きと思います。カザマスミト様、それにラティナ様。都笠さまと我々と共にお越しいただきたい」
女、というかヴェロニカが僕の問いをスルーして話を続ける。
「我々は正義と公平を重んじております。例えば、奴隷などという野蛮なものの存在を許しておりません。貴方のような、奴隷を憐れみその制度を憎むような方は我々と歩むことこそがふさわしいと存じます」
涼やかなと言う感じのよく通る声だけど……視線と同じような冷たさを感じる。変な表現かもしれないけど、事務的に業務連絡を伝えられてるような感じだ。
そもそもこの人が一体どこのどちら様かお聞きしたいところだけど、そんなことは後回しでも問題ない。
「まずは都笠さんを下ろせ。その後なら話を聞くよ」
「できません」
薄い笑顔を崩さないままによどみない口調でヴェロニカが応じる。
「都笠様は我々と一緒にお越しくださると了承されましたので」
「本人の口からきいたら信用するよ」
「一緒にお越しになればその時に聞くことができますから、何の問題もないと考えます。無論、後日ではありますが、セリエ様とユーカ様もお連れします。御心配なく」
話がかみ合わないというか、こっちの質問にまともに答える気がなさそうだ。
静かで丁寧だけど、折れるつもりはない、という雰囲気が伝わってくる。
こいつの言っていることは全く信用できないけど、それよりも……なんというか、触ると危険な雰囲気を漂わせている。
そんなのに会ったことはないけど、こちらに噛みつく機会を伺っている猛獣のような感じだ。それか、起爆スイッチが入った地雷か。
口調は穏やかだけど……ピリピリと緊張感が伝わってくる。わずかでもこの均衡が崩れれば、間違いなく戦闘になるのは感覚的に分かった。
ラティナさんも手裏剣を構えてはいるけど、動きが取れない。
「如何でしょうか?」
「まずは……都笠さんを下ろせ」
「応じかねます。都笠様は私たちと一緒に来られると言われましたので」
さっきと全く同じ答えが、微塵も迷いのない口調で帰ってきた。でも、本当にそうならこんな風に荷物を運ぶように都笠さんを連れている必要はない。
それに。
「ノエルさん達はどうした?」
「レブナントと戦闘になったようです。残念ながら、我々が着いたときにはお二人とも亡くなっておられました」
ヴェロニカが淡々と話をつづける。
「我々が都笠様をお助けし、都笠様は我々とともに来てくださることを了解されたのです」
明らかに嘘を言っているというのは理性では分かる。
そもそもの話として、池袋まで来たメンバーにこいつらが入っていないんだから、こいつらがここにいること自体がおかしい。
探索してたら偶然巻き込まれました、なんてことはありえない。
ただ、あまりにも確信に満ちた口調で言われると、なんか本当にそうなのかもと錯覚しそうになる。
詐欺師は嘘でも本当だと信じて断言するって話を何となく思い出した。
「とても残念なことでした。ですが、都笠様が……」
「おい!待てや、コラ」
張り詰めた空気を裂くように、不意に聞き覚えがある声が吹き抜けの上から降ってきた。
◆
「スミト、そんなクソ共に騙されんなよ」
見上げると、吹き抜けの上にノエルさんがいた。
「おう、てめえ、よくもやってくれたな」
じろりとヴェロニカたちをノエルさんが睨む。
ちょっと薄暗いけど、肩口にはここからでも分かるくらいに赤く染まった布を巻いている。ミハエルとヴェロニカの顔に驚いたような表情が一瞬浮かんだ。
「なんで死んでねぇかって言いてぇのか?クソボケ共。聖堂騎士の家系には治癒促進ってスロット能力があるんだよ。勉強になったろ。次に戦うときはよお、首を落としていけや」
槍を杖の代わりにしてノエルさんがゆっくりとエスカレーターを降りてくる。
「聞け、スミト。こいつらはいきなり部屋に切り込んできやがったんだ」
「困りますね……そのようなでたらめを」
「何が正義だ。どこのどちらさまだか知らねえがよ、正義の味方が人を後ろから切って人さらいなんてするか」
ヴェロニカの言葉を遮ってノエルさんが怒鳴る。ヴェロニカがノエルさんを一瞥して、また僕等の方に視線を戻した。
「では、お返事をお願いします」
まるでノエルさんのことをいないものとみるかのようヴェロニカが続ける。
「正義の味方はヒトサライなんてシナイよ」
「人攫いなどしておりません。都笠様は我々とくることを了承されました」
「嘘言え、クソ女!」
ノエルさんの怒鳴り声がヴェロニカの言葉を遮るけど、まるで聞こえないかのように話を続ける。
「今のを聞く限り、友好的に了承した感じじゃないよな」
「あの男は嘘をついています。信用してはなりません」
「面の皮厚すぎるぞ、てめぇ!」
「……どっちを信じるかなんて自明の理でしょ」
ダナエ姫の直属で、しかも今回はわざわざ都笠さんの護衛を買って出てくれたノエルさんと、どこのどちら様かもしらない相手じゃ比較にはならない
「それに正義とかどうこう以前に、僕はごり押しは嫌いだ」
「ごり押しとは心外ですが、我々のことを知っていただければ、我々とともに来ることが正しいということをご理解いただけると確信しています」
落ち着いた口調でヴェロニカが続ける。言いたいことを言ってるだけって感じで、なんかもう、話が全然噛みあう気配がない。
ただ、それよりも。
こっちにノエルさんが加わったうえに、この状況だと都笠さんを抱えているミハエルは大して戦力にはならないだろう。
こっちが力づくで取り返そうとして戦闘になれば数的不利は分かっているはずなのに、まったく動じる様子がない。それがむしろ怖い。
「ここから逃げれるつもりか?」
「スミト様にラティナ様は一緒にお越しいただけると思っておりますから。逃げる必要はありません」
動揺を見せる様子もなくヴェロニカが言う。
「そもそも、お二人とも塔の廃墟の方のはず。ガルフブルグに忠誠を誓う理由はないのでは?」
「ボクはエミリオ君のニンジャ。ニンジャは寝返ったりしないんダヨ」
ラティナさんがきっぱりと言い返す。ヴェロニカが端正な顔に少し困ったような表情を浮かべて首を傾げた。
「なるほど。しかし、このままでは……そう、大変不幸な結果を招くと私は思います……発現」
そう言って不意にヴェロニカがスロット武器を抜いた。普通の剣かと思ったけど違う。
ちょっと短めの飾り気のない刀身の両刃の剣だけど、変わっているのは柄の方にも同じような刀身がついている。
双剣とでも言うんだろうか。見たことが無い武器だ。
「……正義と公平の元、そのようなことは私としては望んでおりません」
変わらずに笑みを浮かべているけど、その冷たい目から無言でも言いたいことは伝わってきた。
従わないなら都笠さんを殺す、その眼が言っている。おそらく躊躇しないだろう、というのはわかった。
ちょっと貴重な虫の標本でも値踏みするような無機質な目。欲しくないわけじゃないけど、自分の手に入らないならいっそ壊してしまえっていう感じの目だ。
「賢明な判断を望みます、スミト様、ラティナ様」
ラティナさんも同じように感じたんだろう。押し殺したような息遣いだけが聞こえる。
この場にいる誰も回復系の魔法は使えないし、ポーションとかも今は持っていない。
そもそもポーションも回復魔法も傷を治すものであって即死すれば効果は無い。殺すつもりで刺されたら……助ける方法はない。
空気が一層重くなったように感じた。水の中にいるように息苦しい。
「ラティナ様。その手の……シュリケン、でしたか。それを捨てていただきたい。話し合いにおいては相応しくないかと思います」
ヴェロニカが言う。
ラティナさんが何か言おうとしたけど舌打ちして、手裏剣を下ろした。ラティナさんの手裏剣は速いけど、投げるより都笠さんを刺されるほうが早いか。
話し合いとか言ってるけど、お前が持っている武器は一体なんだ、と喉元まで出かかったけどどうにかこらえた。
「捨ててください」
ヴェロニカが念を押すようにラティナさんに言う。
「F〇Ck!」
ラティナさんが毒づいて手裏剣を床にたたきつけた。甲高い音を立てて手裏剣が床で跳ねる。
ヴェロニカが一瞬満足げな笑みが浮かべて、すぐに冷たさを感じさせる表情に戻った。
「一緒にお越し頂けますか?」
あいつらとの距離は5メートルほど。近づけさえすれば。
踏み込めば3歩ほどで詰められるこの距離がサンシャイン60とシティホテルの間ほどの距離に感じる。
横でラティナさんが地団太を踏むように足で床を蹴った。
「……スミトさん」
ラティナさんが床を蹴る音と、手裏剣がタイルとぶつかる音に交じって、ほんの小さな声でラティナさんがささやいた。仕草とは違う冷静な口調だ。
「……ソナエてね」
不意に吹き抜けの暗闇の視界の上で何かがきらめいた。
エスカレーターの上から現れたのは女だった。足音がほとんどしなかったから全く気付かなかった。
「邪魔者なら……」
そこまで行って、僕とラティナさんを見て小さくため息をついた。
「成程……流石ですね」
そう言うと、女がまっすぐ僕等の方に歩いてきた。
薄暗い中でもウェーブのかかったくすんだ感じの長い金髪をポニーテールのように後ろで結んでいるのは分かった。年も僕や都笠さんと同じくらいだろうか。
探索者が好んで着るような飾り気のない軽装の皮鎧で身を固めている。ただ、少なくとも渋谷の探索者の酒場とかでは見たことがない顔だ
顔立ちで、それだけ見れば家庭的な美女って感じなんだけど。
その顔ににこりと笑みを浮かべるけど、青い大きめの目の視線は冷たい……顔立ちが整っているのもあって、まるで精巧な人形のようだ。
女がミハエルとの間に立ちふさがるように立って、そして、恭しく頭を下げた。
アデルさんがジェレミー公にやるような、貴族に対する敬礼のようだ。
「龍殺し、いや、カザマスミト様。それにラティナ様。お会い出来て光栄です。私はヴェロニカ・エカテリンヴェルと申します」
「僕のことを知ってるのか?」
「不躾ですがここでお目にかかれたのも天の導きと思います。カザマスミト様、それにラティナ様。都笠さまと我々と共にお越しいただきたい」
女、というかヴェロニカが僕の問いをスルーして話を続ける。
「我々は正義と公平を重んじております。例えば、奴隷などという野蛮なものの存在を許しておりません。貴方のような、奴隷を憐れみその制度を憎むような方は我々と歩むことこそがふさわしいと存じます」
涼やかなと言う感じのよく通る声だけど……視線と同じような冷たさを感じる。変な表現かもしれないけど、事務的に業務連絡を伝えられてるような感じだ。
そもそもこの人が一体どこのどちら様かお聞きしたいところだけど、そんなことは後回しでも問題ない。
「まずは都笠さんを下ろせ。その後なら話を聞くよ」
「できません」
薄い笑顔を崩さないままによどみない口調でヴェロニカが応じる。
「都笠様は我々と一緒にお越しくださると了承されましたので」
「本人の口からきいたら信用するよ」
「一緒にお越しになればその時に聞くことができますから、何の問題もないと考えます。無論、後日ではありますが、セリエ様とユーカ様もお連れします。御心配なく」
話がかみ合わないというか、こっちの質問にまともに答える気がなさそうだ。
静かで丁寧だけど、折れるつもりはない、という雰囲気が伝わってくる。
こいつの言っていることは全く信用できないけど、それよりも……なんというか、触ると危険な雰囲気を漂わせている。
そんなのに会ったことはないけど、こちらに噛みつく機会を伺っている猛獣のような感じだ。それか、起爆スイッチが入った地雷か。
口調は穏やかだけど……ピリピリと緊張感が伝わってくる。わずかでもこの均衡が崩れれば、間違いなく戦闘になるのは感覚的に分かった。
ラティナさんも手裏剣を構えてはいるけど、動きが取れない。
「如何でしょうか?」
「まずは……都笠さんを下ろせ」
「応じかねます。都笠様は私たちと一緒に来られると言われましたので」
さっきと全く同じ答えが、微塵も迷いのない口調で帰ってきた。でも、本当にそうならこんな風に荷物を運ぶように都笠さんを連れている必要はない。
それに。
「ノエルさん達はどうした?」
「レブナントと戦闘になったようです。残念ながら、我々が着いたときにはお二人とも亡くなっておられました」
ヴェロニカが淡々と話をつづける。
「我々が都笠様をお助けし、都笠様は我々とともに来てくださることを了解されたのです」
明らかに嘘を言っているというのは理性では分かる。
そもそもの話として、池袋まで来たメンバーにこいつらが入っていないんだから、こいつらがここにいること自体がおかしい。
探索してたら偶然巻き込まれました、なんてことはありえない。
ただ、あまりにも確信に満ちた口調で言われると、なんか本当にそうなのかもと錯覚しそうになる。
詐欺師は嘘でも本当だと信じて断言するって話を何となく思い出した。
「とても残念なことでした。ですが、都笠様が……」
「おい!待てや、コラ」
張り詰めた空気を裂くように、不意に聞き覚えがある声が吹き抜けの上から降ってきた。
◆
「スミト、そんなクソ共に騙されんなよ」
見上げると、吹き抜けの上にノエルさんがいた。
「おう、てめえ、よくもやってくれたな」
じろりとヴェロニカたちをノエルさんが睨む。
ちょっと薄暗いけど、肩口にはここからでも分かるくらいに赤く染まった布を巻いている。ミハエルとヴェロニカの顔に驚いたような表情が一瞬浮かんだ。
「なんで死んでねぇかって言いてぇのか?クソボケ共。聖堂騎士の家系には治癒促進ってスロット能力があるんだよ。勉強になったろ。次に戦うときはよお、首を落としていけや」
槍を杖の代わりにしてノエルさんがゆっくりとエスカレーターを降りてくる。
「聞け、スミト。こいつらはいきなり部屋に切り込んできやがったんだ」
「困りますね……そのようなでたらめを」
「何が正義だ。どこのどちらさまだか知らねえがよ、正義の味方が人を後ろから切って人さらいなんてするか」
ヴェロニカの言葉を遮ってノエルさんが怒鳴る。ヴェロニカがノエルさんを一瞥して、また僕等の方に視線を戻した。
「では、お返事をお願いします」
まるでノエルさんのことをいないものとみるかのようヴェロニカが続ける。
「正義の味方はヒトサライなんてシナイよ」
「人攫いなどしておりません。都笠様は我々とくることを了承されました」
「嘘言え、クソ女!」
ノエルさんの怒鳴り声がヴェロニカの言葉を遮るけど、まるで聞こえないかのように話を続ける。
「今のを聞く限り、友好的に了承した感じじゃないよな」
「あの男は嘘をついています。信用してはなりません」
「面の皮厚すぎるぞ、てめぇ!」
「……どっちを信じるかなんて自明の理でしょ」
ダナエ姫の直属で、しかも今回はわざわざ都笠さんの護衛を買って出てくれたノエルさんと、どこのどちら様かもしらない相手じゃ比較にはならない
「それに正義とかどうこう以前に、僕はごり押しは嫌いだ」
「ごり押しとは心外ですが、我々のことを知っていただければ、我々とともに来ることが正しいということをご理解いただけると確信しています」
落ち着いた口調でヴェロニカが続ける。言いたいことを言ってるだけって感じで、なんかもう、話が全然噛みあう気配がない。
ただ、それよりも。
こっちにノエルさんが加わったうえに、この状況だと都笠さんを抱えているミハエルは大して戦力にはならないだろう。
こっちが力づくで取り返そうとして戦闘になれば数的不利は分かっているはずなのに、まったく動じる様子がない。それがむしろ怖い。
「ここから逃げれるつもりか?」
「スミト様にラティナ様は一緒にお越しいただけると思っておりますから。逃げる必要はありません」
動揺を見せる様子もなくヴェロニカが言う。
「そもそも、お二人とも塔の廃墟の方のはず。ガルフブルグに忠誠を誓う理由はないのでは?」
「ボクはエミリオ君のニンジャ。ニンジャは寝返ったりしないんダヨ」
ラティナさんがきっぱりと言い返す。ヴェロニカが端正な顔に少し困ったような表情を浮かべて首を傾げた。
「なるほど。しかし、このままでは……そう、大変不幸な結果を招くと私は思います……発現」
そう言って不意にヴェロニカがスロット武器を抜いた。普通の剣かと思ったけど違う。
ちょっと短めの飾り気のない刀身の両刃の剣だけど、変わっているのは柄の方にも同じような刀身がついている。
双剣とでも言うんだろうか。見たことが無い武器だ。
「……正義と公平の元、そのようなことは私としては望んでおりません」
変わらずに笑みを浮かべているけど、その冷たい目から無言でも言いたいことは伝わってきた。
従わないなら都笠さんを殺す、その眼が言っている。おそらく躊躇しないだろう、というのはわかった。
ちょっと貴重な虫の標本でも値踏みするような無機質な目。欲しくないわけじゃないけど、自分の手に入らないならいっそ壊してしまえっていう感じの目だ。
「賢明な判断を望みます、スミト様、ラティナ様」
ラティナさんも同じように感じたんだろう。押し殺したような息遣いだけが聞こえる。
この場にいる誰も回復系の魔法は使えないし、ポーションとかも今は持っていない。
そもそもポーションも回復魔法も傷を治すものであって即死すれば効果は無い。殺すつもりで刺されたら……助ける方法はない。
空気が一層重くなったように感じた。水の中にいるように息苦しい。
「ラティナ様。その手の……シュリケン、でしたか。それを捨てていただきたい。話し合いにおいては相応しくないかと思います」
ヴェロニカが言う。
ラティナさんが何か言おうとしたけど舌打ちして、手裏剣を下ろした。ラティナさんの手裏剣は速いけど、投げるより都笠さんを刺されるほうが早いか。
話し合いとか言ってるけど、お前が持っている武器は一体なんだ、と喉元まで出かかったけどどうにかこらえた。
「捨ててください」
ヴェロニカが念を押すようにラティナさんに言う。
「F〇Ck!」
ラティナさんが毒づいて手裏剣を床にたたきつけた。甲高い音を立てて手裏剣が床で跳ねる。
ヴェロニカが一瞬満足げな笑みが浮かべて、すぐに冷たさを感じさせる表情に戻った。
「一緒にお越し頂けますか?」
あいつらとの距離は5メートルほど。近づけさえすれば。
踏み込めば3歩ほどで詰められるこの距離がサンシャイン60とシティホテルの間ほどの距離に感じる。
横でラティナさんが地団太を踏むように足で床を蹴った。
「……スミトさん」
ラティナさんが床を蹴る音と、手裏剣がタイルとぶつかる音に交じって、ほんの小さな声でラティナさんがささやいた。仕草とは違う冷静な口調だ。
「……ソナエてね」
不意に吹き抜けの暗闇の視界の上で何かがきらめいた。
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